2020年03月08日
抱っこ、いっぱいしてあげてください。
誕生日サプライズで母が登場したシーンで
涙がぽろぽろと溢れ、
母と抱き合うシーンで、涙腺が崩壊し号泣。
「いいなぁ…僕も、母に抱っこ…されたかった。」
そんな、手に入らないものを求める一方、
「母が僕を抱っこしてくれなかったのは
母も祖母から抱っこされずに育ったからじゃないか」
そんなことも考え始めている。
人は、自分がされてきたことを相手にもする。
されなかったことは、うまくできない。
愛されずに育つと、愛し方がわからない。
抱っこされずに育つと、抱っこの仕方がわからない
親から放置されて育てば、自分の子どもを放置する。
親から支配されて育てば、自分の子どもを支配する。
そうやって、悲しみの連鎖は受け継がれていく。
母は4人弟妹の長子。
下の子が生まれると大忙しな上、
祖母は嫁姑問題の渦中にいてそれどころではない。
抱っこどころか、構ってもらえることも少なく、
放置される時間が長かったことは想像できる。
そんな境遇ではたぶん
長子はしっかりすることを求められ、
我慢する大人の姿を最も長く見せつけられただろう。
「お姉ちゃんなんだから」
昭和30〜40年代ではまだ、この言葉は
何の疑いもなく使われていただろう。
本当は甘えたい
構ってほしい
抱っこしてほしい
でも我慢しなきゃ
しっかりしなきゃ
こうして、沈黙長女が育っていく。
母が抱っこをせず、
自分の意見も愚痴も不満も口にせず、
何事に対しても距離を取るのは、
きっと母も祖母から抱っこされず、
構われず、甘えられずに放置されてきたから。
自分がされてこなかったから、
どうやって抱っこしたらいいか
どうやって愛したらいいかが
わからないんじゃないかな。
そして、それは僕が生まれても同じ。
どう接していいかわからなくて
心の開き方や抱っこの仕方がわからないまま、
距離を取り続けてしまったんじゃないかな。
きっと、祖母も、曾祖母も同じように…。
幼少期の記憶を掘り返しても、未だに出てこない、
母からの抱っこ、スキンシップ。
抱っこされたかった
優しいスキンシップがほしかった
本当にもう、書き直しかというくらい、
何度も何度も何度も書いてきている。
→「子どもの手を、ぎゅっと。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/452/0
それだけ僕の中で、求めてやまないものだってこと。
逃げない。認める。本当に、ほしくて仕方なかった。
もらってこなかったから、
与えられない人がたまたま母親だった。
ここまで書いてきた、母の幼少期は
まったくの想像でしかないけど、
抱っこしてもらえなかった僕自身を
慰めるに足りる理由として、
的外れではないんじゃないかな。
母は祖母に抱っこされなかった悲しみを抱え
祖母は曾祖母に抱っこされなかった悲しみを抱え、
そうやって受け継がれた悲しみの連鎖の最先端に、
僕はいるんじゃないかな。
僕は今のところ
何があろうと子どもがほしくないから、
「抱っこ不足の血筋」は幸いにも絶やせる。
だけど、
僕みたいに
「母に抱っこしてほしかったけど手に入らない」と
悲しみにくれる人は、できれば1人でも減ってほしいな。
これを読んでくれた、お子さんがいる方へ
どうか、抱っこ、いっぱいしてあげてください。
涙がぽろぽろと溢れ、
母と抱き合うシーンで、涙腺が崩壊し号泣。
「いいなぁ…僕も、母に抱っこ…されたかった。」
そんな、手に入らないものを求める一方、
「母が僕を抱っこしてくれなかったのは
母も祖母から抱っこされずに育ったからじゃないか」
そんなことも考え始めている。
人は、自分がされてきたことを相手にもする。
されなかったことは、うまくできない。
愛されずに育つと、愛し方がわからない。
抱っこされずに育つと、抱っこの仕方がわからない
親から放置されて育てば、自分の子どもを放置する。
親から支配されて育てば、自分の子どもを支配する。
そうやって、悲しみの連鎖は受け継がれていく。
母は4人弟妹の長子。
下の子が生まれると大忙しな上、
祖母は嫁姑問題の渦中にいてそれどころではない。
抱っこどころか、構ってもらえることも少なく、
放置される時間が長かったことは想像できる。
そんな境遇ではたぶん
長子はしっかりすることを求められ、
我慢する大人の姿を最も長く見せつけられただろう。
「お姉ちゃんなんだから」
昭和30〜40年代ではまだ、この言葉は
何の疑いもなく使われていただろう。
本当は甘えたい
構ってほしい
抱っこしてほしい
でも我慢しなきゃ
しっかりしなきゃ
こうして、沈黙長女が育っていく。
”彼らはなぜ愛情を与えないのか”
そして第三が、
スキンシップや親密な関係を持つことが居心地悪くて、
子供に近づくことができない親です。
これらの親は、時には単に意地が悪くなって意図的に
子供から楽しい時間を取り上げようとすることもありますが、
ほとんどの場合、彼らの行動は無意識的です。
それは彼らがそれまでの人生で学んできた行動様式であり、
彼らはそういう性格になるように親から育てられたのです。
『不幸にする親』第二章 より
母が抱っこをせず、
自分の意見も愚痴も不満も口にせず、
何事に対しても距離を取るのは、
きっと母も祖母から抱っこされず、
構われず、甘えられずに放置されてきたから。
自分がされてこなかったから、
どうやって抱っこしたらいいか
どうやって愛したらいいかが
わからないんじゃないかな。
そして、それは僕が生まれても同じ。
どう接していいかわからなくて
心の開き方や抱っこの仕方がわからないまま、
距離を取り続けてしまったんじゃないかな。
きっと、祖母も、曾祖母も同じように…。
幼少期の記憶を掘り返しても、未だに出てこない、
母からの抱っこ、スキンシップ。
抱っこされたかった
優しいスキンシップがほしかった
本当にもう、書き直しかというくらい、
何度も何度も何度も書いてきている。
→「子どもの手を、ぎゅっと。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/452/0
それだけ僕の中で、求めてやまないものだってこと。
逃げない。認める。本当に、ほしくて仕方なかった。
もらってこなかったから、
与えられない人がたまたま母親だった。
ここまで書いてきた、母の幼少期は
まったくの想像でしかないけど、
抱っこしてもらえなかった僕自身を
慰めるに足りる理由として、
的外れではないんじゃないかな。
母は祖母に抱っこされなかった悲しみを抱え
祖母は曾祖母に抱っこされなかった悲しみを抱え、
そうやって受け継がれた悲しみの連鎖の最先端に、
僕はいるんじゃないかな。
僕は今のところ
何があろうと子どもがほしくないから、
「抱っこ不足の血筋」は幸いにも絶やせる。
だけど、
僕みたいに
「母に抱っこしてほしかったけど手に入らない」と
悲しみにくれる人は、できれば1人でも減ってほしいな。
これを読んでくれた、お子さんがいる方へ
どうか、抱っこ、いっぱいしてあげてください。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9674971
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック