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2017年12月11日
プラハ散歩、今回は駅前ではない(十二月八日)
あれこれ事情があって、プラハに出ることになった。お昼ごろからの用件だったが、遅れるわけにはいかなかったので、早めに出ることにしてオロモウツを八時前に出るレギオジェットに乗った。チケットを購入したときには、まだ空席のほうが多かったのだが、昨夜確認したら全席予約済みになっていて驚いてしまった。
チェコには珍しい車内放送によれば、六両目の車両で暖房に不備が発生したため、空いている座席に移動してもらっていたようである。空席はないのではなかったかと不思議に思ったけれども、当初の予定の九両編成が十両になっていたような気もするから、一両分空席が増えていたのかもしれない。いや、六両目の不備が発覚した時点で、移動してもらうために一両追加したという可能性もあるのか。
プラハでの用件が終わったのが午後三時過ぎ、乗る予定の電車まで二時間ほどあったので、一緒にいた知人と、久しぶりにプラハ観光をしようということで、カレル橋のマラー・ストラナ側から散歩することにした。以前から行って見たいと思っていたプラハのコメンスキー博物館が近いはずだというので、まずはそちらに向かう。
聖ミクラーシュ教会の前の広場を何度か横断歩道を渡って通り抜け、細い通りに入ってしばらくいくと駐車場になっている広場に出た。なんだか立派な建物が建っていて、窓越しに見える天井や壁の様子から、教会じゃないかと知人が言い出したのだが、教会にしては塔がない。せっかくなので近寄って見て確認したら日本風に言うとワレンシュタイン宮殿だった。
コメンスキーの博物館は、ワレンシュタイン通りにあるはずだから近づいているのは間違いない。ワレンシュタイン宮殿の壁のプレートを見たら、チェコの国会と書いてある。国会の中でも上院が置かれているのが、このワレンシュタイン宮殿のようだ。そういえば、そんな話を聞いたことがあるような気がする。中庭にクリスマスツリーが飾ってあったのが妙に印象的だった。
広場の角を折れてワレンシュタイン宮殿の側面沿いに歩いていたら、別な入り口があって、ワレンシュタインと思しき人物の銅像が建っていた。中まで入っていいのかどうかよくわからないし、ワレンシュタインには特に思い入れもないので、外から見るにとどめて、反対側にあるはずのコメンスキー博物館を探したのだけど、知人があれだよという建物は、入り口が閉まっていて営業中には見えず、仕方なくそのままワレンシュタイン宮殿の建物沿いに足を伸ばしていたら、地下鉄のマロストランスカーの駅に出た。
意外なことにワレンシュタイン宮殿の裏側にある乗馬場の敷地の中に、地下鉄の駅が設置されていた。上院の裏側には国立美術館の一部が入っているようだった。驚いたのはワレンシュタイン宮殿の大きさで、これがすべて上院で使用されているのではないにしても、壁にいくつか空けられていた入り口の脇には、最後の地下鉄の駅に入るところを除いて、上院と書かれたプレートが貼られていたし、大部分が上院の施設として使われているのは間違いないようだ。上院でこれなら、下院の入っている建物は更に大きいのかななどと想像してしまう。
ワレンシュタイン宮殿を越えたところのトラム通りにはプラハにしては珍しい芝生の生えた広場といえそうな空間が広がっていた。そこにライオンの像、近づいて見て見たら有翼の獅子の像が置かれている。これは確か、第二次世界大戦中に、ナチスに占領されたチェコスロバキアを離れ、イギリス空軍に参加して、対ドイツ戦に参戦したチェコスロバキア兵を記念したものだったか、チェコスロバキアの解放に功績を挙げたイギリス空軍兵の記念碑だったか。
何年か前に、イギリス側の資金で像が完成した後に、プラハのどこに設置するかでもめていたのを覚えている。マラー・ストラナのどこかに置かれたというニュースは聞いていたのだが、こんなところだったとは知らなかった。長年チェコに住んでいるからといって、プラハに詳しいというわけではないのである。普通に観光に来る人のほうがよほど詳しいはずである。
近くにはもう一つ不思議な形の像があったのでそちらも見に行ったら、遠目からはわからなかったけど、チェコの国旗がモチーフになった像で、こちらは第二次世界大戦中に国内で抵抗運動を行った人たちにささげる記念碑だった。裏面には2005と製造年季が入っていたが、知人が共産主義の時代っぽいねなどといっていたから、この年は修復された年かもしれない。
そこからカレル橋の一本下流の橋を渡って駅のほうに向かう。当然、クリスマスマーケットでにぎわう旧市街広場を抜けることになるのだが、ちょっとなめすぎていた。予想していたよりも、いや、オロモウツで慣れているよりもはるかに人の数が多く、どんどん先に歩いていく知人の後をついていくのが大変だった。クリスマスツリーは、オロモウツもそうなのだが、例年よりも小さいものが使われていた。ただ電飾の過剰さは相変わらずで、だから落ち着いた雰囲気のオロモウツのほうが好きなんだよと再確認してしまった。プラハは全体的にケバ過ぎる。
途中でたまたま寄った国立美術館ではアジア芸術展というのをやっているようで、浮世絵が立て看板に使われていた。時間的な余裕がなかったので中に入ったわけではないけどさ。駅の近くで喫茶店に入ろうということで、アールヌーボーの市民会館の喫茶店まで足を運んだら、待っている人たちの行列ができている状態で、入れなかった。電車の時間が迫っていて待つ時間がなかったのである。この建物も、プラハにしては結構好きなんだけど、しかたがない。
そのまま駅まで案内してもらった。知人もプラハの土地勘はあまりないと言いつつ、駅前から旧市街広場ぐらいまでは、ほぼ完璧に覚えているようである。こちらはそれすらも怪しく、プラハなら、どこでも道に迷う自信がある。地下鉄やトラムを使うなんてとてもとても。やはり先達はあらまほしきものなのである。
2017年12月8日18時30分。
2017年12月10日
買い物苦手(十二月七日)
昔から物持ちのいい人間で、いろいろなものを長く使う傾向がある。夏物のスーツはチェコで、まだOPプロスチェヨフが健在だったころに買ったけど、十年ほど前のことだし、冬物のスーツに至っては日本で二十年以上前に購入したものを未だに着ている。着ているとは言っても、スーツなんてめったに着る機会がないから、着られなくなる要因もないのだけど。コートなんかの冬物、秋物の上着は着る機会が多く、そろそろ新しいのを買おうかなあと思いつつ、古いのを着続けている。
なぜかというと、買い物が面倒くさいのである。最初は、せっかく新しいのを買うのだからと、あれこれ考えて一番いいのを選ぼうとネットで確認したりもしてお店に出向くのだけど、商品を見ているうちに、どれがいいかなとか、どっちがいいかなと考えるの面倒くさくなってしまう。そしてたいていの場合は、まだ使えるからいいやという結論で買わずに終わってしまう。
ときどき、また買おうとか考えるのも面倒だから適当に買ってしまえで、後で自分でも何でこんなの買ったんだろと思うようなものを買ってしまうこともある。そんなものでも使っているうちに愛着がわいて長年使い続けることになるのだけど、それはつつましい性格とか、倹約の精神とか、そんな立派なものが理由ではなく、ただ単に、もう一度新しいものを買いに行くのが面倒だという、ものぐささが理由なのである。携帯電話で古いNOKIAを使い続けているのも理由は同じ。
そんな中、そうも言っていられないものが出てきた。ほとんど毎日のように使っているリュックが、まだ使えなくはないけれども、ファスナーの調子がおかしくなって開け閉めに問題があることが増えて、さすがにこれを毎日使いたくはないという状態になってしまった。近々所用で久しぶりにスーツを着て出かける機会が発生してしまったこともあって、コンピューターも入れられるような肩掛けのカバンを買っておこうかと、重い重い腰を上げることにした。PCについてきたのはあるのだけど、他のものを入れにくいのである。
ネット上でいくつかのお店を確認して、一時間ぐらいあれば何とかなるだろうと靴屋とかカバン屋の入っているシャントフカに出かけた。あれこれ見て回るけれども、ぴんと来るものがない。悪くはないんだけど……。自分の買おうという決意が強くなかったのかもしれない。バテャにネットで見てこれあったら買おうかなとおもっていた物がなかったのもよくなかった。
これでこのまま何も買わずに済ませて、ぼろぼろのリュックかPC用のバッグを使うことになるのかなあと考えつつシャントフカを出て、まだ時間があったので、ホルニー広場のバテャ、元プリオール内の靴屋なんかをのぞいたけど、結果は変わらず。その後、革製品のお店でカバンを中心に扱っているところがあったのを思い出して、立ち寄ってみた。
小さなお店だけれどもカバンの専門店だけあって数はそれなりにあった。革は手入れがなあと思って見ていると、革ではなく人工皮革のものとか、化学繊維のものとかもあったのでそちらから選ぼうかなあと考えていたら、お店のおばちゃん、おばあちゃんかもに声をかけられた。PCを入れられるような手提げ、肩ひも付きのカバンがほしいというと、いくつか該当しそうなものを引っ張り出してくれた。
スーツも上着も黒だからカバンも黒はちょっとなあということで何とも言葉では言い表しがたいくらい色合いのものが二つ候補として残った。一つはおばちゃんは皮のイミテーションと言っていたけれども人工皮革のもの、もう一つは化学繊維のもの。前者のほうが高かったのだけどおばちゃんは安易にそちらを勧めることはなく、化学繊維のほうがいいんじゃないかなあ、軽いし取り扱いも楽だしと言っていた。こちらが決めかねていると、鏡があるから手に持って写してごらんと言う。
その結果、おばちゃんの言葉に従って化学繊維のものを購入したのだけど、やっぱり買い物嫌いには、こういうちょっと親切すぎるぐらいの店員さんがいるお店のほうがあっている。買ったカバンもパッと見でピンと来てこれじゃなきゃとおもったわけじゃないけど、おばちゃんと話をしていてこれならまた長期間使えるかなと思えたので購入に踏み切ったのである。
その後、普段はリュックに放り込んであるさまざまなものをカバンにつめてみたけど、PC用と違って問題なく、特にストレスがかかることもなく全部入れることができた。これでスーツ着てカバンもってお出かけする準備は完了である。もう一つの悩みは、昔OPプロスチェヨフで買った黒のベストを着るかどうかだなあ。これは当日の朝決めればいいや。
次は靴かなあ、上着かなあ。どちらも最近買ってないんだよなあ。めんどくさがって、壊れて使えなくなってからにしてしまいそうだけどさ。
2017年12月8日10時。
2017年12月09日
ドーピング(十二月六日)
国を挙げてドーピングシステムを運営しているということで、ロシアが来年の冬季オリンピックから排除されることが決まった。去年のオリンピックでも陸上競技で出場を禁止されていたから、予想通りといえばその通りなのだけど、なんだか釈然としないものが残るのも確かである。あの国で国にドーピングを指示されて断固拒否するというのは難しいだろうし。でも、自ら積極的にドーピングに手を出した選手もいないとは言えないのか。
昔、ドーピングの禁止について、特に旧共産圏で盛んに行われていた国によるドーピングの強制、人体に危険な物質を与えてまで成績を上げようとする体制に対して、選手を、選手の生命を守るという意味があったのだという言を聞いたことがある。共産主義の国家だけでなく、スポンサーやコーチなどからの圧力でドーピングに手を染めざるを得なかった選手もいたはずである。オリンピックがプロ化する前はそこまでひどくはなかったのだろうけど、プロの自転車のロードレースの世界なんかは、未だに組織ぐるみのドーピングがはびこっているところがある。
そんな状況で選手を守る、どこまで効果があったのかはともかくとして、というのにはかなりの説得力があったし、ドーピングの検査は基本的に選手のためにあるものだと思っていた。そこには日本的な、ドーピングをしてまで成績を上げたいという選手はいないはずだという思い込みがあった。だから、WADAだったかなんだったか、ドーピングの有無を検査する組織の、ときに執拗なまでの追求には違和感よりも嫌悪感を抱くことが多かった。選手のためにやっているはずなのに、選手を追い詰めてどうするんだと。
これは日本でドーピングが発覚する選手の多くが、意図的なドーピングではなく、服用した風邪薬に禁止成分が入っていたとか、業者が問題ないといっているサプリメントから禁止物質が検出されたとかいう言い訳をすること、またそれが信じられる環境にあることが大きい。特定の人気スポーツにしか金の集まらない日本では、高額のつぎ込んでまでドーピングに手を出すのは、発覚したときのリスクを考えれば割に合わないという面もあろう。
そんな日本で培ったドーピング観をぶち壊してくれたのが、自転車のロードレースのアームストロングである。いや、アームストロングを筆頭とするロードレースの選手たちである。ツール・ド・フランスで大会が終了してから優勝者がころころ変ったし、大会中に首位に立った選手がドーピングの疑いで追放されたなんてこともあった。
IOCでは、組織的なドーピングが行われている疑いが強いとして、たしか重量挙げをオリンピックから除外することも考えているようだが、本気で組織的なドーピングを摘発し再発を防止しようと考えているのなら、まず自転車のロードレースを対象にするべきだろう。あれだけのスキャンダルを起こしてなお、未だに組織的なドーピングが行われていて、それにかかわっていたチェコ期待の若手選手が今年摘発されて出場停止の処分を受けていた。全世界的な人気を誇るスポーツだから、オリンピックからドーピングを理由に排除された場合の衝撃は、ロシアや重量挙げの比ではないはずである。その分、強い啓蒙にもなるはずだが、拝金主義のIOCには、金のなる木の一本であるロードレース除外なんてことはできないだろうなあ。
欧米の麻薬使用に対する理解不能の寛容さを考えると、スポーツ界からドーピングが消えるということはなさそうである。いっそのこと、一回の違反で永久追放にしてしまえと思わなくもないけど、寛容の精神に反する。もう一つの問題は特定の病気の治療薬がドーピングにも使われることで、たとえば喘息もちの選手が使う薬は、一般には禁止されているのだけど、所定の手続きを踏んで許可を取れば使用が認められる。
厄介なのは、その認められた薬を治療そのものに必要な分量以上に使用するという形でドーピングをしていると批判される選手もいることで、最近もノルディックスキーのクロスカントリーのツール・ド・スキーで優勝した選手が、喘息の治療薬の過度の使用を疑われて優勝を剥奪されていた。ただし、治療薬という名目で許可をえていたからなのか、出場停止処分を受けることはなかった。
もちろんこういう状況に不満な喘息を抱えていない選手もいて、喘息の選手は大会のときになると喘息が悪化して薬が必要になるなんて批判をしている人もいる。病気の選手に薬を飲むなとはいえないし、どこまでが適量で、どこからが過度になるのか判断がむずかしいという問題もある。ドーピングというのは厄介この上ない。昔は、日本的に、選手たちの善意を信じていればよかったのだろうけど、それこそ「健全な肉体に健全な精神が宿る」なんて具合にさ。
そうなると、かつて日本の知人が主張していたドーピングを認めてしまって、ドーピングありとドーピングなしの二つのカテゴリーで競技を行うというのが現実的かもしれない。ドーピングなし部門に出場して一度でもドーピングが発覚した選手は、今後ドーピングあり部門にしか参加できないようにしてしまえというのである。
競技レベルではドーピングありのほうが高く、クリーンなイメージではドーピングなしのほうが高くなるから、それなりに住み分けはできるような気もする。今までの選手を守るという建前がなくなり、闇のそこにあったものを無理やり日のあたる場所に引っ張り出すことになるのだから抵抗は多いだろうけれども、それぐらいのことはしないと今後もいたちごっこが続いて、大会自体が終了して何年もたってからメダルの返還、別の選手への授与という間抜けをさらすことになる。
メダルを取った選手のドーピングが発覚した競技に関しては、メダルなしで処理していいと思うんだけどねえ。ツール・ド・フランスのアームストロングの優勝年と同じようにさ。後から優勝者が変わっても印象に残らないし、優勝者なしの多い競技はドーピングの汚染度が高いということが一目でわかるようになる。そうすれば競技団体も本腰を入れて、今でも入れているかもしれないけどこれまで以上にドーピング対策に乗り出すはずである。
それはともかく、韓国での冬季オリンピックが無事に開催されることの願っておこう。今回はあまり見ないつもりである。
2017年12月7日25時。
2017年12月08日
HETリーガ秋の部終了(十二月五日)
土曜日の午後、ハンドボールの試合が終わった後、中継はなかったけれども、サッカーのHETリーガの今秋最終節が行われ、2位の座を狙うオロモウツは、リベレツでの試合だった。残念ながら0−1で負けてしまい、勝ち点だけでなく勝ち負けの数でも完全にスラビアと並んでしまい、得失点差でスラビアに2位の座を譲ることになってしまった。残念。
チェコのサッカーリーグでは、勝ち点が並んだ場合、シーズン中は得失点差を元に暫定順位をつけるが、最終節終了後は当該チームの対戦成績によって順位が決められる。スラビアとオロモウツの試合は、引き分けに終わっているので、現時点で得失点差によってスラビアが上にいるのは、しかたのないことである。最終的には逆転してくれんかなとは思うけれどもさ。
日曜日のスパルタの試合では、チェコの一部リーグで初めてビデオ判定が導入された。ある元選手は、ヨーロッパのチャンピオンズリーグなどで導入されているゴール審判が、しばしば目の前で起こった見えていなければおかしい反則を見逃すことが多く、導入の際の期待に全く応えられていないのを根拠に、ビデオ審判も期待倒れに終わるんじゃないかと悲観的なことを口にしていた。
一般的には、その反対にビデオ判定が導入されれば、ゴールと関係のあるシーンでの判定が公平な事実に基づいたものになるという期待が高いようである。最近、あれこれ問題のある場面が発生するたびに、ビデオがあればビデオがあればという選手たちの声が聞こえてくる。果たしてそんなにいいことばかりのものになるだろうか。ドイツでは今シーズンから導入されたけど、途中で使用をやめたなんて話が聞こえてきたのだけど、その情報が正しいかどうかはわからない。
ブルノから戻ってきて見たテレビのニュースによれば、導入一戦目からビデオ判定が活躍したらしい。この試合スパルタが3−0で勝ったのだが、最初の得点が、ゴールの上のバーに当たったボールがキーパーの背中に当たって、ゴールラインを越えたところでキーパーがつかんで引き戻したというものだった。
主審の位置からはボールはキーパーの後ろに隠れて全く見えず、線審が横から見てボールが完全にラインを越えたと判断して、主審に得点を認めるように指示を出したらしい。ただし、せっかくビデオという新しい武器があるので念のために試してみたら、線審の判断が正しいことが確認され、改めてゴールが認定されたのである。
ビデオによって判定がひっくり返ったのではなく、判定が正しいことが確認できたということなので、ビデオがなくてもスパルタの得点は認められていたのだから、大活躍というほどではないと思うのだけど。チェコの一部リーグでは、春から全試合導入を予定していたのだが、各節に一試合ずつビデオ判定を使える試合を設定して、もう少し様子見をすることにしたらしい。たったの一試合検証しただけで全試合適用は無理があるので、慎重になったのはいいことである。この辺の決定に、もしくは決定できないところに、サッカー協会の会長の不在があったりするのかな。辞任した会長のペルタ氏は結構鶴の一声で決めるところがあったようだし。
とまれ、HETリーガの第16節では、首位はプルゼニュが勝って安泰だったけれども、それ以外の順位で上位にも下位にも変動が出た。2位は、バロシュへの反則見逃しのおかげでオストラバに勝利したスラビアが入り、3位はリベレツに負けたオロモウツが得失点差でつけている。4位と5位のリベレツとスパルタは、どちらも勝ってオロモウツとの差は詰めたけれども、順位に変動は無し。
6位は、ドゥクラに勝って順位を二つ上げたテプリツェ。6位だったボヘミアンズはカルビナーに負けて7位に順位を落とした。8位には好調プルゼニュに完敗したヤブロネツ。9位は、チェコリーグでもヨーロッパリーグでもなかなか点が取れないズリーン。16節でもブルノと1−1で引き分けに終わっている。10位、11位は、ドゥクラとボレスラフ。どちらも負けたけれども順位に変動はなかった。
12位は残留争いから抜け出しつつあるブルノ。監督交代してから好調である。13位に順位を上げたのがこちらも監督を交代したカルビナー。このチームはいい試合しても勝ち点が取れないというのが多かったから、勝ち運に見放された監督を交代させたのは仕方がないのだろう。前節でオストラバにオフサイド見逃しのゴールで負けたときには、今年のカルビナーはつきがなさ過ぎるから降格は避けられないかと思ったのだが、ボヘミアンズに勝利して降格圏を脱出した。
14位は、監督交代があまり効果を発揮しなかったスロバーツコ。長年攻撃の中心だったドシェクがいなくなった穴を埋められていないのが低迷の原因である。それでも残留を争うイフラバとの直接対決に勝って最下位を脱出した。15位は前節でカルビナーに勝って降格圏を脱出したオストラバ、スラビアに負けて降格圏に戻った。最下位はイフラバである。
問題は、3位のオロモウツ、9位のズリーンを例外として、モラビアのチームが下位に固まっていることである。またモラビアのチームが減るのかなあ。プラハに4チームも入らないからボヘミアンズかドゥクラが降格してくれないものかと思うのだけど、どちらも伝統のあるチームだからなあ……。
ところで、来シーズンからチェコの一部リーグのフォーマットが大きく変わることが決まった。ベルギーやオランダでやっているように、リーグ戦が前節終了した後に、いくつかのグループに分けて、優勝、ヨーロッパリーグの出場権、残留をかけた追加のリーグ戦を行う形にするらしい。その結果試合数が増えるので、12月の後半まで試合があることになるというのだけど、寒さと雪は大丈夫なのか。最近暖冬のことが多いからオロモウツあたりなら多分問題ない。でもリベレツとかイフラバとか山間部のスタジアムで試合の延期が続出するような気がする。融雪装置はあっても降り続く雪を、そのまますべて融かせるわけではないのである。
サッカーの試合をテレビでぼんやり眺めるのが好きな人間にとっては、夏のシーズンオフよりも長い冬休みが短くなるのは歓迎すべきことではあるのだけど、気温が0度を下回った状態でサッカーってのは結構無茶なんじゃないかなあ。
2017年12月6日22時。
2017年12月07日
フロアボール?(十二月四日)
朝起きたら案の定、体調が悪化していた。頭が重いよりは痛いに振れていて、何も考えられない。寝汗が冷たくパジャマが張り付いて気持ちが悪い。とりあえず着替えて二度寝をしようとしたのだけど、睡眠時間は十分に足りているらしく、寝付けない。仕方なく起きだして、普段は午前中にはつけないテレビをつけた。ここんとこ日記じみてきたなあ。ただし完全なノンフィクションではない。
なんだか見たことはあるけど、よくわからないスポーツの試合が放送されている。体育館に設置されたコートの中を、プラスチックぽいホッケーのスティックみたいなものを手にした選手たちが、走り回っている。足元はローラースケートではなく普通の靴、ユニホームもアイスホッケーのような防具は着込んでいない。選手たちは小さな丸いボールをボールを追いかけている。ホケイバルとか、インラインホッケーとか、いくつかあるホッケータイプのスポーツの一つ、フロールバルとか何とか言う奴だ。
日本語で何というんだろう。英語のつづりっぽいからフロアボールとでもいうのかな。いや、日本でこんなスポーツ行なわれているのだろうか。なんてことをぼんやり考えながら画面を見ていたら、日本チームが試合をしていた。相手は同じアジアのタイである。アイスホッケーとは違って凍りのリンクの必要のないフロアボールは、南国のタイでもプレーできるんだろうけどさ。このときには、グループステージで、弱小国であるはずの日本とタイが同じグループで対戦していることの不思議さに気づかなかった。
この試合は、現在スロバキアのブラチスラバで行なわれているフロアボールの女子の世界選手権のグループステージの試合で、遠くアジアの国同士の試合ということで観客はほとんどいなかったけれども、日本人、タイ人と思われる人たちがスタンドの一角に陣取って応援を繰り広げていた。チェコテレビのコメンテーターも、決してフロアボールが盛んとはいえない両国で、プレーをしている選手たちがいて、代表チームを組織して世界選手権にまで出場してくるだけでも、その努力に頭が下がるのに、熱心に応援に駆けつける人までいて、これがフロアボールのさらなる普及につながるのではないかなんてコメントをしていた。
頭がぼんやりしていたので、この試合が現在の試合を中継していたのか、録画中継だったのかも確認しなかった。午前中という時間から考えると録画中継かなあ。試合数が多いから午前中から試合があってもおかしくはないような気もするけど。とまれ、ずっと1−1の同点で拮抗した展開が続き、日本チームは型にはまりすぎていて意外性がないから、タイのディフェンスに対応されるんだなんて解説を聞いているうちに、またまた居眠りをしてしまって気がついたら、試合終了間際で、日本チームが5−2で勝っていた。これでグループ3位に入ったということになるらしい。
フロアボールの世界選手権のフォーマットはちょっと不思議なもので、出場チームは全部で16チーム、まず上位の8チームと下位の8チームにわけ、それぞれ4チームずつのグループを作る。上位のABのグループの1位と2位のチームは、そのまま準々決勝進出が決まり、3位と4位のチームは、下位のCDグループの1位、2位のチームと準々決勝進出をかけたプレイオフを行う。残ったCDグループの3位と4位のチームは、13位から16位までの順位を決めるための試合が待っている。
つまりDグループで3位に入った日本は、グループCで4位のオーストラリアと、13位決定戦進出をかけた試合を行なうのである。グループCの3位はシンガポールなので、すべてアジア圏のチームということになる。準々決勝のプレイオフにまわった非ヨーロッパの国もアメリカだけしかないし、やっぱりヨーロッパのスポーツなのである。そのわりにはアイスホッケーと違ってアジア、オセアニアから全部で4チーム出場しているから、普及への意思はあると見ていいのか。ヨーロッパでも盛んではない国が多いと言うことなのか。
とまれ、日本でいろいろなスポーツが盛んになることはいいことである。野球、サッカーばかりがスポーツではあるまい。文部省には、放っておいてもお金のあつまるスポーツよりも、選手たちが身銭を切って活動を続けているようなスポーツへの支援を願いたいところである。高校、大学の無償化よりはずっと有用だと思う。経済的に恵まれない子供たちが、放課後にスポーツできるような環境を整えるのも国の仕事であろう。それとマイナースポーツへの支援を組み合わせると、いろいろなことができそうな気がするんだけどねえ。
2017年12月5日17時。
日本代表はオーストラリアとの試合に勝ち、13位決定戦に進んだものの、グループステージで対戦して勝利したタイに負けてしまい、14位で大会を終えることになった。ちょっと残念。でもこういうあまり知られていないスポーツだと日本代表を応援してしまうなあ。サッカーの日本代表とか、オリンピックの日本代表なんかは、チェコ代表のほうを応援してしまうけど、フロアボールは日本代表を応援してしまった、って具体的に何したってわけじゃないんだけど。12月6日24時追記。
2017年12月06日
ブルノ行き(十二月三日)
毎年恒例の十二月はじめのブルノ行きである。今年はじめのプラハ行きに続いて、えせ紀行文に挑戦してみよう。
七時過ぎにオロモウツを出る電車に乗る必要があるので、五時起きである。いつもより早起きが必要なときには、眠りが浅くなるというか、眠っているのかいないのかよくわからない状態で寝ていることが多いのだけど、今回は体調不良で眠さに苛まれていたせいか、比較的ぐっすり眠ることができ、すっきり目覚めることができたような気がする。不幸中の幸いというやつである。
冬時間が始まって朝の明るさが増しているとはいえ、緯度の高いチェコである。六時半ごろにうちを出たときには、まだ夜といいたくなるような暗さが街を覆っていた。気温は低いけれども、危惧していた雪も降らず、降った雪も完全に溶けていて、今日一日何とかなりそうだという気分でバス停に向かう。
週末の早朝の道路は、車の姿はほとんどなく、バスが遅れることはありえないのだが、ちょっと先に出てしまう可能性はある。ということで早めにバス停に向かったら、すでにバスが待っていた。そのバスには間に合わず、乗りそこなったかと不安になったのだが、一本前のバスだった。乗る予定のバスも少し早く到着して少し早く出発したので、早く出たかいはあった。
駅も金曜日の混雑とは比べ物にならないぐらい人の姿が少なく、切符を買うのにも行列せずにすんだ。レギオジェットやペンドリーノのような座席指定の必要な電車を使うときとちがって、チェコ鉄道の普通の電車を使うときには、事前に切符を買うようなことはしないのだ。オロモウツからブルノまで、片道で距離が100Km、運賃も100コルナ。チェコ鉄道の料金体系というのもかなり意味不明で、普通は距離が長くなるほど、1kmあたりの運賃が下がるものだが、ブルノに行くのに直行便がないときに、プシェロフを経由すると、距離は10kmぐらいしか増えないのに、値段は50コルナも上がるのである。
どうも、チェコの鉄道料金は幹線、一番近いルートが割安になる傾向があるようである。ただし、プラハ、オロモウツ、オストラバを結ぶ線は、レギオジェットやレオエクスプレスのようなライバル企業の参入があって競争が激しくなっているために、料金体系がさっぱりわからなくなっている。最近はペンドリーノもご無沙汰しているので、オロモウツ、プラハがどのぐらいするのかもわからないのだけどさ。
七時過ぎに、少しずつ明るくなり始めた中を電車が出発し、オロモウツの近くでは雪は完全に消えていたのだが、南西に向かいプロスチェヨフに近づくにつれて、畑の色が白くなっていく。茶色い畑ではあまり目立たない森から出てきて餌をあさっている鹿の姿が目立つようになる。普段は農地と農地にはさまれたところに残されている小さな森に住んでいるのだろうか。この辺の動物はチェコでは猟師たちが管理していて、冬の餌不足になりそうな時期には、森に餌を運んで与えているらしい。塩の塊を持っていくなんて話もあったなあ。
雪の量はブルノに近づくに連れて更に増え、ネザミスリツェ、ビシュコフ辺りになると、畑は完全に真っ白になっていた。ビシュコフといえば、広島の知り合いから聞いた話だけど、広島の高校とビシュコフの高校の間で交流が行われているらしい。それはいいのだけど、広島の高校生がビシュコフに来たときに、連れて行かれたのが、ビシュコフのビール工場だったというのは、いいのか悪いのか。チェコといえばビールというのは確かにその通りだけど、アルコールを飲んではいけない高校生を連れて行く場所ではなかろう。先生たちがおいしそうに飲んでいるのを、うらやましそうに見つめているしかなかったのではないかと想像をたくましくしてしまう。チェコではお酒もたばこも選挙権も全部18歳からだから、日本もそうだと誤解されていたのかもしれないけど。
ビシュコフのビール工場に関しては、十年ほど前に倒産したというニュースが流れ、経営を引き継ぐ企業も見つからなかったという話を聞いていたのだが、何とか復活したらしい。以前の大量生産の工場ではなく、地ビール的なミニ醸造所としての復活かもしれないけどさ。ビール会社が作っている組合には加盟していないようだし。
ブルノノ駅は今年の前半大々的な改修工事を行っていて、電車によっては郊外の駅までしか行かずそこから大体のバスで移動するという形になっていたのだが、その工事はもう終わっているはずである。改修を受けて使いやすくなっているのか、意味不明な改修で逆に使いにくくなっているのか楽しみである。プラハの駅は改修の結果、構内の店が増えすぎて使いにくくなったからなあ。ファンタの喫茶店が修復されたのはいいことだけど。
9時前に到着したブルノノ駅は、それほど大きく変わっているようには見えなかった。ホームが改修されてきれいにはなっていたのかな。ごちゃごちゃして降りるときにはいいけれども乗るときにホームの位置を探すのが大変な点も昔と同じで、あれだけ大々的に改修したのは何のためだったのだろうと言いたくなる。安全のための装置をどうこう言っていたような記憶もあるから、見えないところが改善されたのかなあ。
ブルノはオロモウツと比べると大きな街である。街が大きいだけでなく一つ一つの建物も、ウィーンほどではないにしても大きい。当然、クリスマスマーケットもオロモウツのものよりは大きいのだけど、以前何かの機会に覗いたときには品揃えに大きな違いがあるようには見えなかった。今回ブルノの中心の一つの、ゼレニー・トルフという広場を通ったら、コロトチが回転していた。移動式のメリーゴーランドみたいなもので、これはオロモウツにはまだない。いらんけど。
夕方6時過ぎに乗った電車は、朝暖房の効きすぎた車両に乗ったので、暖房控えめのあまり暑くない車両に乗り込んで座っていたら検札に来た車掌さんに、この車両は暖房が入っていないから別の車両に移動したらと勧められてしまった。だんだん寒くなってきたような気がしたのは間違いではなかったようだ。いまさら移動したくなかったので大丈夫といって同じ席に座り続けているのだけど、涼しいだったのが寒いに変わり、一度は脱いだセーターを再び身に着けた。マフラーも巻いて帽子もかぶったのに、これで大丈夫というわけには行かず、キーボードを打つ手がかじかみ始めた。
これで明日はまた体調不良がぶり返すのかな。再びの挑戦はやはり自分には紀行文なんぞ書けないという現実を教えるに終わったのだった。ふう。
2017年12月4日23時。
2017年12月05日
ハンドボール世界選手権開幕(十二月二日)
二年に一度行われるハンドボール女子の世界選手権がドイツで始まった。正確には、昨日の金曜日に開幕戦として地元ドイツの試合が行われているので、本日は開幕二日目である。チェコ代表は、南米のアルゼンチンとのグループステージの初戦を迎えた。去年のオリンピックでは地元のブラジル代表が意外な強さを発揮したが、基本的にヨーロッパ以外のチームは、草刈場となるものである。非ヨーロッパの強豪国としては、韓国が上げられるぐらいか。
だから、この試合、6チームからなるグループステージを勝ち抜いて、ベスト16に進出するためには絶対に負けられない、できれば大差で勝っておきたい試合だった。グループの他のチームは、まず、優勝候補の筆頭ノルウェー、最近の国際大会でノルウェーのBチームに負けたことを考えると、勝てるとは思えない。次にハンガリー、今年はじめのヨーロッパ選手権では、劇的な勝利を挙げて、それが大会唯一の勝利になったけれども、連続で勝てるとは思えない。
残りの二つのスウェーデンとポーランドはあまり情報がない。でも厳しいヨーロッパの予選を勝ち抜いての出場なのだから、簡単に勝てる相手ではありえない。チェコ代表がグループリーグを勝ち抜くためには、この二つの国のどちらかを追い落とすしかないのである。前提としてはもちろん、アルゼンチンに勝つことなのだけど。
それなのに試合の入りは最悪だった。最初の5分、10分は、アルゼンチンの攻撃は止められず、こちらの攻撃は得点にならずで、0−2、1−3ともどかしい展開が続いた。そこからドイツで活躍するフルプコヴァーとルズモバーのシュートが入るようになり、キーパーのサトラポバーが相手のシュートを止められるようになったので、一気に逆転して差をつけることに成功した。
最初はこの二人しかシュートを決められず、ベロニカ・マラーの惜しいシュートが二本外れたし、また二人におんぶに抱っこの試合になるような嫌な予感もした。強豪相手ならともかく、アルゼンチン相手にそうなってしまうと、先行き不安である。しかし、その予感は、前半の真ん中ぐらいから交代で出てきた選手たちが、次々にシュートを決めることで払拭された。特にフランスのディジョンでプレーしているリシャーコバーは、代表では過去最高というぐらいの活躍を見せてくれた。
点差は次第に開き始め、最大で7点差、前半終了時点では、15−9の6点差をつけていた。プレー内容でも、試合開始直後の10分前後を除けば、アルゼンチンに格の違いを見せ付けていたので、これなら大丈夫だろうと安心してしまった。それがいけなかったのだろう。ハーフタイムの特別プログラムで、2010年に監督に就任して以来、どん底にあったチェコのハンドボール女子代表を立て直すのに成功したバシュニーの特集が流れるのを見ているうちに、テレビの前で眠り込んでしまって、目が覚めたら試合は終了していた。
結果を見ると28−22、後半は13−13で引き分けに終わったようである。うーん。後半にも点差を広げて最低でも二桁の差をつけてくれると思っていたのだけどなあ。ちょっとばかりがっかりの結果である。これで、第二戦目のポーランドとの試合がますます重要になってくる。テレビの前で根落ちしないで、気合を入れて応援するぞと決意したところで、明日はブルノに行く用件があって、試合を見られないことに気付くのであった。大会の時期が一週間でもずれていてくれればよかったのに、残念。
テレテキストで他の試合の結果を確認していたら、日本がブラジルと試合をしていた、経過はまったくわからないものの、28−28で引き分けていた。相手がヨーロッパ外のチームだとは言え、勝ち点を取れたのはすばらしいことである。勝ち抜けは難しいだろうけれども、グループで最下位にならないことを祈っておこう。
正直な話、誰がいるかも知らない日本代表よりも、顔と名前の一致する選手の増えたチェコ代表のほうを熱心に応援してしまう。ベテランの域に入っているルズモバーが頑張っている間に、世界選手権でも、ヨーロッパ選手権でもいいので、優勝は難しいにしても、メダルに届くような成績を残してくれないかなあ。体格的にはサイドの選手でありながら、パワーとスピードで攻撃のときにはセンタープレイヤーを務めるフルプコバーも今の見ほれてしまうようなプレーを何年も続けられるものでもないだろうしさ。
2017年12月3日19時。
日曜日の試合で、チェコはポーランド相手に試合の大半を負けていたのだが、最後の15分ぐらいで大逆転に成功した。二試合終えて二勝、勝ち点4、これで勝ちぬけがほぼ決まりだったらいいのだけど、残念ながらそうは行かなかった。土曜日にポーランドがスウェーデンを破り、日曜日にはハンガリーがスウェーデンに負けてしまった。その結果、混線に拍車がかかってしまった。確実にづループステージを勝ち抜くためには、もう一勝勝っておく必要がありそうだ。
2017年12月04日
風邪引いた(十二月一日)
どうものどが痛くなりそうで、鼻の奥がツーんとした感じで、花粉症の頃ほどではないけれども鼻水が止まらずにたれてくる。昔日本にいた頃は、年末の休みが近づいてくると体調を崩しがちになり、休みが始まるとぶっ倒れて寝込むというのを繰り返していた。無理して仕事をしていたわけではないのだけど、一年の疲れ、それに寒さと忘年会疲れが重なってのことだったのかも知れない。
チェコに来てからは、特に年末にということはなくなった。年末に体調を崩すことはあっても、それは年末だからではなく、年末にたまたま寒波が襲ってきて、体が耐えられなくなるというのが、体調を崩す理由だった。日に日にゆっくり気温が下がっていってくれるのであれば、まだ対応できるのだけど、気温の上下動が激しいのには、特に冬の寒さの中では対応し切れない。
今年も、10月だったかなに、一気に冷え込んだときに、体調を崩しかけて何とか持ちこたえたのだけど、11月末の気温の低下と降り始めた雪には耐えることができなかった。もともと南国の人間には、毎年毎年、寒さと雪に慣れるまでにしばらく時間がかかるのである。ありがたいのは、すでに雪がやんで融け始めていることで、街を歩いていると屋根の上が通りに落ちてきて危険を感じることはあるけど、雪が降り続けて街が雪に覆われてしまうのに比べればはるかにましである。今回は融けてくれたみたいなので、ほっと一息というところ。
街が雪に覆われること自体はかまわないのだ。ただ、最初の積雪からではなく、徐々に積もる雪が増えて、こちらが寒さと雪に慣れたころにそのようになってほしい。それならこちらの体も寒さになれて多少寒さを感じるような格好で外に出ても問題ないし、汗もかきにくくなっているはずなので、暖房の効きすぎた室内で汗をかいたまま外に出て、風邪を引くということもしにくくなる。
以前は、風邪を引くと、風邪を引きかけると、必ず熱が出て咳と鼻水が止まらなくなるところまで悪化して平日は無理やり仕事にでて、週末寝込まなければ直らなかったのだが、最近は年をとったせいか、微熱状態で咳も鼻水も中途半端な状態が続くことが多い。タイミングよく十分以上の睡眠を取ることができたらそのまま治り、失敗すると悪化して寝込むことになる。去年の末から今年の初めにかけては、これに失敗してしまったせいで、一年連続毎日ブログを更新するという目標を、直前で達成できなかったのだ。
しかし、最悪なのは、風邪を引いたのか引いていないのかわからない状態がずるずると続くことで、風邪を引いてしまった場合には、開き直って無理をするか、諦めて寝るか決断もつけやすいのだけど、無理をしている自覚もないまま、良くも悪くもならない状態でバランスをとるような形になってしまう。頭が痛いというよりは重く、何も考えられないのではなく、考えられるけれども、まともなことが考えられない。ここしばらく、森雅裕の作品をネタにしながら、自分でも何とも中途半端名だなあという文章を書いてしまっているが、それはひとえに体調のせいで、頭がまともに働かないからである。
尾篭な話になってしまうけれども、結構お腹にも来ているので、文章を書いている最中にトイレに向かう機会も多いし、って、インフルエンザのかかりかけってことなのかなあ。おまけに昼間やたらと眠いし、昼間だけでなくて朝も夜も眠いけど、昼食後の眠さが耐えられないほどに辛い、今日は昼食なんてとってる余裕がなかったから、そこまで眠くはならなかったけど、うちに帰ってから、スラビアとオストラバのサッカーの試合を見ていたら、試合があんまり面白くなかったのと、オストラバのファンが持ち込んだ発煙筒をがんがん焚きやがったせいで、煙で選手もボールもよく見えいない時間が続いたのとで、寝てしまいそうになった。バロシュがPKよこせで大騒ぎしているので目が覚めたけど。
こんなしょうもない文章を長々と書くのもあれなので、この辺でおしまいにしよう。体調が悪いと文章の質もてきめんに落ちてしまう。元が高いというわけではないけどさ。久しぶりに愚痴になってしまった。
12月2日23時。
2017年12月03日
森雅裕『マン島物語』(十一月卅日)
中央公論社から刊行された二冊目の森雅裕の作品である。1990年の刊行、つまり『あした、カルメン通りで』よりも後の刊行だと思っていたら、その前1988年の刊行だった。発行日は森雅裕のこだわりのある4月5日。刊行順でいうと『マン島物語』が9冊目、『あした、カルメン通りで』が10冊目ということになるのか。この頃は2冊刊行される年が多かったんだよなあ。隔世の感がありまくりである。
森雅裕の作品としては最初の、推理小説的なものの縛りを脱した小説だといってもいい。「五月香ロケーション」はハードボイルド的だと考えれば、推理小説のすみっこに収めることができるし。このデビューした推理小説というジャンルからの離脱が、『さよならは2Bの鉛筆』の解説で、中島渉が書いていた「この作品を機に森雅裕は変わった」の具体的な内容なのかもしれない。刊行された順番に読んでいたらそんな印象を抱いていたのかもしれない。この流れが翌年の『あした、カルメン通りで』、翌々年の『歩くと星がこわれる』につながっていくのだろうし。
本作の中心的なテーマとなるバイクレースについては、すでに『サーキット・メモリー』で、ついでに芸能界についても、取り上げられているけれども、あれは殺人事件の舞台としてのもので、事件の背景というには森雅裕なので綿密に書き込まれていたけれども、バイクレース自体が作品の主要なテーマとなっていたわけではない。その意味では、森雅裕が書いた唯一無二のバイク小説なのである。
マン島といえば、バイクレースのファンにとっては伝説の地であるわけだけれども、世界最高レベルのGPレースが行なわれなくなって久しいために、レース結果や、レースそのものについての情報は、現在でも多いとは言いがたい。刊行当時はなおさらのことで、そんなマイナーなレースを小説の舞台に選ぶあたりが、森雅裕なのである。『サーキット・メモリー』では、世界GP出場を目指す主人公を描いていたけれども、当時はワークスと呼ばれたメーカー直系のチームでなければ上位争いは難しいという状況で、日本人レーサーがメーカーの派遣でない立場で活躍できるような場ではなかった。
そんな事情も含めて、主人公の三葉のレース人生が作品中で語られるわけだけれども、鶏口となるも牛後となるなかれ的に、下のカテゴリーで上位を狙うものの思うままにいかない現実、それでも勝利を目指してレースを続けマン島でのレースに赴いた三葉の前に、マン島にテレビ番組の撮影のためにやってきたアイドルのマネージャーを務める元アイドルの女性が現れて……、というのが、ネタばれしないように書いたあらすじということになる。
普段のレースで使っているホンダから、ドゥカティに乗り換える経緯、レースに至る準備の過程から丁寧に描写した上でのあの結末は感動的である。ガソリン切れで止まったバイクを押してゴールまでというのは、多分バイク乗りにはたまらない状況なのだろう。他の作家の漫画だったか小説だったかでも、状況は全く違うけれどもゴールまでバイクを押すシーンを読んだ記憶がある。
マン島のレースが登場する小説は、他にも読んだことがあるけれども、森雅裕のこれほどの感動はなかった。そこに森雅裕の作品だからというフィルターがあったことは否定しないけれども、レースシーンだけでなく、テレビ番組の撮影シーン、マン島の情景なんかも丁寧に描きこみ、全体的に完成度の高い作品になっている。ジャンルや個々の作品に対する思い入れを無視して、作品のできという点だけで評価するなら、この『マン島物語』こそ、森雅裕の最高傑作である。
90年代に入って刀剣へのめりこむようになってからの作品も、好きは好きなのだけれれども、題材との距離感ということを考えると『マン島物語』を越えられていないと。だからこそ、KKベストセラーズから、「森雅裕幻コレクション」として三冊だけ復刊されたときの一冊に選ばれたのだろうけど、それ以降の復刊がないのが非常に残念である。
森雅裕が、どこかでイギリスのマン島と、フランスのル・マンを混同している人がいて云々と書いていたのを覚えているのだけど、ル・マンのサーキットでも、車だけでなくバイクの24時間レースも行なわれていてそれなりに知名度はあるから、ヨーロッパの情報のほとんどなかった、あったとしてもマスコミの取捨選択を経て変化してしまった情報しかなかった時代を考えると仕方がないんじゃないかなあ。そもそもマスコミに混同している人間がいるからそんなことになるんだろうし。
中央公論社で文庫化されなかったということは商業的にはあまりぱっとしなかったということなのだろうか。漫画ならともかく、小説でバイクレースを描いた作品に対する需要というものがどのぐらいあったのかという問題もあるしなあ。バイクブームなんてものはあっても、バイクに乗って喜んでいた連中の多くが小説を読んでいたかというと疑問だし。鈴鹿の四時間耐久を描いた高千穂遙の『夏・風・ライダー』もそれほど売れたとは思えない。それに出版社の中公自体が、後継者問題とか、いろいろ厄介な問題を抱えていたようだから、一定数しか売れない森雅裕の文庫本を出す余裕がなかったという事情もあったはずである。
最後にもう一つ『マン島物語』の特質を上げておくとすれば、不毛の恋愛を描かせたら右に出るものはないとまで言われた森雅裕の作品にして、ほとんど唯一、ハッピーエンドに終わりそうな恋愛が描かれていることだ。その結末は描かれていないわけだけれども、うまくまとまりそうな予感と余韻を残して終わるこの作品、繰り返しになるけれどもどこかの出版社で再刊してくれないかなあ。恋愛小説として売ってもいいんじゃないかなあ。いや恋愛小説と呼ばれる小説を読んだことがあるかどうかもわからないので確信はないんだけど。
2017年12月1日23時。
2017年12月02日
理解しがたいことども2(十一月廿九日)
前回書こうとしてたどり着けなかったアメリカとロシアの話である。
未だに去年のアメリカの大統領選挙でトランプ氏が勝ったことを認めない頑迷な人たちが特にマスコミの世界にたくさんいるようである。それが、ロシアがアメリカの大統領選挙に干渉したという批判につながっている。ロシアのおかげで当選したトランプ大統領は、正当な大統領ではないと言いたいのだろう。
仮にロシアがアメリカの大統領選挙に何らかの形で干渉したのが事実だったとしても(事実だろうけど)、それを批判する資格がアメリカにあるのか。70年代のチリに干渉して、アジェンデ政権を倒すためにピノチェトのクーデターを支援したというのは有名な話だし、実はイスラエルのモサドもかかわっていて、犠牲になったチェコスロバキアのオストラバ出身の人物の子孫が、最近イスラエルの裁判所に軍事機密を公開するように裁判を起こしたというニュースが流れたなあ。
選挙に関してなら、冷戦下の日本では、自民党はアメリカから、社会党はソ連から、それぞれ政治資金を得ているというのが、公然の秘密のようなものだった。共産党はソ連だっただろうか、中国だっただろうか。
今回ロシアが批判されているのは、ロシア政府が雇った連中がクリントン氏が落選し、トランプ氏が当選するような工作をインターネット上で行ったということのようなのだが、こんなのって証拠をつかめるものなのかね。やった、やらないの水掛け論に終わって、何の成果もないまま時間だけが過ぎていくのが目に見えている。
そもそも、ネット上であれこれありもしない情報を流すのと、選挙資金として多額の現金を提供するのとどちらが、内政干渉として悪質がといえば、どう考えても現金であろう。ロシアとウクライナに限っても、アメリカから反プーチン勢力、反ロシア派勢力にかなりの金が流れているのも公然の秘密である。アメリカがロシアの反プーチン、つまりは反政府組織にお金の出すのは問題にせず、ロシアが反クリントンの、決して反アメリカ政府ではない活動をするのを問題にする。この辺がアメリカの傲慢さの表れなのであろう。
仮にアメリカが出している資金が、秘密の資金で表ざたになっていないからと言うのなら、ロシアの反クリントン、親トランプ活動も、ロシア政府自体は否定をしているわけだから、こちらも表ざたにはしない、もしくはできない活動である。結局自分のことは棚に挙げて、他者を批判していることには変わらない。
アメリカからロシアの反政府のNPOだかNGOだかにお金が流れているということに関しては、知人のロシア専門の政治学者から次のような話を聞いたことがある。ロシアの何とか研究所で、所長と研究について話していたら、電話がかかってきた。所長の知人のアメリカの研究者からの電話で英語でしゃべっていた。もれ聞こえる話だけでも、結構やばそうで聞かないほうがいいと思わされたらしいのだが、電話を切った後の所長の説明が凄かった。
何でも、アメリカの研究者は、政府の依頼で、民間の資金(どこぞの大金持ちがありがたいことに善意で提供したらしい)を、反政府のNPOに届けるために持ち込んだのだが、ロシアに入国してからすぐに秘密警察に尾行されていることに気づいたらしい。このまま届けると自分にも届け先の団体にも、大きな問題が起こるので、尾行をまく、もしくは一時金を預けるために協力してほしいという電話だったのだという。
所長はその依頼について、引き受けたけれども、当然のように報酬を要求したのだとか。研究所の所長なんて薄給だから、こんな役得でもなければやっていられないということだろうか。知人はきれいごとではない国際政治の最前線に巻き込まれそうな気がして恐ろしくなったと言っていた。こういうアメリカからの、銀行振り込みとは違って、記録の残らない現金の持ち込みによる反政府派のNPO支援が繰り返されることに腹に据えかねたプーチン大統領がやったのが、NPO、確か外国と関係のあるNPOの活動を禁止することだったのだ。
国際的な関係なんて、どちらかが一方的に100パーセント悪いということはありえない。それぞれの国が、合法非合法を問わず、直接間接、さまざまな形で、他国に対して有形無形の干渉を行なっているのだ。それを批判したところで、不毛な議論にしかならない。いや、駆け引きのネタにはなるのか。
それでも、このロシアの選挙への干渉疑惑ではトランプ大統領を追い詰めることはできまい。アメリカの大統領が任期を全うしないなんてことは滅多にないのだから、本気でトランプ大統領の解任、辞任を目指しているのなら、もっと工夫したほうがいいんじゃなかろうか。せめてウォーターゲート事件レベルの芸は見せてほしいところである。
とここまで書いて、理解しがたいことってなんだったんだろうと自分でもわからなくなってしまった。風邪気味で頭が朦朧としているから仕方がないのである。久しぶりに大失敗作だな。
2017年11月30日25時。