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2017年08月11日
2002年のボヘミア大洪水(八月八日)
7月の初めは、1997年の洪水から20年目ということで、ニュースで当時の様子がひんぱんに取り上げられていたが、8月は2002年のボヘミアを襲った洪水から15年目に当たる。ブルタバ川が氾濫しプラハの旧市街、地下鉄などに大きな被害を与えたために、被害額で言えば、1997年の洪水を大きく上回ったらしい。
南モラビアのブルタバ川の上流とその支流で水位が上がり水があふれ始めたのが2002年8月8日のことだった。8月6日に、南ボヘミアや西ボヘミアで降り始めた雨が3日にわたって降り続け、特に南ボヘミアの小河川が洪水を起こしたという。チェスケー・ブデヨビツェを流れるブルタバ川の支流マルシェ川があふれて、町の中心の広場の近くまで水が押し寄せたのが特筆される。
このときの三日間の降水量はせいぜい200mmほどで、日本であれば梅雨の時期など普通に一日で降ってもおかしくない量なのだが、これで50年に一度レベルの洪水が起こってしまうのが、チェコの普段の降水量なのだ。そのレベルでの洪水対策なので、日本に慣れた目から見るとこの程度で洪水が起こるんだと不思議に思えるほどだった。
洪水の被害が大きくなる原因としては、ボヘミアを流れるのは、ラベ川という大河の支流で、流域面積が広いため、広範に降った雨がブルタバ川やベロウンカ川、そして本流のラベ川に集中するからというのも考えられる。それに日本の川と比べると流れが緩やかなために、水がなかなか流れて以下ないと言う面もあるだろうか。一番の問題が河川沿いに堤防はおろか、川原や河川敷のような増水を引き受けられるような余剰の空間がないことであるのは言うまでもないが。
ブルタバ川上流には、洪水対策として、最上流で最大のリプノダムをはじめ、いくつものダムが建設されていて、カスケードと呼ばれるまでになっている。この8月初旬の洪水の第一波に際しては、放流の量を調整することで、下流のプラハなどでは大きな被害をもたらすのを防げていた。9日には一度雨がやみ河川の水量は減少を始めたらしい。
これで終わっていればよかったのだが、11日には再び雨が降り始め、すでに容量が限界に近づいていたダムでは、決壊を防ぐために放流量を増やすしかなく、流出河川を持たない南ボヘミアのトシェボーニュの近くに多い、養殖のための池では周囲の堤防が決壊して水が溢れ出すところが出始めていた。洪水の第二波が始まったのである。
12日には、ボヘミア各地で洪水が発生し、政府が緊急事態警報を発するほどであった。13日には、プラハでブルタバ川沿いの旧市街で電気の供給が止まった。この時点で確か、プラハ市長はまだプラハは大丈夫だとか、地下鉄は安全だとか言っていたのかな。
それが14日になると、地下鉄の防水システムの不備もあって、特に中心部の駅が完全に水没して使い物にならなくなった。有名なのはフローレンツ駅に停車していた2編成の車両で、水が引いた後一年半以上の時間をかけて修復が行なわれ、現在でも運行されている。先頭の車両の一番前の部分の側面に青い色で水が波打つのを象徴するような二本の線が描かれているから、見ればわかるらしい。
地下鉄が水没するぐらいだから、ブルタバ川沿いのプラハの中心部はほぼ全域水没し、トロヤの動物園が水没したのもこの日だっただろうか。動物園から濁流に乗って逃走し、ドイツにまでたどり着いたガストン君は、プラハに帰って来る途中で力尽きて死んでしまったのだった。
プラハ市ではこの洪水以来、莫大な予算をつぎ込んで洪水対策を行なっているが、トロヤ地区だけはまだ対策が済んでいないらしい。動物園だけではなく結構立派で観光名所になっている城館も残っているから、何とかしてほしいものである。
プラハよりも下流でも洪水が起こるようになり、ウスティー・ナド・ラベムでは、川の両岸に広がる町をつないでいる橋が通行できなくなり、どちらかの側が道路も鉄道も分断されて、出入りのできない状態で取り残されたんじゃなかったかな。15日には、ネラトビツェにある化学工場が洪水に襲われ、塩素が流出するという事故が起こるなど、洪水の中心は、ブルタバ川流域から本流のラべ川流域に移り、フジェンスコを襲って、ドイツに抜けた。
フジェンスコはラべ川がドイツに抜けるところにある国境の町で、支流のカメニツェ川がラべ川に注ぎ込む合流点からカメニツェ川の峡谷に沿って発展した町で、ラべ川の対岸はすでにドイツ領である。夏場の観光シーズンは船で峡谷下りをする人たちでにぎわうのだが、このときをはじめ何度も洪水に襲われ、そのたびに大きな被害を出しているが、山が川の両岸に迫っているという町の立地的に有効な洪水対策をとれないようである。
他にも西ボヘミアのプルゼニュを通って蛇行しながら東流するラべ川の支流ベロウンカ川も各地で洪水の被害を起こしていたし、南モラビアの一番南、ズノイモの辺りを流れるドナウ川の支流ディエ川も大きな被害を出すなど、ボヘミアのほぼ全域とモラビアの一部に大きな傷跡を残した。
結局、このときの洪水では、17人の人がなくなり、20万人を超える人々が避難を余儀なくされ、700億コルナ以上の被害を被ったらしい。詳しい報告書はここにあるけど、さすがにこれをチェコ語で読む気にはならんなあ。
8月9日23時。
2017年08月10日
イーハ引退か(八月七日)
ちょっと前に、チェコのハンドボールファンにとっては衝撃的なニュースが飛び込んできた。衝撃のあまり直後には書けず、しばらく時間を置いてから書くことになってしまった。
最近は怪我で代表の試合を欠場することが増えているが、ここ十五年ほどのチェコのハンドボール界を牽引してきたフィリップ・イーハが、二年前にドイツのキールから移籍したスペインのバルセロナとの契約を終了したことを発表した。原因は、ドイツ時代の最後のほうから悩まされていた怪我の増加で、バルセロナに移籍してからは、怪我で欠場している時期が長く、期待されたほどの成績を残していないのである。
そして、現役引退をも考えているというのだけど、ということは、代表でも見られなくなるということか。今年のシーズンが終わった後、今の状態で代表に呼ばれるのは若い選手の邪魔をしていることになるとか代表引退を示唆するようなことを言っているのは知っていた。イーハもすでに三十代の半ば、いつかこんな日が来るのは覚悟していたけれども……。
イーハ不在の代表を見ていると、イーハがいればと思ってしまうのは、サッカーのロシツキーの場合と同様仕方がないことなのだろう。最近は代表がイーハに頼らないチーム作りを進めているところもあって、ちょっとさびしくもあるのだけど、今のチームにイーハが加わると、もう一段強いチームに慣れるのではないかなんてことも考えてしまう。
イーハはプルゼニュの出身だが、プロとして最初に契約をしたのはドゥクラ・プラハだった。その後、中東のサウジアラビアやカタールのリーグでプレーしている。多分まだカタールなどが外国人選手を帰化させて代表の強化を本格的に始める前だったのだろう。誘われたのを断ったのかもしれないが、いずれにせよイーハがアラブに買われなくてよかった。
待てよ、イーハがアラブでのプレー経験があるということは、イーハを通じてアラブのあぶく銭をチェコのハンドボールに引きずり込めたりはしないだろうか。その辺はチェコのハンドボール教会の偉いさんたちが考えることだな。スロバキアとの共同リーグのスポンサーにアラブの石油会社辺りを迎えられたら最高なんだけどねえ。
それはともかく、中東のリーグから、チェコ人が在籍することが多いスイスのザンクトガレンを経て、2005年にドイツのTBVレムゴーに移籍、EHFカップで優勝する。これはチェコ人選手としては22年ぶりのヨーロッパのカップ戦優勝だったらしい。2007年には、そこでの活躍が認められてドイツ、いや世界最強のクラブチームTHWキールに移籍している。
キールでは、8シーズン過ごしたわけだが、その間に、チャンピオンズ・リーグ優勝二回、準優勝三回、ドイツリーグ優勝七回などの圧倒的な成績を残し、個人としてもファンが選ぶ最優秀選手賞を二回、各チームの監督と主将が投票する最優秀選手賞を一回獲得している。ドイツリーグでプレーしていた時期は、ほぼ毎シーズン150ゴール以上、年によっては200ゴール以上決めており、それにヨーロッパのカップ戦での得点も加わるのだから、とんでもない選手だったのだ。
また、チェコ代表でも合計157試合に出場し874得点を挙げている。怪我での欠場がここまで多くなければ今頃はゴール数が四桁になっていてもおかしくなかったのだけど……。特に2010年のヨーロッパ選手権では、チームとしても8位に入る好成績を残しているが、イーハ個人は、決勝に進出したチームの選手たちよりも二試合少なかったにもかかわらず、最多得点と最多アシストを記録し、最優秀選手に選ばれている。その結果として、2010年の世界最優秀選手にも選出されているから、イーハのキャリアの中で2010年が最高の一年だったと言えそうである。
イーハだけでなく、今では代表の監督になっているフィリップ、クベシュ、他にもノツァルなんかのいた当時の代表に、もう一人、世界レベルのポストプレーヤーがいたら、もう少し上までいけたんじゃないかと夢想してしまう。チェコのハンドボールの問題は、なんと言っても層の薄さなんだよなあ。
バルセロナで期待されたほどの活躍ができなかったからといって、イーハの残してきた業績が色あせるわけではない。怪我をしにくくなるように、暖かくスケジュールもドイツほど厳しくないスペインに移っても、長年酷使した体は限界に近づいていたのだろう。バルセロナを退団するだけなのか、現役を完全に引退してしまうのかは、まだわからないが、世界的に見ても稀有な選手がチェコに生まれ、チェコ代表としてプレーしてくれたことに感謝しよう。イーハが出ているだけでチェコ代表の試合を見るのは楽しみだった。
最後に一つだけ、イーハに要望しておくとすれば、陸上の十種競技のシェブルレの後だけは追ってくれるなということである。イーハの趣味の一つはゴルフだって言うし、現役引退後、趣味だったゴルフでプロを目指して、オリンピック出場も目指すなんてシェブルレのようなことは言いだしてほしくない。イーハには、ハンドボールのイーハでいてほしいというのは、ファンのわがままであろうか。まあ頭のいいイーハがそんなお馬鹿なことを言いだすことはほぼないと思うけど、念のため。
8月8日23時。
2017年08月09日
アフリカ豚コレラ続報(八月六日)
ズリーン地方のイノシシの間で猛威を振るっているアフリカ豚コレラは、終息の気配はまだ見えない。次々に死んだイノシシが発見され、病気に感染していることが確認されている。その数はすでに三桁に近づきつつある。人間には感染しないい言う話ではあるけれども、あまり気持ちのいいものではない。
ただ、ズリーン、スルショビツェを中心とした周囲40kmほどの地域に押さえ込むことには成功しているようである。最初は使い捨てのプラスチックのコップにイノシシが嫌う忌避物質を樹脂の泡に混ぜて封入したものを、地面に一定の間隔で置いていくことで、汚染地帯からのイノシシの移動を防ごうとしていた。保健所の命令でこの作業を暑い中させられていたのは、猟師の人たちだった。
チェコ全土で始まったイノシシの数を減らすための狩りは、ズリーンに隣接する地域で最も重点的に行なわれており、クロムニェジーシュ、ウヘルスケー・フラディシュテェ地区だけであわせて千頭ほどのイノシシが殺された。現時点では狩りで殺されたイノシシの中には病気の固体は発見されていないという。
病気でないことが確認されたイノシシは、その後どこかで食卓に上ったものと信じたい。チェコで野生の動物の肉が食卓に上るのは、普通は秋の狩猟が解禁される時期になってからである。チェコ料理のレストランの中には、毎年シーズン中に「ズビェジノベー・ホディ(野生動物の肉感謝祭)」と題して、普段はメニューに載らないイノシシやシカ、カモなどの肉を使った特別料理を提供するところもある。時期はレストランによって多少前後するが、期間は一週間だけというのが相場である。知らないと逃してしまうので、野生の動物の肉が好きな人は、10月、11月ぐらいになったら探してみるといいかもしれない。
それはともかく、今回の狩猟で得られたイノシシの肉が市場に流れるようだったら、季節はずれの「ズビェジノベー・ホディ」なんてことになるかもしれない。いや、この夏の暑さを考えると、保存して秋に放出ということになるかな。そもそも秋に狩猟が解禁される理由を考えると、今回のイノシシの肉がどれだけ美味しいのかという問題もある。敢えて食べたいものではないので、どうでもいいと言えばその通りなのだけど。
病気の発生した汚染地帯では、現時点では狩りは行なわれていない。それは重点的に狩を行なうことによって恐怖でパニックに陥ったイノシシが、忌避剤で作られた防疫ラインを超えて逃走する可能性があるからだという。それで、現在は電線を張ってイノシシの逃走を防ぐ40キロに及ぶ柵で汚染地帯を囲む作業が進んでいる。当初の予定では消防士がその任に当たる予定だったのだが、夏の真っ盛りで休暇をとってバカンスに出ている隊員が多く、業者を雇って設置することになったらしい。
この事態は汚染地帯に住む人々の生活にも大きな影響を与えている。一番割を食っているのは人間ではなくて犬かもしれない。散歩そのものは禁止されていないようだが、町と町をつなぐ道や、野原、林などに犬を連れて散歩することが禁止された。散歩中の犬とばったり出会ったイノシシが驚きのあまり汚染地帯の外に逃げ出すことを警戒しているのだという。禁止された当初は、どこにも禁止の看板が出ておらず、知らずに散歩させている人がいるというニュースもあったが、状況は改善されたようである。
それから、小麦などの畑は収穫することを禁じられている。こちらはイノシシの餌が不足しないようにだという。刈り入れが済んで近くの畑に食べ物がなくなると、餌を求めて閉鎖地区の外まで出て行きかねないという懸念があるらしい。農家としては大損であるけれども、ズリーン地方がお金を出して買い上げることになっているのだとか。
いずれにしても、この場合感染したイノシシを汚染区域の外に出さないことが一番大切である。そのためだったら、予算をつぎ込むことをためらわないというのが、ズリーン地方のチュネク知事のコメントだった。
少し前に、ズリーンからはまったく反対側のカルロビ・バリの近くでも、死んだイノシシが発見され、アフリカ豚これらに感染している恐れがあると報道されていたが、現時点では感染していたという証拠は発見されていないようだ。
8月6日23時。
逃亡防止用の電線が張られたのは、結局最も汚染されていると考えられる地域を囲む12kmほどの物になったようだ。森には人間も立ち入りが禁止されるようになり、イノシシを驚かすことなく捕獲するための罠の設置も進んでいるようである。8月8日追記。
2017年08月08日
四戦全敗後半(八月五日)
木曜日は、まずベオグラードで全くいいところがなく0−2で敗戦したスパルタが、ツルベナ・ズベズダ(さすが同じスラブ系の言語だと思うのは、チェコ語のチェルベナー・フベズダにどことなく似ている点である)をプラハのレトナーに迎えた。イタリアから新監督を迎えて、わずか二戦を終えた時点で、ウルトラスを称する過激派ファンの不満は高まるところまで高まっている感がある。
七時のニュースを途中まで見て、チャンネルを替えると、すでに一点取られて負けていた。ボヘミアンズとの試合で怪我をしてギプスのお世話になっているトルコ代表のカヤの代役は、先週の試合では中盤に入っていいところがなかったマレチェク、怪我から復帰したM.カドレツはサイドバックに入っていた。先週先発していたバタジェルが怪我したっていっていたから仕方ないのか。
驚いたのが、先週は帯同もしなかったV.カドレツが先発していたこと。このあたりに監督が、チェコとチェコ人選手に遠慮して、自分の思うように指揮するところまではいっていないのではないかと感じてしまう。チェコ人としては、もう一人、中盤のフリーデクが出場して奮闘していた。ただ、V.カドレツよりはましだったけど、空回りしているところも多かった。
見始めてから後半の途中までは、ツルベナ・ズベズダの厳しい守備に、攻撃はほとんど得点の香りはせず、守備は幸運に助けられて失点を防ぐシーンがいくつもあったが、先週のベオグラードでの試合に比べれば、ところどころにコンビネーションの片鱗みたいなものは見えて、ちょっとは期待してもいいのかなという気になった。
その期待が現実になったのは、65分ぐらいにロシツキーが交代で出場した後である。残念ながらオーストリアのコレルことヤンコはすでに交代していたために、二人の組み合わせは見られなかったが、ロシツキーが中盤からボールを前に運び、前線へのパスの供給元となることで、いくつものチャンス、チャンスもどきを演出していた。
ツルベナ・ズベズダが勝ち抜けを確信して、守備がゆるくなっていたという面はあるにしても、正直これだけでこの試合を見てよかったと思えた。予選ではあるがロシツキーがヨーロッパの舞台に戻ってきて、全盛期には及ばないとはいえ、他のチェコ人選手とは隔絶したその実力を一部見せてくれたのである。それに比べたら、スパルタが、この試合も0−1で負けて、ヨーロッパリーグの予選で敗退したなんてのは些細な事である。
ベン・ハイムとラファタのシュートが、ゴールポストとバーを叩いたのも、入っていたとしてもスパルタの敗退は変わらなかったのだから、大したことではない。この日、20分ちょっとしかプレーしなかったロシツキーが完全復活して、代表クラスの外国人選手とロシツキーに、チェコ代表の主力を集めたスパルタを、ストラマッチョーニ監督には作り上げてほしいものだ。カドレツ二人やマレチェクなんかでは、物足りなすぎる。
この試合でまたまた発煙筒を焚いてチームの予算に穴をあけるのに貢献したウルトラスの連中は、ロシツキーが出場する前に、チームの状態が上がらないことに対する抗議か何かでスタジアムを後にした。ロシツキーの活躍を見られなかったのはザマミロである。この手の連中の騒ぎで、監督が解任されるなんてことがないように祈っておこう。
スパルタが失点して敗退がほぼ確定した後、残る期待はムラダー・ボレスラフが、スラビアと同様に、ホームでの勝利を勝ちぬけにつなげることだったのだけど、実現しなかった。前半をヤーノシュのゴールでリードして終了したときには、このまま勝てると思ったのだが……。今週のチェコサッカーを覆う不運は、ボレスラフをも襲ったのだった。
試合後のウフリン監督のコメントによれば、不用意に与えてしまったPKから同点を許し、相手のパスをカットしようとしてオウンゴールを叩き込んで逆転されたようだ。終了間際にボレスラフのシュートがポストをたたいてゴールに入らなかったこともあって、二戦合計の得失点差、アウェーゴールともに同じになり延長に突入した。
延長でも決着がつかずにPK戦で決着をつけることになったのだが、不運に取り付かれたボレスラフが勝てるわけもなく、敗退が決まってしまった。最後は相手のキーパーにPKを決められたあと、止められて決着という相手とっては劇的な結末だったようだ。ボレスラフはこれで、ヨーロッパリーグの予選三回戦六回連続での敗退になるのだったか。
ボレスラフが負けたことで、この二日のチェコのチームの成績は四戦四敗ということになった。スパルタとボレスラフは、完全にヨーロッパの舞台から姿を消し、スラビアは最悪でもヨーロッパリーグの本戦出場は確定、プルゼニュはヨーロッパリーグの予選四回戦に勝つ必要がある。スラビアがチャンピオンズリーグに生き残って、ズリーンとプルゼニュがヨーロッパリーグ出場ということになってほしいものである。チェコのチームが出ていないと、つまらないものになってしまうから。
8月5日22時30分。
スパルタは、11人目の補強としてインテルから、フランス人のビアビアーニを獲得。月曜日のボレスラフとの試合で先発させていた。8月7日追記。
2017年08月07日
四戦全敗前半(八月四日)
今週はチェコのサッカーにとって最悪の一週間だった。いや正確には、水曜日と木曜日が最悪の二日間だったのだ。もちろんサッカーのチャンピオンズリーグとヨーロッパリーグの予選についての話である。
スラビア・プラハは、ホームで1−0で勝った後、ベラルーシの第二戦に挑んだ。ボリソフまでの移動が大変で、首都のミンスクで一泊した後、試合当日の午後になって到着したというニュースもあった。中継したのはまた有料チャンネルのO2スポーツで、無料のチャンネルでは最初の10分弱しか見られなかった。
それなのに、スラビアの最初の失点を見てしまったのは、運がよかったというべきなのかどうなのか。相手陣内でボールを失うミスから、ミスが三連発、最後は無駄にエリア外に飛び出したキーパーのラシュトゥーフカがボールに触れず、頭の上を越されて失点。前途多難を思わせる出だしだった。これが、水曜日の午後7時5分過ぎのことだった。
その後は、チェコテレビの7時のニュースにチャンネルを替えたのだが、スポーツニュースでスラビアが前半終了間際にシュコダのヘディングシュートで同点に追いついたというニュースが流れた。これでボリソフはあと2点取らなければならなくなったわけで、スラビアの勝ち抜けは決まったようなものだと思った。これが7時50分ごろのこと。
8時過ぎからプルゼニュと、名称使用権をめぐる争いで、伝統的なステアウアの名前が使えなくなって改名したというFCSBの試合の中継が始まったので、テレテキストで確認したら、後半開始早々に失点して、あと1点取られたらスラビアが敗退するという状況に追い込まれていた。この後は、何とか失点しないように守るので精一杯だったらしい。ひどい後半だったと今日のニュースで振り返っていたのは、フシュバウエルだったかな。
それでも、この試合は負けてしまったが、いわゆるアウェーゴールの差でスラビアが勝ち進むことになったのだから、まだいいのである。クラブチームのヨーロッパのカップ戦における戦績を基にした国別ランキングのポイントが入らなかったのは痛いけれども、次の予選四回戦も勝ち抜いて本選に出場できれば、試合の勝敗でもらえるポイントとは、別に4ポイント加算されるのだから。四回戦の相手は、キプロスのアポエル・ニコシアとかいうチーム。これなら何とかなりそうだけど、格下のチーム相手に敗退を繰り返してきたのがスラビアなので油断大敵である。
問題はプルゼニュである。相手はチェコのチームにとっては相性が悪いルーマニアのチームである。ブカレストでの初戦は2−2で引き分け、勝てば勝ち抜けとはいえ、去年もホームで負けて敗退した記憶がある。
試合開始早々はプルゼニュのペースだった。いくつもチャンスを作ってすぐに点が取れそうな雰囲気だったのだが、相手のキーパーが当たっていたのもあって得点をあげることができなかった。それが試合を決めたといってもいい。FCSBのほうは、ほとんど最初のチャンス、ペナルティエリアのちょっと外で得たフリーキックから直接ゴールを決めた。前の試合でも同じような失点をしたのだから、対策をとれよと思ってしまった。
後半に入って70分ぐらいだっただろうか、クルメンチークがお腹で押し込んで同点。そのまま試合を終わらせることができていれば、勝ち抜けだったのに、そこからプルゼニュは一気に崩壊した。わずか8分の間に3失点なんて、いくら守備がゆるいプルゼニュでも滅多にあることではない。最後は、クルメンチークが相手の執拗なファウルにキレて退場になり、望みは完全に消えてしまった。
クルメンチークは、審判のほうを見もしないで、どうせ退場にするんだろというような態度で、あまり感心できたものではなかったが、それには伏線がある。この試合の審判が、ハンドボールの中東の笛のようにあからさまにプルゼニュに不利な笛を吹いたというわけではないのだが、肝心な場面での微妙な判定はすべてと言っていいほどプルゼニュのファウルにされていた。ルーマニアの選手のバルカンのハンドボール選手のような大げさにファウルされたことをアピールするプレーに、引きずられた面もあったのだろうけど、見ていて、その後のスローでの再生を見てもそりゃねえよという判定が多かった。そんなことでもなければ、プルゼニュが4−5とかならともかく、1−4なんてスコアで負けるわけがないのである。
これでプルゼニュは、ヨーロッパリーグの予選四回戦に回ることになったのだが、得点源のクルメンチークの出場停止は確実である。この二試合を通じて警告をもらった選手が多かったのも不安材料である。対戦相手はこちらもキプロスのラルナカ。去年までキプロスにいたペクハルトがプレーしていたチームかな。
一回で終わるはずだったのに、長くなったので以下次回。
8月4日22時。
2017年08月06日
『ヨハネス・コメニウス』を読んで3(八月三日)
三回目である。最近一つのテーマに関して長々と何回かに分けて書いてしまうのは、書くことになれてきたからか、簡潔に書く努力を放棄したからか、どちらであろうか。
さて、褒めてばかりだと(これでも本人としては絶賛しているつもりなのである)、利益供与を疑われかねないから(実際現物供与は受けているけど)、難点も指摘しておこう。やはり、H先生の教えてくれた飲んだくれとしてのコメンスキーをどのように位置づけるのか判然としないのが、一つ目の不満である。どう位置づけても、本書に描き出されたコメンスキー像が揺らぐというわけではないが、酒好きとしては気になってしまう。コメンスキーが残したお酒に関する記述があったりはしないのだろうか。
それはともかく、コメンスキーがままならないこの世の憂さを晴らすためにお酒を飲んでいたのか、アプサンに酔いしれた詩人たちのように、アイデアを得るために飲んでいたのか。コメンスキーにとって酒が絶望の象徴だったのか、希望の象徴だったのかなんてのは、コメンスキーとお酒の関係を考える上では重要である。
半ば冗談で、本書に登場する「開けた魂」という概念を使って、「閉じた魂」の状態にある人を、「開けた魂」の状態に導くものが、酒であると言ってみたくなる。錯綜した知識、情報の迷宮の奥から、光に向かって延びる体系的に結びついた知によって敷かれた道は、お酒を飲むことによって……なんてことを書くと、酔っ払いのたわごと以外の何者でもなくなってしまうから、この辺にしておこう。コメンスキーが、飲んでから書いたのか、書いてから飲んだのか、それが問題である。
もう一つの問題は、凡例にある。「オストラヴァを中心としたスレスコ地方」と書いてあるのだが、この前にボヘミア、モラビアと来ているので、ここでチェコ語の「スレスコ」を使うのはちょっと違和感がある。シレジアを使うか、チェコ語に統一して「チェヒ」「モラヴァ」「スレスコ」としたほうがよかろう。この辺、本来であれば編集者、校正者が指摘すべきところであるが、瑣末なチェコの地方名なんてのをチェックできる人ってのは、そうはいないのか。
それから、シレジアの中心をオストラバとしているのも気になる。オストラバはシレジアとモラビアの境界をなすオストラビツェ川の両岸に産業革命後の石炭産業の隆盛によって成長した町で、一つの町として統一されたのはさらに新しく、歴史的なシレジアの中心とは言いがたいのである。こんなことは、オストラバがまだ一つの町になる前の地図を博物館で見ているうちに、「モラフスカー・.オストラバ」と「スレスカー・オストラバ」という二つの町があるのに気づいて質問をしたら、わけのわからない答えが機関銃のように返ってきたなんて経験がないと、なかなか意識できないことかも知れない。
ところで、現在のオストラバを中心としたモラビアシレジア地方は、チェコに残ったシレジア全域に、モラビア地方のモラフスカー・オストラバ周辺の部分を合わせて出来上がった行政区分である。歴史的なチェコ領シレジアの中心都市としては、首都であったオパバの名前を挙げるのが一般的である。
最後に、地図の見にくさも指摘しておこう。コメンスキーゆかりの国外の地名が地図上に示されているのだが、特にスロバキアのあたりは、小さな範囲に多くの地名が錯綜していて、どの地名がどの点に対応しているのかがわかりづらくなっている。その前の、チェコ国内の地図も、チェコの地名が地図上に直接示すには長すぎることもあって、決して見やすいとはいえない。
どちらも地図上には番号を振って、地図外に番号と地名を表示するという形で処理したほうがわかりやすかったのではあるまいか。この辺も編集者の仕事である。地名のマイナーさを考えたら、見やすくても大差はないなんてことを考えたのかもしれない。
それでも、この地図を見れば、コメンスキーの移動範囲が、故郷のモラビアから見て、東方から北方を経て西方まで、満遍なく広がっていることに気づけるはずである。南方へと向かわなかったのは、カトリックの勢力範囲を避けてのことだろうが、コメンスキーは東方から西方へという単純な動きを見せた人物ではない。かつて追われた故郷への道を求めて北方のプロテスタントの勢力圏を、西に東に移動していたのがコメンスキーなのである。この望郷のコメンスキー、帰郷を望むコメンスキーというのも、本書を読んで現れてきたコメンスキーの一面なのであった。
以上、いちゃもんをつけるにしても、素人が付けられるのは、こんな細かいところしかない。そして、つけてしまうのもこちらがチェコに長く住んでチェコ人的な考えかたに侵されているからに他ならないのである。
8月3日22時。
電子書籍のほうが少し安いらしい。講談社、パピレスにも出してくれ!8月5日追記。
2017年08月05日
『ヨハネス・コメニウス』を読んで2(八月二日)
承前(ってこともないか)
本書で描き出されるコメンスキーの像は、非常に多面的である。一般に語られることの多い教育者、教育学者としてのコメンスキーには、うまく重ならない断片的なコメンスキー像が、本書を読むとコメンスキーの人生、思想の中に見事に位置づけられ、一筋縄ではいかない知の巨人コメンスキーの人物像が立ち上がってくる。
もちろん選書一冊でコメンスキーの全てを知ろうなんてのは、贅沢に過ぎるだろうが、本書を通じて得られたコメンスキー像があれば、今後得られる情報をそれに結び付け育てていくことができるはずである。
その一方で、これまで知っていると思っていたことを、コメンスキーを通して見つめなおすことも可能になる。例えば、三十年戦争というと、高校の世界史で勉強したどの国とどの国が同盟を結んでどの国と戦ったという政治的な見方に加えて、ハプスブルク家とチェコの諸侯の争いという一面、そしてスウェーデン軍に蹂躙され街は破壊され、多くの文化財を持ち去られたという被害者としてのチェコを強調する見方をチェコに来てから意識するようになっていたのだが、今回再カトリック化が進む中で亡命を余儀なくされた非カトリックのコメンスキーの側から見ると、また違ったものが見えてくることに気づかされた。
他にも「薔薇十字」「千年王国」「グノシス」「カバラ」などの神秘主義につながる言葉を見出して、大学時代に『薔薇十字団』という本を買ったことを思い出した。当時はコメンスキーの存在を知らなかったこともあって、内容も、コメンスキーが出てきたかどうかも記憶にはないのだが、意外と近いところまではたどり着いていたわけである。国文学を専攻していた人間が何でそんな本読んだんだなんてのは、気にしてはいけない。
言わば近代科学の黎明期だったコメンスキーの時代、神の実在性が揺らぎ、神学に真面目に取り組むと神秘主義に陥りがちだったのだろうか。希薄になりゆく神の存在を感じるために、神秘主義的な秘儀を必要としていたのかな。この辺はいわゆる新宗教の誕生と発展にも関係しそうだな。うーん、エリアーデの『世界宗教史』を読んで、神秘主義の流行った時代について学び直す必要がありそうだ。
コメンスキーの時代に各国の知識人たちの間にネットワークが出来上がっていたという話は、江戸時代の俳人のネットワークを思い出させる。芭蕉の紀行文に描き出されたのは、歌枕を巡って俳句を作るための旅であると同時に、地方に住む弟子達、俳諧関係者を訪ね歩く旅だったが、コメンスキーの流浪は、迫害を逃れての旅であっただけでなく、知己を訪ねる旅でもあったのだ。
そう考えると、絶望で心が折れそうになったに違いない逃避行の中でも、意欲を失わずに旺盛な執筆活動を続けたコメンスキーの心のあり方が理解できるような気がする。ここにもまた「心の楽園」があったのである。ならばコメンスキーの頭の中には、新たな知の体系を作り出す方法として、さまざなま知識をつなぎ合わせて統合することだけでなく、各地の知識人をつなぎ合わせてネットワーク化することも存在したんじゃないか、なんてことまで考えてしまう。
死後のコメンスキーに対する評価の変遷が書かれているのもありがたい。一般のチェコ人のコメンスキーに対する奇妙なまでの関心の薄さ――チェコの偉人と言われればコメンスキーの名前が上がるのは間違いないが、コメンスキーの思想や事跡について尋ねてもこちらが知っている以上のことが返ってくることは滅多にない――は、コメンスキー自身だけでなく、その評価も時代に翻弄されたことの反映なのだろう。
以上のように、本書を読むことで、コメンスキーについての知識が相互に結び付けられるだけではなく、そこから派生して知識の連関がさらに広がっていくのである。ちょっと気取って、これこそがあるべき知の営為だなんてことを言ってみたいけど、我が任にあらずだな。
それよりも、本書はコメンスキーについて全く知らない人が、一からコメンスキーのことを学べるのはもちろん、ある程度コメンスキーについて知っている人にも、知っているようで知らない新たなコメンスキー像を提供してくれるということを強調しておきたい。つまりは、コメンスキーに興味を持つ人にとっては必読の書なのである。いや、チェコに関心を持つ人は、須らくコメンスキーについても知るべきであることを考えれば、チェコに関心を持ったら、まず読むべき本の一冊なのである。
8月2 日23時。
2017年08月04日
『ヨハネス・コメニウス』を読んで1(八月一日)
チェコに、特にチェコの歴史や文化に興味を持つ人にとっては待望の、チェコが生んだ知の巨人ヤン・アーモス・コメンスキーの生涯やその思想について日本語で読める概説書が講談社から出版されたことはすでに記した。しかしその本についてこれまで何も書いてこなかったのは、まだ読んでいなかったからである。読まずばなるまいなどと書いたにもかかわらず、情けない話である。
実は、読むしかないと書いておきながら、手に入れるすべがなかったのだ。日本にいればちょっと本屋にまで足を伸ばして購入することが可能でも、チェコに住んでいるとそんなこともできない。ネット上でアマゾンなんかを通しての購入は可能だろうけど、チェコまで発送してくれるのかどうか確信がない。電子書籍版を買おうと思っても、ソニーのリーダーで読めるものはない。
それで、日本に行く知人に買ってきてもらおうかなんてことを考えていたら、そんな買うに買えない事情を斟酌してくださった著者から寄贈を受けてしまった。ありがたいことである。これも役得、チェコ関係の著者と親交のあるものの特権なのである。そういえば別の著者からも著書を頂くことになっているのだった。最近もらってばかりで差し上げるものがないのが辛いなあ。酒造りの勉強でもしてみようか。
さて、この手の文章で、どこまで具体的な内容に触れるのがいいのかわからないのだが、酔郷に入りし後、本書を通読しての感想は、つながり、そして重なったというものである。
これまで日本、チェコ双方のコメンスキー研究者と、知識のないままに話をして泥縄式に知識を増やし、素人にしてはコメンスキーに関する知識は豊富だったと自負している。しかし、それらの知識は、一部を除いて、相互の関連もなくばらばらに放り出されている状態で、あるべきコメンスキー像のどこにどのように位置づければいいのかもわからないような状態だった。
それが本書を読むことで、知識と知識が結びつき、また欠けていた情報が補われることで、新たなコメンスキー像が立ち上がってきた。それは確実にこれまで知っていたコメンスキーでありながら、知らなかったコメンスキーでもある。別な言い方をすれば、これまでいくつかに分裂していたコメンスキー像が統合されたとでも言えようか。
かつて著者のコメンスキーに関する講演を聞いて、最初のうちは一つ一つばらばらなコメンスキーに関する情報が提供されているだけで関連性が見えなかったのに、最後の部分まで聞いたときには、それらの情報が一本につながり、目の前に道が開かれていくのが見えるような思いをしたことがある。本書のテーマとなっている「光」という言葉を借りるなら、その道の向こうに光が見えるような気さえしたのである。
以来、コメンスキーの著作『地上の迷宮と心の楽園』の題名について、素人解釈ではあるが、「地上の迷宮」というのは、情報が錯綜し、何を信じていいのかもわからない状態、もしくは断片的な知識、情報はあっても、そこから全体を把握できずにいる状態、つまりは情報や知識の海におぼれて苦しんでいるような状態を指し、「心の楽園」というのは、情報や知識が有機的に結びつき、統合された知識から本当の知とも言うべきもの、迷宮の出口の光へと続く道が見えてくる状態を指すのだと考えている。
本を読んだり、講演を聞いたりしたときに、無造作に取り上げられた個々の情報が、著者や講演者の手にかかり結び付けられることで、思いがけない、同時に説得力のある結論にたどりついて、魔法を見るような思いをしたことはないだろうか。著者の講演がまさにそれで、コメンスキーが目指した知のあり方というのが、これだったのではないかとまで感じたのだった。そして本書もその系譜に連なる。
正直な話、上に書いた「地上の迷宮」の解釈は、インターネット全盛の現代にこそ適用できても、コメンスキーの時代に適用できるのかなと、自分自身でも懐疑する気持ちがあった。それが、本書に当時書物の氾濫が問題になっていたというような記述があって、あながち間違いではなかったのかもしれないなどと思ってしまった。そうか、グーテンベルクの活版印刷とルターの宗教改革のことを思い出せば、コメンスキーの時代に、前時代と比べて多すぎる情報の氾濫が起こっていてそれが迷宮とも形容したくなるようなレベルに達していたとしても不思議はないのか。また一つ知識がつながったぜ。
だからコメンスキーが、教育を印刷にたとえたのも、そんな時代を反映していると同時に、教育の最初の段階として、基礎的な知識を一律に詰め込むことを意味しているのではないかと解釈する。そして、詰め込まれたことで生じた知識の迷宮の中から、出口への道を見つけ出すために、個々の知識を取捨選択し、選択したものを体系化する。その体系化を学ぶのが教育の最終的な目標、もしくは自ら学ぶことの意味ではないだろうか。
この解釈は、自分でも自分に引き付けすぎた解釈だと思う。ただ、80年代のいわゆる詰め込み教育批判に影響されて英語の学習に失敗し、文法事項をひたすら詰め込むことによってチェコ語を身につけた人間としてはそんなことを考えたくなるのである。もちろん、文法を詰め込んだ上で、日本語話者から見た自分なりのチェコ語の体系化を図ったからこそ、ここまでチェコ語が使えるようになったのだ。このチェコ語の勉強の仕方をコメンスキー的と言うことができたら、運命的で、これ以上の喜びはない。
酔郷の中で読み、猛暑に耐えながら記した以上の文章がどこまで本書の魅力を伝えられているかは心もとないのだが、献呈してくださった著者には寛恕をお願いしたいところである。
8月1日21時。
2017年08月03日
飲而語、語而復飲(七月卅一日)
土曜日の三人での宴は、当然酔郷に及んだのであるが、自邸での饗宴ではなかったので着ているものを脱いで与えるには至らなかった。当然の話ではあるし、こんな『小右記』を読んでいる人にしか通用しない冗談から始めてしまうのは、どこから書き始めていいのかわからないからである。断片的な話の内容に取り囲まれて、どちらに進んでいけば出口の光が見えてくるのかもわからない、迷宮の中にいる気分である。
とりあえず、土曜日にいろいろ話をしたなかで考えたことを、思いつくままに記してみようと思う。まずは世界に恥を撒き散らしつつある政治の話だが、二人とも政治的には特に支持する政党があるというわけではなさそうだった。ネット上で読む新聞などの政治記事は、個々のマスコミのフィルターがかかっていて、日本で普通に暮らしている政治的に右でも左でもない人たちの考えというものが見えてこない。だから日本を離れて長い人間にとっては、貴重な機会でもある。
マスコミが客観性を失って自らの正義に陶酔してしまっては、存在意義を失うことになると思うのだが、日本のマスコミにはそれに対する危機感さえないようである。自己の正義に陶酔することが許されるのは、せいぜい宗教家と革命家ぐらいのものだ。ただしこの二つに現代の社会で存在意義があるかというとそれはまた別問題であるが。
とまれ、二人とも現在国会で行なわれているらしい茶番劇にはうんざりしているようで、ほかに重要な議論されるべきテーマがいくらでもあるはずなのに、それらをすべて放り出して、よく言っても針小棒大としか言えない疑惑を元に、延々と無意味な追及を続ける野党側は評価のしようもないと言っていた。だからと言って、首相の側を評価するかというと、そんなことは全くなく、ここまで議論が紛糾してしまった原因は首相の不用意な言動、特に周囲にお友達ばかりを集めた政権運営に問題があると批判していた。
与党の支持が下がっても、野党の支持が上がらず、その反対にもならないとなると、新政党の出番だと言いたいところだが、都議選で躍進した東京都の新しい地域政党ももぐりこんだ旧来の政治家に牛耳られ始めているようで、与党に対しても野党に対しても期待できなくなってしまった層の受け皿にはなれそうもない。
そうなると、旧態依然のそしりは免れないだろうが、自民党内の権力闘争の中から、新たな首相が誕生して日本の政治が正常化(チェコ的にはあまりいい意味で使われる言葉ではないが)されるのを期待するしかない。ということで、安倍首相の次の首相候補の話になったのだが、何人か名前の挙がった候補は、年齢や能力などの面で、それぞれ一長一短というところだった。
ただ、二人の意見が一致したのは、小泉進次郎氏が将来の有力な首相候補となりつつあるということだ。次の首相というには若すぎ経験不足を否めないが、このまま経験をつめば待望論が出てくるのは間違いないと言う。何でも農協改革に力を入れていて、若さに似合わぬ老獪さで成果を挙げつつあるらしい。
正直な話、親の七光り以外にとりえのない典型的な世襲議員だと思っていたのだが、それは偏見だったようだ。父の小泉首相が自民党の支持基盤の一つであった郵便局を解体したのに続いて、自民党の大票田を解体しようというのだからなかなかのものである。
世襲議員が増えるのはよくない。女性の政治家の数が少なすぎるから女性の政界進出を支援しなければいけない。どちらも正しく、二世議員を制限し、女性の候補者を増やすのは必要なことである。ただそれを教条主義的に適用してはいけないということなのだろう。世襲議員の中にも本当に能力のある人はいるし、女性だからという理由で能力を超える地位を与えてしまえば失敗するのである。
その失敗した女性政治家の象徴とも言うべき二人が、同日にそれぞれの役職を辞任したわけだけど、その差が三時間しかなかったという話を聞いて笑うしかなかった。野党の党首のほうは、かつて無責任に政権批判しておけば、一定の顧客のニーズを満たせるテレビのコメンテーターを務めていたという話で、コメンテーター的に批判のための批判に終始したのでは共産党の党首は務まっても、政権奪取を狙う野党の党首は務まらない。二重国籍の問題がなくても、遅かれ早かれ辞任に追い込まれたであろうことは想像に難くない。
防衛大臣のほうは、安倍首相のお友達内閣の象徴らしい。辞任のきっかけとなった出来事自体は、本人の責任というよりは、法的な位置づけのはっきりしない自衛隊を、法的にはっきりしない任務に送り出さざるを得ない状況を作り出したまま放置した政治家全体の責任であろうが、能力の欠如を批判されても仕方のない言動を繰り返していたようである。できるだけ話題になりにくいように、野党の党首の辞任直後に辞任したという姑息さは本人のものなのだろうか。首相の指示という可能性もあるのか。
問題が発生したことを貴貨として、自衛隊の海外派遣の条件、任務についての法律の見直しと整備を訴えるぐらいの芸は見せてほしかった。今の自衛隊の国外任務のあり方は、国際的に見ても国内的に見ても健全なものではあるまい。今のままでは、黙って死んできてくれと言って任務に送り出すことになりかねないのである。
この二人以外にも女性政治家の不始末が相次いでいて、女性の政治家の比率を上げるための優遇が、かえって女性のさらなる政界進出の妨げになっている。男性にも世襲議員を中心に、不始末を起こした女性議員以上に無能なポンコツ議員はいるはずだから、本当に政治的に有能な女性を見出してふさわしい地位につけていくだけでいいはずなのに、与党も野党も有権者受けがいい見た目のよさで女性を評価するからこんなことになるのだ。
かつて、小泉首相が、自民党をぶっ壊すとか何とか言って、派閥や当選回数などそれまで重視されていた選抜の基準を無視視して、閣僚の任命を行なった。あれが、実力主義の選抜だったのかも、あれによって自民党がどこまで変わったのかも、よくわからないが、今の自民党は、小泉以前の自民党と大差ないようにも見える。野党のほうも社会党並みだから自民党が勝っているという面もありそうだけど、自民党の窮状を救うとして期待されているのが、かつての自民党的にあとを継いだその息子だというのも、皮肉なものである。
うーん。酔郷の迷宮から光にたどり着くところまではいけなかったなあ。酔いの残った頭で考えていたときは、光をたどって楽園にまでたどり着いた気がして、コメンスキーとお酒の関係について考えた説を証明できそうだと考えていたのだけど。酔っ払いの頭の働きなんて所詮そんなものってことか。
8月1日12時。
2017年08月02日
帰ってきたロシツキー(七月卅日)
七月廿八日金曜日に、今シーズンからヘット・リーガと名前を変えたチェコサッカーの一部リーグが開幕した。開幕しただけなら、最近サッカーねたが続いているので、わざわざ書くつもりはなかったのだけど、ロシツキーさまが、あのここ二年間相次ぐ怪我でろくに試合に出ていないチェコサッカー界の希望の星トマーシュ・ロシツキーが、ほぼ一年ぶりに試合に出場したというのだ。試合の映像を見ていないので、どんなプレー振りだったなんてことは書けないにしても、一文物しておかなければ後悔するというのものである。
今シーズンの開幕戦は、ブルノ対バニークのモラビアダービー(バニークが本拠地をシレジア側のバザリから、モラビア側のビートコビツェのスタジアムに移した以上そう呼んで問題はあるまい)だった。ブルノには去年から元代表のポラークが復帰しているし、バニークには元代表のエース、バロシュが、二度目の復帰を果たしている。元代表の中心選手対決でもあるのだ。
昇格したばかりのバニークは、開幕直前に守備の要だったザーポトチニーとの関係がこじれ、契約解除に至り、直前の親善試合では守備が崩壊して大惨敗を喫していたので、この試合もブルノが有利だろうと思っていたのだが、二部のズノイモから移ってきた新監督のクチェラが見事に立て直してきた。大口叩き系の監督のハバネツが率いるブルノが情けなかったという話もあるのだが、新シーズンの開幕最初のゴールを決めたのもバニークで、最初の試合に勝ったのもバニークだった。
バロシュは後半途中から日本人の耳に優しい名字のシャシンカに代わって出場し、復帰した初戦でゴールまで決めてしまった。そのゴールもあってバニークが3−1で勝利した。オロモウツ的には、長年オロモウツの守備を支えてきたシンデラーシュが、出場していたのが印象的たった。
チャンピオンズリーグの予選で二度のリードを守れなかったプルゼニュは、土曜日にドゥクラを迎えての開幕戦に臨んだ。ブルバのチームの特徴の一つとして、無駄に選手を増やさないというのがある。国内リーグと、ヨーロッパのカップ戦とで厳しいスケジュールになっても、ある程度固定されたメンバーでやりくりするのだ。この試合も、火曜日の試合と先発メンバーはほとんど同じだった。
火曜日は出場停止だったヘイダが復帰して得点を決め、怪我で欠場かと思っていたホジャバも元気に出場して得点したから、プルゼニュでのFCSB戦では活躍を期待しよう。フロショフスキーとクルメンチークのゴールもあって4−0でプルゼニュが勝った。相手がドゥクラとはいえ完封したのは守備陣にとっては自信になるかな。
スラビアは昨シーズンの後半、つまり今年の春は絶好調だったテプリツェをエデンに迎え撃った。スラビアのシルハビーは、ブルバとは対照的に、中盤から前の選手をごっそり入れ替えてきた。そのせいもあってか、あまり褒められた内容の試合ではなかったらしい。誤審でもらったPKを新戦力のアルティントップが決めた一点しかとれなかったが、何とか1−0で勝利。今年の春から導入されるされるというビデオ判定が導入されていれば……というのがテプリツェ側の心情だろうか。
監督のシルハビーは、どんな形でも勝ちは勝ちで、失点しなかったことも含めて、ベラルーシでのボリソフ戦に向けて勢いがつくと正直に評価していた。それに対して、オーナーを務める中華資本の代弁者トブルディークは、こんな勝ち方は望まないとかツイッターでかっこつけていたらしいが、こいつの言うことを真に受ける人っているのかね。サッカー界を離れてとっとと政治の世界に戻ってほしいものである。
ヨーロッパリーグの予選で勝利したボレスラフは、一部に復帰したオロモウツをホームに迎えての開幕戦だった。この試合にも勝ってアルバニアでの試合に弾みをつけたかったところだろうけど、前回一部に復帰したときのオロモウツとは違った。
前回はあれこれ中途半端なベテランを補強してわけのわからないことになっていたオロモウツだが、今年は二部でダントツの成績で優勝したチームのメンバーがほとんどそのまま残っている。この試合でも、昨シーズンの二部でホリーと二人で圧倒的な得点力を発揮したファルタが二ゴール決めて、ボレスラフの反撃を一点に抑えて、バニークとともに復帰戦を勝利で飾った。
ボレスラフとしては敗戦も痛かっただろうけど、ここまで公式戦三戦連発だったフラモスタが得点できなかったのも痛そうである。このまま止まってしまうのか、また次の試合から得点を重ねていくのか、ボレスラフのヨーロッパリーグ本戦進出は、そこにかかっていると言ってもいい。
第一節の最後に行われたのが、スパルタとボヘミアンズのプラハ小ダービーである。新しい選手が多すぎてまだまだチームの体をなしていない感のあるスパルタは、この試合もあまりいいところがなかったようである。監督はベオグラードでの試合よりはずっとましだったと評価していたが、対戦相手を考えると、これでましなんて言ってもらっては困る。
前半に先発したイスラエル代表のベンハイムがもらったPKをラファタが決めて先制したものの、追加点を奪うことができずに、後半終了間際にキーパーのドゥーブラフカのミスから失点して、同点に追いつかれそのまま引き分けに終わってしまった。
チェフ、バツリークに次いで、U21からA代表に呼ばれるようになったスパルタのキーパー、コウベクが伸び悩んでいて不安定なプレーに終始して大事な試合に使えないのが困ったところである。バーハの影響をもろに受けているからなあ。次の若手の有望なキーパーを確保するべきかもしれない。代役がドゥーブラフカというのもなあ。かつてのブラジェクぐらいの選手はいないのか。一時ポジションを掴んでいたビチークも最近ぱっとしないし。
ポジティブなのはもうロシツキーが、久しぶりに、本当に久しぶりに出場したことぐらいである。ただ、昨年のEURO2016で復帰を果たしたときでさえ、ブランクからか、かつてのプレーの片鱗しか見せてくれなかった。試合勘を取り戻して完全復活する前に再び怪我をしてリハビリの生活に入らざるを得なかったのだ。今回も復帰直後からかつての輝きを期待するのは無理というものであろう。この試合でも活躍と言えるほどの活躍はできなかったらしいし。
しかし、それでも、そんなことは十分以上に理解した上で、ロシツキーには期待してしまうのだ。ヤンコに、オーストリアのコレルと呼ばれるのに多少なりともふさわしい部分があるのであれば、ロシツキーとのコンビで得点を量産してくれはすまいか。コレルよりもバロシュに近い印象のラファタより、ヤンコのほうがロシツキーとはかみ合うんじゃないかなんてことを、いやヤンコだけでなく他の新戦力の各国代表の選手たちがロシツキーの指揮の下で躍動し、ばらばらだった攻撃も一本芯の通った連続性のあるものに変わるんじゃないかなんてことを妄想してしまう。
ロシツキーに無理はしてほしくない。でもロシツキーが出れば敗勢濃厚なヨーロッパリーグの予選もひっくり返せるかもしれない。ロシツキーが怪我がちになってからチェコ代表を応援する際に感じさせられたジレンマを、またスパルタで感じさせられるとは……。木曜日の試合にロシツキーが出るか出ないか、大げさに言えば戦々恐々として待ち受けることにする。
他の試合で気になるのは、ヨーロッパリーグに本戦に向けて、地味ながらも大幅に選手を補強したズリーンがリベレツに負けてしまったことである。リベレツが強くて上位を争いそうなこと自体はいいことなんだけど、ズリーンがヨーロッパリーグでボロ負けというのは避けてほしいところである。
7月31日17時。