2019年10月01日
人生を語ることは承認欲求なのか。
友達が心配だと言っていたことで、
一つ、僕がすごく共感したことがある。
自分の人生の一片を語る時、
人によっては承認欲求と捉えられるのではないか、
自分はこういう状況だから構って、気にかけて
というアピールと捉えられるのではないか。
だとしたら自分は生きてきた道のりを
人に話してもいいのだろうか。
そういうことを心配していた。
正直に言うと、僕にも同じ思いはある。
こうやって自分が持つハンディや
ポジティブとは言えない状況を隠さず書いてるけど、
人によっては「わかってほしいの?」と捉えられたり、
アピールと解釈されることもあるだろう。
そしてそれに対する怖さ、罪悪感と、
もし批判された時、心が潰れてしまうのでは
という恐怖も大いにある。
事実に主観を交えて語る以上、
ポジティブに解釈してくれる人ばかりではないと
わかっていても怖いものは怖い。
このブログの中で、
僕の発達障害について書いた最初の記事では、
確かに自分にも「構ってアピール」や
辛い主張をしたい感情があり、
それも隠さず吐き出すと書いた。
自分にはこういうハンディがあって、
そのために今までこういう経験をしてきて、
だから辛い、理解してほしいという思いは僕にもある。
→「僕の発達障害。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/3/0
程度の多少はあれど、いわゆる「悲劇のヒロイン」に
なりたい気持ちは多くの人が持っているだろうし、
承認欲求は人間の自然な欲求だから、
本来は何ら不思議ではない感情のはず。
文句や愚痴っぽく言ってしまうと、
人生の語りではなくアピールと捉えられる可能性はある。
自分は悪くない、周りの誰かや環境が悪い、というように
犯人捜しをしようとする姿勢で語ると、
ネガティブな解釈の確率が上がるのかな、と思う。
表現の仕方はすごく難しいけど、
誰かのせいにするスタンスの話よりは、
純粋にその人の考えを聞きたいと僕は思う。
僕は個人的には、誰かの人生の一片を
アピールや承認欲求だなんて思わない。
決して平坦でなかった自分の道のりは
信用できる人にだけ話してくれるもので、
自分のアイデンティティの一部を
僕に対してさらけ出してくれたことは嬉しく思う。
自分の親が人の話を聞けない人間だからか、
僕は人の話を聞いて受け止められる人間になろうと
決めたことが、嬉しさに繋がっているのかも知れない。
構ってアピールや承認欲求と捉えるかどうかは
きっと「人による」という結論になるんだろう。
そしてそういう人は離れていくし、
次に出逢う人の話を聞いても同じように捉えるんだろう。
だけど僕は、
誰にでも言えるわけでない自分の大切な一部を、
僕を選んで話してくれることを嬉しく思う。
一つ、僕がすごく共感したことがある。
自分の人生の一片を語る時、
人によっては承認欲求と捉えられるのではないか、
自分はこういう状況だから構って、気にかけて
というアピールと捉えられるのではないか。
だとしたら自分は生きてきた道のりを
人に話してもいいのだろうか。
そういうことを心配していた。
正直に言うと、僕にも同じ思いはある。
こうやって自分が持つハンディや
ポジティブとは言えない状況を隠さず書いてるけど、
人によっては「わかってほしいの?」と捉えられたり、
アピールと解釈されることもあるだろう。
そしてそれに対する怖さ、罪悪感と、
もし批判された時、心が潰れてしまうのでは
という恐怖も大いにある。
事実に主観を交えて語る以上、
ポジティブに解釈してくれる人ばかりではないと
わかっていても怖いものは怖い。
このブログの中で、
僕の発達障害について書いた最初の記事では、
確かに自分にも「構ってアピール」や
辛い主張をしたい感情があり、
それも隠さず吐き出すと書いた。
自分にはこういうハンディがあって、
そのために今までこういう経験をしてきて、
だから辛い、理解してほしいという思いは僕にもある。
→「僕の発達障害。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/3/0
程度の多少はあれど、いわゆる「悲劇のヒロイン」に
なりたい気持ちは多くの人が持っているだろうし、
承認欲求は人間の自然な欲求だから、
本来は何ら不思議ではない感情のはず。
文句や愚痴っぽく言ってしまうと、
人生の語りではなくアピールと捉えられる可能性はある。
自分は悪くない、周りの誰かや環境が悪い、というように
犯人捜しをしようとする姿勢で語ると、
ネガティブな解釈の確率が上がるのかな、と思う。
表現の仕方はすごく難しいけど、
誰かのせいにするスタンスの話よりは、
純粋にその人の考えを聞きたいと僕は思う。
僕は個人的には、誰かの人生の一片を
アピールや承認欲求だなんて思わない。
決して平坦でなかった自分の道のりは
信用できる人にだけ話してくれるもので、
自分のアイデンティティの一部を
僕に対してさらけ出してくれたことは嬉しく思う。
自分の親が人の話を聞けない人間だからか、
僕は人の話を聞いて受け止められる人間になろうと
決めたことが、嬉しさに繋がっているのかも知れない。
構ってアピールや承認欲求と捉えるかどうかは
きっと「人による」という結論になるんだろう。
そしてそういう人は離れていくし、
次に出逢う人の話を聞いても同じように捉えるんだろう。
だけど僕は、
誰にでも言えるわけでない自分の大切な一部を、
僕を選んで話してくれることを嬉しく思う。
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