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2017年12月21日
寒さに弱くなったかもしれない(十二月十八日)
寒さの厳しいチェコに来て廿年近く、最近は毎年ではないけれども、マイナス10度を超えるような寒さにさらされてきたのだから、日本にいたころよりは寒さに強くなっているものだと思っていた。十年ほど前には、マイナス20度以下の日々を耐えることもできたわけだし、せいぜいマイナス5度ぐらいまでしか下がらない東京の寒さなんか、それに比べれば何でもなかったと思い込んでいたのである。
昨日、車で買い物に出かけたときに、車内は気温が下がって吐く息が白くなっていた。当然寒いと感じたわけだが、車の温度計を見るとマイナス2度でしかなかった。このくらいの気温であれば、東京はもちろん、田舎の九州でだって年に何回かは体験していたはずである。あちらでは、朝晩の一番冷え込む時間帯だけマイナスになり、こちらでは一日中気温がプラスにならないこともあるという点は違うけれども、仕事や学校への行き帰りの時間以外は室内にいるという点では、大差ない。
違うのは、気づいてしまった相違点は、自らの服装である。日本にいた頃は、真冬であっても今ほど厚着をしていなかったような気がする。靴は普通のせいぜい底の厚いショートブーツを履くぐらいで、内側が起毛になっている冬用の靴は持っていなかったし、そもそも売られているのを見たことがないような気もする。北国の人が冬靴とか雪靴とか言っているのは聞いたことがあるんだけど。それに靴の中に入れる中敷のとカイロなんてものは、使ったことがない。こちらでは冬靴に加えて起毛の中敷を使ってしまっているなあ。これは靴の大きさが合わないことへの対策でもあるのだけどね。
靴下も取り立て厚手のものを選ぶことはなかったし、今のように二枚重ねてしまうなんてこともなかった。靴下を重ねて履くというのは、健康法マニアの作家だったか、漫画家だったかが雑誌で自慢げに語っていたのを覚えているけれども、足が無駄に熱くなりそうで不快になりそうだったので、試しもしなかった。そもそもその作家のファンというわけでもなかったので、試す理由自体が存在しなかったということになる。
ズボンはどんなに寒くても、厚手のものをはくぐらいで、パンツとズボンの間にもう一枚履こうなんて発想はなかった。いや父親はさ、股引なんてものを履いていたよ。ただ、それが年寄りの履くものという印象を与えていて、自分では履きたいと思わなかった。それが今では秋が深まり気温が零度に近づくと、うちのにもう履くのという顔をされながら、ズボン下を履き始め、春もかなり遅い時期まで履き続けてしまうのである。
上も昔は、下着代わりに半袖のTシャツを着て、その上にシャツ、それにセーターかトレーナーを重ねて一番外側に上着という合わせてせいぜい4枚で、気温がマイナスでも外を闊歩していた。昼休みなんかは、上着もセーターも脱いで室内にいるのと同じいでたちで外に出ることも多かったなあ。寒かったけど耐えられたのだよ。首周りもマフラーなんて邪魔にしか思えなかったから巻くことはなかったし、ハイネックのセーターとか首がむずむずして着られなかった。それに防寒用の帽子は、被っている人はいたんだろうけど、それを自分で被ろうという気にはなれなかった。マフラーも帽子も使わなくても何となるものだったのだ。
それが今は、長袖のTシャツを下着代わりに着て、その上に特殊繊維で作られた下着を重ねる。この手の服を素肌に直接着るのが苦手なので、下に一枚入れるのである。さらにシャツを着て、セーター、上着が基本のパターンだから、最低でも5枚は身に付けていることになる。この前プラハに行ったときは、久々にスーツなんか引っ張り出したもんだから、全部で6枚も重ね着することになった。あまり寒い日ではなかったので電車を降りるときに一枚減らしたけど。
そして、マフラーもひどいときには二本巻く。上着の内側と外側に巻くと暖かさが違うんだよ。そして毛糸の帽子はもうマフラーやズボン下を引っ張り出す前から、外出の際の必需品になっている。出かけるときは暖かくて不要な場合でも、帰るときには必要になることもあるから、鞄の中に入れて行く。あまり使わないものといえば、手袋ぐらいのものだろう。これも寒くないからではなく、リーダーで本を読むのに邪魔だから使わないだけで、本が読めない状態だったら躊躇なくポケットから取り出して使用する。
考えてみれば、日本では外に出ている間のことよりも、行った先、学校だったり職場だったりのことを考えて、室内で暑くなりすぎないような格好を選んでいた。その一方、こちらでは、外の寒さに耐えることが第一で、室内で多少暑くても我慢してしまえという服の選び方をしているのである。来たばかりのころは、室内に入って汗をかいてそのまま外に出て、風邪を引くことがままあったのだけど、最近では厚着をしていてもそんなことはなくなった。その意味では寒さに体が適応し始めているとは言えるのだけど……。
日本と同じような気温であっても、日本にいたとき以上に厚着をしてしまうのは、多分十年ほど前のあの冬がトラウマになっているのだ。トラムの停留所まで歩くだけで筋肉痛になったあの寒さが骨身にしみて、ついつい必要以上に厚着をしてしまう。その厚着に慣れてきたということは、確実に寒さに弱くなっているということだ。それとも、股引はいていた父親と同じような年になってこらえしょうがなくなったということか。どちらにしてもあまり気分のいいことではないな。
2017年12月18日23時。
冬靴あった。12月20日追記。