アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2020年03月14日

親が本当に恐れているのは「自分の子育ては間違っていたという証明」じゃないの?

父が資格の取得や公務員試験の受験を押しつけたのは、
父の狭い世界観で言う「理想の男」にしたいから。

なぜ僕を「理想の男」にしたいかというと、
息子が安定した職業に就いて稼げる男でいてくれないと
自分が不安だから。


→「「資格か公務員の勉強するなら置いてやる」。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/342/0



「じゃあ、その不安の中身は何なの?」

って考えてみた時、1つの仮説が生まれた。

自分の息子が「ちゃんとした男」になっていないと
自分の子育てが間違っていた証明になるのが怖いんじゃないの?




子どもは自分の所有物であり作品と
無意識にでも考えている親にとって、

成長した子どもがどう生きているかは
大げさに言えば「自分の人生の成績表」

自分が考える理想像、少なくとも及第点に
子どもが達していなければ

自分の子育てそのものが不合格、
自分の人生そのものが不合格になってしまう。



それを認めたくない、向き合いたくない。

自分の人生そのものが間違いだったなんて、
そんなのは信じたくない、耐えられない。


今からでも資格を取らせるか、公務員試験を受けさせて、
「自分が信じる」安定した職業に就かせよう。

資格や公務員関連が無理だとしても、
せめて人並みの年収にさせないと自分の人生が否定されてしまう。



あなたはそうやって私から離れていこうとすることで、
どれほど私を苦しめているのかわからないのよ。

私はあなたが私を必要としてほしいの。
私はあなたを失うことが耐えられないのよ。
私にとってはあなたがすべてなのよ。

あなたが何か間違いをおかすんじゃないかって、
心配でたまらないの。

もし何かよくないことが起きたら、
私は母親として失格だってことになるじゃないの。



『毒になる親』第三章 より

どうして息子を「安定した職業」に就かせられなかったんだろう。
どうして息子が自分から遠ざかり、心を閉ざしてしまったんだろう。

本当はいろいろ思い当たる節がある。

でも、

自分が悪かったと認めたくない。
自分にも非があったかも知れないことから目を逸らしたい。

思い当たる自分の態度や言動と向き合うことで
襲ってくる大きな不安から逃げていたい。

自分の子育ては、自分の人生は間違っていなかった、
そう思い続けないと、心を保っていられない。




父は38年間、公務員(高校教師)
母も元・公務員(保育士)。

公務員でなかった期間のほぼない2人だから、

・(未だに)安定イメージが強いから
・お金や仕事で苦労をさせたくないから
・ある程度、どのような世界か想像できて安心できるから

みたいな理由で勧めてくるのは理解できる。



でも、それはたぶん、表向きの理由。

彼らの心の根底にあるのは、不安と向き合いたくない気持ち。

 こうなってほしい
→こうならないと自分が不安
→こうならない子どもを育てた自分は不合格
→自分は不合格と認めたくない
→今からでもこうなってほしい


これが「押し付けの悪循環」になるんじゃないかな。

親が勧める仕事に就かない子どもを育てた自分は、

親の理想の姿にならなかった子どもを育てた自分は
ダメな親なんだ、子育てに失敗したんだ


という自責から目を逸らしたいんじゃないかな。



祖父は、父を大学に進ませるため、文字通り"命を削って"働いた。

だから、言い方を悪くしてしまえば、
父も親の理想を押し付けられた被害者であり当事者。

祖父への未消化な怒りを、形を変えて僕に伝えている。

→「祖父への怒りを叫ぶ父。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/331/0

だから許しましょう、ということではなく、

「あの時の押し付けがましい言動には
こういう背景があったのかも知れないな」

一歩引いて考えられることが僕の成長。



父が本当に怯えているものと向き合うのは父の問題、

僕がこれからどう働き、どう生きるかは僕の問題。


posted by 理琉(ワタル) at 20:09 | TrackBack(0) | 家族

2020年03月13日

カフェで読書に挑戦、”サンマルクカフェ 札幌ル・トロワ店”

今日はもっとじっくり読書する日にしたい。

と、昼休みから考えていた僕は、
読書デーにするにあたり1つ挑戦してみようと思い立った。



カフェで読書してみよう。
マック→カフェにグレードを上げてみよう。




というわけで、
『サンマルクカフェ 札幌ル・トロワ店』へ。

20200306_173742.jpg

お供の「カフェラテ」



もちろん、値段がすべてではないし、
マックのコーヒーをけなしているわけでもない。

カフェに300〜400円を遣うことに
ためらいと罪悪感を覚える貧乏性マインドを変える
ための挑戦。



17:30入店

読書開始



19:30頃

うたたね



20:00頃

起床



21:04

閉店時間を過ぎていたので退店



カフェ独特の落ち着いた雰囲気が心地よくて
途中で寝てしまった。

だけど、今日の昼休みに立てた小さな挑戦に成功。
いつもより少し高いお店に思い切って入れた。



  • ちょっとおしゃれなカフェなんて自分には敷居が高い
  • 日常的に利用している人たちより所得がはるかに下

そんなものは、僕の成育環境で刷り込まれた「洗脳」

小さな一歩だけど、こうやって少しずつ、
お金への不安に縛られたマインドを変えていくことが大切。

→料理編。
「VS貧乏性、対抗記念カレー。」

→新しい靴編。
「罪悪感に打ち勝ち、新しいブーツを購入。」



カフェで読書、楽しかった。

落ち着いた雰囲気、やわらかい座席、
集中し過ぎてガス欠、うたたね。

食べログで調べてみたら職場から徒歩3分だったのに、
今までやらなかったのは、だいぶ損している。

カフェ探し、楽しそう。
posted by 理琉(ワタル) at 00:19 | TrackBack(0) | 生き方

2020年03月12日

親と似ている自分を見つけた時。

自分の中に、親と似ている部分を見つけた時。

親への怒りに満ちていた頃は絶望した。

怒り、悲しみ、寂しさに、少しずつ
折り合いをつけられるようになってから、
それが少し変わってきた。

絶望とは少し違う、
良い意味で開き直れるようになってきた。



どうして開き直れるようになってきたのか。

それはたぶん、
親への怒りに満ちていた頃に
とことん怒り、泣き、本気で叫んだから。

そして、その時に感じた気持ちを偽らず書きつくしたから。


こつこつ、黙々、没頭、親とそっくり

高校数学教師で女子バスケ部のコーチだった父は、
無言で不機嫌で支配的だったけど、
仕事や勉強をする時の集中力はすさまじかった。

・授業の予習
・テストの採点
・バスケ戦術の研究

徹夜で仕事し、30分だけ寝て出勤を定年まで繰り返していた。



いわゆる「良妻賢母」の母は、感情表現はあまりないけど、
家事を黙々とこなし、趣味のパッチワークやお菓子作りに
ただ没頭していた。

独り言もほとんど聞いたことがなく、ただ手を動かしていた。



・不言実行
・没頭する
・こつこつ地道に続ける
・何かに集中し黙々とこなす

僕のこういうところは、親とそっくり。


押し殺してきた怒りに気づく

初めのうちは、
自分の中にこういう気質を見つけるたびに怒りを覚え、
必死で否定し、意地になって反発した。

「あんなやつらみたいになりたくない」
「あんなやつらと似ていたくない」

彼らの血を、気質を、思考や行動パターンを
自分が受け継いでしまっていることに絶望した。


”あなたは親にどれくらい似ているか”

「親に似ている」などと言われたらゾッとするかも知れませんが、
知らない間に影響されていることはたくさんあるのです。

親に会ったことのある友人はみな気づいているのに、
気がつかないのは本人だけ、ということがよくあります。

どんな人でも、遺伝と生後に受けた影響によって
親の一部を受け継いでおり、いくら否定したくても
この事実から逃れることはできません。



『不幸にする親』第六章 より



親と似ていることで失敗した出来事
親と似ていることで衝突した悲しい経験

次々と思い出し、「どうして似てるんだよ」と泣いた。

自分の中には、吐き出せずに溜まっていた怒りが
こんなにあったんだ。

自分が無意識にしてきた我慢、
押し殺してきた悲しみが、こんなにあったんだ。


すべてを吐き出した後で、次に進める

半年か1年か、そうやって気持ちを吐き出し続けたら、
満杯だったコップの水を出し切ったんだろうか。

一歩下がって、冷静な目で見られるようになると、
次のステージに進む瞬間は、突然やってきた。



『似るのも無理ないよね。
良くも悪くも、ずっとモデルとして見てきたら、そりゃ似るよ。

ほとんどコピーされてしまってるのは仕方ない。
ここからは、良いと思うところは素直に受け継いで、
良くないと思うところは変えていくのが大切じゃない?』




「感情を否定せず、そのまま受け入れよう」

親子関係の本に、大切なこととして書かれている。

読み始めた当初はピンと来なかったけど、
悲しみをこらえたこと、怒りを押し殺したことを
1つ1つ思い出すうちに、少しずつ肌で感じていった。

僕にとって良い選択をしたと思うのは、
そこで湧き起こる負の感情から目を逸らさなかったこと。

いま住んでいるマンションの壁が薄かったら
管理会社にクレームが入りまくるくらいに、
悲しみ、怒り、叫び尽くしたこと。

出し切って、開き直り、悟りを開きかける段階へ進めたこと。
”怒りの管理”

怒りが起きたらその感覚を嫌がらず、
自分が怒っていることを自分に対して許してやる。

怒りが感情のひとつであることは、
喜びや恐れがそうであるのとなんら変わるところはない。

感情というのは正しいとか間違っているとかいうものではなく、
ただそういうものがそこに存在しているという事実があるだけ
なのである。

それはあなたの一部分であり、あなたが人間であることの証拠なのだ。


『毒になる親』第十二章 より



「だから感謝している」と思えなくても

「だから感謝している、感謝しなければ」とは
まだ思えない。

思えるようにならなくてもいいし、
なったらなったで、それでいい、くらいに考えている。

子どもの頃は
絶対で、大人の見本で、全知全能だった親。

大人になって、怒り尽くして、ようやくわかる。

親は絶対でも、大人の見本でも、全知全能でもない。
ただの未熟な中年男性と、未熟な中年女性。


そして僕も彼らと同じ、未熟な1人の人間だから。
posted by 理琉(ワタル) at 23:06 | TrackBack(0) | 家族

2020年03月11日

9年後に思う『3.11』、あのとき通話していた人は、今。

2011.3.11

地震が起きたあの時、僕はコールセンターで
衛星放送に関わるお問い合わせの受信の仕事をしていた。

ブースには大きなTVが何台も並び、
ちょうどニュースのチャンネルが映っていた。


14:46

僕は神奈川県の人と通話していた。
特にクレームではない、普通のお問い合わせ。

少し揺れたような気がした、その時、電話口から

「あ、ちょっと待ってください。地震が…」

ヘッドセットを通して、地鳴りのような音が響いた直後、
電話が切れた。


札幌 震度3

電話が切れた直後に揺れが襲ってきた。

揺れている最中にも、通話している人はいたが、
揺れ始めて少し経ってから「デスクの下に避難してください」と
アナウンスが流れた。

幸いにも、物が倒れたり、壊れたりはしなかった。


静止画のような仙台空港

揺れが収まった直後から
ブースに設置されている大きなTVでは
仙台空港の滑走路が映し出されていた。

固定カメラの映像では滑走路に亀裂が入っていたり、
何かが倒壊したりした様子は見受けられない。

まるで静止画のように見えた。


現実が流れ込む

その静止画に、右側から少しずつ、泥水が流れ込んできた。

少しずつ、確実に、滑走路に引かれたラインを覆っていった。

徐々に水位が上がる。

泥水の中に木の枝が、流木がからまっている。



TV画面の下の方に見えていたはずの地面の位置が、
TV画面の中ほどまで上がった。



流木、自動車、トラック、
そして家の壁が流されてきた時、現実を知った。




ふと、窓の外を見ると、
札幌のオフィス街が変わらずそこにあった。

モニターに映る映像とかけ離れすぎて、
自分が今ここにいることが夢なのか
とすら思った。


真に怖い時、人は言葉を失う

受電を一時的にストップしていたブース内、
皆、声も出せずに凍り付いていた。

「怖い」「悲しい」「信じられない」などという表現が、
どれだけ上っ面をなぞっただけの言葉かを思い知った。


再現VTRなどで、被害者が悲鳴をあげるシーンを見ると、
あれは嘘なんじゃないかと思えた。

本当に怖いものを見た時、人は声すら出せないから。


あの時、通話していた人は今

地震が発生した時、僕が通話していた神奈川県の人は
無事だったんだろうか。

電話を切った後、ちゃんと避難できたんだろうか。


あの日から、被害状況をニュースなどで知るたび、
そのことばかりが頭に浮かんだ。

あの日から9年も経った今でも、たまに思い出す。



現地に行っていない、
わずかな募金をした程度の僕が言うのはおこがましいけど、

今も元気だといいなぁ。
posted by 理琉(ワタル) at 19:43 | TrackBack(0) | 人生観

2020年03月10日

【アダルトチルドレン】母に笑っていてほしかった。

僕は静かな作業所のような家庭で育った。

誰もが心を閉ざし、無言で自分のことに没頭する。
そこに言葉の掛け合いや感情表現はなかった。

→「心の通い合いのない、時が止まった家。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/329/0



僕はどうして自分の家を「作業所」だったと感じるんだろう。

深く考えてみると、

いちばん長い時間を過ごした母が
まさに「無表情な作業員」のように見えていたからだ。

僕は母に笑って過ごしてほしかった
人生を楽しんでいるところを見ていたかった


そう思っていることに気づいた。



では、どうして母が笑って過ごしている姿を見たかったんだろう。

それは、
いちばん身近な親が楽しそうに見えないと、
自分は生まれてきてよかったのかを疑うから。




母はただ黙々と家事をこなし、空いた時間は
趣味のパッチワークかお菓子作りに没頭していた。

楽しいのか不機嫌なのかわからない、ただ手を動かす。
その表情からは、感情の起伏が読み取れなかった。

父が帰宅すると、「おかえりなさい」と言って
上着を預かるくらいのやり取りはあった。

ただ、その後は無言で父の晩酌の準備をし、
会話を交わすでもなく、台所での作業に戻っていった。




いちばん長い時間を一緒に過ごす大人が、無表情で笑顔がない。
不機嫌そうに見えないが、楽しそうにも見えない。

そんな母の姿を見ていて、漠然とながら、
ここは楽しい場所ではないことが伝わってきた。



母は愚痴を言わないけど笑顔も見せないな
母は今を楽しく生きてるのかな
母はやりたいことをやっているのかな
母は自分の人生に納得しているのかな
母は我慢しているのかな




渇いた作業音だけが響く室内で、負の思考は加速する。



母は僕を生んだことで今の人生になったとしたら
母は僕を生んだことに納得しているのかな
母が楽しそうにしないのは僕を生んだからかな


僕は生まれてきてもよかったのかな…。

もし親がいつも緊張していたり、
楽しいことがあっても神経をピリピリさせてばかりいると、
子供は楽しいことをそのまま楽しく受けとめることができず、
楽しいことはいけないことだと感じることもあります。


親がいつも腹を立てていたり、あるいは逆に怒りを避けてばかりいると、
子供は怒りを恐れたり、怒ってはいけないと感じるようになります。

子供の時に生じたこれらの意識は、
潜在意識の奥深くに埋め込まれ、成人した後もなかなか消えません。


『不幸にする親』第三章 より


母がどういう人生を送れば納得していたかは
僕にはわからない。

ただ、子どもを産んだことで今の生き方になったことは事実。
そしてその”今”を楽しんでいるように見えない。

すると、
「自分を生んだこと、自分が存在していること」で
母が納得できない我慢の人生に陥ったと思い込む。


目の前にある不安でわけのわからない世界に理由をつけ、
自分の心を守るために。



あれが母の納得する人生であり、
楽しんで生きている精一杯の表現だったのかも知れない。

だとしたら、「母に笑っていてほしかった」というのは
僕の欲張りなお願いだ。

欲張りなお願いだとわかっていても、

母には「自分が今、幸せかどうか」を伝えてほしかった。


posted by 理琉(ワタル) at 19:59 | TrackBack(0) | 家族

2020年03月09日

エースが去り、遅咲きが開花する社会人バスケ。

先日、バスケ仲間と食事に行った時、
1人が興味深いことを言っていた。



「中高でエース級だったヤツの多くは
そこで燃え尽きてさ、社会人になった今も
バスケ続けてるヤツ、あんまりいないんだよな。

「逆にその頃は活躍できなかったり、
部活が未経験だったりしたヤツの方が、
ずっとバスケに情熱を注いでることが多いよな」




もちろん、バスケを続けるかどうかは個人の自由。

他にやりたいことができたり、
ケガでできなくなったり、事情はいろいろある。

今も強い社会人のクラブチームで
バリバリやっている人もたくさんいるから、
エース全員が当てはまるわけではない。



だけど、言われてみれば「確かにな」と思った。

社会人バスケをやっていて、いろんな選手に出逢うと、

・学生時代は控えだった選手
・バスケ部を辞めた経験のある選手
・社会人になってから本格的にバスケを始めた選手


少なくとも僕の周りでは、こういう人の方が
バスケに対する情熱がものすごい印象を受ける。


強豪校のチームウェアを着ていて、
すごく上手いな、きっと主力だったんだろうな
と思う選手に話を聞くと、

「数ヶ月ぶり」「数年ぶりにバスケをする」
という答えも多く返ってくる。



強いチームのエース級の選手が
バスケから離れていく理由はいろいろ考えられる。

・ケガ
・仕事や家庭の事情
・他にもっとやりたいことができた
・部活ですべてを出し切り、楽しさを知る前に燃え尽きた
・周りよりも頭一つ抜けていてライバルが少なかった
・能力は高くても実はバスケがそこまで好きではなかった


などなど。

ここでは深く触れないけど、
部活に関しては、つくづく罪深いシステムだなと思う。

多くの大人がバスケの苦しさばかりを選手に刷り込んで、
バスケの楽しさに気づく前に芽を刈り取っているんだから。



バスケを離れる理由はそれぞれだけど、

僕自身に限って言えば、
学生時代に日の目を見なかったことは
結果的に運が良かった
と気づかされる。

たらればの話、
もし僕が中学生から地区や北海道選抜に選ばれ、
全道や全国大会で活躍していたら、
今もバスケを続けていたかわからない。

燃え尽きてすっぱり辞めてしまったかも知れない。



囲碁界では才能の開花は早くないとダメなように言われていますが
私は成長のペースは人それぞれだと常々思っています。

人生、遠回りは悪くない。



院生師範 篠田先生

『ヒカルの碁』17巻 より
早咲きのエースたちを
マラソンの先頭集団だとすると、

僕みたいな控えや、遅れてバスケを始めた人たちは
マラソンの最後尾に取り残された選手。

最後尾にいたからこそ、悔しさも糧に
少しずつ前の選手の背中に近づき、
静かに1人ずつ追い抜いていける。

僕の周りにいる、
社会人になってもバスケを続けている選手たちからは
そういうハングリー精神がひしひしと伝わってくる。



大人になってもハングリーな選手に囲まれていることで、
僕はもっとバスケが好きになる、好循環の中にいる。


posted by 理琉(ワタル) at 19:14 | TrackBack(0) | バスケ

2020年03月08日

抱っこ、いっぱいしてあげてください。

誕生日サプライズで母が登場したシーンで
涙がぽろぽろと溢れ、

母と抱き合うシーンで、涙腺が崩壊し号泣。







「いいなぁ…僕も、母に抱っこ…されたかった。」



そんな、手に入らないものを求める一方、

「母が僕を抱っこしてくれなかったのは
母も祖母から抱っこされずに育ったからじゃないか」


そんなことも考え始めている。



人は、自分がされてきたことを相手にもする。
されなかったことは、うまくできない。

愛されずに育つと、愛し方がわからない。
抱っこされずに育つと、抱っこの仕方がわからない


親から放置されて育てば、自分の子どもを放置する。
親から支配されて育てば、自分の子どもを支配する。

そうやって、悲しみの連鎖は受け継がれていく。



母は4人弟妹の長子。

下の子が生まれると大忙しな上、
祖母は嫁姑問題の渦中にいてそれどころではない。

抱っこどころか、構ってもらえることも少なく、
放置される時間が長かったことは想像できる。

そんな境遇ではたぶん
長子はしっかりすることを求められ、
我慢する大人の姿を最も長く見せつけられた
だろう。

「お姉ちゃんなんだから」

昭和30〜40年代ではまだ、この言葉は
何の疑いもなく使われていただろう。



本当は甘えたい
構ってほしい
抱っこしてほしい

でも我慢しなきゃ
しっかりしなきゃ

こうして、沈黙長女が育っていく。

”彼らはなぜ愛情を与えないのか”

そして第三が、
スキンシップや親密な関係を持つことが居心地悪くて、
子供に近づくことができない親です。


これらの親は、時には単に意地が悪くなって意図的に
子供から楽しい時間を取り上げようとすることもありますが、
ほとんどの場合、彼らの行動は無意識的です。

それは彼らがそれまでの人生で学んできた行動様式であり、
彼らはそういう性格になるように親から育てられたのです。



『不幸にする親』第二章 より





母が抱っこをせず、
自分の意見も愚痴も不満も口にせず、
何事に対しても距離を取るのは、

きっと母も祖母から抱っこされず、
構われず、甘えられずに放置されてきたから。

自分がされてこなかったから、

どうやって抱っこしたらいいか
どうやって愛したらいいかが

わからないんじゃないかな。




そして、それは僕が生まれても同じ。

どう接していいかわからなくて
心の開き方や抱っこの仕方がわからないまま、

距離を取り続けてしまったんじゃないかな。

きっと、祖母も、曾祖母も同じように…。



幼少期の記憶を掘り返しても、未だに出てこない、
母からの抱っこ、スキンシップ。

抱っこされたかった
優しいスキンシップがほしかった


本当にもう、書き直しかというくらい、
何度も何度も何度も書いてきている。

→「子どもの手を、ぎゅっと。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/452/0

それだけ僕の中で、求めてやまないものだってこと。
逃げない。認める。本当に、ほしくて仕方なかった。

もらってこなかったから、
与えられない人がたまたま母親だった。




ここまで書いてきた、母の幼少期は
まったくの想像でしかないけど、

抱っこしてもらえなかった僕自身を
慰めるに足りる理由として、
的外れではないんじゃないかな。

母は祖母に抱っこされなかった悲しみを抱え
祖母は曾祖母に抱っこされなかった悲しみを抱え、

そうやって受け継がれた悲しみの連鎖の最先端に、
僕はいるんじゃないかな。



僕は今のところ
何があろうと子どもがほしくないから、

「抱っこ不足の血筋」は幸いにも絶やせる。

だけど、

僕みたいに
「母に抱っこしてほしかったけど手に入らない」と
悲しみにくれる人は、できれば1人でも減ってほしいな。




これを読んでくれた、お子さんがいる方へ

どうか、抱っこ、いっぱいしてあげてください。



posted by 理琉(ワタル) at 18:43 | TrackBack(0) | 家族

2020年03月07日

海南大附属・神 宗一郎、内なる闘志で這い上がる姿。

『SLAM DUNK』で、僕が一番好きな選手。

それは作品随一の3ポイントシューター

神 宗一郎



理由は、

戦力外通告を受け、大きな挫折を味わいながら、
黙々と練習し這い上がる姿が自分と重なるから。




入部当時の神は何も持たない選手だった…。
少なくとも私にはそう思えた。

特に足が速い訳でもない、ジャンプ力もふつう。
運動能力という点では、牧や今年の清田などとは
比べものにならなかった。


『SLAM DUNK(#14)』120話 「SILK」 より
海南大附属高 高頭監督には
”何も持たない選手”と見られていた、入学当初の神。

センター志望、189センチ、しかし決定的に細身な神は
海南の強力な選手たちにインサイドでは太刀打ちできなかった。



案の定、練習で牧や高砂に
何度も何度もふっとばされる神に
「センターはとうていムリだ」と私は言った…

高校生にはショックな言葉だ
「センターとしては、お前は試合に出せない」

あまりにもショックな、戦力外通告。
このままバスケを辞めてしまってもおかしくない。

しかし、あっけらかんとした表情で
高頭監督の言葉を受け入れる神。

「悔しくないのか…?」



その日から、練習が終わったあと一人残って
黙々とアウトサイドシュートの練習をする神を見て

神が何も持たない選手ではないことに私は気づいた

あいつは内に秘めた闘志と
きれいなシュートフォームを持っていた
この日から毎日500本のシュート練習を重ね、
2年生で海南のスタメンを勝ち取り、
インターハイ神奈川県予選では得点王になる。

インサイドプレーヤーは無理と宣告されても、
腐らず自分が生きる道を必死で模索し、
見つけた武器を静かに磨き上げる。

そんな彼の、心には熱い闘志をたぎらせ、
淡々と自分のやるべきことを積み上げる姿勢

感銘を受けた。



僕は大学3年の時、
同級生のチームキャプテンからこう告げられた。

「申し訳ないけどお前は試合に出られない。
だけどお前は下級生の面倒見がいいから、
応援席で1、2年生をまとめる役に回ってくれ」


バスケットボールでは、大会にもよるが
公式戦に出られるベンチ入り人数は15名。

僕が在籍していたのは
4学年の部員総数は20名、スポーツ推薦もない
ごく普通の国立大学バスケ部。

その中でも、僕は戦力外になった。



神が監督に「センターは無理だ」と告げられた時、
顔色一つ変えない表情の裏側でどれだけ叫んでいただろう。
どれだけの悔し涙を流していただろう。


彼の胸中を想像した時、
「下級生の世話役を」と告げられた時に感じた
やり場のない悔しさ、惨めさ、屈辱感が重なり、
親近感を持たずにいられない。



僕は神と同じく、体格も運動能力も並。

特別きれいなシュートフォームでもないから、
持っているものは神より少ない。違いといえば左利きなくらい。

だけど、「いつか見返してやる」という闘志は
ずっと燃やしながら練習を続け、今ではそれなりに
シュートを決められるようになった。

→「悔しかったあの頃の自分へ、「大丈夫、10年後に見返せるから」。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/468/0



『自分は何も持っていないと思っても、
ただ自分を信じて黙々と武器を磨き続ければ、
未来が少しだけ変わるかも知れない』


そんな勇気を、神は僕に与えてくれた。



『SLAM DUNK』で一番好きな選手であり、
最も尊敬する選手・神 宗一郎。

僕は神のように、学生の内に結果を出せず、
彼の10倍、10年かかった。

それでも、
悔しさや挫折をひたすら練習の糧にする神の姿は、
僕のバスケへの姿勢に大きな影響を与えてくれた。


posted by 理琉(ワタル) at 18:59 | TrackBack(0) | バスケ

2020年03月06日

本名『理琉(ワタル)』が表す意思。

僕の本名は『理琉(ワタル)』と読む。

この名前は自分で付けた。

『これから何があろうと、宝石のように輝き続ける』

という意思を表している。



自分で名前を付けたというのは、僕は戸籍から改名したから。

旧名:『航(ワタル)』
新名:『理琉(ワタル)』


家庭裁判所へ「名の変更」を申し出、受理されて今に至る。

「戸籍”改名”、その先へ。」



当時の僕は、新しい名前になることよりも、
父が付けた名前を捨てたい願望の方が大きかった。

旧名は、僕のことを愛していない父が
勝手に膨らませた理想像に付けたもの。

中身は僕じゃなくてもいい、
代えの利く誰かに付けられたもの。

旧名を捨てることで、父に支配された自分を殺す。
そうして人生をリセットし、自分で付けた名前とともに、生まれ直す。


それが、家庭裁判所を訪れた一番の理由だった。



新しい名前『理琉(ワタル)』をまとって4年目。

去年までは、殺したはずの旧名の自分が
しょっちゅう顔を出しては暴れていた。

拭えない罪悪感
心を無視され続けたことへの怒り
愛情をもらえなかった悲しみと寂しさ


去年、父が区役所の生活保護課で暴れ、
彼はどうしようもない、自分しか見えていないと悟るまでは、
過去の怨恨に囚われ、前を向けなかった。

「延長戦決着、戦利品は”諦め”。」



今から思えば、彼のことを前向きに見捨てるための
踏ん切りがついた事件。

それまでの僕は過去に囚われてばかりで、
他人と感情に振り回されて生きていると感じていた。

就職や生活保護の廃止も相まって、
ようやく自分の足で人生を歩む実感が出てきた。



新しい名前で生まれ直した自分は、
宇宙で起きるすべての現象でさえも、
自分という宝石を磨く糧にしよう。

何があっても、今度こそ誰にも心を支配されない、
真に自分の足で歩く人生にするんだ。


そんな意思を込めて『理琉(ワタル)』という字を選んだ。

不安、恐れ、罪悪感、心の混乱、などといったものが、
永久に完全になくなるということはあり得ない。
そういうものがないという人間はこの世に存在しないのである。

だが、あっても、もう左右されなくなる。これがカギなのだ。

過去や現在の親との関係に対するコントロールを増していくにつれ、
あなたはそれ以外の人間関係、特に自分自身との関係が
劇的に改善されていることに気づくだろう。

そうなった時、あなたはおそらく生まれてはじめて、
「自分の人生を楽しむ」自由を手に入れることになるだろう。


『毒になる親』エピローグ より


親戚からのメールには、今も『航』と書かれてくる。

文面を見るたび、複雑な気持ちになる。
名前を変えたことを直接は言ってない、たぶんみんな知ってる。

『航』は「父の理想の息子」という、中身が空洞の入れ物、
その中で怯えていたのが『理琉(ワタル)』。


親戚が『航』と書いても、僕は『理琉(ワタル)』として、
これから何があろうと人生を輝かせる。



posted by 理琉(ワタル) at 00:47 | TrackBack(0) | 家族

2020年03月05日

「どうしてあんな男と結婚したんだよ」。

子どもの頃、父に怒鳴られ、
言い返せないまま睨むばかりだった僕。

その様子を横で見ていながら、
決して助けなかった母に、僕は何度もこう尋ねた。



「どうしてあんな男と結婚したの?」



あの頃の僕はよくこんな事を言っていたなと思い出す。
そして思い出すたびに、こうも考える。



「母は本当に、父と一緒にいて幸せなの?」

肯定も、反論もしない母

なぜ、独裁的な父と一緒にいるのか。

どうしようもない怒りと、やるせなさを込めて尋ねた時、
母は肯定も反論もしなかった。

「いやぁ、ははは…。」

少しバツの悪そうな苦笑いを浮かべながら、
はぐらかすだけの母。

うっとおしく感じていることを隠すように、
隙を見つけては後ずさりする母。

自分の意見を述べたことで発生する
責任から逃れたいようにも見えた。

父と離れない母への怒り

子どもの頃は、
自分ルールを理不尽に怒鳴る父はもちろん、
父の暴走から決して助けてくれない母にも
大きな不信感を募らせていた。

どうして助けも、止めようともしないんだよ、

そんな怒りは「どうして一緒にいるんだよ」へと発展していった。

→暴走する父に、加担も静止もしない母。
助けなかった母。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/425/0

こんなに一方的に抑えつけられる日常で、
この人は本当に満足なんだろうか。


今ほど明確ではなく、ぼんやりと、
そんな疑問が生まれ始めていた。

大人になり、怒りは「かわいそう」に変わる

大人になった今、そんな怒りは「かわいそう」に形を変えた。

言い方はよくないけど、母は「父という男性の女」

独裁的で一方的な男を見抜けず
パートナーに選んでしまった人。

選んで結婚した後、自分が生んだ子どもが
そのパートナーに抑えつけられる光景を
日常的に見ることになった人。


本当はどう思っているにせよ、
もし嫌だとしても離れることができない人。

母は決断力のない、自分がない弱い人間

母への「かわいそう」は最近、さらに形を変えた。

母は自分を持っていない弱い人間なんだ。

独裁的で一方的な男をパートナーに選んでしまっても、
離れる決断ができない人。

一緒にいて幸せじゃないと思っていたとしても、
離れるリスクと変化を受け入れる勇気のない人。

力のある男に付き従い、
自分で物事を決めて責任を持つことを避ける人。
自分で物事を決められない人。

”責任を果たせない親”

彼らは、完全主義者やカルト的、あるいは
虐待的な相手と結婚していることがよくありますが、

それはそういう相手と一緒にいると安心感を持てたり、
自分が強くなったように感じられるからです。



『不幸にする親』第二章 より


その耐える姿、自分を押し殺す姿は、
祖母そっくりだ…。

曾祖母から召使いのように扱われても、
怒られるような口調で言葉を浴びせられても、
いつも作り笑顔を崩さない、

祖母そっくりなんだ…。

→「姑と、嫁だった祖母の我慢。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/272/0

自分の意思を伝え、行動できる人間になる

人によって幸せの形は違う。
母と僕では、父との関係性がそもそも違う。

一緒に住んでいても、感じ方はそれぞれ違う。

だから、父と一緒にいることが母にとって幸せなら、
僕がとやかく言っても仕方ないこと。

ただ、
「大人は全能、親は世界の全て」
という幻想から抜け出した今も、
「親も弱い1人の人間」という事実は忘れがち。


僕は母を超えていく。

自分で考え、決断し行動する。
自分の意見をしっかり伝え、
それに責任を持てる人間になる。


posted by 理琉(ワタル) at 19:43 | TrackBack(0) | 家族
検索
プロフィール
理琉(ワタル)さんの画像
理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
プロフィール
最新記事
カテゴリーアーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。