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2017年12月09日

ドーピング(十二月六日)



 国を挙げてドーピングシステムを運営しているということで、ロシアが来年の冬季オリンピックから排除されることが決まった。去年のオリンピックでも陸上競技で出場を禁止されていたから、予想通りといえばその通りなのだけど、なんだか釈然としないものが残るのも確かである。あの国で国にドーピングを指示されて断固拒否するというのは難しいだろうし。でも、自ら積極的にドーピングに手を出した選手もいないとは言えないのか。

 昔、ドーピングの禁止について、特に旧共産圏で盛んに行われていた国によるドーピングの強制、人体に危険な物質を与えてまで成績を上げようとする体制に対して、選手を、選手の生命を守るという意味があったのだという言を聞いたことがある。共産主義の国家だけでなく、スポンサーやコーチなどからの圧力でドーピングに手を染めざるを得なかった選手もいたはずである。オリンピックがプロ化する前はそこまでひどくはなかったのだろうけど、プロの自転車のロードレースの世界なんかは、未だに組織ぐるみのドーピングがはびこっているところがある。
 そんな状況で選手を守る、どこまで効果があったのかはともかくとして、というのにはかなりの説得力があったし、ドーピングの検査は基本的に選手のためにあるものだと思っていた。そこには日本的な、ドーピングをしてまで成績を上げたいという選手はいないはずだという思い込みがあった。だから、WADAだったかなんだったか、ドーピングの有無を検査する組織の、ときに執拗なまでの追求には違和感よりも嫌悪感を抱くことが多かった。選手のためにやっているはずなのに、選手を追い詰めてどうするんだと。
 これは日本でドーピングが発覚する選手の多くが、意図的なドーピングではなく、服用した風邪薬に禁止成分が入っていたとか、業者が問題ないといっているサプリメントから禁止物質が検出されたとかいう言い訳をすること、またそれが信じられる環境にあることが大きい。特定の人気スポーツにしか金の集まらない日本では、高額のつぎ込んでまでドーピングに手を出すのは、発覚したときのリスクを考えれば割に合わないという面もあろう。

 そんな日本で培ったドーピング観をぶち壊してくれたのが、自転車のロードレースのアームストロングである。いや、アームストロングを筆頭とするロードレースの選手たちである。ツール・ド・フランスで大会が終了してから優勝者がころころ変ったし、大会中に首位に立った選手がドーピングの疑いで追放されたなんてこともあった。
 IOCでは、組織的なドーピングが行われている疑いが強いとして、たしか重量挙げをオリンピックから除外することも考えているようだが、本気で組織的なドーピングを摘発し再発を防止しようと考えているのなら、まず自転車のロードレースを対象にするべきだろう。あれだけのスキャンダルを起こしてなお、未だに組織的なドーピングが行われていて、それにかかわっていたチェコ期待の若手選手が今年摘発されて出場停止の処分を受けていた。全世界的な人気を誇るスポーツだから、オリンピックからドーピングを理由に排除された場合の衝撃は、ロシアや重量挙げの比ではないはずである。その分、強い啓蒙にもなるはずだが、拝金主義のIOCには、金のなる木の一本であるロードレース除外なんてことはできないだろうなあ。

 欧米の麻薬使用に対する理解不能の寛容さを考えると、スポーツ界からドーピングが消えるということはなさそうである。いっそのこと、一回の違反で永久追放にしてしまえと思わなくもないけど、寛容の精神に反する。もう一つの問題は特定の病気の治療薬がドーピングにも使われることで、たとえば喘息もちの選手が使う薬は、一般には禁止されているのだけど、所定の手続きを踏んで許可を取れば使用が認められる。
 厄介なのは、その認められた薬を治療そのものに必要な分量以上に使用するという形でドーピングをしていると批判される選手もいることで、最近もノルディックスキーのクロスカントリーのツール・ド・スキーで優勝した選手が、喘息の治療薬の過度の使用を疑われて優勝を剥奪されていた。ただし、治療薬という名目で許可をえていたからなのか、出場停止処分を受けることはなかった。
 もちろんこういう状況に不満な喘息を抱えていない選手もいて、喘息の選手は大会のときになると喘息が悪化して薬が必要になるなんて批判をしている人もいる。病気の選手に薬を飲むなとはいえないし、どこまでが適量で、どこからが過度になるのか判断がむずかしいという問題もある。ドーピングというのは厄介この上ない。昔は、日本的に、選手たちの善意を信じていればよかったのだろうけど、それこそ「健全な肉体に健全な精神が宿る」なんて具合にさ。

 そうなると、かつて日本の知人が主張していたドーピングを認めてしまって、ドーピングありとドーピングなしの二つのカテゴリーで競技を行うというのが現実的かもしれない。ドーピングなし部門に出場して一度でもドーピングが発覚した選手は、今後ドーピングあり部門にしか参加できないようにしてしまえというのである。
 競技レベルではドーピングありのほうが高く、クリーンなイメージではドーピングなしのほうが高くなるから、それなりに住み分けはできるような気もする。今までの選手を守るという建前がなくなり、闇のそこにあったものを無理やり日のあたる場所に引っ張り出すことになるのだから抵抗は多いだろうけれども、それぐらいのことはしないと今後もいたちごっこが続いて、大会自体が終了して何年もたってからメダルの返還、別の選手への授与という間抜けをさらすことになる。
 メダルを取った選手のドーピングが発覚した競技に関しては、メダルなしで処理していいと思うんだけどねえ。ツール・ド・フランスのアームストロングの優勝年と同じようにさ。後から優勝者が変わっても印象に残らないし、優勝者なしの多い競技はドーピングの汚染度が高いということが一目でわかるようになる。そうすれば競技団体も本腰を入れて、今でも入れているかもしれないけどこれまで以上にドーピング対策に乗り出すはずである。

 それはともかく、韓国での冬季オリンピックが無事に開催されることの願っておこう。今回はあまり見ないつもりである。
2017年12月7日25時。







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