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2020年05月04日

自粛延長の可能性を受けて 〜子どもの命を背負う人の言葉、守るものがない自分の立場〜。

緊急事態宣言が5月末まで延長の可能性を受けて。

叩かれたり、炎上したりするのが怖くて、
言えなかったことを正直に書いてみる。



個人的な意見では、これ以上の自粛は反対。
だけど、子どもを守る立場の人には、おいそれと言えない。

僕には守る人がいないけど、
彼らは子どもの命を背負っているから。




そういう立場の人の言葉に、畏敬の念を抱いたことを共有したい。


ー目次ー
  1. 隠さない本音”止められないなら、共存しよう”
  2. 守りたい存在がいる人、守るものがない自分
  3. 理解するほどに生まれる迷い
  4. 子どもの命を背負う人を、心から尊敬する

1.隠さない本音”止められないなら、共存しよう”

本音を隠さず言うと、

僕はフランス首相が言っていたのと同じく、
コロナウイルスは止められないんだから共存しようという考え。

フランス、来月11日に外出制限解除=ウイルスとの「共存必要」―新型コロナ



そう考えるに至ったのは、

死亡率などの数値データ、
失業や倒産からの経済死リスクだったり。

自粛延長で得するのは誰だろうと考えていた時に、
こういう意見に出逢ったり。

緊急事態宣言を延長するなら、内閣総辞職を約束せよ!/倉山満



広く浅くで恐縮ながら、いろんな意見に触れてみた結論。

自粛しても、誰も助けてくれないから自分で守ろう、
もし死んだら仕方ないと割り切ってる。

2.守りたい存在がいる人、守るものがない自分

ただし、それは僕が一人ぼっちで
守るものがないから言えること。


家族を守る立場にとっては、
後々の経済の犠牲より、仕事の減少より、
目の前の大切な存在を守るのが最優先。

あるシングルマザーの友達の言葉が
僕の胸に突き刺さった。

「自分がウイルスで死んだら子どもたちが路頭に迷う」



自分の命が背負ってるのは、自分だけという人。
自分の命が子どもたちを背負っている人。

命の数や重さを比べるのは無意味。
ただ、守る存在がいる人の言葉に畏敬の念を抱いた。

3.理解するほどに生まれる迷い

仕事は元からテレワーク。

体育館が使えなくなってからは特に、
ほとんど誰とも話さない1日が大半になった。

なので、もし宣言延長になっても、
自粛反対の立場を崩さず普通に過ごそうと思っていた。



だけど、子どもの命を背負って生きる人を
理解するにつれて、迷いも出てきた。

そういう人のための行動に切り替えるか。
それで自分の身が滅びたら本末転倒なので、普通に過ごすか。


僕はどうすればいいんだろう。

4.子どもの命を背負う人を、心から尊敬する

それぞれが背負う、立場、責任。
自分の身を守ることしかできない自分。

迷ってる自分。

自粛反対に即した行動によって、
いつかどこかで「自粛警察」に攻撃されるのは怖い。


隠さず言う。おっかない。



結局、僕はどうすべきか、答えは出なかった。

ただ、この記事で伝えたかったのは、
子どもの命を背負い、いまを生き延びる人の言葉が、
深く心に響いたということ。


自分以外の命を背負って生きる人を、心から尊敬する。
posted by 理琉(ワタル) at 21:54 | TrackBack(0) | 生き方

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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