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2017年08月11日

2002年のボヘミア大洪水(八月八日)



 7月の初めは、1997年の洪水から20年目ということで、ニュースで当時の様子がひんぱんに取り上げられていたが、8月は2002年のボヘミアを襲った洪水から15年目に当たる。ブルタバ川が氾濫しプラハの旧市街、地下鉄などに大きな被害を与えたために、被害額で言えば、1997年の洪水を大きく上回ったらしい。
 南モラビアのブルタバ川の上流とその支流で水位が上がり水があふれ始めたのが2002年8月8日のことだった。8月6日に、南ボヘミアや西ボヘミアで降り始めた雨が3日にわたって降り続け、特に南ボヘミアの小河川が洪水を起こしたという。チェスケー・ブデヨビツェを流れるブルタバ川の支流マルシェ川があふれて、町の中心の広場の近くまで水が押し寄せたのが特筆される。

 このときの三日間の降水量はせいぜい200mmほどで、日本であれば梅雨の時期など普通に一日で降ってもおかしくない量なのだが、これで50年に一度レベルの洪水が起こってしまうのが、チェコの普段の降水量なのだ。そのレベルでの洪水対策なので、日本に慣れた目から見るとこの程度で洪水が起こるんだと不思議に思えるほどだった。
 洪水の被害が大きくなる原因としては、ボヘミアを流れるのは、ラベ川という大河の支流で、流域面積が広いため、広範に降った雨がブルタバ川やベロウンカ川、そして本流のラベ川に集中するからというのも考えられる。それに日本の川と比べると流れが緩やかなために、水がなかなか流れて以下ないと言う面もあるだろうか。一番の問題が河川沿いに堤防はおろか、川原や河川敷のような増水を引き受けられるような余剰の空間がないことであるのは言うまでもないが。

 ブルタバ川上流には、洪水対策として、最上流で最大のリプノダムをはじめ、いくつものダムが建設されていて、カスケードと呼ばれるまでになっている。この8月初旬の洪水の第一波に際しては、放流の量を調整することで、下流のプラハなどでは大きな被害をもたらすのを防げていた。9日には一度雨がやみ河川の水量は減少を始めたらしい。

 これで終わっていればよかったのだが、11日には再び雨が降り始め、すでに容量が限界に近づいていたダムでは、決壊を防ぐために放流量を増やすしかなく、流出河川を持たない南ボヘミアのトシェボーニュの近くに多い、養殖のための池では周囲の堤防が決壊して水が溢れ出すところが出始めていた。洪水の第二波が始まったのである。
 12日には、ボヘミア各地で洪水が発生し、政府が緊急事態警報を発するほどであった。13日には、プラハでブルタバ川沿いの旧市街で電気の供給が止まった。この時点で確か、プラハ市長はまだプラハは大丈夫だとか、地下鉄は安全だとか言っていたのかな。

 それが14日になると、地下鉄の防水システムの不備もあって、特に中心部の駅が完全に水没して使い物にならなくなった。有名なのはフローレンツ駅に停車していた2編成の車両で、水が引いた後一年半以上の時間をかけて修復が行なわれ、現在でも運行されている。先頭の車両の一番前の部分の側面に青い色で水が波打つのを象徴するような二本の線が描かれているから、見ればわかるらしい。
 地下鉄が水没するぐらいだから、ブルタバ川沿いのプラハの中心部はほぼ全域水没し、トロヤの動物園が水没したのもこの日だっただろうか。動物園から濁流に乗って逃走し、ドイツにまでたどり着いたガストン君は、プラハに帰って来る途中で力尽きて死んでしまったのだった。
 プラハ市ではこの洪水以来、莫大な予算をつぎ込んで洪水対策を行なっているが、トロヤ地区だけはまだ対策が済んでいないらしい。動物園だけではなく結構立派で観光名所になっている城館も残っているから、何とかしてほしいものである。

 プラハよりも下流でも洪水が起こるようになり、ウスティー・ナド・ラベムでは、川の両岸に広がる町をつないでいる橋が通行できなくなり、どちらかの側が道路も鉄道も分断されて、出入りのできない状態で取り残されたんじゃなかったかな。15日には、ネラトビツェにある化学工場が洪水に襲われ、塩素が流出するという事故が起こるなど、洪水の中心は、ブルタバ川流域から本流のラべ川流域に移り、フジェンスコを襲って、ドイツに抜けた。
 フジェンスコはラべ川がドイツに抜けるところにある国境の町で、支流のカメニツェ川がラべ川に注ぎ込む合流点からカメニツェ川の峡谷に沿って発展した町で、ラべ川の対岸はすでにドイツ領である。夏場の観光シーズンは船で峡谷下りをする人たちでにぎわうのだが、このときをはじめ何度も洪水に襲われ、そのたびに大きな被害を出しているが、山が川の両岸に迫っているという町の立地的に有効な洪水対策をとれないようである。

 他にも西ボヘミアのプルゼニュを通って蛇行しながら東流するラべ川の支流ベロウンカ川も各地で洪水の被害を起こしていたし、南モラビアの一番南、ズノイモの辺りを流れるドナウ川の支流ディエ川も大きな被害を出すなど、ボヘミアのほぼ全域とモラビアの一部に大きな傷跡を残した。
 結局、このときの洪水では、17人の人がなくなり、20万人を超える人々が避難を余儀なくされ、700億コルナ以上の被害を被ったらしい。詳しい報告書はここにあるけど、さすがにこれをチェコ語で読む気にはならんなあ。
8月9日23時。



posted by olomoučan at 06:30| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ
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