アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2019年06月15日

リストカットは、心の孤児が叫ぶ悲鳴。

僕の両腕には、手首から肘にかけて無数の切り傷がある。
これはリストカットの痕跡

リストカットと言うと、ネガティブな反応が返ってくる。
そして「リストカットをする人が悪い」と思われやすい。

少なくとも、僕のまわりの大人はそういう反応だった。
だから、聞かれない限り「自分で切った」とは言わない。
腕の傷に気づかれても、「転んだ」などとごまかしてきた。



僕はリストカットが
世間的に悪いイメージを持たれやすいことが悲しい。
リストカットへの誤解を解きたい。

リストカットは心の孤児が叫ぶ悲鳴だ。
「寂しい、苦しい、お願い気づいて」という、命がけの訴えだ。



ー目次ー

  1. リストカットの動機、家族なのに居場所がない
  2. もうどうでもいい、淡々と、腕を切る"作業"に没頭
  3. リストカットは心の悲鳴、"お願い、気づいて"
  4. 歪んだ心。ズタズタの腕を、誇らしげに見せる
  5. 実家を飛び出したあの日から、切る頻度は減っていった
  6. メンヘラは蔑称じゃない、絶望を乗り越えた称号だ

1.リストカットの動機、家族なのに居場所がない

僕がリストカットをするようになったのは、
実家と決定的に絶縁した3回目の家出の前。

アルバイトをしながらの一人暮らしがしんどくなったことと、
鬱病を再発したことで、アパートと実家を行き来していた。

父には煙たがられ、母からは"居候"と罵られた。
僕は傷ついた心の行き場がなく、居場所のなさに苦しんだ。

「居候」
「資格の勉強しろ」
「公務員になれ」


親が言うのは、この3つだけだった。

僕が小さい頃からずっとそうだが、
僕の両親は何かを命令するとき以外で口を開くことのない人たちだ。

「〜しなさい」
相手にさせたいことを機械的に伝えるだけ。

相手の話を聞こうとか、相手の考えに興味を持とうとか、
そういう「受ける姿勢」や「他人への興味」が欠如したロボットだ。


僕もまた、親からの命令に機械的に反発した。
毎日のように、平行線の口論を繰り返した。

2.もうどうでもいい、淡々と、腕を切る"作業"に没頭

ある日、親から何度目かの「居候」という言葉が出た。
そのとき、僕の頭の中で「プツン…。」という音がした。

「もうどうでもいいや」抑えていた一線が切れた。

このとき、
停止した自分の脳そのものが"自分の目で"はっきり見えた。



僕は台所へ向かい、左手で包丁を握りしめた。
右手首から肘の近くまでに、無数の平行線を刻みつけた。

まもなく、血がにじみ出てきた。肌色の場所がなくなった。
僕は包丁を右手に持ちかえ、作業のように、淡々と切り刻んだ。

ある日、腕を切る「作業」が母に見つかった。
母は僕から包丁を取り上げ、怒鳴った。

「それは自分の言うことを聞かせるための脅迫行為だ、甘えだ!」

僕はこのときにも、すべての動作を停止した自分の脳が、
自分の目ではっきり見えた。



ある日の作業中、家に誰もいなかった。
僕は手元を滑らせ、深く切りつけて出血が止まらなくなった。

僕の腕は、紅いペンキに突っ込んだような姿をしていた。
その光景を前に、僕にはなんの関心も沸かなかった。

そのとき、僕が躍起になったのは、
床にこぼれた血痕の拭き取りだけだった。

3.リストカットは心の悲鳴、"お願い、気づいて"

アダルト・チルドレンのなかには
”リストカット”をする人もいる。手首を切るのだ。

大量出血するほど深く切るわけではなく、
表面にナイフなどで切り傷をつける。
出血はするが、それほど大事にはいたらない。

こういった自傷行為は、
自分の心はこれだけ傷ついているということの表現だ。

傷ついている、だから助けてほしい、
そういう心の叫びといえるだろう。



『アダルト・チルドレン「癒しと再生」』第5章 より

僕は家族の一員のはずなのに、
条件付きの滞在許可を出されていることが悲しかった。


「18歳になったら家に置かないからな」

「資格か公務員の勉強するなら置いてやる」


「うちに居候してたんですけど」

親の言葉が、僕の心をえぐり、罪悪感を煽った。



「親の言う通りの職業に就くか、資格を取れ。
 その期待にそわないお前は家族じゃない、出て行け。」

そう言われ、見捨てられているように感じた。
僕は居場所のなさと孤独感に飲み込まれていった。

僕は意地でも親の理想に近づきたくなかった。
確たる自分がいるわけじゃない。

ただひたすら、反発心にのみ従った。
「こいつらの思い通りになってたまるか」



僕の理性は、衝動に負けた。
が、僕はこの期に及んでも、まだ諦め切れなかった。
見捨てられる悲しみや、寂しさに、親が気づいてくれることを。


「もう自分を傷つけようがどうでもいい」
投げやりになった自分の狂気が、親に伝わることを。

「寂しい、悲しい。お願い、助けて…。」
リストカットは、そんな心の悲鳴。


だけど、自分の腕を切り刻む姿を見た者が、
そんな悲鳴に気づくはずもない。

残るのは悲しみと、消えない傷跡だけ。




4.歪んだ心。ズタズタの腕を、誇らしげに見せる

当時、僕は居酒屋で深夜のホールアルバイトをしていた。

仕事上、制服の裾をまくり上げる機会は多い。
にも関わらず、僕の腕は切り傷でズタズタだった。
飲食店スタッフとして、あるまじき姿だった。

僕は歪んでいた。

裾をまくり上げ、切り傷で真っ赤になった腕を
さらす瞬間が待ち遠しかった。


僕は数年間の在籍中、1回も遅刻や欠勤をしなかった。
それは、裾をまくり上げる業務を1回でも多くこなしたいからだった。



「もう傷つこうが死のうがどうでもいい」
「見て見て!こんなに切れたよ!すごいでしょ!?」


自分への投げやりな気持ちと、
テストで100点を取った子どものような誇らしさが交錯した。

僕の心には病的な歪みが渦巻き、ぐちゃぐちゃになっていた。

5.実家を飛び出したあの日から、切る頻度は減っていった

10月の夜。作業に使っていた包丁の切れ味が落ちた。

包丁をカッターに持ち替えて数日、
父が僕のリストカットを母から聞きつけ、怒鳴った。

「男とはすべてを我慢して社会のために働くものだ!」
「お前は甘ったれている!社会を舐めている!」


僕は壊れた。
耳をふさいで、のたうち回った。
それでも止まない怒声に、動けなくなったところで僕の記憶は途切れた。

その後、数日間のことは覚えていない。
気づいたら、わずかな着替えを持って家を飛び出していた。
そのまま、二度と実家に戻ることはなかった。

この日を境に、切る頻度が減っていった。

6.メンヘラは蔑称じゃない、絶望を乗り越えた称号だ

あの日から5年が経った。

僕と親はきっと、離れた方がお互いにとっていいんだ。
あのまま顔を合わせていたら、次は首筋を切っていたかも知れない。

あの頃の自分と、今リストカットしている人に声をかけるとしたら、
僕はこう言うだろう。

 狂っていることが誇らしかったんだね。
 歪む理由がほしいくらい、寂しかったんだね。
 切るのを止めはしない、だけど否定もしないよ。

 よく、家を飛び出したね、えらいね。
 生きてくれて、ありがとう。


誰よりも、親からかけてほしかった言葉。
親に求めても、決して叶わない願い。



手首を切ったとか、薬を大量に飲んだとか言う人に対して、
しばしば蔑称として使われる言葉がある。

「メンヘラ」だ。「かまってちゃん」とも揶揄される。


言う側はおそらく、対応がめんどくさいんだろう。

あるいは
「自分は我慢しているのに、お前だけ表現するなんて許せない」という嫉妬か。
「自分の方が正常な精神を保っている」という優越感のためか。

いずれにしても、
「メンヘラ」という言葉を投げつけてくる人に、僕は問いたいことがある。



あなたには「心の孤児」として育った経験があるのか?

「自分を生み出した親すらも、自分に愛情も興味もなかった」
その事実を受け入れることがどれほどつらいか、あなたにわかるか?

心を病み、手首を血で染める人たちが
どれほどの絶望を乗り越えて今日まで生きてきたか、
あなたは想像したことがあるか?

幾日の眠れぬ夜を泣き明かしてきたか、あなたは知っているのか?




腕の傷跡は烙印じゃない。絶望を乗り越えた証だ。








一般社団法人ボイス|悩みの無料相談の申込み


posted by 理琉(ワタル) at 17:32 | TrackBack(0) | 家族

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8881266

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
検索
プロフィール
理琉(ワタル)さんの画像
理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
プロフィール
最新記事
カテゴリーアーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。