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2020年06月02日
【北海道から山口へ】サウナのような蒸し暑さ、練習で吐き続けた2年間。
僕は高校卒業まで北海道で過ごし、
大学進学で山口県に移住した。
冷涼な北海道にも、蒸し暑い日はたまにある。
だけど、本場の夏はそんなもんじゃなかった。
サウナのような蒸し暑さ、しかも山口市は盆地。
ようやく慣れたのは、大学3年生になってからだった。
冷帯と温帯の夏は、こうも違う。
それを、まざまざと見せつけられた。
ー目次ー
地元の函館は、基本的に暑すぎない。
気温30度を超えることはあっても、
海風のおかげでカラッとした、じめじめしない暑さ。
さっぱりした海辺の夏しか知らなかった僕にとって、
初めて体験した山口の夏はサウナだった。
いちばん辛いのは気温の高さじゃない。
身体が押し潰され、呼吸ができないほどの湿度。
大学のキャンパス、自宅、体育館。
どこに居ても、水圧のような締め付けを感じた。
深海に放り出された時に感じる水圧は、
こういう感じかなと思った。
スラムダンク
陵南高校の魚住純が1年生の時。
スタミナのなさからフットワークの練習について行けず、
体育館の裏で吐く毎日を送っていた。
大学2年までの僕は、
バスケ部の練習で魚住とまったく同じことをしていた。
元々のスタミナ不足、気候の違い、
サウナの中で走り切れずに吐く毎日。
「フットワークは確かにきついけど、毎日のように吐く?」
そう思う方もいるかも知れないけど、
あれは決してフィクションじゃない。
北海道の夏しか知らない身体が、
山口の夏に慣れるまでは、現実に起こる話。
最初の2年間。
僕は自分の下手さよりも、
暑さに耐えられず離脱ばかりする自分が嫌だった。
3年生、4年生になっても、僕は結局たいして上達せず、
ほとんどの大会をベンチ外で過ごした。
だけど、1・2年生の時と変わったことがあった。
「理琉さんメッチャ走るからマークしたくないっす!」
「理琉さん走らないでもらえます?!」
いつの間にか僕は、バスケ部の中で
「下手だけどメッチャ走る奴」になっていた。
どうして暑さに慣れたのか、今もわからない。
ゆっくりでも、練習を離脱し続けても、
自分の力でサウナを走り通したから、かも知れない。
魚住はその後、スタミナ不足を克服し、
陵南のキャプテン、大黒柱になった。
僕は戦力的には構想外で終わったけど、
3年目に気候の違いを克服できた。
そういう違いはあれど、
僕は1年生時の魚住の姿にすごく共感する。
スタミナがついていかず練習を離脱し、
悔しい思いをした姿が、当時の自分と重なる。
温帯の夏を経験できたことは、
僕のバスケ人生の財産になった。
大学進学で山口県に移住した。
冷涼な北海道にも、蒸し暑い日はたまにある。
だけど、本場の夏はそんなもんじゃなかった。
サウナのような蒸し暑さ、しかも山口市は盆地。
ようやく慣れたのは、大学3年生になってからだった。
冷帯と温帯の夏は、こうも違う。
それを、まざまざと見せつけられた。
ー目次ー
- 呼吸ができない、水圧のような湿度
- 練習で吐くのはフィクションじゃない
- ただ走り続けたら、いつしか慣れていた
- 冷帯の夏、温帯の夏
1.呼吸ができない、水圧のような湿度
地元の函館は、基本的に暑すぎない。
気温30度を超えることはあっても、
海風のおかげでカラッとした、じめじめしない暑さ。
さっぱりした海辺の夏しか知らなかった僕にとって、
初めて体験した山口の夏はサウナだった。
いちばん辛いのは気温の高さじゃない。
身体が押し潰され、呼吸ができないほどの湿度。
大学のキャンパス、自宅、体育館。
どこに居ても、水圧のような締め付けを感じた。
深海に放り出された時に感じる水圧は、
こういう感じかなと思った。
2.練習で吐くのはフィクションじゃない
スラムダンク
陵南高校の魚住純が1年生の時。
スタミナのなさからフットワークの練習について行けず、
体育館の裏で吐く毎日を送っていた。
大学2年までの僕は、
バスケ部の練習で魚住とまったく同じことをしていた。
元々のスタミナ不足、気候の違い、
サウナの中で走り切れずに吐く毎日。
「フットワークは確かにきついけど、毎日のように吐く?」
そう思う方もいるかも知れないけど、
あれは決してフィクションじゃない。
北海道の夏しか知らない身体が、
山口の夏に慣れるまでは、現実に起こる話。
もう辞めます…!!毎日思ってます!!
3年も続けられません…
いっつも怒られて、体力はないし、
先輩たちの足手まといになるだけだ
魚住 純
最初の2年間。
僕は自分の下手さよりも、
暑さに耐えられず離脱ばかりする自分が嫌だった。
3.ただ走り続けたら、いつしか慣れていた
3年生、4年生になっても、僕は結局たいして上達せず、
ほとんどの大会をベンチ外で過ごした。
だけど、1・2年生の時と変わったことがあった。
「理琉さんメッチャ走るからマークしたくないっす!」
「理琉さん走らないでもらえます?!」
いつの間にか僕は、バスケ部の中で
「下手だけどメッチャ走る奴」になっていた。
どうして暑さに慣れたのか、今もわからない。
倒れたらそこで許してもらえるとでも思ってんのか魚住!?
最後までやるんだ!!
ゆっくりでもいい!!自分の力でやり遂げろ!!
陵南高校バスケ部コーチ 田岡茂一
『SLAM DUNK 完全版 15』#168 田岡の夢 より
ゆっくりでも、練習を離脱し続けても、
自分の力でサウナを走り通したから、かも知れない。
4.冷帯の夏、温帯の夏
魚住はその後、スタミナ不足を克服し、
陵南のキャプテン、大黒柱になった。
僕は戦力的には構想外で終わったけど、
3年目に気候の違いを克服できた。
そういう違いはあれど、
僕は1年生時の魚住の姿にすごく共感する。
スタミナがついていかず練習を離脱し、
悔しい思いをした姿が、当時の自分と重なる。
温帯の夏を経験できたことは、
僕のバスケ人生の財産になった。
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2020年06月01日
【2020】誕生日 〜後悔しない1年を生きる〜。
6月1日。
札幌では前夜、震度2の地震。
無事に乗り越え、
ブログ開設から2回目の誕生日を迎えた。
※「【2019】誕生日。」
「まさかこうなるとは、そんな出来事がいくつあるだろう」
何気なく書いたあの日には想像もできなかった、
濃密な1年を振り返る。
ー目次ー
去年の今日、まさか誕生日の10日後に
祖父が亡くなるなんて。
「祖父と、2人きりの時間。」
僕は祖父の初孫。
通夜の日の号泣が
関わった時間の長さと濃密さを証明した。
「就労移行支援に通い、人生の再出発」
そう言って通所し始めた就労移行支援。
まさか障害者枠で働いてるなんて。
「唐突に、就職決定。」
去年は力のほとんどを親との闘いに費やした。
他のことにガツガツする余力がなかったことが、
逆に仕事の縁を好転させた。
就労移行支援に入った時点で、
生活保護は視野に入っていた。
けど、受給と廃止を巡って、
まさかあんな大騒ぎになるなんて。
「延長戦決着、戦利品は”諦め”。」
「子どもの逃げ道を塞ぐ”生活保護封じ”。」
第三者がいても、ここが区役所生活保護課でも、
父の暴れっぷりは変わらなかった。
「親は変わらないし反省もしない」
その悲しい事実を、決定的に悟ることになった。
僕はプロのカウンセラーでもなければ、子どももいない。
そんな自分がまさか、親子関係の悩み相談を受けるなんて。
「【仮説】子どもを問題児扱いする親の、真の目的 〜自責と、親への復讐から目を逸らしたい〜。」
親子に関することをたくさん書いてきたけど、
ずっと葛藤してること。それが
「子どもがいない自分が言って説得力があるのか」
今も悩んでるけど、
自分の心の癒しのためにも書いていきたい。
何といっても、最大の「まさか」は
コロナウィルスによるパンデミックだろう。
確かに不安、不便、不自由な日々。
だけど、
仕事や生活にさほど大きな影響がなかった自分は
恵まれていることも実感した。
何より、今回のようなことがなければ、
「子どもの命を背負う人」の立場を
真剣に考える機会はなかったかも知れない。
「自粛延長の可能性を受けて 〜子どもの命を背負う人の言葉、守るものがない自分の立場〜。」
2019年
心おだやかに過ごせる日々は、
求めても手に入らなかった。
2020年
諦めるように、求めなくなった途端、
皮肉にも手に入った。
2021年
僕は明日死んでも後悔しないように
生きれているだろうか。
どんなストーリーが書き加えられるのかを
今から楽しみにしている。
ーー誕生日にこそ考えたい。もし1年後、この世にいないとしたらーー
札幌では前夜、震度2の地震。
無事に乗り越え、
ブログ開設から2回目の誕生日を迎えた。
※「【2019】誕生日。」
「まさかこうなるとは、そんな出来事がいくつあるだろう」
何気なく書いたあの日には想像もできなかった、
濃密な1年を振り返る。
ー目次ー
- まさか祖父が亡くなるなんて
- まさか障害者枠で働いてるなんて
- まさか生活保護を巡って大騒ぎになるなんて
- まさか親子問題の相談を受けるなんて
- まさかパンデミックが起きるなんて
- 後悔しない1年を生きる
1.まさか祖父が亡くなるなんて
去年の今日、まさか誕生日の10日後に
祖父が亡くなるなんて。
「祖父と、2人きりの時間。」
僕は祖父の初孫。
通夜の日の号泣が
関わった時間の長さと濃密さを証明した。
2.まさか障害者枠で働いてるなんて
「就労移行支援に通い、人生の再出発」
そう言って通所し始めた就労移行支援。
まさか障害者枠で働いてるなんて。
「唐突に、就職決定。」
去年は力のほとんどを親との闘いに費やした。
他のことにガツガツする余力がなかったことが、
逆に仕事の縁を好転させた。
3.まさか生活保護を巡って大騒ぎになるなんて
就労移行支援に入った時点で、
生活保護は視野に入っていた。
けど、受給と廃止を巡って、
まさかあんな大騒ぎになるなんて。
「延長戦決着、戦利品は”諦め”。」
「子どもの逃げ道を塞ぐ”生活保護封じ”。」
第三者がいても、ここが区役所生活保護課でも、
父の暴れっぷりは変わらなかった。
「親は変わらないし反省もしない」
その悲しい事実を、決定的に悟ることになった。
4.まさか親子問題の相談を受けるなんて
僕はプロのカウンセラーでもなければ、子どももいない。
そんな自分がまさか、親子関係の悩み相談を受けるなんて。
「【仮説】子どもを問題児扱いする親の、真の目的 〜自責と、親への復讐から目を逸らしたい〜。」
親子に関することをたくさん書いてきたけど、
ずっと葛藤してること。それが
「子どもがいない自分が言って説得力があるのか」
今も悩んでるけど、
自分の心の癒しのためにも書いていきたい。
5.まさかパンデミックが起きるなんて
何といっても、最大の「まさか」は
コロナウィルスによるパンデミックだろう。
確かに不安、不便、不自由な日々。
だけど、
仕事や生活にさほど大きな影響がなかった自分は
恵まれていることも実感した。
何より、今回のようなことがなければ、
「子どもの命を背負う人」の立場を
真剣に考える機会はなかったかも知れない。
「自粛延長の可能性を受けて 〜子どもの命を背負う人の言葉、守るものがない自分の立場〜。」
6.後悔しない1年を生きる
2019年
心おだやかに過ごせる日々は、
求めても手に入らなかった。
2020年
諦めるように、求めなくなった途端、
皮肉にも手に入った。
2021年
僕は明日死んでも後悔しないように
生きれているだろうか。
どんなストーリーが書き加えられるのかを
今から楽しみにしている。
ーー誕生日にこそ考えたい。もし1年後、この世にいないとしたらーー
2020年05月31日
【函館の浜言葉】「なまってないね」とよく言われる理由 〜浜言葉と自分を分離させた〜。
僕は5歳〜18歳まで函館に住んでいた。
その後、山口、三重、札幌に住む中で、
よく言われること。
「浜言葉なまりがないね。」
長年すごした函館の方言がうつらなかった理由と、
それでも気づかずに使っていた方言を紹介したい。
ー目次ー
函館には、父の転勤で来た。
教員住宅に住んでいて、周りの大人も、
同年代の子どもたちも転勤族だった。
だから、僕の身近には
函館の浜言葉をがっつり話す地元の人が少なかった。
コテコテの浜言葉を話す人は
父方の祖母くらいだったけど、会うのは年に数回。
山口に移住した時みたいに、
方言がうつるには至らなかった。
※「【北海道から山口へ】言葉の壁にカルチャーショックを受けた話。」
非常に寂しい理由だけど、
僕の家庭には会話がほとんどなかった。
「作業所のような家」と表現したこともある。
→「【アダルトチルドレン】母に笑っていてほしかった。」
そんな環境で、家で仕事をする母は山村育ち。
なので、家庭内でも浜言葉が飛び交うことはなかった。
身近に話者が少なかったことで、
僕の中に定着しなかった浜言葉。
それでも、学校では函館の方言にたくさん触れたので、
リスニングはできるようになった。
その中で、僕が方言と気づかずに使っていたのがこちら。
あまりに自然すぎて、方言と気づかなかった言葉。
靴下は「履く」、手袋は「する」ものだと、
かなり後になってから知った。
もうSLが走ってない時代だったけど、
周りが電車のことを「汽車」と呼んでいたので、
あまり疑わずに使っていた。
煙突もないのに、なぜ「汽」なんだろう、
それだけはかすかに疑問だった。
「うちの中がちらかって、もうわやだ」
ひどいさま、めちゃくちゃな状態。
これも方言と気づかずに使っていた。
自然すぎて、方言と気づかなかった言葉がある一方。
あ、これは方言だなと認識しつつ、
なぜか自分では使おうとしなかった言葉。
「”ゴミなげて来て”と頼んだら、本当に投げた」
これが定番のやり取りかも知れない。
投げる・throwではなく「捨てる」という意味。
山口弁で言うところの「ぶち」
強調の言葉。とても、かなり。
「なまらわや」と言ったら、
ひどすぎて目も当てられない、笑うしかない状態。
バグる、ではない。「交換」の意味。
レアカードの交換交渉でたまに登場する方言。
もしかしたら、小さい頃の僕は
あえて浜言葉を話さないよう心掛けていたのかも知れない。
4歳まで、浜言葉じゃない北海道の言葉を聞いてきて、
「浜言葉と自分を分離させよう」という
謎のプライドがあったんだろうか。
そんな意地を張った結果、
浜言葉は聞いて覚えるけどなるべく使わない、
そんな自分を確立したのかも知れない。
それでも、
浜言葉を話す人の映像を見たりすると、
意味がだいたいわかってしまう自分。
ずっと聞いて、根付いてるものはちゃんとあるんだな。
ーー北海道弁を楽しく学べるおすすめの本はこちらーー
その後、山口、三重、札幌に住む中で、
よく言われること。
「浜言葉なまりがないね。」
長年すごした函館の方言がうつらなかった理由と、
それでも気づかずに使っていた方言を紹介したい。
ー目次ー
- 理由1.転勤族に囲まれていた
- 理由2.家庭に会話がなかった
- 方言と気づかずに使っていた言葉
- 方言と気づき、あえて使わなかった言葉
- 浜言葉と自分を分離させたかった?
1.理由1.転勤族に囲まれていた
函館には、父の転勤で来た。
教員住宅に住んでいて、周りの大人も、
同年代の子どもたちも転勤族だった。
だから、僕の身近には
函館の浜言葉をがっつり話す地元の人が少なかった。
コテコテの浜言葉を話す人は
父方の祖母くらいだったけど、会うのは年に数回。
山口に移住した時みたいに、
方言がうつるには至らなかった。
※「【北海道から山口へ】言葉の壁にカルチャーショックを受けた話。」
2.理由2.家庭に会話がなかった
非常に寂しい理由だけど、
僕の家庭には会話がほとんどなかった。
「作業所のような家」と表現したこともある。
→「【アダルトチルドレン】母に笑っていてほしかった。」
そんな環境で、家で仕事をする母は山村育ち。
なので、家庭内でも浜言葉が飛び交うことはなかった。
3.方言と気づかずに使っていた言葉
身近に話者が少なかったことで、
僕の中に定着しなかった浜言葉。
それでも、学校では函館の方言にたくさん触れたので、
リスニングはできるようになった。
その中で、僕が方言と気づかずに使っていたのがこちら。
1.手袋はく
あまりに自然すぎて、方言と気づかなかった言葉。
靴下は「履く」、手袋は「する」ものだと、
かなり後になってから知った。
2.汽車
もうSLが走ってない時代だったけど、
周りが電車のことを「汽車」と呼んでいたので、
あまり疑わずに使っていた。
煙突もないのに、なぜ「汽」なんだろう、
それだけはかすかに疑問だった。
3.わや
「うちの中がちらかって、もうわやだ」
ひどいさま、めちゃくちゃな状態。
これも方言と気づかずに使っていた。
4.方言と気づき、あえて使わなかった言葉
自然すぎて、方言と気づかなかった言葉がある一方。
あ、これは方言だなと認識しつつ、
なぜか自分では使おうとしなかった言葉。
1.なげる
「”ゴミなげて来て”と頼んだら、本当に投げた」
これが定番のやり取りかも知れない。
投げる・throwではなく「捨てる」という意味。
2.なまら
山口弁で言うところの「ぶち」
強調の言葉。とても、かなり。
「なまらわや」と言ったら、
ひどすぎて目も当てられない、笑うしかない状態。
3.ばくる
バグる、ではない。「交換」の意味。
レアカードの交換交渉でたまに登場する方言。
5.浜言葉と自分を分離させたかった?
もしかしたら、小さい頃の僕は
あえて浜言葉を話さないよう心掛けていたのかも知れない。
4歳まで、浜言葉じゃない北海道の言葉を聞いてきて、
「浜言葉と自分を分離させよう」という
謎のプライドがあったんだろうか。
そんな意地を張った結果、
浜言葉は聞いて覚えるけどなるべく使わない、
そんな自分を確立したのかも知れない。
それでも、
浜言葉を話す人の映像を見たりすると、
意味がだいたいわかってしまう自分。
ずっと聞いて、根付いてるものはちゃんとあるんだな。
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2020年05月30日
【子どもに口出しする親】「私みたいになってほしくない」と思っていると、「私みたい」になる。
いとこを問題児扱いする、過干渉な母親について
相談を受けていた時。
母親の話を聞く中で、何だかひっかかったこと。
理琉
「いとこの話をじっくり聞いてあげたことありますか?」
いとこの母
「ない。じっくり話を聞く方法がわからない。
私みたいになってほしくなくて、ついつい口を出してしまう。」
※いとこと母親の問題相談
妙にひっかかった、ここのやり取り。
僕は考えた末、ある仮説にたどり着いた。
私みたいになってほしくないと思ってると、
私みたいになるんじゃないだろうか。
なぜなら、
「こんな価値のない私みたいになるな」と
自分を粗末に扱う姿をずーっと見せ続けるんだから。
ー目次ー
「私みたいになってほしくない」
根底には自尊心の低さがある。
どうせ私には価値がない、私はダメな人間だ、
だから子どもには私なんかと同じ苦しみを味わわせたくない。
そういう自己否定がある。
だから、ちゃんとした人間にしようと、口を出す。
母親が自分のことをそう思うようになったのは、
母親のせいじゃない。
成育環境で、そうならざるを得なかったから。
自分は大切だと思える環境じゃなかったから。
悲しみも、自尊心の低さも、連鎖している。
いちばん身近な大人として、
子どもは長く親の振る舞いを見て学ぶ。
子どもが見てることは、
親が子どもである自分をどう扱ってくるか、だけじゃない。
親が、親自身をどう扱ってるかもしっかり見てる。
親を見て、他人への接し方を学び、
自分自身の取り扱い方も学ぶ。
だから親が、
どうせ私には価値がない、私はダメな人間だ、
私なんかと同じ苦しみを味わわせたくない。
というふうに自分を扱ってると。
それを見た子どもも、自分のことを同じように扱う。
どうせ私には価値がない、私はダメな人間だ、と。
母親が、
どうせ私には価値がない、私はダメな人間だ、
私みたいになってほしくない。
と思ってると。
だから私みたいにさせないように、
あれこれ口出しして立派な人間にしよう。
という、コントロールに発展する。
コントロールが込められた口出しを浴びて、
子どもがどう思うかというと。
あぁそうか。
自分はあれこれ口出しされても仕方ないくらい、
母親と同じで価値がない、ダメな人間なんだ。
そうやって、母親の折れた自尊心が子どもに伝達され、
子どもが「母親みたいに自尊心の低い私」になる。
「私みたいになってほしくない」ことから
口出しされ続けた子どもは、どうするか。
大きく分けると、キレるか閉じる。
キレる場合、根底にある思いはおそらくこう。
「お母さんはどうして、
僕のことも自分のこともそんなに粗末に扱うんだよ。
お母さんも僕も、そんなに粗末に扱ってもいいような
どうでもいい人間なのかよ!ふざけんな!」
→いとこが今、まさにキレ続けてる。
閉じる場合、
「この人はいくら言い返したって、
お母さん自身に対しても、僕に対しても
扱い方を変える気はないんだな。
この人がうだうだ言ってくることなんて、
いくら聞いても無駄なんだな。」
→僕が幼少期、父に対して取った行動。
いずれにしても、
口を出せば出すほど、親は子どもからの信頼を失っていく。
母親が、自分に価値がないと思ってしまったこと。
「私みたいになってほしくない」あまり、口出しすること。
口出しにより自尊心を折られ、
「私みたいに」なりかけてるいとこ。
誰も悪くない。だからなおさら悲しい。
そして、こんな仮説を
子どもがいない僕が書いてることに、
いたたまれなさと心苦しさも感じている。
想像する気持ちはすべて、子ども側の視点。
お前に何がわかるんだ、その言葉も受け止める。
それでも、誰かの考えるきっかけになってくれたら嬉しい。
「私みたいになってほしくない」の根底には
「折れた自尊心の伝達」があるんじゃないだろうか。
ーー子どもをコントロールしたくなる親の心理を学ぼうーー
相談を受けていた時。
母親の話を聞く中で、何だかひっかかったこと。
理琉
「いとこの話をじっくり聞いてあげたことありますか?」
いとこの母
「ない。じっくり話を聞く方法がわからない。
私みたいになってほしくなくて、ついつい口を出してしまう。」
※いとこと母親の問題相談
妙にひっかかった、ここのやり取り。
僕は考えた末、ある仮説にたどり着いた。
私みたいになってほしくないと思ってると、
私みたいになるんじゃないだろうか。
なぜなら、
「こんな価値のない私みたいになるな」と
自分を粗末に扱う姿をずーっと見せ続けるんだから。
ー目次ー
- 根底にあるのは、折れた自尊心
- 自分自身の取り扱い方も、子どもは親を見て学ぶ
- 子どもは”母親みたいに自尊心の低い私”になる
- 口を出す、子どもはキレるか閉じる、親は信頼を失う
- 子どもがいない僕の、子ども側の視点
1.根底にあるのは、折れた自尊心
「私みたいになってほしくない」
根底には自尊心の低さがある。
どうせ私には価値がない、私はダメな人間だ、
だから子どもには私なんかと同じ苦しみを味わわせたくない。
そういう自己否定がある。
だから、ちゃんとした人間にしようと、口を出す。
母親が自分のことをそう思うようになったのは、
母親のせいじゃない。
成育環境で、そうならざるを得なかったから。
自分は大切だと思える環境じゃなかったから。
悲しみも、自尊心の低さも、連鎖している。
2.自分自身の取り扱い方も、子どもは親を見て学ぶ
いちばん身近な大人として、
子どもは長く親の振る舞いを見て学ぶ。
子どもが見てることは、
親が子どもである自分をどう扱ってくるか、だけじゃない。
親が、親自身をどう扱ってるかもしっかり見てる。
親を見て、他人への接し方を学び、
自分自身の取り扱い方も学ぶ。
だから親が、
どうせ私には価値がない、私はダメな人間だ、
私なんかと同じ苦しみを味わわせたくない。
というふうに自分を扱ってると。
それを見た子どもも、自分のことを同じように扱う。
どうせ私には価値がない、私はダメな人間だ、と。
3.子どもは”母親みたいに自尊心の低い私”になる
母親が、
どうせ私には価値がない、私はダメな人間だ、
私みたいになってほしくない。
と思ってると。
だから私みたいにさせないように、
あれこれ口出しして立派な人間にしよう。
という、コントロールに発展する。
コントロールが込められた口出しを浴びて、
子どもがどう思うかというと。
あぁそうか。
自分はあれこれ口出しされても仕方ないくらい、
母親と同じで価値がない、ダメな人間なんだ。
そうやって、母親の折れた自尊心が子どもに伝達され、
子どもが「母親みたいに自尊心の低い私」になる。
4.口を出す、子どもはキレるか閉じる、親は信頼を失う
「私みたいになってほしくない」ことから
口出しされ続けた子どもは、どうするか。
大きく分けると、キレるか閉じる。
キレる場合、根底にある思いはおそらくこう。
「お母さんはどうして、
僕のことも自分のこともそんなに粗末に扱うんだよ。
お母さんも僕も、そんなに粗末に扱ってもいいような
どうでもいい人間なのかよ!ふざけんな!」
→いとこが今、まさにキレ続けてる。
閉じる場合、
「この人はいくら言い返したって、
お母さん自身に対しても、僕に対しても
扱い方を変える気はないんだな。
この人がうだうだ言ってくることなんて、
いくら聞いても無駄なんだな。」
→僕が幼少期、父に対して取った行動。
いずれにしても、
口を出せば出すほど、親は子どもからの信頼を失っていく。
5.子どもがいない僕の、子ども側の視点
たまに、非常につらい子供時代を送った人が親になった時に、
「子供には自分のような苦しみを味わわせたくない」と思うあまり、
子供に干渉しすぎているのにそれがわからないことがあります。
自分が体験した苦しみにばかり意識が向いているので、
その自分が子供を苦しめていることがわからないのです。
『不幸にする親』第二章 より
母親が、自分に価値がないと思ってしまったこと。
「私みたいになってほしくない」あまり、口出しすること。
口出しにより自尊心を折られ、
「私みたいに」なりかけてるいとこ。
誰も悪くない。だからなおさら悲しい。
そして、こんな仮説を
子どもがいない僕が書いてることに、
いたたまれなさと心苦しさも感じている。
想像する気持ちはすべて、子ども側の視点。
お前に何がわかるんだ、その言葉も受け止める。
それでも、誰かの考えるきっかけになってくれたら嬉しい。
「私みたいになってほしくない」の根底には
「折れた自尊心の伝達」があるんじゃないだろうか。
ーー子どもをコントロールしたくなる親の心理を学ぼうーー
2020年05月29日
【理琉のインスタグラム】映像で世界観を表していきたい。
アカウントを作ってから2年くらい放置してた。
→『理琉(ワタル)のインスタグラム』
数ヶ月前から力を入れ始めてる。
今のところ、感動した自然の景色が中心。
ブログだけでは表現しきれない、
僕の世界観を映像で発信していきたい。
最初はハッシュタグの付け方もわからなかった。
付け始めてから、ありがたいことに
いいねをいただいたり、フォローしてもらえたり。
自分の見てる世界に共感してもらえるのは、
こんなに嬉しいんだと知った。
インスタグラムに力入れるまで意識しなかったけど、
写真を撮って、どう見せるか考えるのは楽しい。
気づかなかった、新しい自分を見つけた。
楽しみながら、
ブログとツイッターでは僕の考えを発信し、
インスタグラムでは僕の世界観を発信していきたい。
気に入っていただけたら、
ぜひともいいね・フォローしてもらえると嬉しいです。
→sfwatarujune01
ーーおすすめのオンライン画像編集サイトはこちらーー
→『理琉(ワタル)のインスタグラム』
数ヶ月前から力を入れ始めてる。
今のところ、感動した自然の景色が中心。
ブログだけでは表現しきれない、
僕の世界観を映像で発信していきたい。
最初はハッシュタグの付け方もわからなかった。
付け始めてから、ありがたいことに
いいねをいただいたり、フォローしてもらえたり。
自分の見てる世界に共感してもらえるのは、
こんなに嬉しいんだと知った。
インスタグラムに力入れるまで意識しなかったけど、
写真を撮って、どう見せるか考えるのは楽しい。
気づかなかった、新しい自分を見つけた。
楽しみながら、
ブログとツイッターでは僕の考えを発信し、
インスタグラムでは僕の世界観を発信していきたい。
気に入っていただけたら、
ぜひともいいね・フォローしてもらえると嬉しいです。
→sfwatarujune01
ーーおすすめのオンライン画像編集サイトはこちらーー
2020年05月28日
「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ!」 〜劣等感を隠したい悲鳴〜。
「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ!」
世の中の独裁的な父親の代表的な台詞。
威圧感に満ちた怒鳴り声であることが多いだろう。
だけど、これは威圧感で隠した悲鳴なんじゃないか。
だとしたら、この悲鳴を翻訳すると、
「こんなにお金を稼げる俺はすごいだろ?
すごいと思わせてくれ!お願いだから認めてくれよ!」
稼ぎという「結果」でしか、自分の無力感を埋められない。
きっと、そんな劣等感を必死で隠す悲鳴なんだ。
ー目次ー
「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ!」
何のために言うのか。それは支配のため。
お金を盾に取ると、言い返せないことを利用している。
「この家族を食べさせるだけのお金を稼いでいるのは俺だ。
俺がいなくなったらお前ら食べていけないだろ?
「だから俺がいちばん価値がある。
俺の言う通りに支配されるべきなんだ。」
そうやってお金で家族を支配し、
自分がトップに君臨し続けるために言う。
どうして自分がトップに君臨し続けなければいけないのか。
それは、
人間関係を勝ち負けや上下でしか考えられないから。
人間の価値を結果でしか計れないから。
お金という結果を出している限り、
自分が家族の中での勝者でいられる。
勝者である自分には価値がある、
そう思うことで、自分の存在を肯定している。
勝者でいたい、トップに君臨していたい父親が
いちばん恐れていることは何か。
それは負けること。
自分がいちばん稼いでいる人じゃなくなること。
もしそうなったら、意見を堂々と言われる。
「貴方に頼らなくても食べていける」
バカにされるかも知れない。
「これしか稼げないの?」
結果を出すことで保っていた、
自分の存在への価値を見出せなくなる。
お金で縛り上げた砂の楼閣が崩れることが、何よりも怖い。
負けたら、稼ぎがトップでなくなったら、
無力な自分を直視しないといけない。
無力な自分を認めたくない、
結果を出せる、優れてると思いたい。
劣等感に飲み込まれそうになったとき、
必死で隠すため悲鳴をあげる。
「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ!」
俺はお前らを食わせられるくらい稼いでいる。
こんな結果を出せる俺は劣ってなんかいないんだ、
家族でいちばん優れてるんだ。
優れてると思い込ませてくれ!
そうしないと崩れてしまいそうなんだ!
僕の父は「誰のおかげで〜」と
露骨に言ったことは、たぶん、ない。
だけど、金銭を利用したと思われる言動はある。
→「父の「学費返せ」発言の真相は。」
→「子どもの逃げ道を塞ぐ”生活保護封じ”。」
あの時は、胸がえぐられるほどの
悲しみ、怒り、失望に襲われた。
けど、本当は父も必死で
劣等感から目を逸らそうとしてたのかな。
世の中の独裁的な父親の代表的な台詞。
威圧感に満ちた怒鳴り声であることが多いだろう。
だけど、これは威圧感で隠した悲鳴なんじゃないか。
だとしたら、この悲鳴を翻訳すると、
「こんなにお金を稼げる俺はすごいだろ?
すごいと思わせてくれ!お願いだから認めてくれよ!」
稼ぎという「結果」でしか、自分の無力感を埋められない。
きっと、そんな劣等感を必死で隠す悲鳴なんだ。
ー目次ー
- お金を盾に支配したい
- 勝ち負けや上下でしか、人間の価値を計れない
- 砂の楼閣が崩れるのが怖い
- 本当は無力な自分を認めたくない
- 父も実は、劣等感を隠してたのかも知れない
1.お金を盾に支配したい
「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ!」
何のために言うのか。それは支配のため。
お金を盾に取ると、言い返せないことを利用している。
「この家族を食べさせるだけのお金を稼いでいるのは俺だ。
俺がいなくなったらお前ら食べていけないだろ?
「だから俺がいちばん価値がある。
俺の言う通りに支配されるべきなんだ。」
そうやってお金で家族を支配し、
自分がトップに君臨し続けるために言う。
2.勝ち負けや上下でしか、人間の価値を計れない
どうして自分がトップに君臨し続けなければいけないのか。
それは、
人間関係を勝ち負けや上下でしか考えられないから。
人間の価値を結果でしか計れないから。
お金という結果を出している限り、
自分が家族の中での勝者でいられる。
勝者である自分には価値がある、
そう思うことで、自分の存在を肯定している。
3.砂の楼閣が崩れるのが怖い
勝者でいたい、トップに君臨していたい父親が
いちばん恐れていることは何か。
それは負けること。
自分がいちばん稼いでいる人じゃなくなること。
もしそうなったら、意見を堂々と言われる。
「貴方に頼らなくても食べていける」
バカにされるかも知れない。
「これしか稼げないの?」
おそらく彼らは、女性が賢くなること、
女性が自分以上に稼ぐようになること、
また女性から堂々と意見されることを怖れているのでしょう。
対人関係全般を「縦の関係」で見ているし、
女性から低く見られることを怖れている。
つまり、強烈な劣等感を隠し持っているのです。
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』 より
結果を出すことで保っていた、
自分の存在への価値を見出せなくなる。
お金で縛り上げた砂の楼閣が崩れることが、何よりも怖い。
4.本当は無力な自分を認めたくない
負けたら、稼ぎがトップでなくなったら、
無力な自分を直視しないといけない。
無力な自分を認めたくない、
結果を出せる、優れてると思いたい。
劣等感に飲み込まれそうになったとき、
必死で隠すため悲鳴をあげる。
「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ!」
俺はお前らを食わせられるくらい稼いでいる。
こんな結果を出せる俺は劣ってなんかいないんだ、
家族でいちばん優れてるんだ。
優れてると思い込ませてくれ!
そうしないと崩れてしまいそうなんだ!
5.父も実は、劣等感を隠してたのかも知れない
僕の父は「誰のおかげで〜」と
露骨に言ったことは、たぶん、ない。
だけど、金銭を利用したと思われる言動はある。
→「父の「学費返せ」発言の真相は。」
→「子どもの逃げ道を塞ぐ”生活保護封じ”。」
あの時は、胸がえぐられるほどの
悲しみ、怒り、失望に襲われた。
けど、本当は父も必死で
劣等感から目を逸らそうとしてたのかな。
2020年05月27日
帝王切開で生まれたことに、罪悪感を持たずに済んだ。
僕の母は、表情も感情も、愚痴さえもしまい込み、
あまり自分を発信しない人。
会話もスキンシップもない母との距離感がわからず、
僕は寂しい思いをしてきた。
だけど、愚痴も言わない静かな人だったことで、
救われたことが1つある。
それは、
僕が帝王切開で生まれたことに対して
罪悪感を持たずに済んでいること。
お腹を痛めたことを責められず、守られた事実。
帝王切開で生まれた僕の心境をシェアしたい。
ー目次ー
僕は誕生予定月の3ヵ月前に逆子になり、
予定月に前期破水、帝王切開で生まれた。
予定日より2日早かった。
それを知ったのは、いつだっただろう。
小学生あたりで一度、
自分が生まれた時のことを尋ねたのかな。
その時、母は起きたことだけを淡々と説明した。
「こうでこうで、大変だったよ」
あなたのせいで、お腹に傷がついた、
などと責める言葉は一言もなかった。
もし僕が、母からこんなふうに責められていたら。
僕はきっと、生まれたことを今よりも後悔していただろう。
母にそんな大変な思いと、傷跡を残させてまで
どうして僕は生まれてしまったんだろう。
僕が生まれなければ、母を傷つけなくて済んだのに、と。
「自分は生まれなければよかったのでは?」
今も消せずにいるこの気持ち。
少なくとも、帝王切開で生まれたことから
引きずってるものじゃなかった。
僕の自閉症スペクトラム障害が発覚した後、
自分の出生との関連を調べたことがある。
帝王切開での出産は、自閉症スペクトラム、ADHDなどの
リスク上昇に関連することを知った。(原因ではなく”関連”)
※資料→帝王切開と発達障害との関連
これを知った時は、悲しかった。
けど、
僕は帝王切開で生まれたことを
母から責められなかったおかげで、
ひねくれた逆恨みをせずに済んだ。
誰も悪くないことを「お前のせいで」などと
責める気持ちを持たずに済んだ。
何も言わない母だから、僕は寂しかった。
何も言わない母だから、
僕は帝王切開で生まれたことに罪悪感を持たずに済んだ。
もらえなかったのは
コミュニケーションと、スキンシップ。
もらえたのは、
自分を生むために帝王切開させた罪悪感からの保護。
母に対する複雑な思いは、
そんなものがぐちゃぐちゃに入り混じっている。
あまり自分を発信しない人。
会話もスキンシップもない母との距離感がわからず、
僕は寂しい思いをしてきた。
だけど、愚痴も言わない静かな人だったことで、
救われたことが1つある。
それは、
僕が帝王切開で生まれたことに対して
罪悪感を持たずに済んでいること。
お腹を痛めたことを責められず、守られた事実。
帝王切開で生まれた僕の心境をシェアしたい。
ー目次ー
- 逆子、前期破水、帝王切開
- お腹の傷と罪悪感
- 帝王切開と発達障害
- もらえなかったもの、守られたもの
1.逆子、前期破水、帝王切開
僕は誕生予定月の3ヵ月前に逆子になり、
予定月に前期破水、帝王切開で生まれた。
予定日より2日早かった。
それを知ったのは、いつだっただろう。
小学生あたりで一度、
自分が生まれた時のことを尋ねたのかな。
その時、母は起きたことだけを淡々と説明した。
「こうでこうで、大変だったよ」
あなたのせいで、お腹に傷がついた、
などと責める言葉は一言もなかった。
2.お腹の傷と罪悪感
ある女性はよく母親から
「おまえを育てるために私はすべてをあきらめたんだ」とか
「おまえを生んだ時に帝王切開したために、腹に手術の跡がついた」
と言われていました。
そのため彼女は、
「自分が存在することが母親を苦しめた」という、
後ろめたい意識を植えつけられたのです。
『不幸にする親』第二章 より
もし僕が、母からこんなふうに責められていたら。
僕はきっと、生まれたことを今よりも後悔していただろう。
母にそんな大変な思いと、傷跡を残させてまで
どうして僕は生まれてしまったんだろう。
僕が生まれなければ、母を傷つけなくて済んだのに、と。
「自分は生まれなければよかったのでは?」
今も消せずにいるこの気持ち。
少なくとも、帝王切開で生まれたことから
引きずってるものじゃなかった。
3.帝王切開と発達障害
僕の自閉症スペクトラム障害が発覚した後、
自分の出生との関連を調べたことがある。
帝王切開での出産は、自閉症スペクトラム、ADHDなどの
リスク上昇に関連することを知った。(原因ではなく”関連”)
※資料→帝王切開と発達障害との関連
これを知った時は、悲しかった。
けど、
僕は帝王切開で生まれたことを
母から責められなかったおかげで、
ひねくれた逆恨みをせずに済んだ。
誰も悪くないことを「お前のせいで」などと
責める気持ちを持たずに済んだ。
4.もらえなかったもの、守られたもの
何も言わない母だから、僕は寂しかった。
何も言わない母だから、
僕は帝王切開で生まれたことに罪悪感を持たずに済んだ。
もらえなかったのは
コミュニケーションと、スキンシップ。
もらえたのは、
自分を生むために帝王切開させた罪悪感からの保護。
母に対する複雑な思いは、
そんなものがぐちゃぐちゃに入り混じっている。
2020年05月26日
ガードレールを折って隠した5歳児 〜叱られてでも、かまってほしい〜。
僕が5歳くらいの頃。
「かまってほしい、自分のことを見てほしい」と
はっきり自覚して取った行動がある。
それは、
叱られるのを期待して、
おもちゃをわざと壊し、隠したこと。
あの頃から僕は、
寂しい、かまってほしいと自覚してたんだ。
叱られてでも「親にとって特別な存在」でありたい、
それは5歳児でもはっきり自覚してたんだ。
そんな、子どもの問題行動の話。
ー目次ー
当時の僕はミニカー遊びが好きだった。
祖父母の家に帰省すると、
薪ストーブ用の木材の切れ端に車線を書き、
ミニカーの道路を作っていた。
そんな僕に、祖父母が誕生日プレゼントに
「スロットカーサーキット」を買ってくれた。
ミニ四駆とは少し違う。
ミニカーを溝のついたコースにセットし
電気で走らせるというもの。
※【Wikipedia】スロットカー
コース組み立てキットの中に、
オレンジ色のガードレールが入っていた。
順調にコース同士をつなぎ合わせ、ガードレールを取り付ける。
完成も間近となった時、僕は急に寂しくなった。
「コースを完成できるんだよ、僕を見てよ…」
僕はわざとガードレールの1本を真っ二つに折り、
ソファー脇の暗がりへ隠してしまった。
最終コーナーのガードレールだけが未設置のまま、
コースは完成した。
夜になると、叔父叔母の家族が集まり、賑やかになる。
組みあがったスロットカーサーキットを見て、
訪れる大人たちは口々にこう言った。
「すごいな、これ航(旧名)が作ったのか」
そう言ってくれた後、大人たちは語らいの場へ戻っていった。
その言葉は嬉しかった。
だけど、僕が本当に求めていたのは、
ガードレールが足りないとバレることだった。
そして、バレたい中に2つの怖さと、1つの期待を抱いていた。
ガードレールを折って隠したことがバレる怖さ
ガードレールを折って隠したと叱られる怖さ
ガードレールを折って隠したと叱られることで
自分を見てもらえる期待
思いは交錯したまま、
語らう大人たちをうらめしそうに眺めていた。
数日後、
ガードレールが足りないこと、
ソファーの陰に隠されていたことが見つかった。
誰が折って隠したんだと、軽く話題になるも、
犯人を特定しようという話にならずに終わった。
僕は叱られたい願望があったのに、
怖くて名乗り出られなかった。
大人たちはたぶん、僕のしわざと知っていた。
知った上で、追及しないことを選び、飲み込んだ。
僕はせっかく見つかったのに、叱られるチャンスを逃した。
ものを壊した罪悪感と、後味の悪さが残った。
「僕はいったい何をやってるんだ、何がしたかったんだ。」
自分の愚行と、大人たちの配慮への感謝、
そんな複雑な気持ちが入り混じった。
よいことをしたら、褒めてもらえる。
でも、よいことをするのは難しい。
だから、「ものを壊して隠す」という悪いことをしてやろう。
そしたらたぶん叱られる。怖い。怖いけど、
叱られている間は、僕のことを見てもらえる。
5歳の僕がここまではっきり自覚した上で、
ガードレールを折ったことに、我が事ながら驚いている。
自分は見られていない、だから見てほしい。
幼少期に抱いたこの思いがエスカレートし、
リストカットやオーバードーズにつながったのかも知れない。
→「リストカットは心の悲鳴 〜”寂しい。お願い、気づいて”〜。」
→「OD(オーバードーズ)した時の気持ち 〜人生最期の、親への復讐〜。」
そんな、子どもの問題行動の話。
「かまってほしい、自分のことを見てほしい」と
はっきり自覚して取った行動がある。
それは、
叱られるのを期待して、
おもちゃをわざと壊し、隠したこと。
あの頃から僕は、
寂しい、かまってほしいと自覚してたんだ。
叱られてでも「親にとって特別な存在」でありたい、
それは5歳児でもはっきり自覚してたんだ。
そんな、子どもの問題行動の話。
ー目次ー
- わざとガードレールを折って隠す
- 叱られる怖さと、叱られたい期待
- 叱らず飲み込んだ大人、名乗り出られなかった自分
- 叱られてでも、かまってほしい
1.わざとガードレールを折って隠す
当時の僕はミニカー遊びが好きだった。
祖父母の家に帰省すると、
薪ストーブ用の木材の切れ端に車線を書き、
ミニカーの道路を作っていた。
そんな僕に、祖父母が誕生日プレゼントに
「スロットカーサーキット」を買ってくれた。
ミニ四駆とは少し違う。
ミニカーを溝のついたコースにセットし
電気で走らせるというもの。
※【Wikipedia】スロットカー
コース組み立てキットの中に、
オレンジ色のガードレールが入っていた。
順調にコース同士をつなぎ合わせ、ガードレールを取り付ける。
完成も間近となった時、僕は急に寂しくなった。
「コースを完成できるんだよ、僕を見てよ…」
僕はわざとガードレールの1本を真っ二つに折り、
ソファー脇の暗がりへ隠してしまった。
最終コーナーのガードレールだけが未設置のまま、
コースは完成した。
2.叱られる怖さと、叱られたい期待
夜になると、叔父叔母の家族が集まり、賑やかになる。
組みあがったスロットカーサーキットを見て、
訪れる大人たちは口々にこう言った。
「すごいな、これ航(旧名)が作ったのか」
そう言ってくれた後、大人たちは語らいの場へ戻っていった。
その言葉は嬉しかった。
だけど、僕が本当に求めていたのは、
ガードレールが足りないとバレることだった。
そして、バレたい中に2つの怖さと、1つの期待を抱いていた。
ガードレールを折って隠したことがバレる怖さ
ガードレールを折って隠したと叱られる怖さ
ガードレールを折って隠したと叱られることで
自分を見てもらえる期待
思いは交錯したまま、
語らう大人たちをうらめしそうに眺めていた。
3.叱らず飲み込んだ大人、名乗り出られなかった自分
数日後、
ガードレールが足りないこと、
ソファーの陰に隠されていたことが見つかった。
誰が折って隠したんだと、軽く話題になるも、
犯人を特定しようという話にならずに終わった。
僕は叱られたい願望があったのに、
怖くて名乗り出られなかった。
大人たちはたぶん、僕のしわざと知っていた。
知った上で、追及しないことを選び、飲み込んだ。
僕はせっかく見つかったのに、叱られるチャンスを逃した。
ものを壊した罪悪感と、後味の悪さが残った。
「僕はいったい何をやってるんだ、何がしたかったんだ。」
自分の愚行と、大人たちの配慮への感謝、
そんな複雑な気持ちが入り混じった。
4.叱られてでも、かまってほしい
”「特別な存在」でありたい人が進む、ふたつの道”
<哲人>
子どもが問題行動に走ったとき、
親や周りの大人たちは叱ります。
叱られることは、子どもにとって
ストレス以外の何物でもありません。
しかし、たとえ叱られるという形であっても、
子どもは親からの注目を得たい。
どんなかたちでもいいから「特別な存在」でありたい。
どれだけ叱っても子どもが問題行動をやめないのは、
ある意味当然のことなのです。
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』 より
よいことをしたら、褒めてもらえる。
でも、よいことをするのは難しい。
だから、「ものを壊して隠す」という悪いことをしてやろう。
そしたらたぶん叱られる。怖い。怖いけど、
叱られている間は、僕のことを見てもらえる。
5歳の僕がここまではっきり自覚した上で、
ガードレールを折ったことに、我が事ながら驚いている。
自分は見られていない、だから見てほしい。
幼少期に抱いたこの思いがエスカレートし、
リストカットやオーバードーズにつながったのかも知れない。
→「リストカットは心の悲鳴 〜”寂しい。お願い、気づいて”〜。」
→「OD(オーバードーズ)した時の気持ち 〜人生最期の、親への復讐〜。」
そんな、子どもの問題行動の話。
2020年05月25日
”他人は仲間”と思えて取った行動は、優しい人たちが応援してくれる。 〜アドラー心理学”敵と仲間”〜。
他人のことを敵とみなしていれば、
他人に傷つけられないための行動を取る。
他人のことを仲間と思えていれば、
何を言われようと、自分が取りたい行動を取れる。
他人のことを仲間と思えて取った行動は、
優しい人たちが応援してくれる。
それを実感できた、
ある日のストリートバスケコートでの、ゴミ拾いの話。
ー目次ー
ストリートバスケコートを探していた頃。
ゴミをたくさん残して帰った集団に気づいた僕は、
バスケができる場所を守りたくてゴミ拾いをした。
すると、残っていた中で、3人が手伝ってくれた。
→「ゴミ拾いを手伝ってくれたストリートボーラーたち 〜バスケができる場所を守りたい〜。」
世界は優しい人であふれていることが嬉しかった。
後日、僕は再びそのコートを訪れた。
あの時、手伝ってくれた3人はその日も来ていた。
時間を忘れ、バスケに夢中になった。
夕方になり、帰宅するプレーヤーが増えた頃。
「お前ら、ゴミは持ち帰れよ!」
そう声を掛け合って帰るプレーヤーたちの姿があった。
世界は優しい人であふれていることが嬉しかった。
バスケに夢中になっていて気づかなかったけど、
コートの周りにはまたけっこうな量のゴミが落ちていた。
僕は休憩の合間に、またゴミ拾いを始めた。
すると、
その時に残っていた10名あまりのプレーヤーたちが、
ゴミ拾いを全員で手伝ってくれた。
みんなが集めてくれたゴミで、
持参した2枚のゴミ袋はたちまちいっぱいになった。
せっかく集めてくれたのに、ゴミ袋が足りない。
どうしよう、もっと持ってくればよかったな…。
すると、何名かが
「レジ袋でよければ、持ってますよ!」
そう言って、袋を提供してくれた。
周辺の目立つゴミをほとんど拾うことができた。
最終的に5袋分のゴミが集まった。
僕は持ち切れる分だけをバッグに詰め、
残りは手で持って帰ろうとした。
すると
「自分の家、ここから近いんで持って帰ります!」
そう言って、集めたゴミを分担して持ち帰ってくれた。
世界は優しい人であふれていることが嬉しかった。
ほんの数年前までの僕は、
周りは自分のことを拒絶し、否定し、
悪口を言ってくる敵でいっぱいだと思っていた。
自分には能力がなく、負けているから悪口を言われるんだ。
そうして無意識に他者を競争相手と捉えいた。
そんな劣等感に飲み込まれていた頃の僕だったら、
一部のプレーヤーに言われる悪口に怯え、
きっとゴミ拾いなんかしなかった。
だけど、世界は勝ち負けじゃなかった。
他人と比べるから劣等感が生まれ、
それが他人との競争を生み、負ける自分が生まれる。
だから、他人と比べる競争のステージから降りれば、
周りは敵でも競争相手でもなく、仲間なんだ。
そんな思いで行動したからこそ、
賛同してくれる仲間がたくさんできたのかも知れない。
他人に傷つけられないための行動を取る。
他人のことを仲間と思えていれば、
何を言われようと、自分が取りたい行動を取れる。
他人のことを仲間と思えて取った行動は、
優しい人たちが応援してくれる。
それを実感できた、
ある日のストリートバスケコートでの、ゴミ拾いの話。
ー目次ー
- ゴミを持ち帰るカルチャーができていた
- 残った10名全員が、ゴミ拾いを手伝ってくれた
- 他人を仲間と思えれば、賛同してくれる人がいる
1.ゴミを持ち帰るカルチャーができていた
ストリートバスケコートを探していた頃。
ゴミをたくさん残して帰った集団に気づいた僕は、
バスケができる場所を守りたくてゴミ拾いをした。
すると、残っていた中で、3人が手伝ってくれた。
→「ゴミ拾いを手伝ってくれたストリートボーラーたち 〜バスケができる場所を守りたい〜。」
世界は優しい人であふれていることが嬉しかった。
後日、僕は再びそのコートを訪れた。
あの時、手伝ってくれた3人はその日も来ていた。
時間を忘れ、バスケに夢中になった。
夕方になり、帰宅するプレーヤーが増えた頃。
「お前ら、ゴミは持ち帰れよ!」
そう声を掛け合って帰るプレーヤーたちの姿があった。
世界は優しい人であふれていることが嬉しかった。
2.残った10名全員が、ゴミ拾いを手伝ってくれた
バスケに夢中になっていて気づかなかったけど、
コートの周りにはまたけっこうな量のゴミが落ちていた。
僕は休憩の合間に、またゴミ拾いを始めた。
すると、
その時に残っていた10名あまりのプレーヤーたちが、
ゴミ拾いを全員で手伝ってくれた。
みんなが集めてくれたゴミで、
持参した2枚のゴミ袋はたちまちいっぱいになった。
せっかく集めてくれたのに、ゴミ袋が足りない。
どうしよう、もっと持ってくればよかったな…。
すると、何名かが
「レジ袋でよければ、持ってますよ!」
そう言って、袋を提供してくれた。
周辺の目立つゴミをほとんど拾うことができた。
最終的に5袋分のゴミが集まった。
僕は持ち切れる分だけをバッグに詰め、
残りは手で持って帰ろうとした。
すると
「自分の家、ここから近いんで持って帰ります!」
そう言って、集めたゴミを分担して持ち帰ってくれた。
世界は優しい人であふれていることが嬉しかった。
3.他人を仲間と思えれば、賛同してくれる人がいる
”敵と仲間について”
<哲人>
「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば、
世界の見え方はまったく違ったものになります。
世界を危険な場所だと思うこともなく、
不要な猜疑心に駆られることもなく、
世界は安全で快適な場所に映ります。
対人関係の悩みだって激減するでしょう。
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』 より
ほんの数年前までの僕は、
周りは自分のことを拒絶し、否定し、
悪口を言ってくる敵でいっぱいだと思っていた。
自分には能力がなく、負けているから悪口を言われるんだ。
そうして無意識に他者を競争相手と捉えいた。
そんな劣等感に飲み込まれていた頃の僕だったら、
一部のプレーヤーに言われる悪口に怯え、
きっとゴミ拾いなんかしなかった。
だけど、世界は勝ち負けじゃなかった。
他人と比べるから劣等感が生まれ、
それが他人との競争を生み、負ける自分が生まれる。
だから、他人と比べる競争のステージから降りれば、
周りは敵でも競争相手でもなく、仲間なんだ。
そんな思いで行動したからこそ、
賛同してくれる仲間がたくさんできたのかも知れない。
2020年05月24日
斬新だから笑われる、嘲笑の先に革新がある 〜大分”フェイスシールド飲み会”〜。
人が集まって楽しむことが制限される昨今。
大分市で、”フェイスシールド飲み会”の試みが
行われたというニュースを知った。
→“新しい生活様式”での飲み会とは? 大分
このニュースに対し、残念ながら
大分市で、”フェイスシールド飲み会”の試みが
行われたというニュースを知った。
→“新しい生活様式”での飲み会とは? 大分
このニュースに対し、残念ながら
- 身体を張って笑いを取ってくれてありがとう
- ギャグのようだ
- 「飲み会革新」のアイデアを考えてみた
- 批判と嘲笑の先にある、革新と進化
- 地球は太陽の周りを回ってるんじゃないか
- マラリアや黄熱病の媒介者は蚊じゃないか
- 人間は分子という粒の集まりなんじゃないか
といった、辛辣な意見も見られた。
僕も最初は奇異に見てしまったけど、
笑おうとは思わなかった。
制限がある中でベストを尽くして楽しもうと
工夫する姿勢は素晴らしい。
僕は新しい試みを笑うのではなく、
笑われる先にどんな進化が待ってるかを考えたいと思った。
ー目次ー
1.「飲み会革新」のアイデアを考えてみた
確かに今は簡易的なフェイスシールド。
だけど、もしかしたら
飲み会用の便利マスクや、画期的な大部屋が登場し
もっと便利に進化していくかも知れない。
例えば。
1.ジョッキ型に開閉可能な形状記憶フェイスシールド
口に直接ジョッキを運び、思い切り飲むという動作が、
飲み会の楽しさの1つだとしたら。
ジョッキをフェイスシールドの下を通して口に運ぶ、
この動作を何とか無くせないだろうか。
もし、ジョッキの形に合わせて自由に形を変え、
開閉できるフェイスシールドが開発されたら。
今までの”飲み会での楽しみな動作”を保ったまま、
感染症を対策できるかも知れない。
2.実質は個室のバーチャル大部屋
スーパーのレジや、役所の窓口などに
透明な仕切りが導入されてる。
これを飲み会の席にも使えないかなと思った。
そこで、
見た目は大部屋だけど、
実は各席が透明なパーティションで仕切られた
「実質は個室のバーチャル大部屋」なんてどうだろう。
みんなで集まってる感覚が味わえて、
なおかつ距離を取れ、仕切りも保てるんじゃないか。
あとは、これなら仕切り越しに乾杯の動作
(グラスをぶつける動作?)もできるかも知れない。
2.批判と嘲笑の先にある、革新と進化
フェイスシールド飲み会への辛辣な意見を目にした時、
僕はこの言葉を思い出した。
「批評家になるな。いつも、批判される側にいろ。」
脳神経外科医 上山 博康
『「プロフェッショナル 仕事の流儀」決定版 人生と仕事を変えた57の言葉』第1章 より
理解できないものは批判される。
新しいことに挑戦したら、多くの人に笑われる。
そんな歴史的な大発見だって、
最初は嘲笑され、受け入れられなかった。
だけど、そうやって批判された人たちが、
科学の発展や救命の道を作ってきた。
だから、今回の大分市の試みも、
「飲み会の革新」「飲食店の革新」につながる大きな一歩だと思う。
僕は笑われる人を応援したい。
そして、笑われる側でいたい。
笑われるのは、斬新なことを生み出している証拠だから。