2020年02月14日
子どもの手を、ぎゅっと。
先日、札幌雪祭りを見に行った時に撮った。
どうしてこの写真だけ、
雪祭りの記事とは別にしたかというと、
特別な思いが溢れ、雪像の前で
しばらく泣いてしまったから。
※「2020札幌雪祭り、大通会場。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/451/0
抱っこされたかった。
あたたかい親子関係がほしかった。
そんな願望はこれまで何度も
しつこいくらいに書いてきて、
どうしても諦めきれない。
街中で、仲のよい親子を見るたびに
胸がぎゅっと苦しくなる。
自分の中に
まだそれだけの執着がある。
→「抱っこされたかった思いを諦めきれない。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/337/0
→「母からもらいたかったもの。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/426/0
僕は人に触れられることがあまり得意ではない。
得意不得意というより、触れてくれたことに対し、
どう喜んでいいかわからず戸惑うと言う方が近い。
あたたかさを感じられることはこの上なく嬉しい、
ただそれをどう表現していいかわからない。
触れてくれた相手に素直に感謝するよりも、
こんなにしてもらっていいの?という
よそよそしさが先立ってしまう。
だから、本当はあんなふうに
手をぎゅっと握ってほしかったと願う一方、
実際にされたら気まずさと戸惑いから
素直に喜べないだろうなと思う。
されたいのに、されたら困惑するという
完全に矛盾した2つの気持ちを同時に抱えている。
触れてもらえるくらいに親密な関係が
怖いのかも知れない。
求めてやまないのに、
「親密になったらどうせ捨てるんでしょ」と
どこか冷静で醒めた自分もいる。
『「無条件の愛情」に不動や永遠はなく、
有限で、条件つきで、期間限定なもの。
だから変な期待や幻想を抱いていると
また痛い目に遭うよ、傷つくよ。やめときな。』
泣きながら求める自分の奥底で、
醒めた自分がずっとそう言い続けている。
僕は10分近く、この雪像の前で泣いていた。
その間、ここで立ち止まり写真を撮っていたのは
外国から来た方、とりわけ女性が多かった。
泣いたり、切ない表情をする人は
いなかったように見えたが、
こういうあたたかいシーンは世界共通で、
みんなほしがる経験なのかも知れない。
ほしい、でも手に入ったら困る。
両価的で矛盾した涙を拭いて、
次の雪像を見に、歩を進めた。
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