2020年03月11日
9年後に思う『3.11』、あのとき通話していた人は、今。
2011.3.11
地震が起きたあの時、僕はコールセンターで
衛星放送に関わるお問い合わせの受信の仕事をしていた。
ブースには大きなTVが何台も並び、
ちょうどニュースのチャンネルが映っていた。
14:46
僕は神奈川県の人と通話していた。
特にクレームではない、普通のお問い合わせ。
少し揺れたような気がした、その時、電話口から
「あ、ちょっと待ってください。地震が…」
ヘッドセットを通して、地鳴りのような音が響いた直後、
電話が切れた。
札幌 震度3
電話が切れた直後に揺れが襲ってきた。
揺れている最中にも、通話している人はいたが、
揺れ始めて少し経ってから「デスクの下に避難してください」と
アナウンスが流れた。
幸いにも、物が倒れたり、壊れたりはしなかった。
静止画のような仙台空港
揺れが収まった直後から
ブースに設置されている大きなTVでは
仙台空港の滑走路が映し出されていた。
固定カメラの映像では滑走路に亀裂が入っていたり、
何かが倒壊したりした様子は見受けられない。
まるで静止画のように見えた。
現実が流れ込む
その静止画に、右側から少しずつ、泥水が流れ込んできた。
少しずつ、確実に、滑走路に引かれたラインを覆っていった。
徐々に水位が上がる。
泥水の中に木の枝が、流木がからまっている。
TV画面の下の方に見えていたはずの地面の位置が、
TV画面の中ほどまで上がった。
流木、自動車、トラック、
そして家の壁が流されてきた時、現実を知った。
ふと、窓の外を見ると、
札幌のオフィス街が変わらずそこにあった。
モニターに映る映像とかけ離れすぎて、
自分が今ここにいることが夢なのかとすら思った。
真に怖い時、人は言葉を失う
受電を一時的にストップしていたブース内、
皆、声も出せずに凍り付いていた。
「怖い」「悲しい」「信じられない」などという表現が、
どれだけ上っ面をなぞっただけの言葉かを思い知った。
再現VTRなどで、被害者が悲鳴をあげるシーンを見ると、
あれは嘘なんじゃないかと思えた。
本当に怖いものを見た時、人は声すら出せないから。
あの時、通話していた人は今
地震が発生した時、僕が通話していた神奈川県の人は
無事だったんだろうか。
電話を切った後、ちゃんと避難できたんだろうか。
あの日から、被害状況をニュースなどで知るたび、
そのことばかりが頭に浮かんだ。
あの日から9年も経った今でも、たまに思い出す。
現地に行っていない、
わずかな募金をした程度の僕が言うのはおこがましいけど、
今も元気だといいなぁ。
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