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2020年02月14日

子どもの手を、ぎゅっと。

20200207_211643.jpg

先日、札幌雪祭りを見に行った時に撮った。

どうしてこの写真だけ、
雪祭りの記事とは別にしたかというと、

特別な思いが溢れ、雪像の前で
しばらく泣いてしまったから。

※「2020札幌雪祭り、大通会場。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/451/0



抱っこされたかった。
あたたかい親子関係がほしかった。

そんな願望はこれまで何度も
しつこいくらいに書いてきて、
どうしても諦めきれない。

街中で、仲のよい親子を見るたびに
胸がぎゅっと苦しくなる。

自分の中に
まだそれだけの執着がある。

→「抱っこされたかった思いを諦めきれない。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/337/0

→「母からもらいたかったもの。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/426/0



僕は人に触れられることがあまり得意ではない。

得意不得意というより、触れてくれたことに対し、
どう喜んでいいかわからず戸惑うと言う方が近い。

あたたかさを感じられることはこの上なく嬉しい、
ただそれをどう表現していいかわからない。

触れてくれた相手に素直に感謝するよりも、
こんなにしてもらっていいの?という
よそよそしさが先立ってしまう。



だから、本当はあんなふうに
手をぎゅっと握ってほしかったと願う一方、

実際にされたら気まずさと戸惑いから
素直に喜べないだろうなと思う。

されたいのに、されたら困惑するという
完全に矛盾した2つの気持ちを同時に抱えている。



触れてもらえるくらいに親密な関係が
怖いのかも知れない。

求めてやまないのに、
「親密になったらどうせ捨てるんでしょ」と
どこか冷静で醒めた自分もいる。

『「無条件の愛情」に不動や永遠はなく、
有限で、条件つきで、期間限定なもの。

だから変な期待や幻想を抱いていると
また痛い目に遭うよ、傷つくよ。やめときな。』

泣きながら求める自分の奥底で、
醒めた自分がずっとそう言い続けている。



僕は10分近く、この雪像の前で泣いていた。

その間、ここで立ち止まり写真を撮っていたのは
外国から来た方、とりわけ女性が多かった。

泣いたり、切ない表情をする人は
いなかったように見えたが、

こういうあたたかいシーンは世界共通で、
みんなほしがる経験なのかも知れない。



ほしい、でも手に入ったら困る。

両価的で矛盾した涙を拭いて、
次の雪像を見に、歩を進めた。


posted by 理琉(ワタル) at 02:28 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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