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2016年03月03日
民間療法(二月廿九日)
恥をさらすようだが、これまでに二回救急車を呼ばれたことがある。二回ともいわゆる腎臓結石で痛みに七転八倒していたところ、見かねた人が救急車を呼んでくれたのだ。
一度目はチェコに来て一年目のことで、尿検査を受けてその場で注射一本で終わったが、救急を呼んだ経費は誰が払ったのだろう。あのころ入っていた保険は旅行保険で、こちらで払っておいて後でその分を請求できるタイプの保険だったはずだが、お金を払った記憶はない。頻繁にトイレに行くために水分をたくさんとるように言われ、ビール、特にピルスナー・ウルクエルを飲むように勧められた。さすがに医者はそんなことは言わなかったが、一説によるとピルスナー・ウルクエルは結石を溶かすらしいのである。本当なのか?
昨年、チェコ人は一年間に人口一人当たり147リットルのビールを消費し、これは世界でももっとも多い数字だと言う。この数値がどのようにして出されたものなのかは知らないが、チェコ国内におけるビールの消費量を人口で割るという簡単な方法で出しているのなら、チェコ滞在一年目の私は、大いにこの数字の向上に貢献したことになる。医者にビールを飲んでトイレに通うことを指示された後は、よほど体調が悪くならない限り毎晩夕食の名目の元に飲みに出かけ、最低でも二杯、後期には三杯飲むという生活を続けていたのだ。次第に酒量が増えていくのに危機感を感じて、一年ほどでその生活に終止符を打ったが、一年間に最低でも400リットル以上は飲んだ計算になる。統計上は二年に分かれてしまうのだけれども。
二回目は歯医者で治療を受けている途中で痛み始め、うちに帰って飲んだ痛み止めも効かず苦しんでいたら救急車を呼ばれた。急患扱いで病院に搬送され、二泊三日の入院を体験してしまった。中世の自殺の原因で一番多かったのがこれなんだよねという医者の言葉に思わず納得してしまった。痛んでいる最中は、この痛みがなくなるのなら何でもすると、こんな痛みが続くのなら死んだほうがマシかもしれないと思った。じっとしていても痛いのに、ちょっと体を動かすと、さらに激痛が走るので、痛みを感じている間は自殺さえもできそうになかったけど。
診察を受けて痛み止めの注射を受けた後は、ひたすらお茶を、なんだかよくわからないハーブティーを飲まされていた。利尿作用があって結石を流しだすには一番いいらしい。病院で出すような普通の薬ではなく、お茶というのに少し驚いたが、お茶のおかげか入院二日目には痛みを与えていた大きめの石が出て、その翌日には無事退院となった。退院後もちょっと熱っぽかったりしたが、医者の勧めに従って、例のお茶を毎日飲んで、ピルスナー・ウルクエルも毎日一本飲むようにしていたおかげか、あれからすでに十年近く、再発はしていない。
この結石だけでなく、チェコの医者では、薬ではなくお茶やお酒などを勧められることが多いようだ。そのため、医者以外でも、おなかが痛いときにはロフリーク(角の形のパン)を食べろとか、この場合にはベヘロフカ(薬草酒)がいいとか、ジンがいいとかそんなことを言う人が多いのは医者の影響だと思う。医者が患者にお酒を勧めるのには、違和感を感じなくもないのだが、何でもかんでも化学的な薬品に頼ってしまうよりは、いいのではないかと思う。
ただ、正直な話、チェコのお医者さんがこんなことを言うのは意外だった。チェコの薬は、風邪薬、痛み止めなど、市販されているものでも、日本の物より強いという印象がある。それにチェコの医者は、抗生物質を出すことが多い。こんなに出していたら耐性菌ができて後で問題になるんじゃないかと思うぐらい簡単に出してくれる。
私は風邪程度では医者にはいかない日本人なので、それで抗生物質をもらったことはないのだが、虫歯が悪化したときに抗生物質を出されたことがある。虫歯の菌が神経の奥のほうまで入ったせいか、炎症を起こして口がほとんど開けられなくなるという状態になってしまったのだ。痛みも激しく、痛み止めを飲むのだが、痛み止めが切れるとまた激痛に襲われるので、夜痛みで目が覚めるのが怖くて、眠りたくないと思ってしまったほどだった。かなり強い消毒薬などを使って虫歯のある辺りを浄化してもらって痛みは和らいでいったのだが、最後に抗生物質を飲むように言われて処方箋を渡された。使用上の注意を見て、この抗生物質の服用中はできるだけ日向に出ないようにと書かれていたのに、こんなものを飲んでもいいのかと不安になったのを覚えている。
きれいな言葉で言えば、伝統的な民間療法と、最新の化学的な療法とが共存し補い合っていると言えるだろう。ただ、そう言いきるにはかかった医者の数が少ないし、チェコなので人によって言うことが違うという落ちになるのではないかという気もする。とまれ、チェコに来ると、薬だからと言われて、朝からスリボツェを飲まされることがあることは警告しておきたい。
以前、警察のために日本人が関係した事件の報告書を翻訳したことがあって、そのお礼にパトカーで送ってもらったことがある。つまり、チェコで救急車とパトカーには乗ったことがあるのである。救急車は乗ったというよりは乗せられて運ばれただけれども。あとは消防車に乗ることができれば、完璧だと機会を狙っているところである。
3月1日16時。
どうにもこうにも話がうまく収まらない気がしてならない。それはともかく、ベヘロフカ発見。いろいろなお店で取り扱われているようで隔世の感を感じる。昔はどこにも売られていなくて、輸入元まで買いに出かけなければならなかったのに。3月2日追記。
2016年02月23日
メタノール事件 不思議の国チェコ(二月廿日)
スコッチウイスキーは、スコットランド人のイングランドの支配に対する抵抗の中で生まれ育ったものだ。
昔、漫画だったか、小説だったかで、そんな話を読んで感動して以来、酒の密造と、それによる脱税は、ただの犯罪ではなくレジスタンスの意味を持つものとなった。つまりは、酒の密造なんて手間のかかることをするのは、単に金のためだけではなく、何かの目的を達成するための手段に過ぎないのだと考えるようになったのだ。もちろん、目的があるから犯罪を犯してもいいというわけではないが、酒の密造なんて被害者が出るものでもないのだからと、今にして思えば、気楽なことを考えていた。
そんな認識が吹き飛んでしまったのは、チェコに来て、アルコールを使った脱税の仕方を知ったときのことだ。自分でお酒を造るのではなく、工業用アルコールを飲料用にしてしまうのだ。税率の低い工業用のアルコールを大量に輸入し、書類上ではどこぞに販売したことにして、実際は発見しにくい地下や壁の中などに設置した秘密の貯蔵庫に保存する。ほとぼりが冷めたころに、瓶詰めして偽のラベルや証紙などを貼り付けて、飲用として密売ルートに流す。これが一般的な密造酒による脱税の手法で、税率の差の分、また安価な工業用アルコールを材料とする分、儲けの多い商売であるらしい。
この手法はアルコールだけでなく、ガソリンなどの脱税にも使われている。使用目的を偽って輸入した低税率の油に、国内で多少の手を加えて成分を整え、ガソリン、軽油としてガソリンスタンドに販売しているらしい。異常に値段の安いガソリンスタンドで入れたガソリンの質が悪く車の故障を引き起こすことがあるのは、儲けのためにこの手の密造ガソリンをひそかに購入しているからだという。事件が発覚すると、その脱税額の大きさに驚愕することになる。
ところで、チェコでは、自宅でのアルコールの製造は禁止されていないのである。自宅の台所でビールを造るなんて話もあるし、チェルナー・ホラというビール会社が出している蜂蜜を使ったクバサルというビールは、もともと普通の人が自分用に開発したレシピを買い取って生産を始めたという話である。
それに、EU加盟の際に、問題になりかけたらしいスリボビツェもある。工場で大量生産されるものもあるが、南モラビアを中心に、自宅の庭に植えてある果物を使ってお酒を醸造している人は多い。使う果物も一種類だけではなく、いくつか組み合わせて自分だけの味や香りを楽しむ人たちもいる。自宅で醸造したアルコールを蒸留所に持っていって、所定の使用料と税金を支払いさえすれば、合法的に蒸留してもらえるのだ。チェコでは酒の密造が体制へのレジスタンスだなどいう話は、そもそも成立しない。
チェコの密造酒がただの金儲けの手段に過ぎないことが、最も悲劇的な形で表に出たのが、2012年に起こった表題のメタノール事件である。
発端は、オストラバの近くの町で、メチルアルコール中毒と見られる患者が出たことだった。警察の調査で、新聞や雑誌、煙草などを販売しているスタンドで購入した蒸留酒が原因であることが判明する。その後、チェコ各地、ポーランドにまで犠牲者が広がり、チェコ政府は蒸留酒の販売を禁じる部分的な禁酒令を出すことになった。
メタノール入りのお酒の購入先の中には、わりと大手のスーパーや、個人経営の食料品店なども含まれており、商品のラベルや瓶の封印に使われている証紙が偽造されたものであることが判明する。チェコ側では、ポーランドから密輸されたものだと言い出す人もいたが、すぐにポーランド側によって否定された。一番不思議だった意見は、蒸留の設備の洗浄の際に、使った殺菌作用のあるサボという洗剤が残っていて、それが製品に紛れ込んだのではないかというものだった。サボとエタノールが反応するとメタノールになるのだろうか。
自社製品のラベルが偽造されてメタノールの販売に使われたことで、ブランドイメージが低下したからと言って、ある酒造会社の社長が、犯人につながる情報に懸賞金をかけると発表して話題になったが、その後の警察の調べで、この人物もメタノールを市場に流した密造酒グループの一員であることが判明して逮捕された。確かに挙動不審な怪しい人物ではあったが、蒸留酒の生産販売を手がけている会社が、直接関わっているのは意外であった。
ショット形式で蒸留酒を提供している飲み屋では、開封済みのものは廃棄処分にすることが求められ、家庭にある蒸留酒を処分したい人たちのために回収用の場所を役所が設置したり、混乱を収めるためにさまざまな努力が重ねられていた。そして蒸留酒を製造している工場に対して、これまで以上の厳しいチェック体制が義務付けられたことで、設備投資の資金のない小規模の会社の中には、廃業を選ぶところも少なくなかった。お酒の消費者だけでなく、一般の生産者も、販売者もこの事件の被害者だったのである。
警察の地道な捜査の結果、ズリーンを中心に活動する密造酒のグループが主犯であることが判明し、関係者が逮捕されることになるのだが、メチルアルコールを市場に流したときに、どんな結果がもたらされるか考えなかったのだろうか。各地に隠し倉庫や瓶詰めの設備を擁する大規模な組織で、外国から輸入した工業用アルコールを、機械的に処理して市場に流していて、メチルアルコールであることに気づかないまま流してしまった可能性もないわけではなさそうだが、被害者が出た時点で闇ルートに警告を流して販売を停めるぐらいこのとはできただろうに。こんなことがあると、チェコではやっぱりビール以外は飲めないと思ってしまう。
2月21日23時。
体調不良の中で書いたせいか、いつも以上に文章が荒い気がする。この事件の被害者にというわけではないけれども、他に合いそうなものがないのでこれ。2月22日追記。
2016年02月11日
最も偉大なチェコ人――もしくは不思議の国チェコ三(二月八日)
十年ほど前に、恐らくBBCの作ったフォーマットを購入して、チェコテレビが、歴史上もっとも偉大だと思うチェコ人に関するアンケートを行って番組を作っていた。最も偉大なチェコ人として公式に選ばれたのは、多くの予想通りルクセンブルク家のチェコ王で、神聖ローマ帝国の皇帝にもなったカレル四世であった。しかし、真の勝者は別にいると言われている。それが本稿のテーマとなる人物ヤーラ・ツィムルマンである。
ヤーラ・ツィムルマンは、チェコの偉大な発明家であり、思想家であり、作家であり、画家であり、一言で言えばあらゆることに才能を持った万能の人であったとされる。だから、最も偉大なチェコ人として選ばれるのになんら不足はない。ただ一点だけ、実在しないと言う点を除いては。
チェコテレビでは、アンケートの結果を発表するに当たって、ツィムルマンをどう扱うかについて、BBCに相談したらしい。その結果、架空の人物は対象外であるということになり、選外扱いで、実際にどれだけの票を集めたのかも公開されなかった。ただ、恐らくツィムルマンのほうが、カレル四世よりも票を集めたのではないかと考える根拠としては、アンケートの結果を公表する番組の前に、特別編としてツィムルマンを扱った番組を作成して放送していたことが挙げられる。
義母の話では、最初はラジオ番組として始まったらしい。日本でも知られている「コーリャ」で主役の一人であるバイオリン奏者を演じたズデニェク・スビェラークが、盟友ラディスラフ・スモリャクたちと組んで、どこどこの農場の倉庫から、ツィムルマンが発明した何々、使用していたカニカニが、発見されたというようなニュースレポート風の番組を放送していて、それを初めて聞いたときには本当のことだと思ったと回想していた。
そんな助走期間を経て、ツィムルマンの全貌を明らかにするために撮影されたのが、映画「ヤーラ・ツィムルマン――横たわり、眠りし者」(仮訳)である。この映画は、ツィムルマン関係者が撮影した映画の例に漏れずなかなか複雑な構成である。
映画は、ヨゼフ・アブルハーム演じるツィムルマン研究者がリプターコフという村を訪れるところから始まる。同時にドボジャークに関係する土地を巡る観光ツアーもガイドと共に到着し、ドボジャークではなく、ツィムルマンの記念館に一緒に入る。イギリスからわざわざ訪れたドボジャーク研究者に何を言えばいいのかと尋ねる通訳に、ガイドが返す「ドボジャークの親戚の伯父さんとでも言っとけば」とかいうシーンを挟んで、記念館の案内役の老婆が案内を始める。無愛想な上に、自分で説明せずにカセットテープに吹き込んだものを再生して聞かせ、言葉を発するのは次の部屋に移るときぐらいというのは、当時の実態を示しているのだろうか。
とまれ、映画はこの老婆の案内で記念館を見て回る部分と、ツィムルマンが何をしたのかが直接に語られる部分が交互に現れる形で進んでいく。最初のツィムルマンが現れる部分では、子役が演じているのだが、ウィーンでの子供時代に女の子として育てられ、女子校に通っていたときに、初めて自分が男であることを知ったという事実が明らかにされる。
その後は、スビェラークがツィムルマンを演じ、さまざまな分野での活躍が語られる。例えばチェーホフが、「二人の姉妹」という作品を書いていると言うのに、「ちょっと少ないんじゃない?」と言ったり、エッフェル塔を設計中のエッフェルや、オーケストラと自作の曲の演奏の練習をしているシュトラウスにアドバイスをしたりする。プラハの街を歩けば、ドボジャークなどのチェコの有名人たちと出会って、チェコ人にとっては笑えるらしい会話を交わす。またダイナマイトや、電話などさまざまなものを発明して特許の申請をしに行くが、すべて直前に、実際の発明者たちが現れて申請を済ませたと言われるのである。結局ツィムルマンの特許が認められたのは、女性用のセパレートタイプの水着、つまりはビキニだけという落ちがつく。でも、実際に発明したのは誰なんだろう。
その後も、大きな紙に海を描いてプラハに砂浜を再現したり、ハプスブルク家の子供たちの家庭教師をして思想教育をしたり、皇太子の影武者を使ってチェコの独立を目指したり、どうしようもない戯曲を書いて素人劇団と一緒に飲み屋などで公演をして逃げ出したりしたあとで、姉の後を受けてリプターコフで小学校の先生になる。そして、チェコ人であるための教育を子供たちに施し、リプターコフを出て行くツィムルマンを子供たちが見たのが、最後の目撃例だというのである。
ここで、気になるのはツィムルマンを演じるスビェラークのほおに、T字型の傷があることで、記念館の老婆の頬にも同じような傷跡が残っていることを考えると、老婆はツィムルマン本人なのかもしれないと思わされる。しかも、見学が終わって夜になると、老婆はツィムルマンの吸いさしと書かれた葉巻に火をつけなおして吸い、ツィムルマンのベッドと書かれた展示物のベッドに横たわって眠るのである。
全編を通して外国人にはよくわからない冗談がちりばめられていて、全て理解できているわけではないが、非常に楽しい映画である。どうしてこんなに気に入ったのだろうと考えて、『石の血脈』や『産霊山秘録』などの半村良の小説とつながるところがあるのに気づいた。どちらも、スケールの違いはあるけれども、歴史的事実の裏側に架空の存在を設定することで、その事実の意味を改変していくという点で共通している。チェコの歴史に関して半村良的な歴史読み替え小説を読みたいと思ったが、十分に楽しむためにはチェコの歴史に堪能である必要があることに気づいてしまった。
閑話休題。
ツィムルマンはこの映画で終わったのではなく、その後もスビェラークとスモリャクが中心となって、演劇の形で、さまざまな展開をすることになる。テレビで公演の様子が放送されることがあるのだが、普通は前半部分は、ツィムルマン研究者にふんした俳優達が、自分たちの研究成果を発表する学会の形式を取り、その学会で発表された新発見の戯曲やオペラなどが、後半部分で演じられることになる。この劇内劇ともいうべきツィムルマンの作品(ということになっている)を基に、映画化されたものもあり、ツィムルマン劇場の活動を題材にして撮影された映画もある。
また、スビェラークたちとは別れて独自の活動をしている劇団もあってツィムルマンはチェコ人にとっては、実在の人物以上に重要な自分であるようだ。チェコ各地に、個々にツィムルマンが来なかったことを記念した記念碑というような、半分冗談で、半分真面目に作られたツィムルマン関係の記念物が存在するらしい。
だから、外国人ではあるけれども、私のようなツィムルマンを知る者にとっては、最も偉大なチェコ人として選ばれても何の不思議も感じないのである。私自身、ハベル大統領の後任は誰がいいと思うかと聞かれて、半分本気でツィムルマンと答えたことがある。クラウスやゼマンなんかよりは、スビェラークが、ツィムルマンの名前で、ツィムルマンの思想に基づいて大統領を務めたほうがマシなんじゃないかと思われたのだ。
チェコ的、あまりにチェコ的で、外国人には理解しにくいであろう、このツィムルマンを理解できるようになったら、チェコ語も十分な力があると言えるのだろうが、道は果てしなく遠いような気がする。
2月9日23時30分。
こういう売り方があるとは思わなかったんだけど、スビェラークの本が手に入るのであれば悪くない。この五冊なら、一冊目の「お父さん、うまいわね」(仮訳)だけあれば、十分。この本だけで元が取れるぐらい面白いし。2月10日追記。
2016年02月08日
ふざけんな、チェコ政府(二月五日)
以前、出張か何かでチェコに短期間来た人の前で、チェコ在住の知人と二人で延々チェコの悪口を並べ立ててあきれさせてしまったことがある。
「チェコを愛しているから住んでるんじゃないの? それをそんな罵詈雑言言うなんて」
と言われて、われわれがほぼ異口同音に返したのが、
「チェコを愛しているからこそ、悪いところが見えるんですよ」
「チェコを愛しているからこそ、改善してほしいと思って悪口を言うんですよ」
というものだった。
オロモウツでの生活には十分満足していて、特に不満もないのだが、だからこそ、チェコ政府のシェンゲン圏外の外国人を狙い撃ちにしたとしか思えない政策が、目に付き、耳に障り、気に食わず、ふざけるなと叫びたくなるのかもしれない。ことの大本はEUで、罵倒すべきはEUなのかもしれないが、EUへの悪口は別の機会に並べ立てる予定なので、ここはチェコ政府への不満をぶちまけることにある。
以前は、就労ビザでも、学生ビザでも、最長で一年のものがもらえていた。留学生はたいてい一年の予定で来るし、日系企業に赴任してくる人が半年で帰るというのもあまりないので、大抵は一年のビザを持ってチェコに来て、二年目も残るのであれば、一年目の終わりにビザの延長、もしくは長期滞在許可の申請をするという形になっていた。それが、シェンゲン領域内に入り、シェンゲン圏が拡大したことで、外国人扱いされる外国人が減ったせいか、最初に発給されるビザの期間が半年に短縮されてしまった。
チェコ政府の言い分では、当時ウクライナやベトナムから出稼ぎに来る人が多く、さまざまな問題を起こしているから、最初の半年は、試用期間のようなもので、半年問題を起こさなかったら本格的にチェコでの労働を認めるという形にしたいのだと言っていたが、そんなのは大嘘である。それなら、問題が起こりやすい職種だけ、労働許可を半年で出すようにしておけば、ビザも半年しか出なくなるのだからそれで十分だろう。それを留学生も含めたすべてのシェンゲン圏外からの外国人長期滞留者に適用するのは、何か別な理由があるはずである。労働許可やビザの延長の申請にかかる手数料収入を確保するためかと疑ってしまう。
ビザの期間短縮とどちらが先か記憶が定かではないのだが、ビザを受け取るために、保険が義務付けられた。以前は、日本から来る場合には日本の留学保険にでも加入していれば問題なかったのだが、ビザを申請した期間を通じて、チェコ国内で活動している保険会社の健康保険に加入することが、ビザ受け取りの条件とされたのである。
これについても政府は、病院で治療を受けながら治療費を払わずに帰国する外国人、特にウクライナ人やベトナム人の数が多く、医療機関の負担になっているので、確実に医療費が支払われるように、チェコの健康保険への加入を義務付けるというのだが、どうなのだろうか。保険に入っていれば、診察料がかからないことに慣れているチェコ人と違って、外国人は多少のことで病院に行ったりしない。だから、保険料がそのまま健康保険の収入になることが多くなることを考えると、医療機関よりも経営の厳しい健康保険に対する財政支援の面もあるような気がする。初年度には、年間5.000コルナ程度の保険料の保険でよかったのが、制度が変わって一時期は20.000コルナ弱の保険が求められていたのである。現在は、学生割引や年齢の割引で10.000コルナ弱の保険に入ってくることが多いようである。それでも、チェコの物価を考えるとなかなか高額の健康保険と言うことになる。
日本人が、仕事や留学で問題を起こすことは滅多になく、医療費を支払わずに帰国するなんてこともないのだけれども、日本人だけを新しい制度の対象外にするのは、人種差別になるのでできないなどという話も聞こえてきたが、言い訳なんぞする暇があったら、ビザの期間だけでも一年に戻して欲しいものである。
以上の二点は、それでも、私自身には直接かかわらないので、いいと言えばいいのだが、三点目は、それこそいい加減にしてくれと常々思っていることである。数年前から、日本から送られてくる荷物のほとんどが、税関でとめられ、配達時に税金の支払いを求められるようになった。税金の支払い自体はチェコ郵便が代行する形になるので、委任状を出したり、内容物が何なのかの一覧を書いたりすれば、自分で通関の手続きをする必要はないのだが、知人が送ってくれた著書や、友人が送ってくれたお菓子、ひいては自分が日本から送った私物にまで税金を払えといわれるのは何か間違っている気がする。贈り物などの場合には、所定の手続きを取れば税金を払わずに済ませられることもあるらしいのだが、手続きに何ヶ月もかかることがあるため、税金を払ったほうがましという結論になってしまう。
本来は、インターネットを通じて、特にアメリカのネットショップで商品を購入して郵送させる人が増え、国内の小売業に影響を与えていることと、国内で購入した場合に国庫に収まったはずの消費税が徴収できないことに対する対策として、EU圏外から送られてくる商品を税関でとめて、消費税相当額を徴収するという制度だったのである。だから、課税対象となる最低金額も設定され、贈り物や、旅行先から送る私物などは対象外になるという話だったような気がするのだが、いつの間にか、ほとんどの荷物が税関で止められ、税金の支払いを求められるようになってしまった。
最悪なのは、たまに税関でとめられない荷物があるのだが、その規準がさっぱりわからないことである。内容物を贈り物と書いても、価値を安い値段にしておいても、引っかかるときには引っかかって、どういう規準で算出したのかもわからない、へたすりゃ送料と変わらないぐらいの税金を取られてしまうのである。税金を確実に避ける方法としては、2キロ以下にして手紙扱いで送るというものが存在するのだが、それはそれで面倒である。
結局、政府としては、外国人からお金を取る制度は、選挙に悪影響もないので、気楽に導入できると言う面があるのだろう。今の財務大臣のバビシュと前の大臣のカロウセクは、ことあるごとに対立して批判しあっているが、ある意味同属嫌悪で、目くそはなくその域を出ないのだが、この税金の制度を導入した犯人がカロウセクであるという一点において、バビシュの方がましだと評価できるのである。
自分の意思で外国で生活している以上、その国の法律を遵守して、住ませてもらっているという謙虚な姿勢でいたいとは思うのだが、時に文句を言わないとやっていられないこともあるのである。だからと言って、外国人を平等に扱えと叫んだり、権利拡大を求めて抗議行動をしたりなんて、みっともないことをするつもりはないのだけれど。
2月6日23時30分。
適当なものがないので、チェコからはなれて半村良をさがしてみたら、こんなのが出てきた。出版社名も何も書いていないので、どんな本なのかわからないけど、日本にいたら買っていただろうなあ。2月7日追記。
2016年02月03日
プラハ嫌い(一月卅一日)
多くの日本人にとって、チェコと言えばプラハで、プラハが大好きと言う人も多いのかもしれないが、私は嫌いである。観光客としての立場からなら魅力を感じなくはないが、チェコに住んでいると、その俗悪性とプラハ中心主義には頭に来てしまうことが多い。
師匠は、プラハはいい意味でも悪い意味でもチェコの典型だと言っていたが、悪い意味でなら、メーターを使わないボッタクリタクシー、数字を使わないで小さなローマ字で書かれたチェコ人向け料金の脇にその何倍もの大きさで外国人料金が数字で書いてある観光名所、ビザ延長の申請者を人間とは思っていないとしか考えられないような対応をする外国人警察などなど、いくらでも思いつくのだが、いい意味でとなると観光名所がたくさんあることぐらいしか思いつかない。その観光名所も、あることないことでたらめを並べ立てる似非観光ガイドがセットになっているので、必ずしもいい意味でとは言い切れないのだが。旧市街広場のヤン・フスの像を、カレル四世の像だと言ってみたり、聖バーツラフの騎馬像をヤン・ジシカだと断言してしまうようなガイドがいくらでも転がっているのがプラハの町なのである。
昨日、ほぼ半年ぶりに出かけたプラハは、いつものプラハだった。旧市街の歴史的な建物の中に、きらびやかな商店が入り、中にはショッピングセンターのようにされてしまった建物もある。中世と現代の融合と言えば言葉はきれいだが、実際は、現代の醜悪性が近代以前を凌駕して、派手なばかりの街になってしまっている。昨日は冬だったから、それほどでもなかったが、夏に行くと、歩道にまではみ出して商品が並べられそれを見るために立ち止まる人のせいでまともに歩けない。そんな雑然性が中世の象徴だというのなら、むしろ中世の醜悪さと現代の醜悪さが同居していると言うべきなのだ。
プラハの旧市街にだって、一本通りを外れれば、落ち着いたたたずまいのいい意味で近代以前を感じさせる通りはある。そんな通りを何も考えずに歩き回るのは気持ちのいいことであるが、ちょっと間違えると、別にプラハで買う必要のないお土産もどきが並んだ土産物屋に突き当たり、何が悲しくてチェコで、マトリョーシュカ人形や、恐らくは中国製の英語でプラーグと書かれたTシャツを買わなければならないのだろうかと思わされることになる。
道行く人の顔を見て国籍を判断するなんてことはできないけれども、プラハの中心で耳に飛び込んでくる言葉は、ほとんどチェコ語ではない。ごくたまにチェコ語が聞こえてきても、例のプラハ的な発音なので耳が聞くのを拒絶してしまう。昨日は午前十一時ぐらいから午後四時半ぐらいまでプラハにいたのだが、その間に聞いた一番まともなチェコ語は、駅の構内放送を除けば、一仕事終えて昼食に入った中華料理店の中国人かベトナム人の店員さんの話すものだった。ちょっとした訛りはあったけれども、私のモラビア育ちの耳にも聞きやすいチェコ語だった。プラハで一緒に集まって話をしたのが日本人ばかりだったせいもあるのだが、この町の中心部は、またチェコ語ではなく、外国語の町となろうとしているのである。
昔こんなことを書いたことがある。プラハではプラハ人は外国人に対して英語で話しかける。外国人がチェコ語で返しても、チェコ語で話してほしいと言っても、英語で話し続ける。ブルノでは外国人に対して英語で話しかけるが、外国人がチェコ語で返せば、チェコ語に切り替えてくれる。それに対して、オロモウツ人は、相手が外国人であろうとなんであろうとチェコ語で話しかけてくれる。わからなそうな顔をしたら、ゆっくりもう一度言ってくれる。
チェコ語のことを世界で二番目に美しい言葉と言ってはばからない私にとって、オロモウツというのはある意味で理想の町なのである。それに、レギオジェットが予想外に気に入ってしまった理由の一つも、乗務員が、下手に英語で話しかけるような無駄な努力をせず、最初っからチェコ人相手であるかのようにチェコ語で話しかけてくれて、チェコ人に勧めるように、チェコ語の新聞や雑誌を勧めてくれたからかもしれない。
最後にこれはプラハのせいというわけではないのだが、ニュースなどでプラハが出てくると必ずのように、「首都プラハ」という言い方がなされるのも、ものすごく気に食わない。プラハが首都だということにけちをつける人間などいるまいに、特別な事情があるわけでもないのに「首都、首都」連発するのには、何の理由も意義も見つけられない。アメリカのワシントンD.C.を意識しているのかもしれないが、あれにはワシントン州との区別をつけるという立派な理由があるはずだし、チェコ語でも、ただ「ワシントン市」と言うことが多いような気がする。
そんなこんなでチェコ人の間にもプラハを嫌っている人は多く、特にライバル関係にあるモラビアの首都ブルノ(「首都ブルノ」とは言われない)では、酔っ払ってプラハナンバーの車にいたずらをする人が多いので、プラハ出身や在住ではないのにプラハナンバーの車に乗っている人の中には、方言で「私はプラハから来たんじゃないんです」なんて書かれたステッカーを貼っている人も多いらしいのである。ブルノではプラハ人に理解できないようにという理由で、半ば人工的に作られたハンテツという方言もあるという。
モラビアに住んでいると、プラハ在住の日本人には申し訳ないけど、プラハ万歳よりは、プラハなんかくそ食らえといいたくなることのほう多いのである。
2月1日22時30分。
この読んだことのない本の著者には悪いけど、プラハは中に入っていく街ではなく、ブルタバ川の両岸の上から眺めおろすべき街だと思う。それなら、外国語しか聞こえてこなかろうが、チェコ人の対応が冷たかろうが、実害はないし。2月2日追記。
2016年01月22日
クジム事件、あるいは不思議の国チェコ(一月十九日)
このブルノから少し北にある小さな町クジムで起こった驚愕の怪事件の全貌は解明されていないし、解明されたとしても被害者の人権に対する配慮から全てが公開されることはないだろう。しかし、現在までにニュースなどの報道から私が理解した範囲だけでも、とんでもない事件なのである。
発端は、よくある母親による子供の虐待に過ぎないように見えた。ニュースによれば、児童虐待の容疑で、母親が警察に逮捕され、十歳未満だった二人の息子と、なぜか一緒に住んでいた十代半ばの少女が、カンガルーと呼ばれる児童養護施設に保護されたということだった。
警察がその家に踏み込んだ理由は、隣家で使っていた子供監視用の装置――幼児を子供部屋で寝かせている間に仕事をするために、カメラやマイクなどがついた小さな機械を子供部屋に置き、仕事部屋の小さなモニターで監視できるといううものらしい――に、なぜか子供たちが虐待されているさまが映り、それを見た家人が警察に通報し、警察で調べたところたまたま両家で同じ装置を使っており、たまたま電波が混線して子供たちが虐待される様子が隣家のモニターに映し出されたものだろうと判断したからだと言うことだった。しかし、そんなに都合よくたまたまが重なるものだろうか。件の装置が一軒家で使われることを想定していることを考えると隣の家まで電波が飛んでいくと言うのもなんだか変である。
後から考えると、実際は後に出てくるこの母親がのめりこんでいた新興宗教的なセクトの内偵を進めていた警察が、児童虐待が行われていることを察知し、踏み込むための口実として隣家の人を利用したのではないかとも思わるのである。しかし、とにかくこの時点では、どこにでもいくらでも転がっている児童虐待事件がたまたまニュースに取り上げられたのだろうとしか思っていなかった。
子供たちと少女が保護された当日の夜だったか、翌日の夜だったか、施設から少女が姿を消したというニュースが飛び込んできた。この時点では、十代の少女はアニチカ(アナの指小形)と呼ばれており、子供たちの祖母がどこからか引き取って一緒に住んでいたのだが、祖母が亡くなった後、子供たちの家に一緒に住むようになったのだと説明されていた。
しかしである。その後、まず、このアニチカが実はアニチカではなくバルボラという名前で、十代の少女ではなく二十代半ばの女性であることが判明する。そして子供たちの母親の姉が、このバルボラの名前でブルノの大学に通っていたというニュースを聞いたときには、何かの冗談だろうと思った。身分証明書の携帯が義務付けられており、出生番号と訳せる日本でも始まったマイナンバーのような番号が使われているチェコで身分を偽るのはかなり難しい。他人の名前で国立の大学に入学できるだなんて、冗談でなければ、よほどの大物が黒幕として事件の裏側にいるに違いない。そもそも他人の名前で大学に通おうという発想がいかれているけれども。
そして、母親とその姉がある新興宗教のセクトに関わっていることがわかったときには、創設者だというかなり有名なブルノの俳優(名前はプライバシーの保護のためか報道されなかったはずである)が、出てきて説明をするのではないかともいわれたが、この人物は結局最後まで表に出てこなかった。しかし、母親とその姉を含めたセクトぐるみで子供たちを虐待していたのではないかという疑いは強まっていった。
アニチカ=バルボラが国外に逃走したのではないかという話はわりと早い段階から出ており、実際にデンマークでチェコ大使館に連絡を取って、すぐにまた行方をくらましたというニュースもあった。その後、逃走から半年ぐらいたったころだろうか、ノルウェーからとんでもないニュースが飛び込んできた。アニチカが小学校に通っていたというのだ。しかも男の子として通っていたというのだ。女は化けるとか何とか言うけれども、これはそんなレベルの話じゃない。
子供の意に反してでも、問題のあるとみなした親からは子供を引き離して保護する過激なノルウェーの社会保障制度だが、意外と間抜けなのかもしれない。いや、ここでも裏側にいる黒幕の持つ力を意識するべきなのだろうか。
チェコに戻ってきたアニチカ=バルボラは、最初の事件のときに公表された写真ではやせたはかなげな少女だったのに、ふっくらとした女性になっていた。これで小学生の男として学校に通うのは無理があると思ったのだが、着替えが必要な体育の授業などは病気と称して見学することでごまかしたのだという。うーん。
とまれ、彼女の証言で、児童虐待の実態が明るみに出、予想通りセクトぐるみの虐待であることが明らかになった。最初は単なる被害者だとみなされていたアニチカ=バルボラも、強制されてのことかもしれないが、虐待に加わっていたらしい。その虐待の実態は、口にするのもおぞましいものがあり(具体的に書きたくない)、普通なら母親が自ら生んだ子供たちにできるようなことではなかった。
セクトのメンバーで虐待の容疑で逮捕され裁判を受けた人たちはそれほど数が多かったわけではないが、母親姉妹以外は、みな見た目も立派でそれなりの地位についている男性だった。裁判では一様に容疑を否定していたため、セクトの実態も大して明らかにならないままに終わってしまった。
恐らく今後新たな事実が出てきたとしても、子供たちの人権を考えて、ニュースなどで報道されることはないだろう。人権に対する配慮と言えば、この事件の主役の一人のアニチカ=バルボラも、名前の最初の文字が、それぞれA、Bで始まることを考えると、最初から仮名での報道だったのかもしれない。そうだとすると、チェコの警察とメディアの仕事には侮れないものがあるということになる。
1月20日0時30分
記事には関係ないけど、この本には、オロモウツがちょっとだけ登場する。1月21日追記。
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