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2019年05月09日

チェコ土産、もしくは記念に〈続々〉(五月 七日)



 昨日のTonakの帽子で、足の先の靴、例えばバテャのチェコ製の靴から、頭のてっぺんの帽子までチェコ製でそろえることができるようになった。残っているのは何だろうと考えて、自分も必要としていたベルトに思い当たった。ベルトの代わりにサスペンダーでもいいけど、チェコでは滅多に見かけないので、チェコ製かどうかにこだわりようがないのである。
 この前ベルトを買おうとしたときにはチェコ製にはこだわらないつもりだったのだけど、おっちゃんに一本もらって余裕ができたので、チェコ製のベルトを探すことにした。それで、見つけたのが、狐のマークのカラである。シャントフカにお店が出ていて存在は知っていたけど、チェコの会社だということは知らなかった。

 さて、この東北ボヘミアのフラデツ・クラーロベー地方のトルトノフにある会社は、皮革製品の製造会社で、主力はハンドバッグや革製の服のようである。シャントフカのお店においてあるベルトはそれほど多くなかった。こちらが求めていた男物の幅の狭いベルトは一種類しかなく、長さもちょうどいいのがなかった。色も明るめの茶色で、もう少し濃いのがよかったんだけど、長さが自分で切って調整できるタイプのベルトだったし、よその店に探しに行くのも面倒だったので買ってしまった。
 レジでお金を払おうとしたら、お店の人に財布はいかがと勧められた。買わなかったんだけど、財布もチェコ製のものにするのは悪くない。これは次の課題だな。手袋とか鞄もあるみたいだけど、革ジャンも含めて、手入れが面倒くさそうで、ちょっと手が出せない。財布とベルトならろくに手入れしなくても何とかなりそうだけど。

 HPの記述によると、カラという会社が誕生したのは、第二次世界大戦後の1950年代の前半のことである。例の社会主義的な生産の集約で、トルトノフだけでなく、フリンスコやコリーンにあった皮革製品の製造工場がいくつか合併して誕生したのが国有企業のカラ社だった。1970年代から80年代にかけては冷戦にもかかわらず西側世界にも製品を輸出して評判も高かったらしい。ビロード革命後は、民営化された結果、いくつかの小さな企業に分裂しほとんど消滅の危機に陥った。それを救ったのが元従業員のズデニェク・リント氏だったのだという。
 カラのHPを見て思ったのが、ピエトロ・フィリッピのと似ているということだったのだが、それもそのはず、最近どちらの会社も同じ人物によって買収されたらしい。その人はチェコ人で熱心にチェコ企業の買収をしている人物だから、どちらもチェコ資本のチェコの会社だと言ってよさそうである。チェコの誇りであるピルスナー・ウルクエルやシュコダ自動車さえ、外資に買収されて久しいのだから、チェコ資本のチェコ企業ってのは貴重である。

 ところで、カラのあるトルトノフは、クルコノシュ山脈の麓にある町で、このあたりの中心都市になっている。この街で作られているビールが、クルコノシュではなく、クラコノシュなのは、地元の方言での山脈の呼び名なのだろうか。この工場はビールそのものよりも、かつてハベル大統領が働いていたことで知られるビール工場である。その縁もあってハベル大統領はトルトノフの名誉市民になっているのかな。
 トルトノフというと、フス派の英雄ヤン・ジシカの出身地であるトロツノフと音が似ているので、耳で聞くと混同しそうになる。トロツノフは南ボヘミアのチェスケー・ブデヨビツェの近くにあるらしいから、名前でなくどこにあるかで覚えておけば間違えにくいはず。さらに、トルトノフの近くにはトルノフという町もあって、間違えてくれと言わんばかりである。ハベル大統領に縁があるのがトルトノフ、ヤン・パトチカが生まれたのがトルノフである。

 オロモウツからは最短でも三時間かかるので、ちょっと足を伸ばすには遠すぎるなあ。ハベル大統領が働いていたビール工場を見学するほどのハベルファンじぁないし。
2019年5月8日24時。





これって、チェコのカラなんだろうか? 

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タグ:お土産?
posted by olomoučan at 06:07| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2019年05月08日

チェコ土産、もしくは記念に〈続〉(五月六日)



 二つ目はこれもモラビアの、ノビー・イチーンにある帽子の製造会社TONAKである。家具のTONと似ているから、しょっちゅう混同してしまうのだけど、末尾の「K」はチェコ語の帽子「klobouk」の「K」だと覚えておくと間違えないかもしれない。何度言い聞かせても忘れてしまうんだけどね。
 日本には帽子をかぶるという文化がないので、せいぜい夏の暑い時期に子供たちが麦わら帽子をかぶったり、野球帽をかぶったりするぐらいだけど、チェコでも普段はスーツを着て帽子をかぶっているというスタイルの人を見かけることは少ない。もちろん、冬の寒い時期には毛糸の帽子をかぶって防寒に努めているけど、TONAKで扱っているような帽子とは用途が違う。

 ただ、古い、チェコスロバキア第一共和国の時代の映画なんかを見ると、スーツを着て、つまり正装で外出する場合に帽子をかぶっている男性がしばしば登場する。ああいうのを見ると自分もかぶってみたいと思わなくもないのだが、スーツを着る機会が皆無になっているので、ラフなスタイルに「帽子」が合うものかどうか心もとない。コートを羽織っていれば何とかなるかなあ。でも、コートが必要な時期には耳も隠れる毛糸の帽子をかぶってしまうか。
 チェコのレストランなんかの壁にある上着をかける金具が、上下二本ずつのセットになっているのも、本来は下に服をかけて、その上に帽子をかけるという形で使われていたものなのだろう。もしかしたら今でも昔のように、正装して帽子をかぶってレストランに通う人もいるのかもしれない。だからと言って、そのためだけにスーツ着るのもなあ。

 歴史的な話をすると、ノビー・イチーン地方では、歴史的に帽子の生産が行われてきたようであるが、このTonakの前身となる工場が設立されたのは、18世紀末の1799年のことだった。創設者はJan Nepomuk Hückelというのだが、前半二つはチェコっぽく、最後はドイツっぽい名前である。「ネポムク」というのはチェコのカトリックの聖人ヤン・ネポムツキーの姓の由来となった町の名前である。それがドイツ系の人の名前に使われているのは、チェコ人とドイツ人の民族的な違いよりも、カトリックとプロテスタントという宗教的な違いのほうが重視されていた表れであろうか。
 チェコ語のウィキペディアによると、もともと創設者の名前が付けられていたこの会社は第二次世界大戦後に国有化された後、チェコ語の「帽子工場」の頭文字をとった名前Tonakに改称され、1975年に一度消滅したようだ。その後、どのような経緯で復活して、生産と販売を再開したのかはわからない。チェコの企業の中には、HPに社史を公開しているところも多いのだが、残念ながらTonakのHPには歴史については全く記されていない。また、ウィキペディアには同業の「Fezko」という会社によって買収されたともあるのだが、この会社についてもよくわからない。

 Eショップで製品を見ると、冬用の帽子やいまや懐かしいベレー帽、麦藁帽子なんかも取り扱っているようだ。でも、どうせ買うなら、エレガントなフェルト帽とか、東京という名前の帽子、もしくは色が緑に決まっている狩猟用の帽子のほうがいいと思う。ちょっと高いのと、自分に似合いそうにないというのが難点だけど。

 工場のあるノビー・イチーンの町は、オロモウツから鉄道を使うと乗り換えの関係で一時間以上かかるようだが、レギオジェットのバスを使うと直通で45分ぐらいで着くようである。以前から行ってみたいと思っていたところなので、今年の夏には話のネタに足を運ぶかもしれない。Tonakの工場の近くには創業者のHückel一族のものと思われる邸宅がいくつか残っているみたいだし、中に入れなかったとしても、近代建築のファンとしては外から見るだけで充分である。中については恐らく「シュムナー・ムニェスタ」で90年代の姿を見ることができるし。
 街の中心には城館が残っていて、ジェロティーン一族の名がかつけられてジェロティーン城と呼ばれている。ということは、宗教戦争がたけなわだった頃のモラビアでフス派の諸侯の中心だったこの家の歴史についても知ることができそうだ。どうせノビー・イチーンまで行くのなら隣のスタリー・イチーンにも行って、丘の上の城跡にも登りたいところである。

 かくて今年の夏の計画だけが増えていく。実際に行けるかどうかはわからないけど。あまり暑くならなかったら行けると思うけど、熱くなったらまたオロモウツで引きこもることになりそうだし。
2019年5月7日23時。






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posted by olomoučan at 06:02| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2019年05月07日

チェコ土産、もしくは記念に(五月五日)



 チェコに観光客として来たのなら、お土産としてはプラハの旧市街や、飛行場に並んでいるお土産ショップのいかにもというグッズを買って帰れば、人に配るにも自分用の記念品にするにも十分なのだろうけど、長年チェコに住んでいるとそんなわけにも行かない。チェコと言えば、当然ビールなのだが、お土産として配るには重過ぎるし、記念品として持って帰ってもすぐになくなってしまう。
 だから、あれこれチェコ製のものの紹介をしているのだけど、人様に配るお土産というよりは、自分がチェコ好きであることを表明するための、わかる人にしかわかってもらえない記念品になってしまうものが多い。靴にしたって服にしたって、日本でほらこれチェコのなんて自慢しても、変な人扱いされるのが落ちだろう。チェコでってなかなかわかってもらえないのだから。それでもチェコのものにこだわる人はいるだろうから、気が付いたら、もしくは思い出したらこの手のものは紹介していくことにする。

 チェコの製品が世界にもっとも広がったのは、バテャやコイノールもそうだが、チェコスロバキア第一共和国の時代である。その時代に成功をおさめた企業の中には、共産党政権によって解体されそのまま消えていったものもあるが、ビロード革命後も生き残って、かつての輝きを取り戻したものもある。
 その手の企業のうちの一つが、家具、特に木製の椅子やテーブルなどを生産しているTONである。この家具のブランドについては、日本にいるときに知り合いからちらっと聞いた記憶があるような気もするので、日本でも知られているかもしれない。日本で手に入るようならお勧めなのだけど、チェコで買って持って帰るとなると大変である。

 この会社は、モラビアのビストジツェ・ポット・ホスティーネンに、1861年に設立された工場を母体にしている。もともとは創立者の名字を取って「Thonet」という社名だったが、第二次世界大戦後に国有化され、社名も音の似ている「TON」に変更された。「(木を)曲げて作る家具の工場」という意味が与えられたようだけど、後付けの語源のように響く。その後、ビロード革命後の1994年に民営化されて現在に至る。
 工場を創設した「Michael Thonet」氏は、名前から言うとドイツ系の人のようである。当時はオーストリア=ハンガリーの時代なので、チェコ系の人がドイツ風の名前を使っていたという可能性もなくはないのだけど、ドイツ系の家具生産の企業として「Thonet」社が存在することを考えると、ドイツ系で第二次世界大戦後は創業者の一族はドイツに逃げるか、追放されるかしたということだろう。それが、この会社がビロード革命後に創業者一族に返されず、国営企業を経て民営化された理由なのだろう。

 チェコの建築探偵の出てくるテレビ番組「シュムナー・ムニェスタ」にも、近代の工場建築の例として登場して、当時生産されていた椅子なんかも紹介されていたのだが、現在の商品ラインナップの上のほうに並んでいるものよりも、正直魅力的だった。現在のはデザインに凝り過ぎていてなんだかなあと言いたくなるものが多い。好きな人は好きなんだろうけど。
 TONのHPには、製品のカタログがあって、19世紀にデザインされた椅子の生産も続けているようである。お土産なり記念品なりにするなら、最新のデザインよりもこちらの方が断然いいと思う。ただ椅子を一脚買ってもしょうがないからなあ。それなら、上着掛けのほうがいいかな。例えばこれ。持って帰るのは大変だけど、チェコにいる間だけでもさ。

 工場のあるビストジツェ・ポット・ホスティーネンには、工場が火災にあった後、創業者一族の居住のために建てられた邸宅が残っていて、現在はショールームとして活用されているらしい。建物の見学をさせてもらえるなら、近代建築ファンとしては一見の価値があると思うのだけどどうなのだろうか。
 街にはルネサンス様式の城館も残っているようだから、一度話の種に行ってみようかとは思う。電車ならオロモウツからフリーン乗換えで一時間ほどで到着するから、それほど行きにくいわけでもないし、巡礼の聖地となっているホスティーン山を仰ぎ見るような場所にはまだ行ったことがない。
2019年5月6日23時45分。





これがチェコのTON

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これは、チェコのTONなのか、ドイツのThonetなのかわからない。おまけに北欧とか書かれているし。イケアじゃないんだから何でもかんでも北欧にするなよ。

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これはドイツのThonet。

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posted by olomoučan at 06:25| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2019年04月26日

今度こそチェコの服を買う(四月廿四日)



 ベルトをめぐる状況が多少マシになったので、全面解決ではないけど、先送りすることにして、再びズボンである。この冬は何とか乗り切ったし、多分春も大丈夫だろう。秋も何とかできるとは思うが、冬は絶対に新しいのが必要になる。それなら今の買い物の気分が続いている間に、まとめて買ってしまえと考えた。最低でも二本、できれば三、四本一軒のお店で買いたいところである。あちこちお店を回って、一本一本探す気力はない。
 前回、OPプロスチェヨフの後継ブランドと目していたところで失敗したので、是非ともチェコのものを買いたいところである。プロスチェヨフ系のお店は、ネット上でどのぐらいの値段かチェックできないし、製品の情報もあまりないので、ネットショップも運営しているところにしようと考えた。候補となったのは二つ。

 一つはシャントフカで見かけていて、名前から恐らくチェコのブランドだろうと思われる「ブラジェク」というお店。ハーチェクのつく名前がチェコ以外にあるとは思えないし、ブラジェクといえば、ちょっと前までサッカーのスパルタ・プラハで活躍したゴールキーパーの名字だしね。あれアイスホッケーのスパルタにもブラジェクという選手がいたかな。
 もう一つは「ピエトロ・フィリッピ」というあまりチェコっぽくない名前のお店。これについてはこの前プラハに行ったときに、知り合いが似非イタリアのチェコブランドとか教えてくれて、チェコのものであることを知った。HPによると、ペトルとフィリップというチェコの名前をイタリア語っぽく変えてブランド名にしたらしい。こっちもシャントフカに入っているんだけど、女性物しかないお店である。

 ネットショップで確認してお店に買いに行くのは、リュックとか靴でもやっているのだけど、服の場合には、見つけた商品がお店になくて、結局何も買わずに帰って来てしまうことが多い。だから、これまでなかなかズボンがかえななったのだ。靴屋だとCCCやバテャは、HP上で支店の在庫の確認ができるようになっているのに対して、服屋の場合には確認する機能がついているところでも、可能性大、中、小なんて表示になっているところが多い。

 二つのうち、結局「ピエトロ・フィリッピ」を選んだのは、知り合いに「ヘレ」と自慢してやろうと思ったのも理由の一つだけど、ネットショップで買ったものを支店に送ってもらって、店頭で受け取って直しをお願いできたというのが一番である。おまけに、大きく値引きされたズボンが何本も並んでいて、ネットショップで初めての買い物する人に対しては、割引クーポンを提供していたから、一本ではなく、何本かまとめて買うのにちょうどよかったのである。
 ズボン一本2000コルナとか、3000コルナというのは、二、三年に一回一本ずつ買うのならまだしも、今回のようにまとめ買いするときには心臓によくない。できれば一本当たり1000コルナまでに抑えたいと考えながら、よさげなのを探した。問題は、ネット上で見ても色がよくわからなかったり、商品の説明がよく理解できなかったりしたことだけど、とりあえず、洗濯機で選択できるズボンを選ぶことにした。最悪店頭で受け取る際に返品できるようだったし。

 割引クーポンを使うのに、登録しなければいけなかったのだが、それが何とかクラブの会員になることなのかどうかわからなかった。それに2000コルナ以上の買い物にしか適用できないというのだけど、割引後で2000コルナ以上なのか、割引前の金額でいいのかもよくわからなかった。ネット上の買い物というのは日本語のサイトでも手探りになることが多いのである。チェコ語のサイトの場合には手探り度がさらに高くなる。
 ネットショップで売られている一番安いズボンが800コルナ弱だったから、四本買えば2000コルナは余裕で越えてしまう。7割引のものだけだと申し訳ないと日和って、一本5割引のものを入れたから、合計4000コルナ近くになった。それに割引クーポンを使って、3000コルナちょっと。これなら裾上げにお金を取られても、一本平均1000コルナ以下という目標が達成できる。ということで思い切って四本注文してしまった。この辺はもう勢いである。

 オロモウツのお店から届いたと連絡があったのは、最初の三本は同日で、四本目は何日か遅れた。そのせいで一回余計に足を運ぶ必要があって、二回に分けて試着用の部屋に入ってズボンの長さの調整をすることになったのだけど、女性物しか置いていない店だけあって、ピンク色のカーペットとかきらきらしい空間でちょっと入るのにためらってしまった。まあ、これから数年はズボンを買う必要はなくなるんだと考えれば、なんてことはなかったんだけど。
 ネットショップで見て想像していたのとは、違うタイプのズボンだったり、色が光の関係もあって微妙に違って見えたりなんてのもあったけど、冬用のコーデュロイの暖かそうなズボンが色違いで二本、春秋用のズボンが薄めのと厚めのとで二本と、想定していたよりもいい結果になった。試着したときの履き心地もよかったし、ネット上で手探りで買い物したのに、お店で現物を見て選んだときよりも成功したといえるかもしれない。次もここでと思ったけど、しばらくズボンは買う必要はないのだった。

 肝心のチェコ製のズボンを買うという目標は当然達成された。ネットショップに特に何もかかれていなければチェコ製で、スロバキア製の場合だけ注記がされているようなので、買ったのは全部チェコ製だと思っていたら、チェコ製は一本だけで、他はスロバキア製だった。ネット上の情報に不足ありである。もちろん、スロバキア製に文句をいうつもりはない。チェコスロバキアの片割れだし。

 今週の土曜日はプラハに出かけてピエトロ・フィリッピを教えてくれた知人に会う予定なのだけど、自慢のために履いて行こうかなあ。いやシャツを買って上下とも揃えてからのほうがいいか。それに、その前にOPプロスチェヨフの自慢をしておかなければなるまい。最後の機会になるかもしれないし、上から下までOPプロスチェヨフにしよう。わかってもらえないかもしれないけど。
2019年4月25日24時。


 










posted by olomoučan at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2019年04月25日

もらってしまった(四月廿三日)



 長年買い物を放り出してきた弊害は、服だけに現れるのではなかった。春になって暖かくなってきたこともあり、残り少ないOPプロスチェヨフの製品でも薄めの春秋用のズボンを引っ張り出したのだが、このズボン、ベルトを通す穴が小さめなのである。普段使っているベルトでも何とかならなくはないが、引っかかってすんなり動かせないので、日本から持ってきた古い古い細めのベルトを使うことになる。
 このベルトが、例によってもう寿命寸前というか、寿命を越えているという代物で、細いんだけどあちこち引っかかって使いづらい。絶対に去年の秋に最後のこのズボンをはいたときにも状態は変わらなかったはずである。当時はズボンが優先だったこともあって、先送りしてしまったのだが、すでにズボンは二本新しいのを買った。それでもまだ足りないんだけど、ズボンはひとまず置いて、ベルトを買うことにした。

 ベルトを売っているお店はオロモウツにもいろいろあるのだけど、とりあえず最近行きつけのおっちゃんの店に足を向ける。ここに適当なものがあれば、ここで買うのが一番楽である。ベルトにまでチェコ製を求めるつもりもないしね。ということで、お店に足を踏み入れたら、レジのところに、お客さんがいたので、挨拶して店の奥に向かう。この前来たときよりは製品も増えているけど、春を通り越して夏物が多い印象である。あとはアウトドア用の、普段着にはちょっとという製品とか。

 お客の相手が終わったおっちゃんが「今日は何さがしてんの」と言うので、上着を上げてベルトを見せて、
「こんなベルトさがしてるんだけどないかなあ」
「そんなベルトはないけどねえ」と言いながらおっちゃんはカーテンで仕切られた奥の商品置き場に入って行った。出てくると、「そんなベルトはないけど、これをあげよう。常連のお客様へのサービスだ」と言って、折りたたまれて、袋に入ったベルトらしきものを二本手渡してくる。
「ちょっと待ってよ。もらえないよ、お金払うよ」
「いいよ、いいよ、いつもいろいろ買ってもらっているから、これぐらいはサービスだ」と言って、店内にいた他のお客さんたちと、常連へのサービスの話を始めてしまう。「一つ買うなら10パーセント引きで、二つなら20パーセント、十個買ったら100パーセントだ」なんて冗談を言っている。

 このお店、確かに二回目の買い物からは値札よりも安い値段で売ってもらっていたからなあ。そういうサービスもやっているのかもしれない。値札も今時信じられない手書きだしさ。レジの機械は年代物の木製で、例のEET(レジのオンライン接続)なんかできそうもないという代物である。一応カード払い用の端末があって、それでレシートは出してくれるけど、バーコードでピッとやるなんてことはありえない。この時代遅れ感も、何か買うとなったらまずこの店で聞いてみるようになった理由の一つである。
 もらったベルトは、一本は長すぎてこちらの胴回りでは使用不可能だったので人にあげてしまったけど、もう一本は使っている。問題は、ベルトの太さが、普段使っているのよりも太いということで、そもそもの問題は全く解消されていないのだった。いやそれでも万年同じベルトを使い続けるという状態は解消されたから一歩前進である。

 しかし、ベルトもらえるほどこの店で買い物したかなあ。最初に入ったときは半ズボンを買おうとして適当な大きさのものがなくて買えなかったんだけど、サマースクール中にポシェットというか何というか小さな肩掛けのバッグを買ったのだった。その後ズボン、ハーフコート、シャツ、セーターなんかを次々に買ったから、まあいいのかなあ。
 それでも申し訳ない気持ちは残って、何か買える物はないかと探したのだけど、こちらが求めるズボン、春物の上着なんてのは置かれていなかったので、また暖かくなったら買いに来るねと言い残して店を出た。次に買うのは、去年サマースクール用に何枚か買ったけど、同時に古いのが何枚かヘロヘロになってしまっているポロシャツかなあ。

 お店の名前はわからないんだけど、共和国広場からホルニー広場の方にトラム通りの左側を歩いて行って、歩道がちょっと広がって、「Ztracená」通りに入る手前にある小さなお店である。オロモウツに来て服が必要になったら行ってみない? 目印はオレンジ色の「Nordblanc」の看板だから、アウトドア用のは結構充実してるよ。それ以外の男物の品ぞろえはあんまりよくないけどね。
2019年4月24日22時。









タグ:お店 買い物
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2019年04月08日

チェコとブラジル(四月六日)



 先日、サッカーで代表がブラジルと試合をして予想通り負けた。チェコ代表、いやチェコスロバキア代表とブラジル代表の対戦というと、どうしても1962年のチリで行われたワールドカップの決勝が思い出されるようなのだが、先制したのに逆転負けという展開も、スコアが1−3だったというのも、マスプストという名前の選手が出場していたのも同じだった。
 チェコとブラジルの関係でぱっと思いつくのは、これくらいで、そんなに大きな結びつきはないものだと考えていた。以前、チェコ語の教科書で、ヨーロッパの外でチェコ系の人がたくさん住んでいるのは、先ずアメリカとカナダで、それに続くのが南アメリカのアルゼンチンだという話を読んだことがある。チェコスロバキアがナチスドイツによって解体されたあとも、ドイツ系とチェコ系の人たちが仲良く協力し合って生活を営んでいたというのも聞いたような気がするのだが、こちらは記憶違いかもしれない。

 とまれ、ということで、トマーシュ・バテャがズリーンに設立して世界的な大企業になったバテャが、世界各地に工場を建設し、同時にズリーンと同じように従業員のための町も建設して生活環境を整えていたという話を聞いたときも、南アメリカではアルゼンチンに工場を建設したものだと思っていたのだけど、チェコテレビで国外で活躍したチェコ人、チェコ系建築家の足跡をめぐる番組「シュムネー・ストピ」を見ていたら違うことがわかった。
 バテャが工場と工場城下町を建設したのは、チェコだとズリーンとその周辺のオトロコビツェやナパイェドラなんかが有名なのだが、1920年代からすでに関税対策として外国での工場設立に乗り出しており、一番最初に進出した国はスイスだったかな。そして、第二次世界大戦勃発前後からはアメリカ大陸にも乗り出し、カナダにバトバという町が建設される。チェコスロバキアを離れたバテャ社の中心がカナダとスイスにあるのには理由があるのである。それはともかく、カナダ進出と同じころにブラジルへの進出も始まり、いくつかの工場が建設され、バタで始まる地名を現在まで残すことになる。

 では、何故ブラジルだったのかというと、直接関係はないかもしれないけれども、ブラジルで最も重要な大統領の一人がチェコ系らしいのである。その名はジュゼリーノ・クビッチェク・デ・オリベイラ。何もないところに新しい首都ブラジリアを建設することを決めた大統領である。このブラジルの野心的な試みについては中学校の社会の時間に勉強した記憶があるのだけど、遷都を決めた大統領の名前までは載っていなかったかなあ。
 この大統領の名字の一つクビッチェクは「Kubitschek」は、ドイツ語風の表記になっているけれども、チェコ語の「Kubíček」がもとになっていることは明らかで、これは母親の名字だったらしい。つまり、クビーチェク大統領は母系でチェコ系ブラジル人だったということになるのである。チェコ語のウィキペディアには、母親は南ボヘミアのロマ人の家系のでだと書かれている。

 番組では先祖のいたところとして南ボヘミアのインドジーフーフ・フラデツが登場して、ブラジリアの情景と重ね合わされていた。どちらも水辺の町である点で共通しているようだ。また、大統領の娘にあたる人が登場して、父親がいかに自分の出自、チェコスロバキアとの関係を重視していたかということを語っていた。チェコのテレビ局に対するサービスかもしれないが、自分の名字をクビチェクではなく、クビーチコバーだなんてことも言っていたし。
 ブラジルのブラジリアとチェコ、南ボヘミアにこんな関係があったとは、全く知らなかった。ブラジリアという新たに計各都市を建設するというのも、バテャの何もないところに工場と一緒に町を建設してしまう手法に習ったものと考えられなくもないし、ブラジリアの建設に当たった人物が、ズリーンの建設にかかわった人たちと同様、フランスの建築家ル・コルビュジエに師事したというのも共通している。
2019年4月7日23時30分。


















posted by olomoučan at 05:31| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2019年04月04日

過去と決別した男(四月二日)



 チェコが産んだ世界に誇る作家というと、先ず最初に名前が挙がるのは、カレル・チャペクで間違いない。交友のあった外国の作家たちが、チャペクにノーベル文学賞をという運動をしている最中に病気で亡くなって結局受賞は叶わなかったという話を聞いた記憶がある。あれは、ナチスドイツの保護領にされてしまったチェコ民族を勇気付けるという目的もあったんだったか。
 では、チャペクに続く世界的な作家となると誰だろう。チェコの中での評価なら『シュベイク』のハシェクや、映画化された作品の多フラバルなんだろうけど、世界的な知名度という点では物足りない。となるとやはりミラン・クンデラの名前を挙げることになる。クンデラも世界的に高く評価されている作家だが、ノーベル文学賞とは縁がない。フランスの評論家の間では、ノーベル文学賞の選考委員の中にフェミニストがいるからクンデラが受賞することはないだろうとか、クンデラは賞を欲していないから受賞しても辞退する可能性が高いなんてことが言われているらしい。
 さて、そのクンデラなのだが、チェコを離れフランスのパリに住んで長い。作品も母語であるチェコ語ではなくフランス語で執筆発表されるようになって久しい。文学作品としての評価が高いのもチェコ語で書いたものよりも、フランス語で書いたもののはずである。だから、クンデラはどこまでチェコの作家と言っていいのか悩ましいところである。これが、恐らくチェコの人々がクンデラとその作品に対して曰く言い難い微妙な感情を抱いている理由のひとつである。

 もう一つの理由は、クンデラの共産党員としての過去である。スターリン主義者だったなんて話も聞こえてくるからゴットワルトとの関係もあったのかもしれない。それだけでなくクンデラに秘密警察に売られて10年以上強制労働を科された人がいるのだという。戦前戦中の共産党なんて、インテリもたくさんいたのだから、そこに作家のクンデラが入っていたとしても何の不思議もないし、積極的に秘密警察に協力したのも、熱心な共産党員でスターリン主義者だったとすれば、当然の行動だったとも言える。
 一部のチェコの人々が問題にしているのは、このクンデラの過去そのものについてではなく、過去について沈黙していることのようだ。自分が秘密警察に売った人物がどんな目にあったか知らないというわけではなく、以前どこかにそのことについて記したことがあるらしいのだが、それ以上のことは何もしていないのだという。かつての左翼が好きだった言葉でいえば、自らの過去を総括して反省することのないままに作家活動を続けているのはどうなんだろうと考える人が一定数いるらしい。
 クンデラ自身はその批判は完全に無視しているらしく、それもまた気に入らない人がいるようだ。いや、批判どころではなく、チェコそのものを無視しているようにも見える。それは一度は亡命した俳優や作家などの文化人の中には、ビロード革命後チェコに帰国した人が多いのに、クンデラはフランスのパリに住み続け、フランス語で執筆を続けていることからもある程度予想できる。それどころかチェコを訪れることすら滅多にないという。

 と、ここまで書いてなぜに突然、これまで一度も触れたことのない(と思う)クンデラについて書いているのかというと、90歳の誕生日を迎えたか何かで、チェコテレビのニュース番組で特集が組まれていたからである。日本だとこの手のお祝いにかこつけた特集は、何でもかんでもほめあげ、都合の悪いことには蓋をしてしまう意味のないものに終わることが多いが、チェコテレビは批判すべきは批判し、問うべき疑問は問いかけるのである。その番組への本人の出演はもちろん、インタビューさえなかった事実が、クンデラのチェコテレビ、ひいてはチェコへの態度をものがっている。
 この番組を見るともなく見ながら、頭の中に浮かんでいたのは、作家に人間的な正しさを求めるのは正しいことなのかという疑問である。作家の作品と人間性というものは別々に評価されるべきだし、得てして作家というものは人間的におかしい部分があるからこそ傑作を物すものでもある。個人的には、クンデラの、過去の出来事をすべて、自分がかつてチェコ人であったことすらも切り捨ててしまっているような態度には尊敬の念を抱く。こういう態度がクンデラの作品に反映して、傑作にしているのではないかなんてことを、過去を捨てきれない、日本を捨てきれなかった人間としては考えてしまう。

 これまで、フランスの作家になってしまったからという理由で敬遠してきたクンデラの作品だけど、今回のチェコテレビの特集を見て読んでみようかという気になった。いっそのことチェコ語で読んでみようかなんて、無謀なことを思いついてしまった。ここに書いたことが大いなる誤解という可能性もあるのだけどね。
2019年4月3日23時35分。










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2019年04月02日

朝貢国チェコ(三月卅一日)



 最後の王朝である清朝の滅亡以来100年、共産中国がかつての中華帝国の再現を目指して、経済力武器に、朝貢体制の確立させようとしていると考えるのは、多少の誇張はあるにしてもあながち間違いではあるまい。明確な朝貢国としては、北朝鮮があるぐらいかもしれないが、東南アジアから中央アジアを経て、アフリカまでは確実に中国の手が伸びているし、最近はヨーロッパにも朝貢国ができつつある。
 その朝貢国の一つが、残念ながらわれがチェコなのだけど、チェコのみならず、中国のことを知らないヨーロッパの政治家、企業家達は対等の貿易相手だなんてのんきなことを考えているようだが、かつての経済的な力を持たなかった時期ならともかく、現在の経済大国にまでのし上がってきた中国がそんなことを許すほど殊勝なはずはない。アメリカ、ロシア以外の貿易相手は、朝貢国として位置づけようとしているに決まっているし、アメリカやロシアですら将来的には朝貢国化しようと考えているに違いない。

 中華思想における西戎たるヨーロッパにおいて現時点で一番朝貢国に近いチェコでは、中国は中華帝国の本性をあらわにしつつある。その最初の徴候は、すでに三年前に国家主席がチェコを訪問した際の振る舞いに現れていた。在外の都督、もしくは節度使に任命されたトブルディーク氏を通じて、プラハの首席が通る予定の道路に中国国旗のをちりばめ、中国人の祝い屋を雇い、また反中国勢力の抗議運動を押しつぶした。チベットの旗を窓に貼っていたら、警察が来て撤去させられたというのだからトブルディーク在外都督の忠勤振りは共産皇帝には気に入られたことであろう。
 このときは、プラハ市に対しても台湾を無視して中国は一つであるという共産中国の中華帝国としての正当性を認めるよう強要しているのだが、今回またまた中国が台湾がらみでチェコに無理難題を押し付けたらしい。詳しい話は覚えていないけれども、国会かどこかで行なわれていた各国の使節を招いての貿易関係の懇親会か何かに、台湾代表が出席していたのが、中国から送り込まれた観察使である大使の気に障ったのか、退出させるようにチェコ側に求め、立場の弱い朝貢国としては拒否もならず、台湾代表を排除することになったのだという。これもまた中国は一つだという、現実を無視した中華帝国の存在を押し付ける政策であろう。

 この各国代表との会合を主催していたのは、産業省とでも訳せる役所で、大臣のノバーコバー氏があちこちから批判を受けている。この人、バビシュ内閣で新しく大臣になった人で、これまでも問題発言を連発してあれこれ批判の対象になっているのだけど、十年以上も前から中国に媚を売り続け、中華帝国の朝貢国となることで甘い汁を吸おうと官民一体になって進めてきたこの国に、中華帝国との関係において大臣を批判する権利を有する政治家がどれだけいるかは疑問である。チェコが中国とずぶずぶの関係になったのは、バビシュ政権のなしたことではなく、ただそれまでの路線を踏襲したに過ぎない。批判すべきは大臣よりも中国のはずなんだけど、宗主国の機嫌が悪化するのを恐れて批判できないのである。
 仮にこの大臣を批判するのなら、これまで中国との関係を強化しようと主張してきた事実を、自ら批判した上で、朝貢をやめることを主張してからでなければ、同じ穴の狢とか目くそ鼻くそのそしりを免れない。中国に近づき取り込まれるということは、こういうことなのだ。そのうち、チェコ以外のヨーロッパの国も同じように朝貢国にされてしまったことに気づいて後悔することになるだろう。そう考えると、ほかのことはともかく中華共産帝国の覇権を阻止するために正面からの対立を恐れないアメリカのトランプ大統領は評価されてもいいと思うのだけど。中国にこれ以上好き勝手にさせると、世界はとんでもないことになりそうである。
2019年4月1日23時30分。









タグ:中国 朝貢
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2019年03月27日

「もぐらとパンダ」放送禁止(三月廿五日)



 七時のニュースを見ていたら、中国のテレビ局が制作したアニメ「もぐらとパンダ」が放送することができなくなったというニュースが流れた。子どものころにNHKで色鉛筆で描かれたようなアニメ「もぐらと自動車」「もぐらとズボン」を見て以来のクルテクファンとしては、このニュースは大歓迎で、思わず万歳してしまいたくなるほどなのだけど、一応説明しておくことにする。以前書いたことと重なる部分があるのは御寛恕いただきたい。
 クルテクを生み出したズデニェク・ミレルは、数年前になくなったのだが、生前から著作権管理のための財団を設立して、あちこちに与えた使用権の管理を任せていて、没後もその財団が著作権の管理を続けていた。それが、孫娘に当たる人物が、祖父が亡くなる直前に自分に著作権を譲るという遺書、もしくは契約書を残したと主張して、新たに会社を設立してクルテクの使用権をねたにしたビジネスを始めたのがすべての発端だった。

 もちろん、ミレル氏の設立した財団は、孫娘には著作権の使用許諾を出す権利はないとして、差し止めを求める裁判を起こして、クルテクが濫用されないようにしていたのだが、チェコの裁判は長くかかるもので、裁判で最高裁まで行って判決が確定するまでの間に、孫娘の会社は、自分が生み出したクルテクを大切にしていたミレル氏なら許可を出さないような企業にまであれこれ利用する許諾を出していたようなのである。
 その最たるものが、ミロシュ・ゼマン大統領が、自ら遣共使となって中国を訪問したときの貢物の一つとして献上したクルテクのテレビアニメへの使用権で、このとき孫娘も大統領にどうこうして契約書にサインしたのかな。それをもとに中国のテレビ局が制作したのが、「もぐらとパンダ」というこれまでのクルテクに対する敬意も愛情も全く感じられない、クルテクを破壊したといってもいい番組だった。これが中国国内でだけ放送されるのであれば、百歩ゆずって目をつぶってもいいけれども、当然チェコでも放送されるわけで、あれをクルテクだと思うような子供が出てきかねないことを考えると犯罪的ですらある。

 まず、絵柄からして許せない。ミレルのあの特徴的な絵をアニメにする力が中国になかったのか、技術力を誇示したかったのか、コンピューターを使って経費削減をしたかったのかは知らないが、あの絵を立体的に3Dアニメっぽくしたものだから、かわいいというよりグロテスクになってしまっている。
 クルテクがトンネルを掘って未知の地に到達するのは許そう。ただ、それはあくまでどこだかわからない匿名の地に到達するべきなのに、パンダが出てきて中国のどこそこなんていう話になるのは、クルテクの魅力の一つである昔話性を破壊する愚行である。中国のためにどうしてもパンダを登場させる必要があったのなら、パンダがクルテクと仲間たちのテリトリーに迷い込むか、クルテクがどこかの動物園に迷い込んだらパンダがいたかして、みんなで一緒に故郷をさがしてやるというストーリーにするべきだったのだ。それでもパンダがいきなり登場する違和感は消せないだろうけど。
 そして、最悪なのがクルテクに喋らせることである。ミレルのクルテクでは登場人物ならぬ動物たちは、ほとんどゼスチャーでやり取りをし、言葉が使われるにしてもほんの片言の言葉しか使わない。それが、チェコという小さな国の作品であるにもかかわらず、世界中で人気を博している理由である。それなのに、この「もぐらとパンダ」では、冒頭からクルテクが流暢に話して挨拶なんかしやがるんだから、この時点で見るのをやめてしまう人が多かったことは想像に難くない。

 今回の「もぐらとパンダ」の放送禁止は、ミレル氏の設立した財団と孫娘の設立した会社の間で争われていた裁判が結審したからだとおもわれるが、正直どの裁判で何を争っていたのかはよくわからない。ムハの「スラブ叙事詩」をめぐる裁判もそうだけど、芸術家が残した作品をめぐる裁判は、あれやらこれやら訴えが起こされて何がどうなっているのか、第三者には理解しがたいことが多い。
 その裁判の結果はともかく、中国のテレビにあの内容で「もぐらとパンダ」の制作を許可したという時点で、孫娘の著作権ビジネスは禁止されるべきだったと思う。あれは、クルテクに対する冒涜である。それを許可したのが身内だったというのが、何とも悲しい事実である。裏に中国に媚を売りたい政治家の存在があったにしても。

 とまれかくまれ、「もぐらとパンダ」の放送が禁止されたことは万々歳である。ちなみに、「もぐらとパンダ」以外の、孫娘の会社が許諾を出したクルテク商品の販売も禁止され、すでに店頭に並んでいるものも撤去されることになっているようである。
2019年3月26日20時。




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これは正規のライセンスもののようである。






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2019年03月26日

チェコの物を買おう(三月廿四日)



 個人的な買い物の事情を離れて、せっかくチェコにいるんだからチェコの会社の製品を買いたいという人に、そんな人がどれだけいるかは知らないけど、いくつか、実際の生産地はともかく、確実にチェコの会社だということがわかっているところを紹介しておこう。

 チェコのことをある程度知っている人なら、チェコに来たからには「Baťa」の靴を買おうと思うに違いない。ただ、問題は現在の「Baťa」がどこまでチェコの会社なのかという点である。創業がオーストリア=ハンガリー時代のズリーンだというのはいいにしても、共産党政権化で国有化されチェコスロバキアからは姿を消したはずである。その時点で国外にあった「Baťa」が、本体となって「Bata」として活動を継続し、ビロード革命後に再度チェコに戻ってきたということになるはずである。 共産党政権が「Baťa」の名前を消すために、スリーン産の靴に与えたブランドである「Svit」も、ビロード革命後の民営化の波に押し流されて、倒産してすでに存在しない。
 ただ、「Baťa」ではチェコが発祥の地というのを重視しているのか、店舗でもネット上のお店でも、チェコで生産された靴に「český výrobek」という表示をつけている。だから、チェコ発祥の世界的ブランド「Baťa」のチェコで生産された靴を買うことは可能である。チェコ語ができる人はこちらのページを参照してほしい。自分でもやろうと思ったんだけど、まだ買い物の季節には言っていなかったし、そのとき買えた物に食指が動くものもなかったし……。買い物というのはタイミングというものが大きいんだよなあ。

 プリオールの跡地にできたガレリエ・モリツの中に、ポーランドのCCCと並んで、もう一つ小さな靴屋が入っている。最初に見たときには「Svit」に見えたので、最近流行の一度消えたブランドが復活したのかと思ったら、「Stival」というお店だった。これがチェコの会社なのは間違いないのだけど、あつかっているブランドが、その中には「Stival」なんてものもあるけど、この会社の自社ブランドなのか、ひいてはチェコのものなのかどうかはわからない。

 チェコの靴というと、あとはカタカナの「ム」見たいなのがロゴになっている「Botas」ぐらいしか思いつかない。これは共産党政権の時代の製靴工場が生き残ったものらしい。下請けとしてドイツのスポーツブランドの靴を生産したりもしていたようだが、最近は自社ブランドのボタスの名前で、ノヘイバルの世界選手権のメインスポンサーを務めるなど、結構目立つようになっている。ボタスは、もともとボタナというブランドで売っていた靴のスポーツ用品用のブランドとして生まれたようだ。現在でもインラインスケートなんかのスポーツ系の方はよくみかけるけど、普通の街中で履くようなタイプは、売られているのを見たことがない。

 服や靴以外の、チェコで買って帰られるものとして、まっさきに思いつくのが台所用品のテスコマである。なぜかテスコマ・ズリーンと組み合わせた形で頭に残っているので、ズリーンの会社ではないかと思うのだが、詳しいことはわからない。チェコ国内では昔から料理番組のスポンサーを続けるなど知られた会社で、何年か前にはイタリア市場に進出してミラノの一等地にアンテナショップを構えたら、予想外の人気が出て云々というニュースを見た記憶がある。
 うちでもあれこれテスコマの製品を買って使用しているが、悪くない。台所用品で使い勝手が悪いなんて感想が出るのはよほどの場合だけだから、ほめ言葉になるかどうかはともかく、特に理由がなければテスコマのものを買うのが習慣になっている。日本の哲をつかった包丁とか、日本風の包丁とかも扱っていたような気がする。

 もう一つは、これもチェコで生産しているかどうかは知らないのだが、コイノールという半村良の小説『長者伝説』に出てくる飲み屋と同じ名前の文房具がある。コヒノールと読む可能性もあるけど、チェスケー・ブデヨビツェの会社だったかな。特に鉛筆、色鉛筆、消しゴムなんかを見かけることが多い。鉛筆に関しては中国での生産から撤退したというニュースがあったから、チェコの工場で生産されていると思いたいところである。

 服や靴にしても、台所用品や文房具にしても、お土産として日本に買って帰って誰かにあげるのにはあまりそぐわなそうだけど、気に入ったものを自分で使用するために買って、日本に持って帰って、実はこれチェコ製なんだよと自慢するのには向いている。ということは、自分用のお土産、もしくは自慢用のお土産ということになるか。
2019年3月25日23時。





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日本でも手に入る。お土産にならないじゃないか。



タグ:お土産?
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



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