2019年05月09日
チェコ土産、もしくは記念に〈続々〉(五月 七日)
昨日のTonakの帽子で、足の先の靴、例えばバテャのチェコ製の靴から、頭のてっぺんの帽子までチェコ製でそろえることができるようになった。残っているのは何だろうと考えて、自分も必要としていたベルトに思い当たった。ベルトの代わりにサスペンダーでもいいけど、チェコでは滅多に見かけないので、チェコ製かどうかにこだわりようがないのである。
この前ベルトを買おうとしたときにはチェコ製にはこだわらないつもりだったのだけど、おっちゃんに一本もらって余裕ができたので、チェコ製のベルトを探すことにした。それで、見つけたのが、狐のマークのカラである。シャントフカにお店が出ていて存在は知っていたけど、チェコの会社だということは知らなかった。
さて、この東北ボヘミアのフラデツ・クラーロベー地方のトルトノフにある会社は、皮革製品の製造会社で、主力はハンドバッグや革製の服のようである。シャントフカのお店においてあるベルトはそれほど多くなかった。こちらが求めていた男物の幅の狭いベルトは一種類しかなく、長さもちょうどいいのがなかった。色も明るめの茶色で、もう少し濃いのがよかったんだけど、長さが自分で切って調整できるタイプのベルトだったし、よその店に探しに行くのも面倒だったので買ってしまった。
レジでお金を払おうとしたら、お店の人に財布はいかがと勧められた。買わなかったんだけど、財布もチェコ製のものにするのは悪くない。これは次の課題だな。手袋とか鞄もあるみたいだけど、革ジャンも含めて、手入れが面倒くさそうで、ちょっと手が出せない。財布とベルトならろくに手入れしなくても何とかなりそうだけど。
HPの記述によると、カラという会社が誕生したのは、第二次世界大戦後の1950年代の前半のことである。例の社会主義的な生産の集約で、トルトノフだけでなく、フリンスコやコリーンにあった皮革製品の製造工場がいくつか合併して誕生したのが国有企業のカラ社だった。1970年代から80年代にかけては冷戦にもかかわらず西側世界にも製品を輸出して評判も高かったらしい。ビロード革命後は、民営化された結果、いくつかの小さな企業に分裂しほとんど消滅の危機に陥った。それを救ったのが元従業員のズデニェク・リント氏だったのだという。
カラのHPを見て思ったのが、ピエトロ・フィリッピのと似ているということだったのだが、それもそのはず、最近どちらの会社も同じ人物によって買収されたらしい。その人はチェコ人で熱心にチェコ企業の買収をしている人物だから、どちらもチェコ資本のチェコの会社だと言ってよさそうである。チェコの誇りであるピルスナー・ウルクエルやシュコダ自動車さえ、外資に買収されて久しいのだから、チェコ資本のチェコ企業ってのは貴重である。
ところで、カラのあるトルトノフは、クルコノシュ山脈の麓にある町で、このあたりの中心都市になっている。この街で作られているビールが、クルコノシュではなく、クラコノシュなのは、地元の方言での山脈の呼び名なのだろうか。この工場はビールそのものよりも、かつてハベル大統領が働いていたことで知られるビール工場である。その縁もあってハベル大統領はトルトノフの名誉市民になっているのかな。
トルトノフというと、フス派の英雄ヤン・ジシカの出身地であるトロツノフと音が似ているので、耳で聞くと混同しそうになる。トロツノフは南ボヘミアのチェスケー・ブデヨビツェの近くにあるらしいから、名前でなくどこにあるかで覚えておけば間違えにくいはず。さらに、トルトノフの近くにはトルノフという町もあって、間違えてくれと言わんばかりである。ハベル大統領に縁があるのがトルトノフ、ヤン・パトチカが生まれたのがトルノフである。
オロモウツからは最短でも三時間かかるので、ちょっと足を伸ばすには遠すぎるなあ。ハベル大統領が働いていたビール工場を見学するほどのハベルファンじぁないし。
2019年5月8日24時。
これって、チェコのカラなんだろうか?
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