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2017年08月06日
『ヨハネス・コメニウス』を読んで3(八月三日)
三回目である。最近一つのテーマに関して長々と何回かに分けて書いてしまうのは、書くことになれてきたからか、簡潔に書く努力を放棄したからか、どちらであろうか。
さて、褒めてばかりだと(これでも本人としては絶賛しているつもりなのである)、利益供与を疑われかねないから(実際現物供与は受けているけど)、難点も指摘しておこう。やはり、H先生の教えてくれた飲んだくれとしてのコメンスキーをどのように位置づけるのか判然としないのが、一つ目の不満である。どう位置づけても、本書に描き出されたコメンスキー像が揺らぐというわけではないが、酒好きとしては気になってしまう。コメンスキーが残したお酒に関する記述があったりはしないのだろうか。
それはともかく、コメンスキーがままならないこの世の憂さを晴らすためにお酒を飲んでいたのか、アプサンに酔いしれた詩人たちのように、アイデアを得るために飲んでいたのか。コメンスキーにとって酒が絶望の象徴だったのか、希望の象徴だったのかなんてのは、コメンスキーとお酒の関係を考える上では重要である。
半ば冗談で、本書に登場する「開けた魂」という概念を使って、「閉じた魂」の状態にある人を、「開けた魂」の状態に導くものが、酒であると言ってみたくなる。錯綜した知識、情報の迷宮の奥から、光に向かって延びる体系的に結びついた知によって敷かれた道は、お酒を飲むことによって……なんてことを書くと、酔っ払いのたわごと以外の何者でもなくなってしまうから、この辺にしておこう。コメンスキーが、飲んでから書いたのか、書いてから飲んだのか、それが問題である。
もう一つの問題は、凡例にある。「オストラヴァを中心としたスレスコ地方」と書いてあるのだが、この前にボヘミア、モラビアと来ているので、ここでチェコ語の「スレスコ」を使うのはちょっと違和感がある。シレジアを使うか、チェコ語に統一して「チェヒ」「モラヴァ」「スレスコ」としたほうがよかろう。この辺、本来であれば編集者、校正者が指摘すべきところであるが、瑣末なチェコの地方名なんてのをチェックできる人ってのは、そうはいないのか。
それから、シレジアの中心をオストラバとしているのも気になる。オストラバはシレジアとモラビアの境界をなすオストラビツェ川の両岸に産業革命後の石炭産業の隆盛によって成長した町で、一つの町として統一されたのはさらに新しく、歴史的なシレジアの中心とは言いがたいのである。こんなことは、オストラバがまだ一つの町になる前の地図を博物館で見ているうちに、「モラフスカー・.オストラバ」と「スレスカー・オストラバ」という二つの町があるのに気づいて質問をしたら、わけのわからない答えが機関銃のように返ってきたなんて経験がないと、なかなか意識できないことかも知れない。
ところで、現在のオストラバを中心としたモラビアシレジア地方は、チェコに残ったシレジア全域に、モラビア地方のモラフスカー・オストラバ周辺の部分を合わせて出来上がった行政区分である。歴史的なチェコ領シレジアの中心都市としては、首都であったオパバの名前を挙げるのが一般的である。
最後に、地図の見にくさも指摘しておこう。コメンスキーゆかりの国外の地名が地図上に示されているのだが、特にスロバキアのあたりは、小さな範囲に多くの地名が錯綜していて、どの地名がどの点に対応しているのかがわかりづらくなっている。その前の、チェコ国内の地図も、チェコの地名が地図上に直接示すには長すぎることもあって、決して見やすいとはいえない。
どちらも地図上には番号を振って、地図外に番号と地名を表示するという形で処理したほうがわかりやすかったのではあるまいか。この辺も編集者の仕事である。地名のマイナーさを考えたら、見やすくても大差はないなんてことを考えたのかもしれない。
それでも、この地図を見れば、コメンスキーの移動範囲が、故郷のモラビアから見て、東方から北方を経て西方まで、満遍なく広がっていることに気づけるはずである。南方へと向かわなかったのは、カトリックの勢力範囲を避けてのことだろうが、コメンスキーは東方から西方へという単純な動きを見せた人物ではない。かつて追われた故郷への道を求めて北方のプロテスタントの勢力圏を、西に東に移動していたのがコメンスキーなのである。この望郷のコメンスキー、帰郷を望むコメンスキーというのも、本書を読んで現れてきたコメンスキーの一面なのであった。
以上、いちゃもんをつけるにしても、素人が付けられるのは、こんな細かいところしかない。そして、つけてしまうのもこちらがチェコに長く住んでチェコ人的な考えかたに侵されているからに他ならないのである。
8月3日22時。
電子書籍のほうが少し安いらしい。講談社、パピレスにも出してくれ!8月5日追記。