2020年03月05日
「どうしてあんな男と結婚したんだよ」。
子どもの頃、父に怒鳴られ、
言い返せないまま睨むばかりだった僕。
その様子を横で見ていながら、
決して助けなかった母に、僕は何度もこう尋ねた。
「どうしてあんな男と結婚したの?」
あの頃の僕はよくこんな事を言っていたなと思い出す。
そして思い出すたびに、こうも考える。
「母は本当に、父と一緒にいて幸せなの?」
なぜ、独裁的な父と一緒にいるのか。
どうしようもない怒りと、やるせなさを込めて尋ねた時、
母は肯定も反論もしなかった。
「いやぁ、ははは…。」
少しバツの悪そうな苦笑いを浮かべながら、
はぐらかすだけの母。
うっとおしく感じていることを隠すように、
隙を見つけては後ずさりする母。
自分の意見を述べたことで発生する
責任から逃れたいようにも見えた。
子どもの頃は、
自分ルールを理不尽に怒鳴る父はもちろん、
父の暴走から決して助けてくれない母にも
大きな不信感を募らせていた。
どうして助けも、止めようともしないんだよ、
そんな怒りは「どうして一緒にいるんだよ」へと発展していった。
→暴走する父に、加担も静止もしない母。
「助けなかった母。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/425/0
こんなに一方的に抑えつけられる日常で、
この人は本当に満足なんだろうか。
今ほど明確ではなく、ぼんやりと、
そんな疑問が生まれ始めていた。
大人になった今、そんな怒りは「かわいそう」に形を変えた。
言い方はよくないけど、母は「父という男性の女」
独裁的で一方的な男を見抜けず
パートナーに選んでしまった人。
選んで結婚した後、自分が生んだ子どもが
そのパートナーに抑えつけられる光景を
日常的に見ることになった人。
本当はどう思っているにせよ、
もし嫌だとしても離れることができない人。
母への「かわいそう」は最近、さらに形を変えた。
母は自分を持っていない弱い人間なんだ。
独裁的で一方的な男をパートナーに選んでしまっても、
離れる決断ができない人。
一緒にいて幸せじゃないと思っていたとしても、
離れるリスクと変化を受け入れる勇気のない人。
力のある男に付き従い、
自分で物事を決めて責任を持つことを避ける人。
自分で物事を決められない人。
その耐える姿、自分を押し殺す姿は、
祖母そっくりだ…。
曾祖母から召使いのように扱われても、
怒られるような口調で言葉を浴びせられても、
いつも作り笑顔を崩さない、
祖母そっくりなんだ…。
→「姑と、嫁だった祖母の我慢。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/272/0
人によって幸せの形は違う。
母と僕では、父との関係性がそもそも違う。
一緒に住んでいても、感じ方はそれぞれ違う。
だから、父と一緒にいることが母にとって幸せなら、
僕がとやかく言っても仕方ないこと。
ただ、
「大人は全能、親は世界の全て」
という幻想から抜け出した今も、
「親も弱い1人の人間」という事実は忘れがち。
僕は母を超えていく。
自分で考え、決断し行動する。
自分の意見をしっかり伝え、
それに責任を持てる人間になる。
言い返せないまま睨むばかりだった僕。
その様子を横で見ていながら、
決して助けなかった母に、僕は何度もこう尋ねた。
「どうしてあんな男と結婚したの?」
あの頃の僕はよくこんな事を言っていたなと思い出す。
そして思い出すたびに、こうも考える。
「母は本当に、父と一緒にいて幸せなの?」
肯定も、反論もしない母
なぜ、独裁的な父と一緒にいるのか。
どうしようもない怒りと、やるせなさを込めて尋ねた時、
母は肯定も反論もしなかった。
「いやぁ、ははは…。」
少しバツの悪そうな苦笑いを浮かべながら、
はぐらかすだけの母。
うっとおしく感じていることを隠すように、
隙を見つけては後ずさりする母。
自分の意見を述べたことで発生する
責任から逃れたいようにも見えた。
父と離れない母への怒り
子どもの頃は、
自分ルールを理不尽に怒鳴る父はもちろん、
父の暴走から決して助けてくれない母にも
大きな不信感を募らせていた。
どうして助けも、止めようともしないんだよ、
そんな怒りは「どうして一緒にいるんだよ」へと発展していった。
→暴走する父に、加担も静止もしない母。
「助けなかった母。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/425/0
こんなに一方的に抑えつけられる日常で、
この人は本当に満足なんだろうか。
今ほど明確ではなく、ぼんやりと、
そんな疑問が生まれ始めていた。
大人になり、怒りは「かわいそう」に変わる
大人になった今、そんな怒りは「かわいそう」に形を変えた。
言い方はよくないけど、母は「父という男性の女」
独裁的で一方的な男を見抜けず
パートナーに選んでしまった人。
選んで結婚した後、自分が生んだ子どもが
そのパートナーに抑えつけられる光景を
日常的に見ることになった人。
本当はどう思っているにせよ、
もし嫌だとしても離れることができない人。
母は決断力のない、自分がない弱い人間
母への「かわいそう」は最近、さらに形を変えた。
母は自分を持っていない弱い人間なんだ。
独裁的で一方的な男をパートナーに選んでしまっても、
離れる決断ができない人。
一緒にいて幸せじゃないと思っていたとしても、
離れるリスクと変化を受け入れる勇気のない人。
力のある男に付き従い、
自分で物事を決めて責任を持つことを避ける人。
自分で物事を決められない人。
”責任を果たせない親”
彼らは、完全主義者やカルト的、あるいは
虐待的な相手と結婚していることがよくありますが、
それはそういう相手と一緒にいると安心感を持てたり、
自分が強くなったように感じられるからです。
『不幸にする親』第二章 より
その耐える姿、自分を押し殺す姿は、
祖母そっくりだ…。
曾祖母から召使いのように扱われても、
怒られるような口調で言葉を浴びせられても、
いつも作り笑顔を崩さない、
祖母そっくりなんだ…。
→「姑と、嫁だった祖母の我慢。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/272/0
自分の意思を伝え、行動できる人間になる
人によって幸せの形は違う。
母と僕では、父との関係性がそもそも違う。
一緒に住んでいても、感じ方はそれぞれ違う。
だから、父と一緒にいることが母にとって幸せなら、
僕がとやかく言っても仕方ないこと。
ただ、
「大人は全能、親は世界の全て」
という幻想から抜け出した今も、
「親も弱い1人の人間」という事実は忘れがち。
僕は母を超えていく。
自分で考え、決断し行動する。
自分の意見をしっかり伝え、
それに責任を持てる人間になる。
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