アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2019年06月16日

「明日心中だなぁ、ははは」。

子どもの頃、部活の顧問やパチンコで
土日もほとんど家にいない父が
たまに家族で回転寿司に連れて行ってくれた。

しかしその後、恐る恐る礼を言うと
父は毎回、冗談半分でこう言っていた。



「最後の贅沢だ、明日は一家心中だなぁ、ははは」



お皿の値段は気にしないで
好きなのを選べよと笑顔で言われても、

このブラックジョークは小学生の僕には
胸にズシリと重たかった。



当時の気持ちを割合にすると、

・趣味の悪い冗談なのか、精一杯ユーモアを出そうとしている
 父なりの努力なのかな、という気持ちが5割

・そんなにうちの家計は追い詰められてるのか、という不安3割

・そこまで家計が火の車なのに連れて来てくれたということは
 近いうちに本当に心中に巻き込まれてしまうかも知れない、
 という恐怖1割

・だとしたらお皿の色を気にせず好きなものを、
 なんてできるはずがなく、気を遣う気持ち1割



好きなお寿司を食べられたのは嬉しかったけど、
リラックスして楽しめなかったというか、

次の日がなくなるのと引き換えなのかな…。という不安。

それプラス、

ごくたまにであっても、
家族を食事に連れていくなんてなんて父らしくない、
という「あたたかい家庭らしい行為」への戸惑い。

素直に喜べず、深読みばかりしていた。

こういう環境に長らく居たことも
僕の深読み癖を助長させてるのかも知れない。



家族でお出かけ、家族で食事、旅行などなど、
いかにも「良き家族」らしいことが起きると
逆に不安になるものなのか、という疑問は尽きなかった。

ドラマなどでよくある
「家族みんなで、愛情のある団らん」なんてのは
国民を洗脳するための”偽りの理想形”なんだろうか。

だとしたらこの国は”理想の家族像”を洗脳教材にして
現場で不安と戦う子どもたちをどうしたいんだろうか。

学校の同級生や、みんなの家はどうなんだろう、
誰もが心中と隣り合わせで”家族”してるんだろうか。

小学生の深読みは
そんなところまで掘り下げられていった。



こういう、疑似・最後の晩餐の経験を
たくさん積んだからか、

僕は何事も鵜呑みにせず、自分で考える癖が付いた。

悪い言い方をすればひねくれたとも言えるが、
結局は心中に至らなかったところを見ると、

あの発言は場を和ませようとする父の虚しい努力、
の可能性が現時点で高い。



ブラックジョークなんて、できれば聞きたくない。

深刻過ぎるネタで不必要に周りを不安にさせるようなことは、
僕は決してしないと誓った。


posted by 理琉(ワタル) at 16:21 | TrackBack(0) | 家族

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8892056

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
検索
プロフィール
理琉(ワタル)さんの画像
理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
プロフィール
最新記事
カテゴリーアーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。