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2020年05月23日
自慢は苦肉の策 〜埋められない劣等感、葛藤の心理プロセスは5つ〜。
自慢するのは、劣等感の裏返し。
自慢という形でアピールしないといけないほど、
「こんな自分」を誰も認めてくれないと恐れている。
自慢話を聞くのが好きな人じゃない限り、
聞いて良い気持ちになるのは難しい。
だけど、あるとき気づいた。
その人が自慢話に至るまでには、
5つもの大変なプロセスを踏んでるんじゃないかと。
1.自分には能力がない
2.能力がないから成功できない
3.でも能力を上げようと変わる勇気もない
4.現状のままで手っ取り早く優位性を示したい
5.自慢に至る
彼らにとって、自慢は葛藤の末に出した、苦肉の策かも知れない。
ー目次ー
勉強の成績や、スポーツのレギュラー争いなど、
日々いろんな競争に勝てなかったと感じて劣等感を持つ。
だけど、始まりは親に認められず、否定され続けたこと。
「自分には能力がないんだ」という意識を植え付けられたこと。
それは時に、「お願い、自分を認めて」という
悲痛な叫びとなって表れる。
→「リストカットと自慢話は、同じ悲鳴をあげている 〜お願い、私を見て、褒めて〜。」
刷り込まれた「自分には能力がない」という意識。
その上で、何らかの不満がある現在の生活。
希望した学校に入れない、やりたい仕事をやれてない、
思い描く家族関係を築けてない。
不満だらけの現状に甘んじているのは、
自分に能力がないからだ。
能力があれば、本当はもっとやれるはずなんだ。
そう思っていたい。
不満があれど、我慢している現状を変えるには
どうすればいいか。
能力を上げ、成長しようと動き出す必要がある。
でも、そこまでして自分を変える勇気が持てない。
動き出したところで変わる保証はないし、
変わることで発生する予想外の出来事が不安。
だったら、予想もつかない不安だらけの人生より、
予想の範囲内の現状に留まる方が楽だ。
能力を上げ、成長するよりも、現状の方が楽。
とはいえ、このままでは
「自分には能力がない」という劣等感を埋められない。
ずっと劣等感を抱えたままでは苦しい。
なんとか現状を変えないまま、手っ取り早く
自分は優れてるとアピールする方法はないものか。
「自分はこんな大変な仕事をしている」
「最新のすごい機能が付いた新車を買った」
「自分は有名人の●●と知り合い」
そうだ、自慢すればいいんだ。
”こんなに大変な仕事をしてる”自分はすごい
”こんな新車を買える”自分はすごい
”有名人と知り合い”の自分はすごい
自慢すれば、すごいものと結びつければ、
あたかも自分がすごいように見せかけられるじゃないか。
こうして、「自分はすごいはず」という悲鳴が
世の中に発信されていく。
聞いていて、あまり良い気持ちはしない、他人の自慢話。
だけど、自慢話をする本人は
これだけの心理的なプロセスを経ていた。
そう考えると、自慢は
劣等感を埋められない葛藤の末に選択した苦肉の策
でもあるんじゃないだろうか。
もし、自慢話をよくする人に悩んでいるなら。
自慢に至るまでの、5つの葛藤を想像してみると、
心が楽になるかも知れない。
自慢という形でアピールしないといけないほど、
「こんな自分」を誰も認めてくれないと恐れている。
自慢話を聞くのが好きな人じゃない限り、
聞いて良い気持ちになるのは難しい。
だけど、あるとき気づいた。
その人が自慢話に至るまでには、
5つもの大変なプロセスを踏んでるんじゃないかと。
1.自分には能力がない
2.能力がないから成功できない
3.でも能力を上げようと変わる勇気もない
4.現状のままで手っ取り早く優位性を示したい
5.自慢に至る
彼らにとって、自慢は葛藤の末に出した、苦肉の策かも知れない。
ー目次ー
- 自分には能力がない
- 能力がないから成功できない
- でも能力を上げようと変わる勇気もない
- 現状のままで手っ取り早く優位性を示したい
- 自慢に至る
- 自慢は苦肉の策
1.自分には能力がない
勉強の成績や、スポーツのレギュラー争いなど、
日々いろんな競争に勝てなかったと感じて劣等感を持つ。
だけど、始まりは親に認められず、否定され続けたこと。
「自分には能力がないんだ」という意識を植え付けられたこと。
それは時に、「お願い、自分を認めて」という
悲痛な叫びとなって表れる。
→「リストカットと自慢話は、同じ悲鳴をあげている 〜お願い、私を見て、褒めて〜。」
2.能力がないから成功できない
刷り込まれた「自分には能力がない」という意識。
その上で、何らかの不満がある現在の生活。
希望した学校に入れない、やりたい仕事をやれてない、
思い描く家族関係を築けてない。
不満だらけの現状に甘んじているのは、
自分に能力がないからだ。
能力があれば、本当はもっとやれるはずなんだ。
そう思っていたい。
3.でも能力を上げようと変わる勇気もない
不満があれど、我慢している現状を変えるには
どうすればいいか。
能力を上げ、成長しようと動き出す必要がある。
でも、そこまでして自分を変える勇気が持てない。
動き出したところで変わる保証はないし、
変わることで発生する予想外の出来事が不安。
だったら、予想もつかない不安だらけの人生より、
予想の範囲内の現状に留まる方が楽だ。
4.現状のままで手っ取り早く優位性を示したい
能力を上げ、成長するよりも、現状の方が楽。
とはいえ、このままでは
「自分には能力がない」という劣等感を埋められない。
ずっと劣等感を抱えたままでは苦しい。
なんとか現状を変えないまま、手っ取り早く
自分は優れてるとアピールする方法はないものか。
5.自慢に至る
「自分はこんな大変な仕事をしている」
「最新のすごい機能が付いた新車を買った」
「自分は有名人の●●と知り合い」
そうだ、自慢すればいいんだ。
”こんなに大変な仕事をしてる”自分はすごい
”こんな新車を買える”自分はすごい
”有名人と知り合い”の自分はすごい
自慢すれば、すごいものと結びつければ、
あたかも自分がすごいように見せかけられるじゃないか。
こうして、「自分はすごいはず」という悲鳴が
世の中に発信されていく。
6.自慢は苦肉の策
”自慢する人は、劣等感を感じている”
<哲人>
強い劣等感に苦しみながらも、努力や成長といった
健全な手段によって補償する勇気がない。
かといって、「AだからBできない」という
劣等コンプレックスでも我慢できない。
「できない自分」を受け入れられない。
そうなると人は、
もっと安直な手段によって補償しよう、と考えます。
あたかも自分が優れているかのように振る舞い、
偽りの優越感に浸るのです。
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』 より
聞いていて、あまり良い気持ちはしない、他人の自慢話。
だけど、自慢話をする本人は
これだけの心理的なプロセスを経ていた。
そう考えると、自慢は
劣等感を埋められない葛藤の末に選択した苦肉の策
でもあるんじゃないだろうか。
もし、自慢話をよくする人に悩んでいるなら。
自慢に至るまでの、5つの葛藤を想像してみると、
心が楽になるかも知れない。
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2020年05月22日
【発達障害】普通になりたかった自分が、独特でいたいと思えるようになったきっかけ。
僕は幼少時から、周りと同じことをするのに苦戦し、
たびたびいじめに遭っていた。
「みんなと同じになりたい、普通になりたい」
その思いは、自閉症スペクトラムの診断を受けてから
いっそう強まった。
みんなと同じことができれば
自分を受け入れてくれる場所があるんじゃないか、と。
でも、ある日ふと気づいた。
「普通になれないから、うまくいかなくても仕方ない」と
逃げ道を作る自分がいた。
僕はうまく生きられない自分を正当化するために、
「普通になれない自分」を必要としていた。
ー目次ー
国旗を自作したり、円周率を暗記したり、
みんなと違うことばかりに興味を持つから
受け入れてもらえないんだろうか。
みんなと同じじゃないから、いじめられるんだろうか。
だったら、普通になれさえすれば、
自分だってうまく生きられるはずだ。
普通にさえなれれば、自分はやれるんだ。
そうやって、自分の可能性に賭けていられるうちは、
一種の安心感を得られていた。
だけど、もし普通になれた上でも、
いじめられたら。うまく生きられなかったら。
「お前はどのみちうまく生きられない」
と証明されてしまう。
それだけは何としてでも避けたい。
可能性を閉ざされ、傷つき、落胆したくない。
どうしよう。
そうだ。
「普通になれない自分」を逃げ道に使えばいいんだ。
いじめられた時、うまくいかない時、
「普通になれないから仕方ないよね」と、
自分を正当化していられる。
「普通になれない自分」は、そのために必要なんだ。
このことに気づいてから、
僕はみんなと同じになりたいと思わなくなった。
みんなと同じを求められる場所から離れ、
自分の個性を生かせる場所に身を置いた。
環境を変えたことで、オリジナリティの捉え方も変わり、
「もっと自分らしく独特でいよう」と思えるようになった。
うまく生きられないのは、普通になれないことが原因。
そうじゃない。
うまく生きられない自分を正当化する目的のために、
「普通になれない自分」を必要としていた。
この、アドラー心理学「目的論」は、
自分の個性への考え方を大きく変えてくれた。
発達障害につきまとう、「普通」という大きな壁。
だけど、普通を目指すよりも
個性を輝かせる方がずっと大切だと、教えてくれた。
素晴らしい本との出逢いに、感謝。
たびたびいじめに遭っていた。
「みんなと同じになりたい、普通になりたい」
その思いは、自閉症スペクトラムの診断を受けてから
いっそう強まった。
みんなと同じことができれば
自分を受け入れてくれる場所があるんじゃないか、と。
でも、ある日ふと気づいた。
「普通になれないから、うまくいかなくても仕方ない」と
逃げ道を作る自分がいた。
僕はうまく生きられない自分を正当化するために、
「普通になれない自分」を必要としていた。
ー目次ー
- 可能性に賭けて安心したい自分
- うまくいかない自分を正当化したい自分
- 個性を肯定させてくれた、アドラー心理学「目的論」
1.可能性に賭けて安心したい自分
国旗を自作したり、円周率を暗記したり、
みんなと違うことばかりに興味を持つから
受け入れてもらえないんだろうか。
みんなと同じじゃないから、いじめられるんだろうか。
だったら、普通になれさえすれば、
自分だってうまく生きられるはずだ。
普通にさえなれれば、自分はやれるんだ。
そうやって、自分の可能性に賭けていられるうちは、
一種の安心感を得られていた。
2.うまくいかない自分を正当化したい自分
だけど、もし普通になれた上でも、
いじめられたら。うまく生きられなかったら。
「お前はどのみちうまく生きられない」
と証明されてしまう。
それだけは何としてでも避けたい。
可能性を閉ざされ、傷つき、落胆したくない。
どうしよう。
そうだ。
「普通になれない自分」を逃げ道に使えばいいんだ。
いじめられた時、うまくいかない時、
「普通になれないから仕方ないよね」と、
自分を正当化していられる。
「普通になれない自分」は、そのために必要なんだ。
”なぜ自分のことが嫌いなのか”
<哲人>
彼女にとって、いちばん怖ろしいこと、
いちばん避けたいことはなんだと思いますか?
もちろん、その彼に振られてしまうことです。
失恋によって、「わたし」の存在や可能性を
すべて否定されることです。
ところが、赤面症をもっているかぎり、彼女は
「わたしが彼とお付き合いできないのは、この赤面症があるからだ」
と考えることができます。
告白の勇気を振り絞らずに済むし、
たとえ振られようと自分を納得させることができる。
そして最終的には、
「もしも赤面症が治ったらわたしだって…」と、
可能性のなかに生きることができるのです。
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』 より
3.個性を肯定させてくれた、アドラー心理学「目的論」
このことに気づいてから、
僕はみんなと同じになりたいと思わなくなった。
みんなと同じを求められる場所から離れ、
自分の個性を生かせる場所に身を置いた。
環境を変えたことで、オリジナリティの捉え方も変わり、
「もっと自分らしく独特でいよう」と思えるようになった。
うまく生きられないのは、普通になれないことが原因。
そうじゃない。
うまく生きられない自分を正当化する目的のために、
「普通になれない自分」を必要としていた。
この、アドラー心理学「目的論」は、
自分の個性への考え方を大きく変えてくれた。
発達障害につきまとう、「普通」という大きな壁。
だけど、普通を目指すよりも
個性を輝かせる方がずっと大切だと、教えてくれた。
素晴らしい本との出逢いに、感謝。
2020年05月21日
【アダルトチルドレン】ステータスと世間体ばかり気にする親 〜「フリーターなのに恥ずかしい」発言の真相〜。
結婚する数年前、まだフリーターだった頃。
母方の実家へパートナーと2人で訪れようとしたとき、
親が言ってきた言葉。
「フリーターなのに2人で行かれたら
恥ずかしいから行かないでください」
あ、親はやっぱり僕を見てなんかいない。
僕の社会的ステータスと世間体しか見てないんだな。
世間体ばかり気にする親に抱いた本音と、
彼らがこの発言に至るまでの背景を考察してみる。
ー目次ー
母方実家の真狩村への道中。
僕らが里帰りすることを、どこで知ったんだろう。
まだ着信拒否していなかった妹から
「親からの伝言」というタイトルのメールが届いた。
フリーターの貴方がパートナーと一緒にいるところを
じいちゃんばあちゃんに知られたら恥ずかしい。
だから行かないでください。
貴方が来ると聞いて叔母も困惑しています。
このメールが見た瞬間、
僕は怒りを通り越し、深い失望を覚えた。
息子がじいちゃんばあちゃんに顔を見せに行くことを、
この人たちはどうして喜ばないんだろう。
それどころか「フリーターだから恥ずかしい」
そこ?
じゃあ何?
「大企業の正社員の孫」か「国家公務員の孫」
あたりだったら文句なかったの?
僕の親は、僕のステータスしか見れないような人間だったの?
世間体ばかり気にする残念な人間だったの?
父、母、どちらが主に言った意見かはわからない。
だけどこの発言によって、僕の親がどれだけ
子ども本人を見ていないかを露呈することになった。
親にとって、フリーターは恥ずかしい
→そのフリーターである息子が恥ずかしい
→そのフリーターの息子が
将来の結婚相手を連れて里帰りなんかされたら
自分が恥ずかしい
「おたくの息子さん、フリーターですって?」
世間様にそう言われるのが怖くてたまらない。
フリーターしか育てられなかった親と思われたくない。
私たちの息子は立派な職業に就いて、
しっかり稼ぐ人間でなければ認められない。
だって、フリーターの息子を認めたら、
私たちの子育ては間違いだという証明になってしまうから。
そんな憤慨と失望を抱えたまま、真狩村へ到着。
祖父母と叔父は変わりなく迎えてくれた。
叔父は事情をわかってたらしい。
それを承知で、親にこう言われたと伝えてみた。
すると、
「ウチはそんなこと気にしねぇからいつでも来い」
細かい事情などおかまいなしに、
ただ迎えてくれたことで、僕らは救われた。
この1か月後、僕は契約社員に転職した。
あれから数年。離婚を経験し、
すべてが終わった今だから考えられること。
それは、
僕の親が子どものステータスと
世間体しか見れない人間になったのは、
親の親にそう育てられたから。
そう。連鎖してるんだ。
彼らはただ、植え付けられた価値観に、
忠実に従ってるだけなんだ。
そしてこれまでの人生で、
植え付けられた価値観に抗うことが
怖くてできなかっただけなんだ。
思い出しても腹立たしく、残念な出来事。
でも、よかったことは、
親にそう言わせてるのは何なのかを
考えられるようになったこと。
子どもって作品?
子どもって成果物?
母方の実家へパートナーと2人で訪れようとしたとき、
親が言ってきた言葉。
「フリーターなのに2人で行かれたら
恥ずかしいから行かないでください」
あ、親はやっぱり僕を見てなんかいない。
僕の社会的ステータスと世間体しか見てないんだな。
世間体ばかり気にする親に抱いた本音と、
彼らがこの発言に至るまでの背景を考察してみる。
ー目次ー
- 親からの伝言「恥ずかしいから行かないで」
- ステータスと世間体しか見れない、残念な人間
- 世間様「おたくの息子さん、フリーターですって?」
- ウチはそんなこと気にしねぇから
- 植え付けられた価値観に、親は従ってるだけ
1.親からの伝言「恥ずかしいから行かないで」
母方実家の真狩村への道中。
僕らが里帰りすることを、どこで知ったんだろう。
まだ着信拒否していなかった妹から
「親からの伝言」というタイトルのメールが届いた。
フリーターの貴方がパートナーと一緒にいるところを
じいちゃんばあちゃんに知られたら恥ずかしい。
だから行かないでください。
貴方が来ると聞いて叔母も困惑しています。
2.ステータスと世間体しか見れない、残念な人間
このメールが見た瞬間、
僕は怒りを通り越し、深い失望を覚えた。
息子がじいちゃんばあちゃんに顔を見せに行くことを、
この人たちはどうして喜ばないんだろう。
それどころか「フリーターだから恥ずかしい」
そこ?
じゃあ何?
「大企業の正社員の孫」か「国家公務員の孫」
あたりだったら文句なかったの?
僕の親は、僕のステータスしか見れないような人間だったの?
世間体ばかり気にする残念な人間だったの?
3.世間様「おたくの息子さん、フリーターですって?」
父、母、どちらが主に言った意見かはわからない。
だけどこの発言によって、僕の親がどれだけ
子ども本人を見ていないかを露呈することになった。
親にとって、フリーターは恥ずかしい
→そのフリーターである息子が恥ずかしい
→そのフリーターの息子が
将来の結婚相手を連れて里帰りなんかされたら
自分が恥ずかしい
「おたくの息子さん、フリーターですって?」
世間様にそう言われるのが怖くてたまらない。
フリーターしか育てられなかった親と思われたくない。
私たちの息子は立派な職業に就いて、
しっかり稼ぐ人間でなければ認められない。
だって、フリーターの息子を認めたら、
私たちの子育ては間違いだという証明になってしまうから。
4.ウチはそんなこと気にしねぇから
そんな憤慨と失望を抱えたまま、真狩村へ到着。
祖父母と叔父は変わりなく迎えてくれた。
叔父は事情をわかってたらしい。
それを承知で、親にこう言われたと伝えてみた。
すると、
「ウチはそんなこと気にしねぇからいつでも来い」
細かい事情などおかまいなしに、
ただ迎えてくれたことで、僕らは救われた。
この1か月後、僕は契約社員に転職した。
5.植え付けられた価値観に、親は従ってるだけ
あれから数年。離婚を経験し、
すべてが終わった今だから考えられること。
それは、
僕の親が子どものステータスと
世間体しか見れない人間になったのは、
親の親にそう育てられたから。
そう。連鎖してるんだ。
彼らはただ、植え付けられた価値観に、
忠実に従ってるだけなんだ。
そしてこれまでの人生で、
植え付けられた価値観に抗うことが
怖くてできなかっただけなんだ。
思い出しても腹立たしく、残念な出来事。
でも、よかったことは、
親にそう言わせてるのは何なのかを
考えられるようになったこと。
子どもって作品?
子どもって成果物?
2020年05月20日
「メガネザルのトラウマ」を利用して達成したい目的 〜アドラー心理学”目的論”〜。
5歳からメガネをかけていた僕は、
幼稚園で「メガネザル」と呼ばれるのがいやだった。
以来、写真に写る時は慌ててメガネを外すようになった。
軽い部類のトラウマと呼ぶんだろう。
だけど、大人になった今でも
メガネをかけて写真に写るのをいやがるのはなぜだろう。
もしかして、
僕はトラウマを利用していないだろうか。
トラウマを利用して達成したい目的が隠れていないだろうか。
ー目次ー
メガネ写真をいやがるトラウマを何に利用しているのか、
次の2つを考えた。
ストレートに、傷つきたくないから。
メガネを外せば
メガネザルと言われて傷つくのを防げる。
メガネをかけた上でバカにされたら、
ダイレクトに傷つくのを防ぐために、こう言える。
「メガネをかけてるからバカにされても仕方ない」
そうやって、
バカにされた時の保険、緩衝材として利用している。
メガネなしで写真に写ることで、
ありのままの自分の顔を残せる。
自分の存在をアピールしていられる。
「ありのままの顔はこうなんだよ、関心を持ってよ」と。
なぜ自分に関心を向けてもらいたいのか。
それは、誰かに関心を持ってもらわないと
自分の存在を認めることができないから。
メガネなしの自分ですら、
アピールしないと関心をもらえない、愛されない。
存在自体への承認がぐらついている証。
トラウマを利用せず、メガネから自由になるために
僕が挑むことは2つ。
メガネをかけていようといまいと
自分は今ここにまちがいなく存在している。
注目してもらいたかったんだね、
関心をもらえてこなかったんだねと認める。
そうやって自己受容を繰り返し、
少しずつ自分の存在自体を認めていく。
もしメガネザルと言う人がいたとしても、
バカにするかどうかは相手が決めることで、
僕にはコントロールできない。
人をバカにするのは相手の内面の課題、
どう捉えるか決めるのは僕の課題。
だから人に左右されなくていいよと、
自分に声をかけていく。
トラウマがあるから嫌がるんじゃない
目的のためにトラウマを利用している
『嫌われる勇気』を読んで初めて気づかされた。
心の傷に苦しむ人にとっては辛辣な発想。
傷口に塩を塗られるような痛みを感じる。
僕も、初めのうちは心が痛かったし、
何がわかるんだと否定したくなった。
でも、自分が何かをしない時、何かをいやがる時、
「いやがることでメリットを享受してるのでは?」
と考えるようになった。
そのメリットを受けるために、トラウマを利用している。
それも1つの考え方だと、最近では納得できるようになった。
何か、勇気が出なくてできないことがある。
けど、本当は乗り越えたい。克服して自由になりたい。
そんな時の突破口として、頭の片隅に置いといていいと思う。
ーートラウマと向き合い、乗り越えるために、アドラー心理学を学ぼうーー
幼稚園で「メガネザル」と呼ばれるのがいやだった。
以来、写真に写る時は慌ててメガネを外すようになった。
軽い部類のトラウマと呼ぶんだろう。
だけど、大人になった今でも
メガネをかけて写真に写るのをいやがるのはなぜだろう。
もしかして、
僕はトラウマを利用していないだろうか。
トラウマを利用して達成したい目的が隠れていないだろうか。
ー目次ー
- 傷つきたくない、関心をもらいたい
- トラウマの利用から、自由になるために
- 『嫌われる勇気』、トラウマへの考え方
1.傷つきたくない、関心をもらいたい
メガネ写真をいやがるトラウマを何に利用しているのか、
次の2つを考えた。
1.心の傷への緩衝材
ストレートに、傷つきたくないから。
メガネを外せば
メガネザルと言われて傷つくのを防げる。
メガネをかけた上でバカにされたら、
ダイレクトに傷つくのを防ぐために、こう言える。
「メガネをかけてるからバカにされても仕方ない」
そうやって、
バカにされた時の保険、緩衝材として利用している。
2.自分へ関心を集めること
メガネなしで写真に写ることで、
ありのままの自分の顔を残せる。
自分の存在をアピールしていられる。
「ありのままの顔はこうなんだよ、関心を持ってよ」と。
なぜ自分に関心を向けてもらいたいのか。
それは、誰かに関心を持ってもらわないと
自分の存在を認めることができないから。
メガネなしの自分ですら、
アピールしないと関心をもらえない、愛されない。
存在自体への承認がぐらついている証。
2.トラウマの利用から、自由になるために
トラウマを利用せず、メガネから自由になるために
僕が挑むことは2つ。
1.メガネをかけた自分を受け入れる、自己受容
メガネをかけていようといまいと
自分は今ここにまちがいなく存在している。
注目してもらいたかったんだね、
関心をもらえてこなかったんだねと認める。
そうやって自己受容を繰り返し、
少しずつ自分の存在自体を認めていく。
2.メガネをかけて写真に写る勇気を持つ、課題の分離
もしメガネザルと言う人がいたとしても、
バカにするかどうかは相手が決めることで、
僕にはコントロールできない。
人をバカにするのは相手の内面の課題、
どう捉えるか決めるのは僕の課題。
だから人に左右されなくていいよと、
自分に声をかけていく。
3.『嫌われる勇気』、トラウマへの考え方
”トラウマは、存在しない”
われわれは自分の経験によるショック
ーいわゆるトラウマーに苦しむのではなく、
経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。
自分の経験によって決定されるのではなく、
経験に与える意味によって自らを決定するのである。
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』 より
トラウマがあるから嫌がるんじゃない
目的のためにトラウマを利用している
『嫌われる勇気』を読んで初めて気づかされた。
心の傷に苦しむ人にとっては辛辣な発想。
傷口に塩を塗られるような痛みを感じる。
僕も、初めのうちは心が痛かったし、
何がわかるんだと否定したくなった。
でも、自分が何かをしない時、何かをいやがる時、
「いやがることでメリットを享受してるのでは?」
と考えるようになった。
そのメリットを受けるために、トラウマを利用している。
それも1つの考え方だと、最近では納得できるようになった。
何か、勇気が出なくてできないことがある。
けど、本当は乗り越えたい。克服して自由になりたい。
そんな時の突破口として、頭の片隅に置いといていいと思う。
ーートラウマと向き合い、乗り越えるために、アドラー心理学を学ぼうーー
2020年05月19日
ワーカホリックの根底にある、自分への無価値感 〜週10時間睡眠・23時間労働だった父〜。
教育実習も未経験の僕が言うのは、おこがましいかも知れない。
それを承知の上で、
高校教諭の長男という立場から考えたいこと。
父はどうしてあんなにワーカホリックだったんだろう?
もしかしたら、
実は自分の無価値感に苦しむあまり、
それを埋めようとして仕事に没頭したんじゃないだろうか。
仕事で成果を出すという「行為のレベル」でしか、
自分の価値を認められなかったんじゃないだろうか。
ー目次ー
父がどれくらいワーカホリックだったかというと。
日中 :授業と部活
夜 :帰宅、晩酌など
深夜 :採点、授業の準備、数学の勉強
バスケのコーチング理論の勉強(〜朝7時)
朝7時半:起床、日中に戻る
睡眠時間、1日30分。
もちろん、365日ずっとじゃないけど、
週の半分は、明け方まで答案用紙に向かっていた。
父はすごい努力家で、熱心だった。
だから寝る間も惜しんで熱中したのかも知れない。
そして、外から見ていても教師の激務に背筋が震えた。
ずっと学校、こんなに持ち帰り仕事。
その分は無給、部活の顧問で土日も練習。
子どもながら、恐ろしかった。
ただ、それを差し引いても、ずっと疑問だった。
「睡眠時間を30分にまで削る?なぜそこまで?」
わけがわからず、病的とまで思っていた。
父は毎年、大学受験の結果を話す時は輝いていた。
「今年は俺のクラスから東大●人、医学部●人」
合格実績だけが目標じゃなさそうだったけど、
これは目に見える”仕事の成果”の1つ。
だけど”週10時間睡眠”にしてまで仕事を詰め込み、
成果を出そうとした理由は何?
それはきっと、
父は根本的に自分の無価値感に苦しんでいたから。
「寝る時間を削ってまで働いて、家族を養って、実績も出してる。
学校から認められてる自分には価値があるんだぞ!」
そうでもしないと、自分の無力感、無価値感に
押し潰されてしまいそうだったから。
どうして父は自分を無価値だと思うようになったのか。
睡眠時間すらも削り、仕事で埋めるほどに。
それは推測でしかないけど、
例えば、不本意に祖父の価値観を植え付けられた怒り。
→「祖父への怒りを叫ぶ父。」
例えば、祖父の描いたシナリオ通りの人生への後悔。
→「父の人生の正体は、”祖父が歩みたかった人生の再現ドラマ”。」
そして、例えば
長男から拒絶されていることへの悲しみ。
存在するだけでは認められなかった、
成果を出さなければ愛されなかった出自。
こじれるばかりで、うまくいかない親子関係。
心の隙間を埋めるため、ワーカホリックが加速。
そう考えたら、父の仕事漬けの生活に納得する自分がいた。
以前、どこかで聞いたことがある。
「夜更かしをするのは、その日に満足していないから」
父が明け方まで寝ずに仕事してたのは、
満たされない我慢の1日を埋めようと、もがいてたからかな。
それと、父の給料がいくらだったのか、僕は未だに知らない。
何度か母に聞くも「まぁ、そこそこ」と、ぼかされた。
かなりの数字なんだろう。
ただし、「23時間労働」という注釈を抜きにしたら。
きっと、父を立てることで生き延びてきた母が、
せめて父のプライドを守ろうとしたのかも知れない。
何が原因だったにせよ、
そんな犠牲の上に生き長らえてる僕は
いったいどう思えばいいんだろう。
つながれた命にどう向き合えばいいんだろう。
犠牲の上に生かされるのは、決して美談じゃない。
自分が生きてること自体への、激しい罪悪感もつきまとう。
いま僕にできるのは、この罪悪感を抱えたまま、
ワーカホリックだった父を理解すること。
それを承知の上で、
高校教諭の長男という立場から考えたいこと。
父はどうしてあんなにワーカホリックだったんだろう?
もしかしたら、
実は自分の無価値感に苦しむあまり、
それを埋めようとして仕事に没頭したんじゃないだろうか。
仕事で成果を出すという「行為のレベル」でしか、
自分の価値を認められなかったんじゃないだろうか。
ー目次ー
- 病的にも見えた、”1日30分睡眠”
- 父の根底にある、自分への無価値感
- 条件つきの愛情を、仕事で埋めようともがく
- 犠牲の上に生かされた、罪悪感を抱えて
1.病的にも見えた、”1日30分睡眠”
父がどれくらいワーカホリックだったかというと。
日中 :授業と部活
夜 :帰宅、晩酌など
深夜 :採点、授業の準備、数学の勉強
バスケのコーチング理論の勉強(〜朝7時)
朝7時半:起床、日中に戻る
睡眠時間、1日30分。
もちろん、365日ずっとじゃないけど、
週の半分は、明け方まで答案用紙に向かっていた。
父はすごい努力家で、熱心だった。
だから寝る間も惜しんで熱中したのかも知れない。
そして、外から見ていても教師の激務に背筋が震えた。
ずっと学校、こんなに持ち帰り仕事。
その分は無給、部活の顧問で土日も練習。
子どもながら、恐ろしかった。
ただ、それを差し引いても、ずっと疑問だった。
「睡眠時間を30分にまで削る?なぜそこまで?」
わけがわからず、病的とまで思っていた。
2.父の根底にある、自分への無価値感
父は毎年、大学受験の結果を話す時は輝いていた。
「今年は俺のクラスから東大●人、医学部●人」
合格実績だけが目標じゃなさそうだったけど、
これは目に見える”仕事の成果”の1つ。
だけど”週10時間睡眠”にしてまで仕事を詰め込み、
成果を出そうとした理由は何?
それはきっと、
父は根本的に自分の無価値感に苦しんでいたから。
「寝る時間を削ってまで働いて、家族を養って、実績も出してる。
学校から認められてる自分には価値があるんだぞ!」
そうでもしないと、自分の無力感、無価値感に
押し潰されてしまいそうだったから。
”ワーカホリックは人生の嘘”
<青年>
父親の「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」という
暴力にも似た声に、反論できないのです。
<哲人>
おそらく、そうした父親は「行為のレベル」でしか
自分の価値を認めることができていないのでしょう。
自分はこれだけの時間を働き、
家族を養うだけの金銭を稼いでいる、
社会からも認められている、
だから自分は家族でいちばん価値が高いのだ、と。
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』 より
3.条件つきの愛情を、仕事で埋めようともがく
どうして父は自分を無価値だと思うようになったのか。
睡眠時間すらも削り、仕事で埋めるほどに。
それは推測でしかないけど、
例えば、不本意に祖父の価値観を植え付けられた怒り。
→「祖父への怒りを叫ぶ父。」
例えば、祖父の描いたシナリオ通りの人生への後悔。
→「父の人生の正体は、”祖父が歩みたかった人生の再現ドラマ”。」
そして、例えば
長男から拒絶されていることへの悲しみ。
存在するだけでは認められなかった、
成果を出さなければ愛されなかった出自。
こじれるばかりで、うまくいかない親子関係。
心の隙間を埋めるため、ワーカホリックが加速。
そう考えたら、父の仕事漬けの生活に納得する自分がいた。
4.犠牲の上に生かされた、罪悪感を抱えて
以前、どこかで聞いたことがある。
「夜更かしをするのは、その日に満足していないから」
父が明け方まで寝ずに仕事してたのは、
満たされない我慢の1日を埋めようと、もがいてたからかな。
それと、父の給料がいくらだったのか、僕は未だに知らない。
何度か母に聞くも「まぁ、そこそこ」と、ぼかされた。
かなりの数字なんだろう。
ただし、「23時間労働」という注釈を抜きにしたら。
きっと、父を立てることで生き延びてきた母が、
せめて父のプライドを守ろうとしたのかも知れない。
何が原因だったにせよ、
そんな犠牲の上に生き長らえてる僕は
いったいどう思えばいいんだろう。
つながれた命にどう向き合えばいいんだろう。
犠牲の上に生かされるのは、決して美談じゃない。
自分が生きてること自体への、激しい罪悪感もつきまとう。
いま僕にできるのは、この罪悪感を抱えたまま、
ワーカホリックだった父を理解すること。
2020年05月18日
【仮面ライダーショー】挑戦するから失敗できる、失敗の先に見える景色がある。
ヒーローショーのスーツアクターをしていた頃。
デビュー戦のクライマックスで頭が真っ白になり、
アクションを忘れるというとんでもない失敗をした。
当時はすごく凹んだけど、すぐに気づいた。
もしスーツアクターに挑戦しなかったら、
この失敗はできなかったことに。
この悔しさをバネに、さらなる訓練を積み、
その後の遠征メンバー選出を経験できたんだから。
ー目次ー
スーツアクターの事務所に入ったのは24歳の時。
訓練生のほとんどが小学生〜高校生。
それでも、僕はやってみたかった。
高校生のベテランにアドバイスをもらいながら、
デビューを目指して訓練を続けた。
→「仮面ライダーショー出演への道 〜スーツアクター事務所への入所、訓練、選抜〜。」
訓練から1年。ついにショー出演メンバーに初選出。
舞台は「京極町ふるさとまつり」
日帰り、ショーは昼の部と午後の部の2回。
役は「悪のNo.2 参謀」。
ヒーローショーでいちばん盛り上がるのは、
殺陣(たて)という、敵味方が入り乱れるチャンバラ。
特にクライマックスでは、壮絶な打ち合いの末に敗れる。
その肝心な場面で、悪夢は訪れた。
右の突きを繰り出し
相手の左上段蹴りをかわし…?
ぜんぶ、頭から飛んだ。
ライダーに襲い掛かるはずが、
ぎこちないまま、のろのろと進んでくる参謀。
「アイツ、ぜんぶ飛んだな」と察知したライダーが、
アドリブで襲い掛かって来た。
僕はそこで正気を取り戻し、
倒される演技でごまかすのがやっとだった。
大失敗のステージが終わり、
午後のショーに向けてのミーティングが開かれた。
とんでもないミスをしてしまった僕は、
烈火のごとく怒られると覚悟した。
ところが、僕の頭が飛んだことに、
周りはすぐに気づいていたらしい。
「まぁ、デビュー戦だし、しゃーない。午後はしっかりやれよ」
ここで怒鳴られなかったことで救われ、
午後のショーでなんとか挽回できた。
殺陣のアクションが飛ぶという
とんでもない失敗が、僕にくれたものは2つ。
何十何百人のお客さん、楽しみにする子どもたち、
一発勝負の緊張感を肌で感じることができた。
そして、ショーの映像は研究のため、
道場のメンバーが繰り返し観る。
これ以上、無様な姿は見せたくない。
次に選ばれたら、かっこよく立ち回ってやる…!
そこからの訓練に、これまで以上に真剣に取り組んだ結果、
「中標津イオン」「紋別みなとまつり」の遠征に選出された。
失敗は怖い。
失敗した時の気持ちは、言葉では表せないほど辛い。
それでも僕は、デビュー戦での大失敗があったから、
その後の遠征を経験でき、新しい景色を見られた。
何より、スーツアクターに挑戦してなかったら、
ショーの舞台に立つことも、頭が飛ぶこともなかった。
挑戦と失敗をどう捉えるかは、人それぞれ。
どちらも人生の、1つの選択。
ただ僕は、失敗を恐れ、
やりたいことを我慢して生きる道を選べなかった。
「無理にでも挑戦すべき」なんて、僕は言わない。
「挑戦は案外、悪くないよ」と伝えたい。
ーートップアスリートの名言は、挑戦の背中を押してくれるーー
デビュー戦のクライマックスで頭が真っ白になり、
アクションを忘れるというとんでもない失敗をした。
当時はすごく凹んだけど、すぐに気づいた。
もしスーツアクターに挑戦しなかったら、
この失敗はできなかったことに。
この悔しさをバネに、さらなる訓練を積み、
その後の遠征メンバー選出を経験できたんだから。
ー目次ー
- 最年長でも、やりたいから挑戦する
- クライマックスで、頭が真っ白に
- 失意のデビューと、挽回のセカンドステージ
- 大失敗の先に見えた、新しい景色
- 失敗は怖いけど、挑戦も悪くない
1.最年長でも、やりたいから挑戦する
スーツアクターの事務所に入ったのは24歳の時。
訓練生のほとんどが小学生〜高校生。
それでも、僕はやってみたかった。
高校生のベテランにアドバイスをもらいながら、
デビューを目指して訓練を続けた。
→「仮面ライダーショー出演への道 〜スーツアクター事務所への入所、訓練、選抜〜。」
訓練から1年。ついにショー出演メンバーに初選出。
舞台は「京極町ふるさとまつり」
日帰り、ショーは昼の部と午後の部の2回。
役は「悪のNo.2 参謀」。
2.クライマックスで、頭が真っ白に
ヒーローショーでいちばん盛り上がるのは、
殺陣(たて)という、敵味方が入り乱れるチャンバラ。
特にクライマックスでは、壮絶な打ち合いの末に敗れる。
その肝心な場面で、悪夢は訪れた。
右の突きを繰り出し
相手の左上段蹴りをかわし…?
ぜんぶ、頭から飛んだ。
ライダーに襲い掛かるはずが、
ぎこちないまま、のろのろと進んでくる参謀。
「アイツ、ぜんぶ飛んだな」と察知したライダーが、
アドリブで襲い掛かって来た。
僕はそこで正気を取り戻し、
倒される演技でごまかすのがやっとだった。
3.失意のデビューと、挽回のセカンドステージ
大失敗のステージが終わり、
午後のショーに向けてのミーティングが開かれた。
とんでもないミスをしてしまった僕は、
烈火のごとく怒られると覚悟した。
ところが、僕の頭が飛んだことに、
周りはすぐに気づいていたらしい。
「まぁ、デビュー戦だし、しゃーない。午後はしっかりやれよ」
ここで怒鳴られなかったことで救われ、
午後のショーでなんとか挽回できた。
4.大失敗の先に見えた、新しい景色
殺陣のアクションが飛ぶという
とんでもない失敗が、僕にくれたものは2つ。
- 本番のショー独特の空気感
- さらなる殺陣の訓練へのモチベーション
何十何百人のお客さん、楽しみにする子どもたち、
一発勝負の緊張感を肌で感じることができた。
そして、ショーの映像は研究のため、
道場のメンバーが繰り返し観る。
これ以上、無様な姿は見せたくない。
次に選ばれたら、かっこよく立ち回ってやる…!
そこからの訓練に、これまで以上に真剣に取り組んだ結果、
「中標津イオン」「紋別みなとまつり」の遠征に選出された。
5.失敗は怖いけど、挑戦も悪くない
I've failed over and over and over again in my life and that is why I succeed.
私は人生において何度も何度も失敗した。
だからこそ成功したんだ。
Michael Jordan(マイケル・ジョーダン)
『世界のトップアスリート英語名言集』 より
失敗は怖い。
失敗した時の気持ちは、言葉では表せないほど辛い。
それでも僕は、デビュー戦での大失敗があったから、
その後の遠征を経験でき、新しい景色を見られた。
何より、スーツアクターに挑戦してなかったら、
ショーの舞台に立つことも、頭が飛ぶこともなかった。
挑戦と失敗をどう捉えるかは、人それぞれ。
- 失敗がそんなに痛いなら、最初から挑戦なんかしない
- 失敗の先に新しい景色があるなら、痛くても挑戦したい
どちらも人生の、1つの選択。
ただ僕は、失敗を恐れ、
やりたいことを我慢して生きる道を選べなかった。
「無理にでも挑戦すべき」なんて、僕は言わない。
「挑戦は案外、悪くないよ」と伝えたい。
ーートップアスリートの名言は、挑戦の背中を押してくれるーー
2020年05月17日
【愛着障害】抱っこされずに育った大人は、こうなります。
いっぱい抱っこしてあげてください。
いっぱい温もりを分けてあげてください。
抱っこされずに育った大人は、
「人肌が恋しいのに、触れられるのが怖い」
という矛盾に苦しみます。
いっぱい抱っこしてあげてください。
いっぱい安心感を分けてあげてください。
抱っこされずに育った大人は、
辛いとき、寂しいときに心の拠り所がなく、
どこにも逃げ場がない孤独感に潰されます。
いっぱい抱っこしてあげてください。
大切だよと伝えてあげてください。
抱っこされずに育った大人は
桜のじゅうたんを眺めながら、
こうつぶやき、一人で泣きます。
「どうして僕は、抱っこしてもらえなかったの?」
いっぱい抱っこしてあげてください。
いっぱい話しかけ、質問してあげてください。
話しかけられずに育った大人は、
どうせ何を言っても誰も聞いてくれないと、
あらゆる言葉を飲み込んで話さなくなります。
いっぱい抱っこしてあげてください。
いっぱい話しかけ、かまってあげてください。
かまわれずに放置されて育った大人は、
感情の出し方がわからず、
ほとんど表情のない能面のようになります。
放置され、能面のようになった大人は
往々にして童顔で、ずっと若い年齢を言われます。
なぜ童顔かって?
それは、
感情を表情に出す機会がなかったから。
表情筋がほとんど使われてないんです。
一見おとなしく、穏やかな、
抱っこされずに育った大人。
でもそれは、
素直な感情の出し方を知らず、
素直な感情を出す機会を与えられなかったから。
能面に閉じ込めた、その人の中身は赤ちゃんです。
抱っこしてと、ずっと泣いてるんです。
封印されていて、泣き方がわからないまま。
だから、どうか。
いっぱい抱っこしてあげてください。
寂しさの再生産を止めてあげてください。
いっぱい温もりを分けてあげてください。
抱っこされずに育った大人は、
「人肌が恋しいのに、触れられるのが怖い」
という矛盾に苦しみます。
いっぱい抱っこしてあげてください。
いっぱい安心感を分けてあげてください。
抱っこされずに育った大人は、
辛いとき、寂しいときに心の拠り所がなく、
どこにも逃げ場がない孤独感に潰されます。
いっぱい抱っこしてあげてください。
大切だよと伝えてあげてください。
抱っこされずに育った大人は
桜のじゅうたんを眺めながら、
こうつぶやき、一人で泣きます。
「どうして僕は、抱っこしてもらえなかったの?」
いっぱい抱っこしてあげてください。
いっぱい話しかけ、質問してあげてください。
話しかけられずに育った大人は、
どうせ何を言っても誰も聞いてくれないと、
あらゆる言葉を飲み込んで話さなくなります。
いっぱい抱っこしてあげてください。
いっぱい話しかけ、かまってあげてください。
かまわれずに放置されて育った大人は、
感情の出し方がわからず、
ほとんど表情のない能面のようになります。
放置され、能面のようになった大人は
往々にして童顔で、ずっと若い年齢を言われます。
なぜ童顔かって?
それは、
感情を表情に出す機会がなかったから。
表情筋がほとんど使われてないんです。
抱っこをし、体を接触させることは、
子どもの安心の原点であり、愛着もそこから育っていく。
抱っこをすることで、
子どもから母親に対する愛着が生まれるだけでなく、
母親から子どもに対する愛着も強化されていく。
何らかの理由で、あまり抱っこをしなかった母親は、
子どもに対する愛着が不安定になりやすく、
子どもを見捨ててしまう危険が高くなることが知られている。
『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』第一章 より
一見おとなしく、穏やかな、
抱っこされずに育った大人。
でもそれは、
素直な感情の出し方を知らず、
素直な感情を出す機会を与えられなかったから。
能面に閉じ込めた、その人の中身は赤ちゃんです。
抱っこしてと、ずっと泣いてるんです。
封印されていて、泣き方がわからないまま。
だから、どうか。
いっぱい抱っこしてあげてください。
寂しさの再生産を止めてあげてください。
2020年05月16日
ゴミ拾いを手伝ってくれたストリートボーラーたち 〜バスケができる場所を守りたい〜。
ある日、
ストリートバスケコートの脇に
大量のゴミを残して帰った若者集団がいた。
僕はバスケができる場所を守りたくて、ゴミ拾いをした。
すると、さっきまで一緒にプレーし
コート脇で休んでいた3人が手伝いに来てくれた。
僕が勝手に始めたゴミ拾いを手伝ってくれた彼らに、
尊敬の念を抱いた話をシェアしたい。
ー目次ー
ストリートバスケのコートを探して、
街中を駆け回っていた頃。
立派なバスケットゴールが2基、
対面で設置されたコートを見つけた。
しかし、そのコートのゴールの片方は、
リングを取り外され、ボードのみになっていた。
なぜか。
それは、コート入口に貼られた、
悲しい注意書きですぐにわかった。
「ゴールの破損や深夜の騒音により
近隣住民から苦情が相次いだ結果、
片方のリングを取り外しています。
これ以上、破損や騒音が続くようなら
もう片方のリングも撤去します。札幌市」
公園は、僕らの使い方しだいで簡単に無くなってしまう。
数少ない、バスケットゴールのある場所を守るために、
僕にできることをしようと思った。
その後、少し自宅から近い別のコートを見つけ、
しばらく通っていた。
よく来るプレーヤーたちと仲良くなり、
気さくに話しかけてくれるようになった。
そんなある日、
10人くらいの若者の集団が、
コート脇のベンチ近くに集まっていた。
その内の2〜3人はバスケ用のウェアを着て、
実際にバスケをしに来ている。
残りはじゃれて遊んでいるようだった。
しばらくして、彼らが去った後、
ベンチ周辺に大量のゴミが散らかっていた。
飲みかけのペットボトル、煙草の吸い殻、
ティッシュペーパー、使いかけの紙コップ…。
コート周辺の草地にまで、広範囲にわたって散乱していた。
それを見て、僕はあの公園を思い出し、怖くなった。
片方のリングが撤去された、あの公園を。
もし、こんなことが続いたら、
またリングが取り外され、使用禁止になるんじゃないか。
公園自体が立入禁止になるんじゃないだろうか。
数少ない、バスケットゴールのある場所。
なくなってほしくない。守りたい。
今、僕ができることは何だろう。
僕はその時たまたま持参していた
スーパーの買い物袋を取り出し、ゴミ拾いを始めた。
飲みかけのペットボトルは、
(申し訳ないけど)中身を捨てて、ボトルを潰す。
煙草の吸い殻は、日中の小雨のおかげか
火気は残っていないようだった。
とにかく、持っていた2枚の買い物袋に
詰められるだけ詰めた。
僕が拾い続けていると、
さっきまで一緒に試合をしていた中の3人が
なんと手伝いに来てくれた。
「手伝いますよ。これきっと、さっきの団体でしょうね。
ひどいことしますよね。」
彼らに声をかけたわけじゃない。
僕はただ、バスケができる場所を守りたくて、
自分の思うように行動しただけ。
なのに、その姿を見た彼らが、
自分たちのプレーを中断してまで駆けつけてくれた。
ゴミの破片で破れそうな袋を抱えながら、
僕は嬉しさで泣きそうになった。
4人で、ひとまず袋に入るだけ拾った。
僕は彼らにお礼を言って、
そこからもう少しプレーして帰宅した。
残りは明日、もっと袋を持って来て
ぜんぶ拾ってしまおう。
帰り際、僕はまだコートに残る面々に
「お疲れさまでした!」と挨拶をした。
すると、ゴミ拾いを手伝ってくれた1人が
「ゴミ拾いありがとうございます!」
暗くなりかけた、バス停までの道を歩きながら、
こらえきれずに嬉し泣きした。
翌日、4枚の買い物袋を持参し、
散らばっていた残りのゴミをすべて拾い切った。
ゴミ拾いをしたものの、
僕は便利屋にならないかという不安があった。
「ゴミ袋を持って来てるんですか?!
じゃあ僕らのもお願いします!」
そう言ってくる人が出てきたら、いやだなとも思った。
でも、その発想は
僕が人を信頼できていない証拠だった。
来てる人はみんなバスケに夢中、
外野でゴミ拾いをする人のことを気にも留めていない。
自分が思うほど、他人は自分を見ていない。
それがわかるとなおさら、
ゴミ拾いを手伝ってくれた3人が
どれだけ広い視野を持っているか実感した。
せっかく来たからには、1秒でも長くバスケがしたい。
その時間を削ってまで、僕を手伝ってくれた。
彼らへの尊敬の念を抱かずにいられなかった。
僕はバスケを始めた時に、場所への感謝を教わった。
「コートがあるからバスケができるんだよ」と。
だから、きれいに使えばきっと、
市はこの場所を残してくれると考えたんだろう。
そして、それに賛同してくれた人がいるのは嬉しかった。
幸い、そのコートは今もある。
これからも、バスケに飢えたボーラーたちを
あたたかく迎え続けてほしいなぁ。
ストリートバスケコートの脇に
大量のゴミを残して帰った若者集団がいた。
僕はバスケができる場所を守りたくて、ゴミ拾いをした。
すると、さっきまで一緒にプレーし
コート脇で休んでいた3人が手伝いに来てくれた。
僕が勝手に始めたゴミ拾いを手伝ってくれた彼らに、
尊敬の念を抱いた話をシェアしたい。
ー目次ー
- リングが撤去された公園
- コート脇に大量のゴミ
- 買い物袋を片手に、ゴミ拾いを始める
- ゴミ拾い、手伝いますよ
- ゴミ拾い、ありがとうございます!
- 3人に抱いた、尊敬の念
- コートへの感謝、場所への感謝
1.リングが撤去された公園
ストリートバスケのコートを探して、
街中を駆け回っていた頃。
立派なバスケットゴールが2基、
対面で設置されたコートを見つけた。
しかし、そのコートのゴールの片方は、
リングを取り外され、ボードのみになっていた。
なぜか。
それは、コート入口に貼られた、
悲しい注意書きですぐにわかった。
「ゴールの破損や深夜の騒音により
近隣住民から苦情が相次いだ結果、
片方のリングを取り外しています。
これ以上、破損や騒音が続くようなら
もう片方のリングも撤去します。札幌市」
公園は、僕らの使い方しだいで簡単に無くなってしまう。
数少ない、バスケットゴールのある場所を守るために、
僕にできることをしようと思った。
2.コート脇に大量のゴミ
その後、少し自宅から近い別のコートを見つけ、
しばらく通っていた。
よく来るプレーヤーたちと仲良くなり、
気さくに話しかけてくれるようになった。
そんなある日、
10人くらいの若者の集団が、
コート脇のベンチ近くに集まっていた。
その内の2〜3人はバスケ用のウェアを着て、
実際にバスケをしに来ている。
残りはじゃれて遊んでいるようだった。
しばらくして、彼らが去った後、
ベンチ周辺に大量のゴミが散らかっていた。
飲みかけのペットボトル、煙草の吸い殻、
ティッシュペーパー、使いかけの紙コップ…。
コート周辺の草地にまで、広範囲にわたって散乱していた。
それを見て、僕はあの公園を思い出し、怖くなった。
片方のリングが撤去された、あの公園を。
もし、こんなことが続いたら、
またリングが取り外され、使用禁止になるんじゃないか。
公園自体が立入禁止になるんじゃないだろうか。
3.買い物袋を片手に、ゴミ拾いを始める
数少ない、バスケットゴールのある場所。
なくなってほしくない。守りたい。
今、僕ができることは何だろう。
僕はその時たまたま持参していた
スーパーの買い物袋を取り出し、ゴミ拾いを始めた。
飲みかけのペットボトルは、
(申し訳ないけど)中身を捨てて、ボトルを潰す。
煙草の吸い殻は、日中の小雨のおかげか
火気は残っていないようだった。
とにかく、持っていた2枚の買い物袋に
詰められるだけ詰めた。
4.ゴミ拾い、手伝いますよ
僕が拾い続けていると、
さっきまで一緒に試合をしていた中の3人が
なんと手伝いに来てくれた。
「手伝いますよ。これきっと、さっきの団体でしょうね。
ひどいことしますよね。」
彼らに声をかけたわけじゃない。
僕はただ、バスケができる場所を守りたくて、
自分の思うように行動しただけ。
なのに、その姿を見た彼らが、
自分たちのプレーを中断してまで駆けつけてくれた。
ゴミの破片で破れそうな袋を抱えながら、
僕は嬉しさで泣きそうになった。
5.ゴミ拾い、ありがとうございます!
4人で、ひとまず袋に入るだけ拾った。
僕は彼らにお礼を言って、
そこからもう少しプレーして帰宅した。
残りは明日、もっと袋を持って来て
ぜんぶ拾ってしまおう。
帰り際、僕はまだコートに残る面々に
「お疲れさまでした!」と挨拶をした。
すると、ゴミ拾いを手伝ってくれた1人が
「ゴミ拾いありがとうございます!」
暗くなりかけた、バス停までの道を歩きながら、
こらえきれずに嬉し泣きした。
翌日、4枚の買い物袋を持参し、
散らばっていた残りのゴミをすべて拾い切った。
6.3人に抱いた、尊敬の念
ゴミ拾いをしたものの、
僕は便利屋にならないかという不安があった。
「ゴミ袋を持って来てるんですか?!
じゃあ僕らのもお願いします!」
そう言ってくる人が出てきたら、いやだなとも思った。
でも、その発想は
僕が人を信頼できていない証拠だった。
来てる人はみんなバスケに夢中、
外野でゴミ拾いをする人のことを気にも留めていない。
自分が思うほど、他人は自分を見ていない。
それがわかるとなおさら、
ゴミ拾いを手伝ってくれた3人が
どれだけ広い視野を持っているか実感した。
せっかく来たからには、1秒でも長くバスケがしたい。
その時間を削ってまで、僕を手伝ってくれた。
彼らへの尊敬の念を抱かずにいられなかった。
7.コートへの感謝、場所への感謝
僕はバスケを始めた時に、場所への感謝を教わった。
「コートがあるからバスケができるんだよ」と。
だから、きれいに使えばきっと、
市はこの場所を残してくれると考えたんだろう。
そして、それに賛同してくれた人がいるのは嬉しかった。
幸い、そのコートは今もある。
これからも、バスケに飢えたボーラーたちを
あたたかく迎え続けてほしいなぁ。
2020年05月15日
【北海道から山口へ】初めて山口に降り立った受験生、別世界の気候にカルチャーショック。
北海道生まれ、北海道育ちの僕は、
夢だった考古学を学ぶため山口大学を受験した。
北国育ちの18歳にとって、初めての山口県は別世界だった。
僕が初めて山口に降り立った時の、
気候や街並みのカルチャーショックを共有したい。
ー目次ー
山口宇部空港に到着し、外に出ると。
目に飛び込んできたのは巨大な南国の木たち。
あれ?ヤシの木?…ここは那覇空港?
まちがえて沖縄に来たのかと思った。
宇部空港から、ローカル線で新山口駅(当時は”小郡駅”)まで。
乗り換えのホームを探していると、
そろいのチームジャージを着た人たちが。
背中には
YAMAGUCHI UNIV.
BADMINTON TEAM
山口大学の先輩か。
あさっての試験に受かったら、僕は晴れて後輩になるんだな。
なんて考えながら、その人たちについて行き、
乗り換えのホームを発見した。
僕は二次試験の2日前、2月23日に山口入りした。
のっけからヤシの木に気を取られて、
すっかり忘れていたこと。
あたたかい。上着いらない。
ばっちり厚着して来た上着類が
ことごとく荷物になってしまった。
道内でも温暖な函館とはいえ、
北海道の2月はまだ雪と氷に閉ざされた世界。
2月にコートなしで歩ける奇跡に衝撃を受けた。
これは気候の違いではないけど、
受験期ならではのハプニング。
本部キャンパスに近い湯田温泉の旅館で、
僕を含め10名の受験生が相部屋。
畳の大部屋で一夜をともにした。
人口10数万の、趣あふれる温泉街。
そこへ何千人もの受験生が集まるので、
特に前期試験の前日は「こんなもんだよ」とのこと。
医学部と、農学部獣医学科の試験は2Daysなので、
旅館によっては2日連続で相部屋になるんだとか。
旅館に着いて気づいたのは、
窓が二重じゃなく一重(?)という衝撃。
「こんなに薄くて、凍りついたらどうするんだろう?」
それはとても北海道的な発想だった。
窓は2枚もいらない。あっついから。
市街地に入り、何となく感じた違い。
古都のような雰囲気、屋敷のような建物が立ち並ぶ。
この違う感じは何だろう。
あぁ、そうか。屋根が違うんだ。瓦だ。
北海道の家は、屋根に積もった雪を滑り落とすため
ブルーやブラウンのトタン製。
軽快な感じはするけど情緒はない。
そうか、こっちの敵は雪の重みじゃない。
台風で飛ばされない頑丈さが必要なんだ。
僕は海辺の函館育ち。
父の実家は漁村、母の実家は畑だらけの農村。
それまで”田んぼ”というものを、
あまり見たことがなかった僕にとって、
民家とスーパーと田んぼが広がる景色は別世界だった。
すでに水が張られ、虫の声も聞こえる。
夜になると水田に月の光が反射する、何とも言えない美しさ。
僕は月明りをまともに楽しんだことがなかった。
こんなに煌々と、美しいんだ。
山口の田んぼが教えてくれた。
北国育ちにとって、温暖な山口は何もかもが別世界。
環境の違いにカルチャーショックを受けながらも、
何とか試験を突破し、山口市民になることができた。
ここから数ヶ月かけて、言葉の壁を乗り越えながら
異文化を満喫していく。
→「【北海道から山口へ】言葉の壁にカルチャーショックを受けた話。」
空港で迎えてくれたのは、ヤシの木だろうか。
湯田温泉から新山口、そして宇部空港までのローカル線には、
まだあの黄色い素朴な電車が走ってるんだろうか。
第二の故郷、山口。
また、帰りたいなぁ。
夢だった考古学を学ぶため山口大学を受験した。
北国育ちの18歳にとって、初めての山口県は別世界だった。
僕が初めて山口に降り立った時の、
気候や街並みのカルチャーショックを共有したい。
ー目次ー
- 空港にヤシの木?
- 2月なのに上着がいらない
- 旅館で10名の相部屋
- 窓が二重じゃなく一重
- 屋根がトタンじゃなく瓦
- 大学の周りはとにかく田んぼ
- 第二の故郷、山口
1.空港にヤシの木?
山口宇部空港に到着し、外に出ると。
目に飛び込んできたのは巨大な南国の木たち。
あれ?ヤシの木?…ここは那覇空港?
まちがえて沖縄に来たのかと思った。
宇部空港から、ローカル線で新山口駅(当時は”小郡駅”)まで。
乗り換えのホームを探していると、
そろいのチームジャージを着た人たちが。
背中には
YAMAGUCHI UNIV.
BADMINTON TEAM
山口大学の先輩か。
あさっての試験に受かったら、僕は晴れて後輩になるんだな。
なんて考えながら、その人たちについて行き、
乗り換えのホームを発見した。
2.2月なのに上着がいらない
僕は二次試験の2日前、2月23日に山口入りした。
のっけからヤシの木に気を取られて、
すっかり忘れていたこと。
あたたかい。上着いらない。
ばっちり厚着して来た上着類が
ことごとく荷物になってしまった。
道内でも温暖な函館とはいえ、
北海道の2月はまだ雪と氷に閉ざされた世界。
2月にコートなしで歩ける奇跡に衝撃を受けた。
3.旅館で10名の相部屋
これは気候の違いではないけど、
受験期ならではのハプニング。
本部キャンパスに近い湯田温泉の旅館で、
僕を含め10名の受験生が相部屋。
畳の大部屋で一夜をともにした。
人口10数万の、趣あふれる温泉街。
そこへ何千人もの受験生が集まるので、
特に前期試験の前日は「こんなもんだよ」とのこと。
医学部と、農学部獣医学科の試験は2Daysなので、
旅館によっては2日連続で相部屋になるんだとか。
4.窓が二重じゃなく一重
旅館に着いて気づいたのは、
窓が二重じゃなく一重(?)という衝撃。
「こんなに薄くて、凍りついたらどうするんだろう?」
それはとても北海道的な発想だった。
窓は2枚もいらない。あっついから。
5.屋根がトタンじゃなく瓦
市街地に入り、何となく感じた違い。
古都のような雰囲気、屋敷のような建物が立ち並ぶ。
この違う感じは何だろう。
あぁ、そうか。屋根が違うんだ。瓦だ。
北海道の家は、屋根に積もった雪を滑り落とすため
ブルーやブラウンのトタン製。
軽快な感じはするけど情緒はない。
そうか、こっちの敵は雪の重みじゃない。
台風で飛ばされない頑丈さが必要なんだ。
6.大学の周りはとにかく田んぼ
僕は海辺の函館育ち。
父の実家は漁村、母の実家は畑だらけの農村。
それまで”田んぼ”というものを、
あまり見たことがなかった僕にとって、
民家とスーパーと田んぼが広がる景色は別世界だった。
すでに水が張られ、虫の声も聞こえる。
夜になると水田に月の光が反射する、何とも言えない美しさ。
僕は月明りをまともに楽しんだことがなかった。
こんなに煌々と、美しいんだ。
山口の田んぼが教えてくれた。
7.第二の故郷、山口
北国育ちにとって、温暖な山口は何もかもが別世界。
環境の違いにカルチャーショックを受けながらも、
何とか試験を突破し、山口市民になることができた。
ここから数ヶ月かけて、言葉の壁を乗り越えながら
異文化を満喫していく。
→「【北海道から山口へ】言葉の壁にカルチャーショックを受けた話。」
空港で迎えてくれたのは、ヤシの木だろうか。
湯田温泉から新山口、そして宇部空港までのローカル線には、
まだあの黄色い素朴な電車が走ってるんだろうか。
第二の故郷、山口。
また、帰りたいなぁ。
2020年05月14日
【ナイキ レボリューション 5 (4E)】幅広・甲高の救世主、好きなシューズを履ける喜び。
「2017 札幌マラソン」にも出場した、愛用のスニーカーが。
ついに、大口を開けたワニになり、逝ってしまった。
苦楽を共にしたスニーカーに別れを告げ、
新しい相棒を迎えた。
『ナイキ レボリューション 5 (4E)』
「スーパースポーツゼビオ」にて購入。
このシューズの何がありがたいか。それは、
「超・幅広」の足を受け入れてくれたこと。
試し履きを重ねた末、
「自分には履けるシューズがないのか…?」
という絶望から救ってくれたこと。
ー目次ー
僕の足はものすごく幅が広い。
足長(サイズ):255
足囲(ワイズ):270
これは5E〜F相当。
※資料:「asics 足のサイズ測り方」
さらに追い打ち、甲まで高い。
よって、
入口が少しでも引き締まっているシューズは
足を通させてもくれないという仕打ち。
タテがこんなに短いのに、
幅がハスの葉なみに広い。しかも分厚い。
気に入ったシューズにことごとく拒絶される絶望は、
自分の足型を呪い、試し履きの意欲を奪っていく。
「日本人の足型にいちばん合ってるのはasicsやミズノ」
そんなことは重々承知。
「幅広の足さんはナイキも、PUMAも、
コンバースも、アディダスも、諦めましょうよ!
確かにデザインはかっこいいかも知れないけど、
足に合わないシューズを履いてたら身体に悪いよ」
まさに正論。それもわかってる。
でもさ、
気に入ったシューズを履きたい欲望って、
正論だけで捨てられるものじゃないよね?(涙)
これが気に入ったという、抗えない感情。
サイズが合わなくて身に着けられない悔しさ。
その悔しさを「足に優しいから」と簡単に捨てられるほど、
人間は立派な生き物じゃないんだ。
「シューズは機能さえ果たしてくれれば何でもいい」
そういう価値観の人にとっては
バカみたいと思うかも知れない。
そうなの、バカなの。
バカだけど、それでも気に入ったシューズを履きたいの(涙)
シューズ好きな方、わかっていただけますよね?!(汗)
「服なんて着られれば何でもいい、おしゃれに興味ない、無駄」
そうじゃないの。
それでもおしゃれしたいの。その無駄が楽しいの(涙)
人類は、合理性と機能性だけで発展してきたんじゃない。
だから文化があり、芸術があり、娯楽があるの。
「ナイキが好き。ナイキのシューズを履きたい」
幅広・甲高の足の持ち主は、
涙を呑んでその夢を諦めてきた。
だけど近年、2E・3E・4Eレベルの
幅広に対応したモデルがリリースされ始めた。
喜びに震える、幅広・甲高たち。
「僕らもナイキを履いていいんだ…!」
決して、asicsやミズノをけなすわけじゃない。
日本のメーカーとは違う、
ナイキへの憧れ、コンバースへの憧れ、
PUMA、ニューバランス、アンダーアーマーへの憧れ。
海外メーカーのシューズは幅が狭いという、絶望的な壁。
その壁が取り払われ、門戸が開かれた喜び。
さぁ、幅広・甲高の皆さん。
今こそ、憧れのナイキシューズ探しに、
ゼビオに行こう。
ついに、大口を開けたワニになり、逝ってしまった。
苦楽を共にしたスニーカーに別れを告げ、
新しい相棒を迎えた。
『ナイキ レボリューション 5 (4E)』
「スーパースポーツゼビオ」にて購入。
このシューズの何がありがたいか。それは、
「超・幅広」の足を受け入れてくれたこと。
試し履きを重ねた末、
「自分には履けるシューズがないのか…?」
という絶望から救ってくれたこと。
ー目次ー
- 幅広・甲高、自分の足型を呪う
- サイズが合わず身に着けられない悔しさ
- バカなの、それでもナイキ履きたいの
- 幅広の足へ、門戸が開かれた喜び
1.幅広・甲高、自分の足型を呪う
僕の足はものすごく幅が広い。
足長(サイズ):255
足囲(ワイズ):270
これは5E〜F相当。
※資料:「asics 足のサイズ測り方」
さらに追い打ち、甲まで高い。
よって、
入口が少しでも引き締まっているシューズは
足を通させてもくれないという仕打ち。
タテがこんなに短いのに、
幅がハスの葉なみに広い。しかも分厚い。
気に入ったシューズにことごとく拒絶される絶望は、
自分の足型を呪い、試し履きの意欲を奪っていく。
2.サイズが合わず身に着けられない悔しさ
「日本人の足型にいちばん合ってるのはasicsやミズノ」
そんなことは重々承知。
「幅広の足さんはナイキも、PUMAも、
コンバースも、アディダスも、諦めましょうよ!
確かにデザインはかっこいいかも知れないけど、
足に合わないシューズを履いてたら身体に悪いよ」
まさに正論。それもわかってる。
でもさ、
気に入ったシューズを履きたい欲望って、
正論だけで捨てられるものじゃないよね?(涙)
これが気に入ったという、抗えない感情。
サイズが合わなくて身に着けられない悔しさ。
その悔しさを「足に優しいから」と簡単に捨てられるほど、
人間は立派な生き物じゃないんだ。
3.バカなの、それでもナイキ履きたいの
「シューズは機能さえ果たしてくれれば何でもいい」
そういう価値観の人にとっては
バカみたいと思うかも知れない。
そうなの、バカなの。
バカだけど、それでも気に入ったシューズを履きたいの(涙)
シューズ好きな方、わかっていただけますよね?!(汗)
「服なんて着られれば何でもいい、おしゃれに興味ない、無駄」
そうじゃないの。
それでもおしゃれしたいの。その無駄が楽しいの(涙)
人類は、合理性と機能性だけで発展してきたんじゃない。
だから文化があり、芸術があり、娯楽があるの。
4.幅広の足へ、門戸が開かれた喜び
「ナイキが好き。ナイキのシューズを履きたい」
幅広・甲高の足の持ち主は、
涙を呑んでその夢を諦めてきた。
だけど近年、2E・3E・4Eレベルの
幅広に対応したモデルがリリースされ始めた。
喜びに震える、幅広・甲高たち。
「僕らもナイキを履いていいんだ…!」
決して、asicsやミズノをけなすわけじゃない。
日本のメーカーとは違う、
ナイキへの憧れ、コンバースへの憧れ、
PUMA、ニューバランス、アンダーアーマーへの憧れ。
海外メーカーのシューズは幅が狭いという、絶望的な壁。
その壁が取り払われ、門戸が開かれた喜び。
さぁ、幅広・甲高の皆さん。
今こそ、憧れのナイキシューズ探しに、
ゼビオに行こう。