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2020年03月24日

【2020】1年ぶりに戻る『サケのふるさと千歳水族館』。

気温10度、快晴。
せっかくのお出かけ日和、日帰りで千歳に行ってきた。

1年ぶりの
『サケのふるさと千歳水族館』
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僕の大好きな水族館を、写真を中心に紹介する。


ー目次ー
  1. エントランス
  2. 大水槽
  3. 支笏湖
  4. タッチプール
  5. カイツブリ、千歳川ロード
  6. 世界の淡水魚
  7. 千歳川の川底を眺める
  8. JRにゆられて、また来よう

1.エントランス

札幌駅からJR快速エアポートで40分弱。(各駅停車だと+20分)
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千歳駅からは徒歩10分くらい。道の駅『サーモンパーク千歳』となり。
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入場ゲートをくぐると”チンアナゴ”がお出迎え。
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2.大水槽

いきなり大スケールでサケさん登場。

大水槽

大型の成魚たちと、1メートル以上の”チョウザメ”。
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ちょうど「もぐもぐタイム」を見ることができた。
成魚は食べる姿も豪快。
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上の方はサケマスが拾って食べる。
床に落ちた分は、口がお腹側についているチョウザメが食べる。


中水槽

生後1年くらいの彼ら。大きさは10〜15センチほど。
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ご飯へ一斉に突撃。
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小水槽

生後4ヵ月くらいの稚魚。大きさは5センチほど。
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小さくても、ご飯には突撃。
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成長して、10センチくらい伸びたら1年後に中水槽に移るそう。

3.支笏湖

透明度では日本3位という支笏湖(しこつこ)。
住所は北海道千歳市。
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以前、湖畔の公園に何度か行ったけど、
本当に湖底まで透き通って見える。

4.タッチプール

お楽しみの「タッチプール」。チョウザメに触れる。
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小さめで黒い彼。
ざらざらしてそうで、意外とぬるぬる。
そして落ち着いている。触られても逃げない。

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5.カイツブリ、千歳川ロード

なかなかこちらを向いてくれなかった水鳥”カイツブリ”。
画質がブレたけど、何とか振り向いてくれた。
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道の両側に千歳川。このアングルが好き。
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日光浴する”クサガメ”。まったり。
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見逃すところだった”ヌマガレイ”を発見。淡水にも棲めるとか。
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6.世界の淡水魚

舞台は世界へ。右側の青い水槽には”デンキウナギ”。
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”アロワナ”(上)と”ナイフフィッシュ”(下)。
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ひげがかわいい”レッドテールキャットフィッシュ”。
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彼らはでかい、60センチ以上はありそう。さすが世界。

7.千歳川の川底を眺める

窓の向こうは本物の千歳川の川底。
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季節の変わり目は少し濁るらしい。
今の時期は残念ながら魚の姿は見られなかった。

5月頃には遡上する魚が増えてきて、
秋には産卵のためにサケの成魚でいっぱいになるそう。


8.JRにゆられて、また来よう

JRには本当に久しぶりに乗った。

車窓からは残雪の景色と、あたたかい日差し。
カタンコトンと心地よいレール音。
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ちょうど1年前に訪れた時、
川底を必死で泳ぐサケさんを見て号泣した。
「【2019】お一人様『サケのふるさと千歳水族館』。」

「ありがとうサケさん」と
お礼を言った彼らは、今も立派に成長してるかな。


春になったら、
千歳川を元気に泳ぐサケさんが見れるかも知れない。

その時、また来よう。楽しく生きながら。


※入館料、割引クーポンはこちら。

2020年03月23日

”ちゃんとして”は相手のためではなく、自分のために言っている。

僕の知り合い(成人)の母親が、やけに使う言葉。

「しっかりして」
「ちゃんとして」


最初はこれを聞いていて、息子にちゃんとしてほしいから、
息子のためを思って言っているのかなと思った。

でも、よくよく観察してみたら、息子のためじゃなく、
母親が自分のために言っていることに気づいた。



どうしてか。それは、息子がちゃんとしなかった時に、

周りから「ちゃんとさせていない母親」と思われるのが怖いから。
世間から「ちゃんとした母親」と認めてもらえないと不安だから。


「ちゃんと」の中身は何?

そもそも「ちゃんとしなさい」の中身は何だろう。

  • 食器の片付けがちゃんとできること
  • ネクタイがちゃんと真っ直ぐなこと
  • 脱いだ靴をちゃんと揃えること

どれも大切、できるに越したことはない。



では、「ちゃんと」の定義は何だろう。

  • 食事が終わったらすぐに食器を下げる
  • テーブルを拭き、食器を洗って片付ける
  • ネクタイの角度はこう、靴の揃え方はこう

細かく求めればキリがないくらいに出てくる。

問題視したのは誰?

じゃあ、「ちゃんとしていない」と問題視したのは誰?

それは他ならぬ母親自身。

例えば、
  • 食べ終わった後、ゆっくりしていて食器を下げるのが少し遅れた
  • 揃えた靴を何かの拍子で蹴ってしまい少しずれた

なのに、母親のジャッジではすべて「ちゃんとしていない」。

「ちゃんと」の定義はすべて母親の主観。
問題が起きたと判定したのは母親だけの採点基準。


他人の目にどう映るかが、いちばん怖い

他人の前でどうふるまうかを子供に強制する親もいます。
特に親の友人や仕事仲間、上司、部下などの前で
理想的な家庭を演じさせられるケースもあります。

子供はイヤでも言う通りにするしかなく、
ストレスと大きな苦痛を味わうことになります。

このタイプの親は「子供のため」より
「一家が他人の目にどう映るか」のほうが大事なのです。


『不幸にする親』第二章 より

例えば、親戚や地域の集まりなどで、
息子がちゃんと食器を片付け、ちゃんと靴を揃えたら。

褒められるかも知れないのは息子と、その息子である母親。
ちゃんとした息子を育てた優秀な母として。

もし、息子が食器を片付けず、脱いだ靴を揃えなかったら。

批判されるかも知れないのは息子と、その息子である母親。
ちゃんとしていない息子の母親として。



自分の息子がちゃんとした行動を見せてくれないと、
私は世間様からちゃんとした母親と見られない。

私は世間様からちゃんとした母親と見られたいので、
息子をちゃんとさせたい。

息子をちゃんとさせたいのは、
息子のためではなく自分の承認欲求を満たすため。


自分が周りから評価されないことが不安でたまらないから。
世間から批判の目で見られることが怖くてたまらないから。


「ちゃんとする不幸」の連鎖

僕は彼の母親とも仲良くさせてもらっていて、
何度か生い立ちの話を聞いた。

アルコール依存症の父と、父の顔色を伺いながら
娘にちゃんとすることを強要する母に育てられたそうだ。

自分の母からちゃんとすることを求められ続け、
自分の息子にちゃんとすることを求め続けている。

ちゃんとすることを求められ過ぎた息子は、
ちゃんとできない自分を責め、苦しんでいる。


誰のせいでもない「ちゃんとする不幸」が連鎖している。

誰のための「ちゃんとしなさい」かに気づく

どうすれば「ちゃんとする不幸」の連鎖は止められるんだろう。

それはきっと、
自分がちゃんとしなさいと言った理由を、
深く掘り下げてみるのがスタートじゃないかな。

「あれ?今、誰のためにちゃんとさせようとしたんだろう?」
それに気づいて立ち止まることで、前に進めるんじゃないかな。

「ちゃんと」の中身は、言った本人の主観。
「ちゃんとさせたい」のは自分の承認欲求と、周りの評価への怯え。


それに気づけたら、
「ちゃんとしなさい」が「まぁいいか」に変わって、
少し生きやすくなるんじゃないかな。



posted by 理琉(ワタル) at 22:24 | TrackBack(0) | 家族

2020年03月22日

父の人生の正体は、”祖父が歩みたかった人生の再現ドラマ”。

教員を定年退職した父が、別の私立高校に再雇用で入った時
強い口調でこう叫んでいた。

「俺は教壇に立って授業をするのが楽しい、ただそれだけの人生!」



僕はこの発言に、投げやりさと必死さを感じた。
どうしてだろう。もしこれが本心じゃないとしたら。

父は本当に教師になりたかったんだろうか?
本当は自分の人生を後悔してるんじゃないだろうか?


祖父の期待を一身に背負った、父と叔父

祖父は自身が小学校しか出られなかったことで、
子どもに高等教育を受けさせるために命を削って働いた。

漁師をしながら炭鉱へ出稼ぎに行き、
青函トンネルの工事にも携わった。

【オリジナル曲】「青函トンネル」。

そんな祖父の「もっと勉強したかった」思いは、
父と叔父にどういう形で伝わったのかわからないけど、
過重な期待を背負わせたことは考えられる。

教師になるところまで見通していなくても、
勉強しない選択肢は暗黙の内になくなったんじゃないかな。

ワーカホリックは、祖父と自身への復讐

2人とも大学に進学し、
父は数学教師、叔父は体育教師になった。

父は数学の勉強を嫌々やっているようには見えない。

ただ、あまりにも徹夜していた。
明らかにワーカホリック。

身を削って仕事に没頭することで、
過度な期待で人生の選択肢を奪った祖父と、
期待通り生きる自分に復讐しているようだった。


教師生活も「親の敷いたレール」だったのでは?

父は本当に、教師になりたくてなったのかも知れない。

だけど、その教師生活を祖父の期待に応えて全うしているとしたら、
心のどこかで後悔してるんじゃないだろうか。

本当はやりたかったことを
親の期待が呪縛となって諦めてきたことに、
心の奥底では怒ってるんじゃないだろうか。


公務員
家族
生活
収入
世間体
今さら

いろんな理由で
親の敷いたレールから外れる勇気がなかった自分を
無意識に責めてるんじゃないだろうか。


父の人生の正体

祖父の「もっと勉強したかった」という願望、
それがいつしか、父の望む人生と同化したとしたら。

祖父が無意識のうちに、子どもである父を使って
自身の夢を代替実現させたんだとしたら。

父の人生の正体は
”祖父が歩みたかった人生の再現ドラマ”なんじゃないか。


はっきりそのことに気づいていなくても、意識の奥底では
親の自己実現に使われたことへの怒りが眠ってるんじゃないか。

「俺の人生は楽しかった」と苦しそうに叫ぶのは、
楽しかったことにさせてくれと自分を騙したいからじゃないか。


「教師になった自分は楽しかった」という悲鳴

人の気持ちは移ろうもの。
これでよかったと本当に思ったこともあっただろう。

だけど、1つ言えるのは、父はずっと苦しそうだった。

教師の世界を何もわかっていない僕でも、
父はわざと苦しい生き方を選んでいるように見えた。

「教師としての自分の人生は楽しかったんだ。
これでよかったんだ、決して祖父のレール通り生きたわけじゃない。」


祖父が望んだ人生を再現した父は、
必死でそんな悲鳴をあげていたのかも知れない。



posted by 理琉(ワタル) at 01:26 | TrackBack(0) | 家族

2020年03月21日

バスケができない日々が出した、シンプルな結論 ”バスケは酸素、生きがい”。

新型コロナウィルスの影響でバスケができなくなって久しい。

「新型コロナウィルスの影響 〜小中学校の体育館が使用不可になる〜」

日常生活でも「バスケがしたい」と考えるあまり、
最近うっかりミスが増え、注意力が散漫。

  1. 繰り越し済みの通帳でお金を引き出そうとする
  2. 炊飯器のフタを開けたまま3時間も放置



そんな、けっこうボケる日々が出した結論は
あまりにシンプルな「ただ、バスケが好き」だった。

1.繰り越し済みの通帳でお金を引き出そうとする

キャッシュカードのない口座からお金を引き出そうと、
郵便局へ印鑑と通帳を持って行った。

払戻請求書を書き、窓口に提出、しばし待つ。

「あれ?これ繰り越し済みですよ。」

自分では気づかないまま、局員さんに渡して、初めて判明。
その日は引き出せず、次の日に別の郵便局へ伺いました。

2.炊飯器のフタを開けたまま3時間も放置

特製「VS貧乏性、対抗記念カレー。」を作り、ご飯も炊けた。

炊飯器のフタを開け、まさにご飯をよそう、その時。
「バスケがしたい…。」

そのまま、カレーを食べるのを忘れ、なぜか別の作業に没頭。

3時間後、我に返り、カレーを食べようとしたら、
フタが開いたままの炊飯器と、乾いたご飯が待っていた。

フタを閉めて保温し直したら、乾き具合が少し改善しました。

バスケのことを考え、注意力が散漫

バスケがしたいと考える時間が増え、
切り替えられないまま何かに手をつけてミスしている。

仕事中も、
「今夜はバスケできないしなぁ」と考え出すと、
「明日も明後日も、当分できないんだ」と勝手に落ち込む。

集中して記事を書いても、ふと集中が切れた時に
バスケができない現実に溜め息をつくことが増えた。

目の前にあることをひとまず終わらせる、
それを意識するのが大切。


結論、バスケは酸素であり生きがい

何週間もバスケができない日々が出した結論は
驚くほどシンプルだった。

僕にとってバスケは酸素であり、生きがい。

遠くのスーパーまで走っても、
ウェイトボールでトレーニングをしても
やっぱりバスケの穴は埋まらない。

バッシュを履いて体育館を走り回る
バスケットゴールにボールを入れる
ただ、それが好きなんだ。


「安西先生…!!バスケがしたいです…」

三井 寿
『SLAM DUNK(#8)』 より

「バスケがしたい」というのは、こういうことなんだ。

次にバスケができる時はもっともっと、
コートに立てる一瞬に感謝しよう。




posted by 理琉(ワタル) at 01:35 | TrackBack(0) | バスケ

2020年03月20日

一度もパートに出なかった母が抱えていたのは、不安と無力感と自己否定。

父の定年退職を数年後に控えたある日、
母は口を滑らせ、僕のことを”居候”と言った。

「”居候”という言葉が嫌い。」

一方で、僕が今している仕事の話になると、
母はいつも「そう…私なんて働いてないから」と呟いた。

どうして母はこんなことを言ったんだろうと考える中で、
最近、この2つの発言がつながった。

ずっと専業主婦だった母は、外へ働きに出るのが怖かったんだ。
「どうせ私なんて働けない」と自己否定していたんだ。


父の定年退職を控え、今後の生活が不安

”居候”発言について、疎遠になる前に少しだけ聞いた。
すると、母はこう答えた。

「お父さんがあと2年で定年で、経済的に余裕がなかったからよ」

今でも許せないけど、理解はした。

「私は稼いでないし、お父さんの定年後どうしよう」
という不安が背景にあったことを。

言いかけて飲み込んだ「パートでもやってみたら?」

ただ、僕はこの時、

「パートでもやってみたらどう?」
という提案を言いかけて飲み込んでしまった。

同居する妹弟は成人し、それぞれ働いてるんだから、
新しいことを始めるついでにアルバイトでもすればいいのに。

そう思っただけで、僕は勇気が出ず、言葉にできなかった。

母は新しいことを始めるのが怖かった

母は結局、外に働きに行かず、専業主婦を続けた。
というより、僕の目には”できなかった”ように映った。

なぜか。

あの頃の母はきっと、

父の定年退職による今後の生活の不安よりも、
ずっと専業主婦の自分が外で働けるか不安の方が大きかったから。


「どうせ私なんて働けない。」
「今さら雇ってくれるところなんてない。」
「私なんてずっと専業主婦で、稼ぐ力なんてない。」

母は新しいことを始めるのが怖かったんだ。
実は自尊心が低く、自分への無力感でいっぱいだったんだ。


実は”居候”は自分を責めるために言った?

だとしたら、実質的に父の収入で生活している母は、
自分のことも”居候”だと思ってたんじゃないの?

僕に吐き捨てた”居候”という言葉は
実は自分に向けて言ったんじゃないの?


稼いでいない自分、無力な自分を責めたい、
だけど、今さらパートを始める決断は怖い。

だから、自分を責めるため、
同じように稼げなくて実家に出入りしていた息子に
自分の無力感を投影していたんだと思う。

「どうしてあんな男と結婚したんだよ」。

当時の状況を理解するほどに、
母の言動が急速に1本の線につながっていった。

過去の怒りや悲しみに、意味を見出す

過去に意味を見いだすというのは、単に
「あれでよかったんだよ」と言ってただ過去を肯定することではないし、
過去に起きた出来事の事実を否定することでももちろんありません。

「過去に負った心の痛みを、自分の強さとともに認識する」
ということです。

『不幸にする親』終章 より

ここまで書いたのは、”たぶんこういう背景”という推測。

それでも、過去の怒りや悲しみに意味を見出すのは、
無理に親を許したり、「仕方なかった」と諦めるためじゃない。

母を理解し、自分が前に進むため。

いつか、腹を割って話すことがあってもなくても、
親の背景を、理由を理解し、受け入れて前に進むため。



posted by 理琉(ワタル) at 20:15 | TrackBack(0) | 家族

2020年03月19日

1人シメパフェに初挑戦、札幌狸小路”Parfaiteria miL(パフェテリア ミル)”。

僕は1人で入れる場所と
入れない場所のジャンルが偏っている。

旭山動物園には平気で1人で行くのに
料理店に1人で入れない。


大学時代、山口市に住んでいて
せっかく福岡に行く機会がたくさんあったのに、

天神のラーメン屋台に怖くて入れなかったことを
未だに後悔している。



そんな、料理店に全体的に入れない自分を変えたい。

何でも1人で楽しめるようになりたい。
いずれは1人焼肉もしてみたい。

周りの目を気にしないようになりたい。




そこで、今日の小さな挑戦。

『1人でパフェ専門店に行ってみる』

札幌の狸小路アーケード街にある
『Parfaiteria miL(パフェテリア ミル)』へ。

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季節のオリジナルパフェ
「ラムレーズンとチョコキャラバナナ」(1650円)

アルコールが入っていて、1人パフェ初心者には少し大人の味。
甘すぎず、さっぱり、落ち着いて一口を楽しめた。



入店時刻は18時ちょうど、何とノーゲスト
ただ、普段はかなりの人気店ぶりが伺えるポイントがあった。

  • B1Fへの下り階段
    至るところに「整列してお並びください」の張り紙

  • お店の入り口
    ウェイティングボードと「ただいまの待ち時間:●分」の表示

シメパフェ店の真の姿はきっと、お昼時や、”シメ”の時間帯なんだろう。



見ていると1人で来るお客さんも多かった。
つまり、僕が恐れている1人入店の恐怖はまったくの幻想。

この日はドリンクセットではなく、パフェ単品を注文したけど、
ドリンク(お酒)とセットで一杯を楽しむ人もいた。

こういう楽しみ方があるんだ、世界が広がった。

※前回の挑戦、1人カフェ読書。
「カフェで読書に挑戦、”サンマルクカフェ 札幌ル・トロワ店”」



今回は食べログ「札幌 パフェ」で検索し、
職場から近くて見つけやすかったので行ってみた。

1人シメパフェ挑戦、成功。

次回は何に挑戦しよう。

  • 「1人ラーメン」
  • 「1人BAR」
  • 「1人スイーツビュッフェ」etc

成功したら、また記事で報告します。
posted by 理琉(ワタル) at 00:01 | TrackBack(0) | 生き方

2020年03月18日

自立支援医療の更新を忘れ、期限切れになった。

生活保護から抜け、国保に入り直したので
自立支援医療の更新に行かなきゃな。

ということで区役所の保健福祉課へ行った。

→2020年1月1日付で、生活保護から抜けた。
「生活保護廃止決定通知書。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/421/0



窓口で職員さんに自立支援医療の証書を渡す。

と、



あれ?

期限、切れてますよ。







2月29日で期限切れ。

やらかした。




自立支援医療は、特定の医療機関にかかる時の
自己負担額を減らしてくれる制度。

通常の保険証では3割負担のところ、
指定した医療機関にかかる時の費用を1割に軽減してくれる。

※札幌市の場合
「自立支援医療 札幌市」
https://www.city.sapporo.jp/shogaifukushi/jiritsushien/2-5_jirituiryou.html



数年ごとに更新する際には、次のパターンがある。

  • 診断書が必要な場合
    主治医の診断書が必要
    診断書の費用は3000〜4000円ほど(医療機関により変動)

  • 診断書が不要な場合
    役所の保健福祉課で更新手続きするだけでOK



今回、僕はせっかく診断書が不要だったのに、

更新手続きを忘れたことで、
新規で申請する扱いになってしまった。

(主治医の診断書が必要)

自分のミスとはいえ、

かからなくてもいいお金がかかり、
先生には書かなくてもいい診断書を書いてもらうことに。

※診断書を書いてもらい、区役所で再申請するまでの期間は
 健康保険証のみで通院することになるため3割負担となる。

 診断書を書いてもらうには1〜2週間が必要。
 (これも医療機関により変動)



なお、

診断書が不要だったにも関わらず期限が切れてしまい、
新規申請のために病院に診断書をお願いしたのは、

初めてではありません。

5〜6年前にも一度やらかしてます。



本当に、学んでいない自分。

自立支援医療の新しい証書が届いたら、直ちに

  • 家の目立つ場所に「有効期限:2022年●月●日」と書いて貼っておく
  • 2年後の今日付けで「自立支援医療、更新」のスケジュールを設定

を実行しようと思います。
タグ:焦り 生きる
posted by 理琉(ワタル) at 00:05 | TrackBack(0) | 生き方

2020年03月17日

親が海外旅行を楽しむ姿が、いちばん嬉しかった。

無言で心の通い合いのない、
作業所のような家庭で育った僕が
親に対していちばん嬉しかったこと。

それは

両親が海外旅行を楽しんでいる姿を見れたこと。



どうしてかというと、僕は、

親にモノを与えられることが嬉しいんじゃないんだ

親が人生を楽しんでいる姿を見せて
”生きるのは楽しい”と態度で示してくれることが嬉しいんだ


と気づいたから。



親が不機嫌で辛そうな姿、
無表情な作業員のような姿を見ていて、

僕はこの世界で生きることへの認識が歪んだ。

生きるってこんなに辛いんだ
人生ってこんなに我慢ばかりしないといけないんだ


と思い込んでいた。



笑えるようなことがなく
楽しめるようなことがなく
徹夜で仕事してストレス溜めて
作業のように手を動かして

生きてくって、楽しくないんだ。
そうやって、自分の人生に希望が持てなくなった。



そこまでなら、まだよかった。

じゃあ、この2人はどうしてこんなに
我慢ばかりの人生を生きてるの?って考えた時、
その矛先は自分に向かっていった。

生きてくのは辛い
生きてくのは我慢ばかり

その原因は

自分が生まれたからじゃないか?




歪んだ人生観を抱えたまま
僕は社会人になり、鬱病になり、
やっぱり人生は辛いんだと思い込んでいた。

そんな折、定年を数年後に控えていた父が
急に海外旅行にハマり始めた。

中国、韓国、ベトナム、台湾と、
半年おきに母と2人でアジア各国に出かけていく。

この2人に、人生を楽しむという概念があったんだと衝撃だった。



母に笑っていてほしかった。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/478/0

でも触れたんだけど、

僕はモノやお金を与えられなくて
怒ったり悲しんだりしているんじゃなかった。


ご飯を作ってもらった
家と服を用意してもらった
大学に進ませてもらった

もちろん、それらはありがたいこと。

だけどやっぱり、
いちばん見ていたかったのは
親が人生を楽しんでいる姿。

生きるのはこんなに楽しいんだよと
態度で示してくれる姿なんだ
と気づいた。



子どもの気持ちを知ろうとしない彼らに、
僕の気持ちを受け止めてほしかったと思ってる。

もし彼らが、僕が小さい頃からずっと
楽しく生きているように見えていたら、

その渇望は変わっていたのかな。

親はこんなに楽しく生きてるんだから、
僕は生まれてきてもよかったと思えていたかな。


今、僕は人生を楽しめるようになってきたから、
こんな”たられば”を語る心の余裕が、やっとできた。
posted by 理琉(ワタル) at 01:08 | TrackBack(0) | 家族

2020年03月16日

【夢分析】父と揉めた後、幼稚園の隣に干した洗濯物を取り込みに行く夢。

父を問い詰める僕。

あの時、どうして怒鳴ったんだ
あの時、どうして一方的にこうしたんだ
あの時、どうして僕の気持ちを無視したんだ




怒りをぶつける僕に対し、父は回りくどい弁明ばかりする。

苛立ちを隠せない僕に、
家にいた親戚の1人が「出かけるよ」と声をかける。



自分の服は洗濯中だったことに気づく。

近くの幼稚園の隣に干してある。

「よし、ここで怒っても仕方ない、ひとまず落ち着こう。」

洗濯物を取り込みに、幼稚園へ向かう。



幼稚園の隣に、
5メートルくらいの壁伝いに設置された物干し台がある。

棒を使わないと取れない高さ。

僕が着いた当初は1人だったけど、
洗濯物を取りにくる大人や幼稚園児でごったがえしてくる。



洗濯物を取り込むための棒を手に取ろうした時、
タッチの差で近くにいた大人が先に取った。

まぁ仕方ない、待つか。



僕の番が回ってきた。

さっそく洗濯物を取り込もうと、棒を上に掲げる。

「ねぇ、早くしてよ」

隣で待っていた幼稚園児から声をかけられる。

そんなに待たせたかなと、少し焦りながらも、
さっと回収して戻ろうと思った、

その時…


ーーーーーーーーーー



この前、同じように母を問い詰めて、
同じようにやんわりとはぐらかされる夢を見たなぁ。

その対になるような夢だった。

→「母に怒る夢。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/461/0

本日の夢キャスト

  • 幼稚園、保育園

    人間関係、協調性、物事に取り組む姿勢、家庭の状況 

    幼稚園、保育園を訪れる
    →協調性、物事に取り組む姿勢を取り戻したい

    幼稚園児、保育園児
    →過去の象徴、過去へのこだわり


  • 洗濯物

    自分の精神面や行動を浄化したい

    洗濯物を取り込む
    →抱える問題が好転、解決へ向かう


夢キャストの解釈

  • 父と揉めるくだり

    たぶんそのままの意味。
    言いたいことがある、わだかまりがあるということ。


  • 幼稚園、子どもたち

    僕の中にある幼稚園児に相当する幼さや純粋さ。


  • 洗濯物

    まだ残る親へのわだかまりから、自分の心を解き放ちたい欲求。

    洗濯物が少し高い場所に干してあるのは、
    手を伸ばせば届くけど、もうひと踏ん張りということ。
    心を解放する次のステップまで、あと一息ということ。


深層心理からのメッセージ考察

「わかるよ。親に言いたいことは尽きないし、
わだかまりはたくさんあるよね。

だけど、手放そうとしてるんだよね。
もやもやした思いを手放して、心を洗って、
前に進もうとしてるんだよね。

僕の中の、幼稚園児のような一面は「早くしてよ」と急かすけど、
そこで大きく焦らず、手を伸ばし続けられるようになってる。

だから、そのまま自分のペースで手を伸ばし続けて。」




寝汗をたくさんかいたり、心が乱れて飛び起きたりせず、
多少は落ち着いた起床を迎えた僕は、

心の整理プロセスを確実に進められている。
posted by 理琉(ワタル) at 11:27 | TrackBack(0) | 夢の話

2020年03月15日

ネネちゃんの母と、マットレスを殴り続けた自分。

『クレヨンしんちゃん』の中でも有名な、
ネネちゃんの母がうさぎを殴るシーン。

これを目にするたび、
高校卒業まで同じことをしていた自分を思い出す。

一歩でも間違えていたら、僕は自分の怒りを
モノや人に当たり散らす大人になっていたかも知れない。


そんな恐怖心が蘇る。



始まりは小学生の頃。

父に怒鳴られ、やり場のない怒りを感じるたび、
僕はわざと自分の右手でパーを作り
左手で思いきり殴る行為を繰り返していた。

「バチン!!」という大きな音が響く。

それを聞きつけた父の怒りを、さらに増幅させる。

「なんだその態度は!言いたいことがあるならしゃべれ!」

→「父の怒声「しゃべれ!」。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/318/0



僕は頑なに口を閉ざす。

イライラが増した父は、また背を向ける。
おさまらない怒りから、僕はまた右手をバチンと殴る。

父は僕を怒鳴ることで、僕は自分の右手を殴ることで、
一方通行な怒りをぶつけ合っていた。




家で同じような怒りを感じた時、
本人と同じ部屋にいる間は怒りを必死で抑えた。

爆発寸前の火山のように、顔を真っ赤にしながら。

頑なに口を閉ざし、暴れたい衝動を抑えながら部屋に戻る。

そして戸を閉めるやいなや、マットレスをひたすら殴り続けた。

外出先など、マットレスがないときは、
自分の腕や足をつねったり、げんこつで叩き続けたりして、
少しでも小さい音で暴れるよう努めた。


せめて周りを挑発しないようにと、怯えながら。



本物の暴力に訴えることはいけないと自制しつつも、
怖くて父に言い返すことができない自分が腹立たしかった。

言い返す勇気のない自分。

自らの右手や足を殴り続ける自分。

部屋にこもり、マットレスを殴るしかできない自分。

情けない
誰のせいなんだ
我慢するしかないのか
わからない
どうしたらいい


無力感に飲み込まれる自分がいた。



”怒りの管理”

「怒る」ということは恐ろしいことでもある。
激高したら自分をコントロールできなくなるかもしれないし、
人を傷つけてしまうかもしれない。

長いあいだ抑えつけてきた怒りをひとたび噴き出させたら、
止まらなくなるかもしれない。


こういう恐れはだれにとっても非常に現実的なものである。

だが、事実を述べるなら、もし怒りを噴き出るにまかせたら
起こるに違いないと恐れているようなことは、
怒りを噴き出させなくてもいずれ起きる可能性が非常に高い。


『毒になる親』第十二章 より

父を怒りの対象としか見られなくなり、
自分やモノに当たるしかできない自分。

こんな自分が怖かった。

いつかこの怒りを、自分やマットレス以外の誰かに
ぶつけてしまうかも知れない。

溜まりすぎた怒りが自制心を突き破ってしまう日が
いつか来るかも知れない。


こんな自分が怖かった。



高校卒業まで函館に住んでいた僕は、
山口大学に合格し、父の元を離れた。

思い返せば、この時に同居を解消したことで、
結果的に僕は暴力人間にならずに済んだ。


あのままお互いにストレスを感じ合って同居していたら、
いつか爆発していたかも知れない。

ただ、この10年で溜まり続けた怒りは
未消化のまま僕の中に残された。

この4年後に鬱病になったのは、もしかすると
溜め込んだ怒りへの我慢で力尽きてしまったからかな。



パーを作った右手を「バチン!」と殴る。

自分がこれだけ怒ってることを伝えたくて、
わざと聞こえるようにやった自覚もあった。

そんな僕の挑発めいた行為で、実際に手が出たのは
憶えている限り1度だけだった。

→「唯一の、手を上げられた記憶。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/164/0

わざと、聞こえるように右手を殴る僕
わざと、見える場所でうさぎを殴るネネちゃんの母

どちらも
「私はこう感じている、私の方を向いてほしい」と
心の悲鳴をあげている。



posted by 理琉(ワタル) at 18:57 | TrackBack(0) | 家族
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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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