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2018年03月25日
パスポート更新(三月廿二日)
6月末までだと思っていたパスポートの有効期限が、5月中旬に切れることがわかってあわててプラハに向かうことにした。ぎりぎりになって申請しようとして書類が足りないだの、写真がいまいちだの言われたら間に合わなくなる恐れもある。
在チェコ日本国大使館のホームページで確認したところ、有効期限が一年以内になったら新しいパスポートの申請ができるようだ。6か月前からだと思っていたのだけど、こんなことなら12月の初めに珍しく平日にプラハに行ったときに申請しておけばよかった。あのときは大使館のほうまでいったのだ。
大使館のページによれば、外国在住者だけが使えるオンラインの申請用紙があるようなので、大使館で手書きで書くよりは印刷して持っていったほうが見た目がいいから、使ってみることにする。困ったのは自宅の電話番号が必須項目になっていたことで、携帯だけで固定電話は引いていないからどうしようと考えて、携帯の番号を記入した。その下に連絡先として携帯の番号を書くところがあったけれども必須項目ではなかったから、こちらを空白にした。
戸籍上の住所の番地表示にもちょっと悩んだ。普段は数字だけで、1−1−1とか書いているのだけど、戸籍上では1番地とかになっているかもしれない。いや、なっているはずである。この手の表示は全国で統一されているというわけではないから、他の人の戸籍の番地表示は参考にできない。ということで、昔日本から送ってもらって結局使用しなかった戸籍抄本を探すために家捜しすることになってしまった。
埃まみれになっているのを発見したのはいいのだが、明らかに現在発行されているものとは違う縦書きの奴が出てきた。一度新しい横書きのものを送ってもらった記憶があるから、いつのものだろうと確認したら14年前のものだった。肝心の番地表示は「番地」が使われているのは確認できたが、数字が漢数字、しかも「一、二、三」ではなく、「壱、弐、参」の類が使われている。さすがに今の横書きのでこれはないだろうと考えて、書類には算用数字で記入しておいた。
住所に関してもう一つ気になったのは、うちの田舎は田舎なので住所表示に未だに昔ながらの「大字」を使っている。いや、14年前までは確かに使っていた。新しい戸籍でこれがなくなっている可能性もあると考えて、実家のある自治体のホームページで役所の住所を確認したら、未だに「大字」が使われていた。ほっと一安心である。
例の平成の大合併で多くの市町村が合併したときに、うちの田舎の町も周囲の町との合併を画策していたらしいから、それが成功していれば住所表示の変更も行われたのかもしれないが、周囲の町と条件で合意できずに失敗に終わったらしい。合弁がうまくいっていた場合には本籍地の住所が変わったということで大使館に届ける必要があった可能性もあるのか、失敗していてよかった。
必要事項の記入が終わって出来上がったPDFファイルを印刷するのだけど、カラー印刷が推奨されていた。しかたがないので職場のカラープリンターを拝借して印刷した。特にカラーでなければならないところがあるような書類ではなかったのだけど……。
次は写真である。チェコでは写真の鮮度(へんな言い方だけど)にはあまりうるさくないので、多少白髪が増えたぐらいであまり見た目の変わらない人間は、何年も前の写真を使いまわすことができるし、今までは使いまわしてきていた。今回もそうしようと思っていたのだけど、使いまわしていた写真が、今使用しているパスポートの写真と同じものであることに気付いた。さすがにこれでは、6ヶ月以内ではないということが明らかである。
すぐに証明写真を出してくれるお店を探して、撮影してもらう。三回撮影をして、一回目のは眼鏡に光が反射しているから使えないけど、二回目と三回目は使えるからどちらがいいかと選ばされてしまった。手前の顔写真のよしあしなんざ、わかりゃしないのだけど、というかどっちも武作田という点では大差ないわけで、三回目のが笑っているようにも見えたから、使えないといわれるの恐れて真面目な顔をしているよう見えた二回目を選んで印刷してもらった。
これで必要なものは全部そろったということで、次の日早朝からプラハに向かった。申請書の署名欄に署名をしていなかったので、慌てて大使館についてから署名したのだけど、そのときチェコの習慣に倣って青のボールペンを使ったら、後で受付の人に黒で署名しなおすように言われてしまった。チェコではコピーでなくオリジナルであることがわかりやすいように、青を使うように言われるので、日本もてっきりそうだと思い込んでいたら、日本は何でも黒で書く国だった。
危惧していた書類や写真の不備もなく、午前中で手続きが終わってしまった。これもすっかり忘れていたのだけど、パスポートの値段は10年物で3500コルナほど。受け取りのときでいいとはいえ、最初に料金表を見たときにはぎょっとしてしまった。財布にそれだけの金額を入れていなかったし、ATMを探すのも面倒くさかった。
それはともかく、またまた近いうちにプラハに行かなければならないのである。面倒だなあ。とはいえチェコに帰化するよりは手間はかからないはずだから10年に一回ぐらいだったらいいと思うことにする。
2018年3月22日24時。
2018年03月05日
厳寒と大風邪(三月二日)
今年も暖冬だと思って喜んでいたら、二月の終わりになって急激に気温が下がった。正確な気温は覚えていないが、オロモウツでも久しぶりにマイナス二桁まで行ったようで、体力と気力をすり減らすことになってしまった。
その上、どうも風邪を引いてしまったらしく、頭痛、喉の痛みが止まらない。というのが二月末の状況で、三月に入って記事の更新時間が普段よりも二、三時間早くなっていたのも、早く寝るためだった。風邪は寝て治すものである。なかなか治らないのが問題である。
PCに向かって文章を読むのも一苦労で、考えて書こうとすると吐き気に襲われるという状態だったために、こんなときのために書き溜めておいたストックを放出したのだけど、それも尽きてしまった。ということで、体調が回復するまで、お休みということになるかもしれない。今回のような短文でお茶を濁す可能性もあるけれどもさ。
一応お詫びの意味も込めて報告である。
2018年3月5日11時。
2018年02月12日
オリンピック開幕(二月九日)
スポーツとは全く関係のない政治的な話で、オリンピックの開催が近づいているのには気づいていた。その政治的な話題、つまりは北朝鮮にいいように引っ掻き回されて、完全に利用されてしまっているオリンピックの現状を見るにつけ(利用されているのは韓国だけではなく国際オリンピック委員会もだ)、個々の競技、いや選手たちの成績に対する興味はともかく、オリンピックというイベントに対する興味はほとんど失せていた。
韓国という国は昔からスポーツを政治に利用するのが好きな国だけど、2002年のサッカーのワールドカップが共催になった経緯もひどく、知人のサッカーファンなど、日本は辞退して韓国だけでやらせればいいんだなんて主張していたぐらいである。そこに韓国以上にたちの悪い北朝鮮が出てくるのだから、オリンピックの理想なんてものは影も形もなくなってしまうのは当然というものだ。
そんなオリンピックにチェコからは大統領も首相も出かけなかったのは、正しい選択であろう。正確には出かけられなかったのだろうけど、国内でもめにもめている中、わざわざアジアにまで出かけて新たな揉め事に巻き込まれる必要はない。日本の安倍首相も行く必要はなかったんじゃないかと思ってしまう。
もう一つの問題は、ドーピングで、ロシアが国家ぐるみのドーピングをやっていたのは、今でも継続中なのは確かだろうけれども、IOCのやっていることも中途半端というか何というか。国が単位になって参加するのがオリンピックであるはずなのだから、ロシアという国をドーピングの廉で除外するのなら、個人参加なんてものを認めるべきではなかったのだ。冷戦時代のモスクワオリンピックだって個人出場は認められなかったはずだぞ。
おまけに、突如出てきた北朝鮮の選手が出場するという話に、IOCが飛びついたのもみっともない。韓国政府が飛びつくのは仕方がない部分はあるけれども、厳密に決められているはずの出場資格を獲得していない北朝鮮の選手の出場を認めるのは、暴挙以外の何物でもない。オリンピックには開催国枠というものがあるにしても、韓国の選手たちはその枠に入るための競争を乗り越えて出場権を獲得しているはずである。選手たちから批判の声は上がらないのかね。批判の声を上げると、選手としての活動に問題が生じるという可能性もあるのか。
東京オリンピックでは、オリンピックを開催する意義がなくなりつつあるとは言え、こんな韓国と北朝鮮に振り回されて競技以上に注目されるような事態が発生しないことを願っておこう。北朝鮮の政権延命のための時間稼ぎに協力する言われは、IOCにもないはずなんだけどねえ。スポーツによって、韓国と北朝鮮の和平に協力するという、それこそ政治的な功績を挙げる誘惑には勝てないようである。
日本のマスコミは、日本以外でオリンピックが開催されると、その運営の問題点を、とくに交通機関の問題点をあれこれ書きたてるのが好きで、今回もバスが来ないとか、タクシーがいないとかネガティブな情報がかなり提供されているけれども、東京オリンピックは大丈夫なのかねえ。ただでさえ人が多く、交通機関は朝夕のラッシュ時を中心に混雑を極め、道路は渋滞と切り離せない状態にある東京に、海外から大挙して観客が押し寄せてくるのである。世界に恥をさらすことになるのではないかと心配している。
確か、北京オリンピックのときだったと記憶するが、中国政府がメインスタジアムの建設に膨大な額の資金を投入したことを揶揄するような記事が散見された。日本でならはるかに安価に済むはずだとか言う論調を見かけたのだけど、東京オリンピックの開催が決まって、ふたを開けてみれば、中国のことを笑えない額の資金を投入することになるようだ。この手の超大規模な公共事業で政治家が暗躍して費用が高騰するのは、お約束といえばお約束なのだけど、今の借金大国日本にそんな余裕があるのだろうか。
開催国、開催都市の経済的負担が過大化してしまっている現在、その負担に耐えられるところはそれほど多くない。冬季オリンピックは規模の面で言えば、夏のオリンピックよりはましだとは言え、会場となりえる都市の立地とその大きさを考えると負担が大きいことには変わりはないし、ウィンタースポーツが盛んな地域、国は全世界に広がっているわけではなく開催に手を挙げられるところは夏以上に限定的になるはずである。
近代的なスポーツイベントとしてのオリンピックの発明が画期的ですばらしいものであったことに疑問の余地はない。ただ競技以外の部分での現状がこのまま続くようであれば、早晩行き詰まりを迎えることになるのではないかと懸念する。スポーツの競技を見ること自体は好きなのだ。ただ、その周辺事情の醜悪さにうんざりしているだけである。
その中でも、もっともうんざりするのが、オリンピックのときだけマイナースポーツにも目をむけ、何もわかっていないまま勝手にメダル候補を作り上げて持ち上げ、メダルが取れなかったら手のひらを返して袋叩きにするマスコミなのだけど。チェコの穏当な報道と比べるにつけ、日本のスポーツマスコミの醜悪さが際立ってしまう。
オリンピックのときにしか注目されないという問題を抱えているマイナースポーツに関しては、NHKがチェコテレビのようにスポーツチャンネルを設立して、優先的に試合を放送するようにすればいいのだ。サッカーだの野球だの放っておいても、民放が放送し注目を集めるスポーツよりも、経済的に恵まれないマイナースポーツの露出を増やすのが、受信料を無理やり取り立てている放送局の使命というものである。
2018年2月10日22時。
2018年01月14日
非武装中立(正月十一日)
正月早々懐かしい言葉を目にした。何でも政治ネタを持ちネタにするお笑い芸人が、例の朝まで討論する番組でこの言葉を使って、あれこれ批判されたらしい。その主張、批判の是非はともかくとして、少なくとも一般の人が、憲法の第九条を読むと完全な非武装が求められているという理解に達するということを示したという点では価値がある。つまり現在の形での自衛隊は違憲だと考えるのが素直な読み方であって、どこをどうひねくり回せば、自衛隊は違憲ではないという解釈ができるのか理解できない。
自衛隊が存在し、必要であるという前提の下に、解釈が左右されるのならそんな憲法などあってもなくても変わらないし、90年代の半ばに社会党が変節するまでは、左翼政党は自衛隊は意見だと主張して廃止を求めていたはずである。当時も自民党が一部を除いて自衛隊は合憲だと言っていたから、まともな議論になっていたわけではないけれども、今の左側と目される政治家たちが自衛隊は合憲なんだから憲法は変える必要はないと言っているのを聞くと、裏切られたような寂しさを感じてしまう。
右だの左だのいうのも意味がなくなりつつある現代ではあるが、ここはぜひ軍隊としての自衛隊を取るか、憲法を取って今の形の自衛隊を廃止するかで、真っ向から論争をしてほしいところである。仮に平和と言うものに至上の価値を置くのであれば、軍隊というものを平和を破壊するものでしかないと理解するか、平和を守ることもできると考えるかによって、結論は変わってくるだろう。
日本人は、軍隊=戦争と短絡してしまうことがあるけれども、軍隊は持つ国が平和を求めない国だなんてことは言い切れまい。現状の憲法は維持して、白いものを黒いものにしてしまうような政治家や法学者の詭弁で解釈を変えることによって、自衛隊の稼動範囲がずるずると広がっていく現状よりは、自衛隊を軍隊であると定義した上で、その活動範囲や機能などをしっかりと確定したほうが、はるかにましだと思うんだけどねえ。逆に、軍隊アレルギーを貫いて自衛隊廃止に向かうのも、現状よりはましである。
それにしても、80年代を心情左翼の少年として過ごしたわが身には、非武装中立という言葉がほとんど説得力をもてなくなっている事実に隔世の感を抱いてしまう。冷戦が終わった今、中立もくそもないと言えばそれはそれまでなのだけれどもさ。
自分が、理論派でも行動派でもなく、心情左翼(要はなんとなく左翼っぽい意見を持っている人ね)になった理由を考えてみると、両親が近所づきあいの関係で購読していた「赤旗」の日曜版か、中学時代の日教組系の先生の存在に突き当たる。そこで耳にし目にした左翼的な理論が、理解できたわけでも納得できたわけでもないが、左翼的な言説は、何とも魅力的だった。
今でも思い出せるのが、確か「連帯を求めて孤独を恐れず」とか、「造反有理」なんかで、実態があったのどうかはともかく、あやめもつかぬ田舎の餓鬼を魅了する言葉がいくつも並んでいた。今考えると、当時の左翼系の知識人てのはこの手の文才があったのだろうし、同時に罪作りな存在だったのだなあと思う。
それに対して右翼的な言説は、たとえはよくないかもしれないが即物的で、現世利益を求めるようなところがあって、それよりは自らの利益よりも理想を求めるところのある左翼的な考えに惹かれてしまったのである。左翼ってのはどこか宗教じみたところがあるのだと書いて、右翼も突き詰めれば、日本の場合には宗教的になってくるからどっちもどっちか。
とまれ、その我が心情左翼の時代に、わけもわからず飛びついた言葉の一つが、「非武装中立」だったのだ。当時もマスコミではアメリカべったりの自民党政権が批判されていたから、アメリカを離れて中立になり、憲法違反の自衛隊を廃止しようという非武装中立論は結構説得力を持っていたような気がする。田舎の餓鬼に対してだけかもしれないけど。
我ながら救いがたいと思うのは、非武装中立を主張しながら、「ゲリラ」とか「パルチザン」とかいうものにも憧憬を抱いていたことだ。絶対的な平和主義、非武力主義を意味する非武装中立を標榜しながら、武力で抵抗することを辞さないゲリラになりたいというのだから、あのころは今よりはるかにアホだったのだ。
この矛盾のために、友人と以下のような会話を交わすことになる。
「でもさ、非武装中立って自衛隊も米軍もなくなるってことだろ。ソ連が攻めてきたらどうするんだよ」
当時は、結構真面目にそんなことが議論されていたような気がする。日本が本当に軍備を放棄したらそうなるという脅しの意味もあったのかもしれないけれども。
「そりゃあ、政府は降伏して、占領されるだろうなあ」
「お前はどうするんだよ。ソ連の市民として共産主義者になるかあ」
本当の左翼、共産主義者であれば、ソ連の援助で日本に共産党政権ができると歓迎したのかもしれないけれども、こちとらただの心情左翼である。
「よその国に侵攻するようなふざけた国の言うことを聞くいわれはない」
「じゃあ、どうすんだよ。アメリカにでも亡命するのか」
「んなわけあるかい。当然山にこもってゲリラ活動にきまってんだろ。日本が解放されるその日まで抵抗運動を続けるんだ」
これで、自分の中では非武装中立とゲリラへの憧れが整合されているつもりになっていたわけだから、我ながら恥ずかしくなる。
「でもさ、お前、そんな山の中で戦闘活動できるような体力あるかあ」
「そうだなあ。山岳部にでも入って鍛えるかなあ」
入部はしなかったけど、練習に付き合ったことは何度かある。20kgぐらいのリュックを背中にしょって坂道を駆け上ったり下りたり、結構大変だった。
「それに武器はどうすんだよ」
「自衛隊か米軍からの横流しって、すでに存在しないのか。そうすると自衛隊が廃止になるときのどさくさにまぎれて廃棄予定のものをちょろまかすしかないのかあ」
どうすれば、それが可能になるかなんてこと、いや本当に可能なのかどうか考える頭は、残念ながら持っていなかった。ほら若い頃って、言葉に、言葉の持つイメージに酔いやすいものだしさ。
「仮に手に入ったとして、お前、それ使えるのか」
「使えるわけねえだろ。自衛隊で体験入隊とかで教えてくれないかなあ」
チェコだと予備役に登録すれば、年に何回か訓練を受けることになるので、問題なく使えるようになるかどうかはともかくとして、体験だけはできるはずである。
「でもさ、それなら最初から自衛隊があった方がましじゃないか」
「それもそうだなあ。政府の降伏命令を自衛隊の一部が拒否して山にこもってゲリラ活動って方が話的にも、現実的で美味しいか」
「じゃあ、自衛隊廃止を主張しながら、自衛隊に入っちまえよ。ゲリラ活動をするための訓練なんて、よそじゃ積めねえだろ」
ということで、自衛隊に入ろうとは思わなかったけど、防衛大の受験はちょっとだけ考えた。こんなバカみたいなことを、心情左翼から穏健派民族主義者に転向するまで主張していたのだから、民族主義者と言っても右翼的な日本が日本がではなく、左翼がかった民族主義で、それはそれで結構お馬鹿な主張だったなあと、過去を振り返って暗澹たる気分になる。今があの頃よりましというわけではないのだけど。
それに比べたら、「非武装中立」を思い出させてくれた芸人さんは、外国に攻められたら殺される覚悟を固めているというのだから、はるかに潔く立派である。ただ、殺されることを選ぶのも、ゲリラになるのも、個人の意思と決定によるもので、他人様に強要できるようなことではないってことだろう。
とりあえずは日本でも、チェコでも軍隊が戦争に巻き込まれることのないことを祈っておこう。世界全体の平和を願うほどの気力はないや。またまたぐだぐだになってしまった。
2018年1月12日24時。
2017年12月02日
理解しがたいことども2(十一月廿九日)
前回書こうとしてたどり着けなかったアメリカとロシアの話である。
未だに去年のアメリカの大統領選挙でトランプ氏が勝ったことを認めない頑迷な人たちが特にマスコミの世界にたくさんいるようである。それが、ロシアがアメリカの大統領選挙に干渉したという批判につながっている。ロシアのおかげで当選したトランプ大統領は、正当な大統領ではないと言いたいのだろう。
仮にロシアがアメリカの大統領選挙に何らかの形で干渉したのが事実だったとしても(事実だろうけど)、それを批判する資格がアメリカにあるのか。70年代のチリに干渉して、アジェンデ政権を倒すためにピノチェトのクーデターを支援したというのは有名な話だし、実はイスラエルのモサドもかかわっていて、犠牲になったチェコスロバキアのオストラバ出身の人物の子孫が、最近イスラエルの裁判所に軍事機密を公開するように裁判を起こしたというニュースが流れたなあ。
選挙に関してなら、冷戦下の日本では、自民党はアメリカから、社会党はソ連から、それぞれ政治資金を得ているというのが、公然の秘密のようなものだった。共産党はソ連だっただろうか、中国だっただろうか。
今回ロシアが批判されているのは、ロシア政府が雇った連中がクリントン氏が落選し、トランプ氏が当選するような工作をインターネット上で行ったということのようなのだが、こんなのって証拠をつかめるものなのかね。やった、やらないの水掛け論に終わって、何の成果もないまま時間だけが過ぎていくのが目に見えている。
そもそも、ネット上であれこれありもしない情報を流すのと、選挙資金として多額の現金を提供するのとどちらが、内政干渉として悪質がといえば、どう考えても現金であろう。ロシアとウクライナに限っても、アメリカから反プーチン勢力、反ロシア派勢力にかなりの金が流れているのも公然の秘密である。アメリカがロシアの反プーチン、つまりは反政府組織にお金の出すのは問題にせず、ロシアが反クリントンの、決して反アメリカ政府ではない活動をするのを問題にする。この辺がアメリカの傲慢さの表れなのであろう。
仮にアメリカが出している資金が、秘密の資金で表ざたになっていないからと言うのなら、ロシアの反クリントン、親トランプ活動も、ロシア政府自体は否定をしているわけだから、こちらも表ざたにはしない、もしくはできない活動である。結局自分のことは棚に挙げて、他者を批判していることには変わらない。
アメリカからロシアの反政府のNPOだかNGOだかにお金が流れているということに関しては、知人のロシア専門の政治学者から次のような話を聞いたことがある。ロシアの何とか研究所で、所長と研究について話していたら、電話がかかってきた。所長の知人のアメリカの研究者からの電話で英語でしゃべっていた。もれ聞こえる話だけでも、結構やばそうで聞かないほうがいいと思わされたらしいのだが、電話を切った後の所長の説明が凄かった。
何でも、アメリカの研究者は、政府の依頼で、民間の資金(どこぞの大金持ちがありがたいことに善意で提供したらしい)を、反政府のNPOに届けるために持ち込んだのだが、ロシアに入国してからすぐに秘密警察に尾行されていることに気づいたらしい。このまま届けると自分にも届け先の団体にも、大きな問題が起こるので、尾行をまく、もしくは一時金を預けるために協力してほしいという電話だったのだという。
所長はその依頼について、引き受けたけれども、当然のように報酬を要求したのだとか。研究所の所長なんて薄給だから、こんな役得でもなければやっていられないということだろうか。知人はきれいごとではない国際政治の最前線に巻き込まれそうな気がして恐ろしくなったと言っていた。こういうアメリカからの、銀行振り込みとは違って、記録の残らない現金の持ち込みによる反政府派のNPO支援が繰り返されることに腹に据えかねたプーチン大統領がやったのが、NPO、確か外国と関係のあるNPOの活動を禁止することだったのだ。
国際的な関係なんて、どちらかが一方的に100パーセント悪いということはありえない。それぞれの国が、合法非合法を問わず、直接間接、さまざまな形で、他国に対して有形無形の干渉を行なっているのだ。それを批判したところで、不毛な議論にしかならない。いや、駆け引きのネタにはなるのか。
それでも、このロシアの選挙への干渉疑惑ではトランプ大統領を追い詰めることはできまい。アメリカの大統領が任期を全うしないなんてことは滅多にないのだから、本気でトランプ大統領の解任、辞任を目指しているのなら、もっと工夫したほうがいいんじゃなかろうか。せめてウォーターゲート事件レベルの芸は見せてほしいところである。
とここまで書いて、理解しがたいことってなんだったんだろうと自分でもわからなくなってしまった。風邪気味で頭が朦朧としているから仕方がないのである。久しぶりに大失敗作だな。
2017年11月30日25時。
2017年11月24日
理解できないことども(十一月廿一日)
どうして、民主主義、民主主義、うるさい連中は、民主主義の基礎であるはずの選挙の結果を否定したがるのだろうか。それに、自分たちが、自分たちの支持する党が勝ったときだけは、選挙の結果を全面的に肯定するから、理解不能の度合いはさらに高まる。自分たちが勝てば民主主義の勝利で、負けたら民主主義の危機ってのは、冗談としか思えない。
チェコでも日本でも、得票率と議席の獲得率には、100パーセントの整合性がないのだから、選挙の結果が民意を完全に反映しているとは言えない(まともな言葉に言い直すとこうなる)とか何とか主張している人たちがいたが、ならば何故、選挙の前に制度の改正を訴えなかったのだろうか。得票率と議席数が完全に対応するような制度などありはしないのだし、特に日本の場合には、アメリカ式の二大政党を目指すとか分けのわからない理由で、小選挙区制を導入した結果なのだから、今更そんなことを言い出すのは妄言としか言いようがない。
それに、一票の格差がどうこううるさいせいで、毎回のように選挙区の区割りが変わっているのもいいことではあるまい。選挙区で選出される議員にはその県、県内のその地方の代表という意味もあるのだから、一票の格差というものを杓子定規的に当てはめるのは間違っている。日本において、少なくとも建前上は、各都道府県は同様に重要ではないのか。九州の田舎者としては、一票の格差というものを錦の御旗にして、田舎の議員定数を減らして都会に持っていこうとする主張には怒りを感じずにはいられない。
もし、本気で一票の格差をなくさなければならないと考えているのなら、小選挙区制を止めてしまえばいいのである。県単位の大選挙区制にして、定数も有権者数でなく、選挙における無効票も白票も含む投票者数に基づいて数を割り振ればいい。どうしても小選挙区制にこだわるのなら、小選挙区ではある程度の一方の格差は許容した上で、比例ブロックの定数を投票数によって分配すればいい。個人個人の一票の格差だけではなく、各都道府県の議決権の差が大きくなりすぎないように配慮するのも必要なことであろう。
日本の選挙について、どこかの大学の教授だったかなが、テレビや新聞が選挙前に公表する世論調査の結果、自民党が圧勝しそうだというのを見て、選挙に行くのを止めた潜在的な野党支持者がいた可能性があるから、世論調査の結果の発表には慎重になった方がいいなどと言っていたらしい。こんなんで大学の先生とかやれるらしいし、日本の政治学者というのは気楽な商売だねえ。
以前、世論調査の発表に関しては、自民党が圧倒的に勝ちそうだという報道があったために、自分は選挙にいかなくてもいいと考えた自民党支持者が多数いたという報道を見た記憶がある。今回の選挙も、台風に襲われたことを考えると、自民党支持者で勝てそうだから行かなくてもいいと考えた人のほうが多そうである。
どちらが正しいのかはともかく、選挙の直前まで世論調査の結果を発表し続けるのが、有権者の投票行動に影響を与える恐れがあるのは確かなことである。だから世論調査の結果の発表はチェコでは選挙の週の月曜日までに制限されているのである。自民党が勝ったからでも、野党が勝ったからでもなく、選挙結果に影響を与えるから、世論調査の結果の発表に制限をかけようというのなら、正しくその通りというところだけれども、理由が自分の支持しない正当が圧勝したからというのでは、全く説得力がない。
選挙前の世論調査もそうだが、選挙直後の速報で開票もされないうちから当選確実とか興ざめなことをやるのも禁止してしまえと思う。投票所で出口調査なんて無駄で有権者の投票の邪魔にしかならないことなど止めて、選管の出す結果を元に報道していればいいのだ。たかが、何分、何時間か早く結果を出すことに何の意味があるのだろうか。
チェコでは、下院に議席を獲得した既存政党のうち、真ん中から右よりの市民民主党、キリスト教民主同盟、TOP09、市長無所属連合が、民主主義クラブとかいう名前の合同会派を結成して国会でANOと対峙すると言い出した。この四つの党を合わせてもANOの議席数には全く届かないというのはおくにしても、TOP09なんてキリスト教民主同盟から分裂して、議席を失わせ一時は解党の危機にまで追い込んだ連中なんだよ。市長無所属連合にしても、前回の選挙まで組んでいたTOP09を捨てて、キリスト教民主同盟と手を組もうとした挙句に裏切って単独で選挙に出た党だよ。理念がどうこうではなくただの数合わせの、数を獲得するための野合としか言いようがない。
そもそも比例代表制で政党に対して投票されたはずなのに、その政党の枠を外して他の党と合同するというのは、民主主義的に許されることなのか。政党が合併するのではなく、統一会派だからまだ許容範囲ではあるのだろうけど、これも本来であれば、選挙前に統一会派を作るということで合意し、統一の名簿で選挙に出るべきだったのではなかろうか。
統一会派を作ることで、ANOとの対立姿勢を強調し、ANOとオカムラ党、共産党の協力関係を浮き彫りにしてANOの支持層を取り崩そうというのだろうけどうまくいくだろうか。ANOとオカムラ党の組み合わせは、極右に近いものだと考えられているようだが実態は違う。ANOの支持層は中道を中心に右から左まで幅広いし、オカムラ党は極右だけでなく極左にも支持を伸ばしている。つまり、この二つの党で、思想的には極右から極左までの全体をカバーしてしまうのである。
ANO側と民主主義クラブ側の対峙は、右、左という思想的なものではなく、疑惑まみれの過去をもつ既存政党と、怪しいところもあるけれども政界に汚染されていない新しい政党の対立ということになる。左よりの社会民主党が反ANOの姿勢をとり続けていることと、海賊党が何でもかんでも反ANOではなく、政策によってはANOを支持することもあると主張していることを考えると、その新旧の対立はより明確になる。
有権者に愛想をつかされつつある既存の政党が、主義主張を脇において数の力を得るために協力し始めたところで、かつての勢力を取り戻せるものだろうか。望みはそれほどないと思うんだけどねえ。ANOのバビシュ氏のしゃれにならない不祥事が発覚するか、ゼマン大統領とバビシュ氏が喧嘩別れするかしない限り、現在の既存政党の凋落という流れはとまらない気がする。
うーん、一番理解できないのは、どうしてこんな内容になったのかということだな。アメリカとロシアの話を書くつもりで始めたのに。
2017年11月23日24時。
2017年11月07日
ライカ(十一月四日)
ライカというカタカナの言葉を見て何を思い出されるだろうか。かつて世界的な名声を誇ったドイツのカメラを思い出す人もいるだろうし、世界で初めて地球の周回軌道に到達した生物ライカのことを思い出す人もいるだろう。
昨日2017年11月3日は、ライカがソ連の人工衛星スプトニク2号に乗せられて宇宙に送り出されてから、ちょうど60年目の記念日だった。ライカは宇宙への旅から生還することができなかったから、この日は人間ふうに言うと祥月命日でもある。それでライカを中心にした宇宙開発の歴史についてのニュースが流れた。それに、60周年を記念してライカをテーマにした映画も公開されるようである。
今でも思い出すのだが、ライカの存在を知ったのは、確か歴史の教科書に載せられていた写真を見たときのことで、キャプションには「ライカ犬」と書いてあった。だから、ライカというのは、シェパードやブルドックなどと同様に、犬種なのだと思い込んでいた。それがチェコに来て何かの機会にチェコ人たちとこの話になったときに、ライカというのは犬種なんかではなく、宇宙に送り出された犬に与えられた名前だということを教えられた。そんな妙な名前の犬種なんて存在しねえよと笑われたんだったかな。
そして今回のニュースで、ライカと名付けられた犬は、特別な犬種の犬ではなく、モスクワの街を徘徊する野良犬だったということを知った。つまり犬種としてはただの雑種の犬だったのである。宇宙飛行に選ばれたぐらいだから、耐久性に定評のある犬種の中から選んで特別な訓練を受けた犬だったのだろうと思っていたのだが、ソ連の宇宙科学者達は、宇宙に出て戻ってくるまでの苛酷な環境に最も耐えることができるのは、酷暑と厳寒に襲われるモスクワの街路を住処としている野良犬に違いないと考えたらしい。
その考えは正しく、一匹目のライカこそ生還できなかったが、二回目に送り出された二匹の犬は無事に地上まで生きて戻り、ご褒美に大きなサラミソーセジをもらってご満悦だったのだとか。日々の餌にも事欠く生活をしていた野良犬たちは、褒美として一切れのパンがもらえるだけでも大喜びで、ささいな餌をもらうために嬉々として訓練にいそしんでいたらしい。そうすると科学者たちの野良犬を使おうという決断が、ガガーリンの有人宇宙飛行を成功に導いたと言ってもいいのかもしれない。
ちなみに、ノラを宇宙に送り出したのはソ連だけではなく、フランスも宇宙空間にノラを送り出したらしい。ただしこちらは犬ではなく猫で、初めて宇宙に出た猫も雑種の野良猫だったのである。人間の場合にはさすがにノラを送り出すというわけにはいかず、必要にして十分な訓練を受けた軍のパイロットを宇宙飛行士として養成して育てることになる。その訓練のためのデータを命がけで提供したのが、モスクワの野良犬たち、パリの野良猫だったのである。
第二次世界大戦後に始まった宇宙開発競争の中心は、ソ連とアメリカであり、宇宙飛行を体験するのも当初はソ連人とアメリカ人に限られていた。ではアメリカ、ソ連以外で最初に宇宙に自国民を送り出した国はと言うと、チェコスロバキアなのである。もちろんソ連のロケットに乗せてもらって宇宙に出たわけだけど。これまでチェコでは唯一の宇宙飛行士になった人物の名前はブラディミール・レメクという。もともとチェコスロバキア空軍のパイロットだったレメク氏が宇宙に出たのは1978年2月のことで、ソユーズ28号で宇宙ステーションのサリュート6に向かいほぼ八日間の滞在の後地球へと戻ってきた。世界では87人目の宇宙飛行士だったらしい。
ヨーロッパの宇宙開発のための組織ESAでは、このレメク氏をヨーロッパで最初の宇宙飛行士として認定しようという動きがあるらしい。待て、ガガーリン以下の宇宙飛行士を輩出したロシアはヨーロッパではないと言うつもりなのか。せこい、せこすぎる。モスクワの近くの出身であるガガーリンが宇宙に出た最初のヨーロッパ人でいいじゃないか。いくらロシアとロシア人が嫌いだからと言って、ロシア、いや旧ソ連が宇宙開発に果たした貢献を無視してはなるまい。
レメク氏は自分を宇宙飛行士にしてくれたソ連への感謝を忘れない人のようで、チェコ国内ではロシア派の人物として知られる。EU加盟のころから長きにわたって、共産党のヨーロッパ議会の議員を務めていたはずである。そして、ゼマン大統領が就任した後、駐ロシアチェコ大使としてモスクワに赴任している。この人選についてもゼマン大統領は強く批判されていた。共産党と結びつきの強い人物に大使のポストを与えるとは何事かというのである。宇宙飛行士としてロシアでも知名度が高いレメク氏の大使起用は悪くなかったのではないかと思えなくもない。
チェコ出身の宇宙飛行士としては、もう一人、というかもう一匹、アメリカのスペースシャトルに乗せてもらって宇宙に出たクルテチェクがいる。2011年にスペースシャトルのエンデバー最後の飛行となったSTS-134に参加したアンドリュー・フューステル宇宙飛行士が、クルテチェクのぬいぐるみを持ち込んだのだ。奥さんがチェコ系の人である関係で、他にもネルダの詩集とかチェコの国旗なんかもスペースシャトルに持ち込んだことがあるらしい。
ということで、ソ連は野良犬を、フランスは野良猫を宇宙に送ったのに対して、チェコは子供向けの番組のキャラクターを送ったのである。終着点が見えなくなったのでこれでお仕舞い。
2017年11月4日23時。
昔のものならず……。
2017年10月17日
外国語が話せるということは2(十月十四日)
かつてまだチェコ語の勉強を始める前にチェコを旅行した際には、英語を使っていた。大学受験が終わって数年、真面目に勉強しなくなっていた英語は十分以上にさび付いていた。そのせいで、言葉が口から出てくるようになるまでが大変だった。英語を使うしかないんだから、そんな状況になれば言葉は出てくるだろうと期待したのは甘かった。
あのときどうして言葉が出てこなかったのかを考えると、答は自分の英語に、正確には英語の正しさに自信がなかったからである。発音にも自信がなかったし、作りあげる文が文法的に正しくて相手に理解してもらえるかどうかも不安だった。そのうちに、当時のチェコ人はまだ英語はあやふやという人が多く、結構適当な英語を使っていたこともあって、開き直って適当な英語で話ができるようになっていったのである。
しかし、あるとき、今思い返しても腹が立つのので普段は思い出さないようにしているのだが、アメリカで英語を勉強してきたというチェコ人に、お前の英語は間違いだらけだと指摘されてしまった。全くその通りなのだけど、おかげで適当でも何とか話せるという裏づけのない自身は崩壊し、しばらく英語で話すのが苦痛で仕方がなくなってしまったのだった。
敗因は会話の練習が足りていなかったことではない。自分が学んだ英語の、せめて文法の面だけにでも自信が持てていれば、あそこまでの醜態をさらしはしなかったのにと、しばらくは怒りが収まらなかったものである。受験勉強が終わった時点で英語の勉強をやめてしまったのをちょっとだけ後悔したけれども、自分が日本を出ることなどないし、読み書きでも英語を使う必要はないと確信していたのだからしかたがない。それが今や……、人生と言うものは予定通りにはいかないものである。
これが我が英語が話せなかった、話せなくて困った記憶なのだが、例えば中学校、高校で、話すことに重点を置いた授業を受けていたとしても、大差はなかっただろう。我々のころも、どこの国の人かは記憶がないけれども外国の人が教育委員会か何かに雇われていて、ごくたまに英語の授業をしに来ることがあった。この授業、皆でひたすら英語で話そうというもので、間違えてもいいからと、あれこれしゃべらせられたのだと思う。思うと言うのは、まったくと言っていいほど記憶に残っていないからである。
この何回か受けた、恐らく英語で話させるための授業は、後に英語で話さなければならなくなった際の経験から言えば、何の役にも立たなかった。間違えてもいいからというのは、その場で口を開かせるのにはよくても、次にはつながらない。自分の口から出た言葉が正しいのかどうか確信が持てないという点では変わりないのだから。仮にそんな話すための授業を繰り返したとて、間違いが間違いのまま定着してしまうだけではないのだろうか。外国人の先生はほめるばかりで何の指摘もしてくれなかったし。
英語で話せることを目標にして勉強することを完全に否定するつもりはない。将来英語を使った仕事に就きたいと考えている人であれば、その手の授業を十分に活用することも可能であろう。しかし、そんな目的意識を持たない人間に、英語で話すことを押し付けてどうしようというのか。読み書きは、インターネットで世界中がつながれてしまった現在、外国から買い物をするなどの形で必要になることが、誰の場合でも、ある程度想定できるが、英語で定期的に話さなければならなくなる日本人は、それほど多いとも思えない。例えば、田舎の町役場の職員が来るかもしれない外国人のために、英語で話せるようになろうというのは、個人の努力としては素晴らしいが、それを役場の方針にするのは、無駄な努力としか言いようがない。それで外国人観光客を呼び込むという目的があれば話は別だけどさ。
不思議なのは、数学などに関しては、こんな難しいことは人生で不要なのに何故勉強させられるのかと不平不満を並べる人が多いのに、英語で話すことに関してはそんな声があまり聞こえてこないことだ。勉強するのが中学からだから、まだ何とかなると思ってしまうのかな。自分の場合には思っているうちにどうにもならなくなったのだけど、そんな英語でも、話すための最初の壁を乗り越えられれば、それなりには話せたのである。
問題なのは、恐らく日本人が英語で話せないという事態を何とかするために導入されたのが小学校からの英語教育だということだ。しかも、小学校に英語が専門の先生を置くのではなく、ただでさえ忙しい担任の先生の担当する科目が増える形での導入だというから、果たしてどれだけの効果があるものか。科目自体の方針も、どうせ、正確さには目をつぶってとにかく口を開かせると言う方向に行きそうである。となると発音にしても文法にしても、間違ったことを覚えこんで直せなくなる子供がかなりの数出るのではないだろうか。
読み書きを重視して正確な英語を身につける努力を通り抜けてきた人が、話す際に多少の間違いは仕方がないと開き直って口を開くのと、最初から間違えても問題ないよと修正されないまま(もしくは修正できない指導者に指導されたまま)話すようになるのと、どちらがまともな英語になるのだろうか。他人事ながら楽しみである。
チェコ語に関して言えば、最初のサマースクールで一番上のクラスに放り込まれたときに、チェコ語でペラペラしゃべっていてすげえと思わされた連中のチェコ語が、サマースクールが終わる頃に実は文法的にはぼろぼろで、そのぼろぼろの状態で話すのに慣れてしまっていて、四週間勉強してもその点ではあまり進歩していないのに気づいて以来、話すこと重視の勉強には否定的である。きれいな正しいチェコ語で話せるようになりたいのであって、英語の場合のように文法的にはめちゃくちゃだけど何とか意思疎通はできるなんてレベルを望んでいるわけではないのだ。
さて、日本人が英語ができないのは、現状の英語教育が悪いのだと批判している人のたち想定する「英語で話す」というのは、文法的に正確な英語で話せることなのか、多少はでたらめでもいいから意思疎通さえできればいいということなのか、そのあたりをはっきりさせないままに、批判したり対策を考えたりしても時間の無駄に終わるだろう。後者であれば、昔からの英語教育を変える必要はないし、前者なら、もう少しまともな対策をとる必要がある。個人的には日本人全員に英語が話せるようになることを求める意味が理解できないけど。その前に首相も含めて日本語をもう少し何とかしてほしい。
昨日今日と、久しぶりに意あまりて言葉足らずになってしまった。もう少し考えがまとまったらも一度同じテーマで書くかもしれない。
2017年10月15日22時。
読んだことはないけど、題名には賛成。
2017年10月16日
外国語が話せるということは1(十月十三日)
昔から、日本人は最低でも中高で六年、大学まで行けば十年も英語を勉強するのに、話せるようにならないなんてことは言われていた。漫画か何かで高校の英語の先生が、アメリカに出かけて自分が教えている英語なのにほとんど通じなくてショックを受けて帰国して先生をやめてしまったなんてエピソードも読んだことがある。当時は、まだ物の道理も理解できないクソガキに過ぎなかったので、勉強しても話せないなんておかしいし、それは教え方が悪いんだという一般の批判に同調してしまっていたような気がする。もちろん勉強しない自分のことは棚に上げて。
チェコ語を勉強してそれなりに話せるようになった現在の目から見ると、あの英語教育批判は全くの的外れだった。英語を勉強した日本人が英語で話せなかったのは、今でも話せない人が多いのは、わざわざ英語で話すべきことがないからである。普通に日本で生まれ日本で学校に通い、日本の会社で仕事をしている分には、英語で話さなければならない機会もそれほど多くはないし、そんな人たちにわざわざ英語を使ってまで外国人に伝えたいことがあるとも思えない。
高校の頃の英語の先生がその辺がしっかりわかっていて、日本の中学高校における英語教育の目的は、文部省がなんと言おうと、英語で話せるようになることではありえないと断言していた。その上で、今後英語で書かれた文章を読まなければならない機会が増えることが予想されるから、書かれたものを読んで正確に理解できるようになることと、外国とのやり取りは手紙ですることになるのだから文法的に正しい英語の文章が書けるようになることが、英語学習の目的なのだと言っていた。もちろん、辞書を使っての話である。
そして、将来通訳のような英語を使う仕事につく場合は、大切なのは正しい英語で話すことなのだから、文法の学習を軽視してはいけないというのである。文法的に不正確で、意思疎通が何とかできればいいというレベルの英語しか使えないのなら通訳としては役に立たない。本気で英語を使う仕事をしたいのなら、大学で英語を専門的に勉強するしかない。高校までの英語の勉強はそのための基礎作りだなんてことも言っていたかな。
こんな先生に習っていながら英語ができようにならなかったのは、先生の教えかたが悪かったのではなく怠け者の自分が悪かったのである。英語に関してはものすごく詳しい先生で、その言葉にも説得力はあったのだが、反発してしまった。流行だった当時の英語教育批判に流されてしまったのは、勉強しない言い訳を探していたからなのだと今にして思う。若気の至りと言えばその通りなのだけど、そのおかげでチェコ語ができるようになったのだと考えると、気分は複雑である。
国語の先生の意見はさらに過激だった。日本の英語教育は入試で学生を選別するためにあるというのである。国語や社会科などの科目は、どうしても子どものころから勉強する環境にあった学生の方が成績がよくなる傾向があり、中学校高校から真面目に勉強するようになった子供がそれに追いつき追い越すのは難しい。それに対して英語は中学校で一から始めるから、それまでに出来上がった優劣には左右されない。つまり中学高校でどれだけ真面目に勉強したかのバロメータになるのは、英語しかない。だから大学入試では英語が重視されるのだという。
初等教育における学力の差というものが、中等教育にまで持ち越されるもので、それが大学受験にまで大きな影響を与えるものであることを認めた上で、英語なら中学で始めたもので必要な知識の蓄積も少ないから、現時点で劣っていても努力次第では逆転できるということでもあったのだろう。英語の成績が上がれば他の科目の勉強にも好影響が出るはずだ何てことも言っていた。確かに一理ある考えかただと思わなくはなかったが、田舎のとはいえ、一応進学校の成績上位者を集めたクラスに言う台詞じゃねえよな。
本心は英語が苦手な学生たちに大学受験までは頑張って英語を勉強しろという意図でなされた発言なのだろうが、これにも反発した。反発して英語の点数が悪くても入試に合格できるように他の科目の勉強に力を入れたのだった。二人とも尊敬すべき、いい先生だったのだけど、尊敬はしつつ言われた通りにはしないという、やっぱひねたガキだったんだよなあ。機会があればこんなクソガキを教えなければならなかった先生たちにお詫びを申し上げたいぐらいである。
ちょっと話がそれすぎた。そう、問題は、しばしば目的とされる「外国語が話せる」というのはどんなレベルをさすのかというところにある。辞書や会話集を使いつつ単語を適当に並べて、何とか意思疎通ができればいいというレベルであれば、わざわざ話すこと、つまり会話に力を入れる必要などない。
チェコに赴任してくる日系企業の人たちの中には、英語なんて十年も前に勉強したきりでぜんぜん使っていないからできるわけがないという状態の人も結構いる。そんな人たちでも、日本語が使えない環境で、英語で伝えなければならないことがあるという状況になれば、かつて勉強したことを思い出し思い出し、辞書や会話集なんかも使って何とかかんとか、もちろん個人差はあるとはいえ、最低でもそれなりの意思疎通はできるようになるのだ。発音や文法が怪しかったりはするけれども、外国語で話すことの目的が言葉でコミュニケーションをとることにあるとすれば、それで十分じゃないか。
余計な回想で長くなったので本件はもう一回続く。
2017年10月14日22時。
2017年10月14日
北方領土、もしくはロシアを信じられるのか(十月十一日)
昨日取り上げたhudbahudbaさんからのコメントには、北方領土が日本に帰ってきたときに、現在居住しているロシア人をどうするのがいいのだろうかということも書かれていた。これについてもチェコから見ての印象を書いておきたいと思う。コメントがもらえるとそれに答える形で新しい記事がかけるので、今後も遠慮なくコメント、質問などしていただけるとありがたい。
さて、日本を離れて久しいので、日本で今、どのぐらいの人が北方領土が返還されると思っているのかは知らない。元が九州の人間なので、日本にいたときにも北方領土問題を現実的なものとして感じていなかったような気もする。ただ、漠然と冷戦期だったこともあって取り戻すのは難しそうだと思っていたぐらいである。むしろ、テレビのドキュメンタリーや小説などで、北海道の、道東の漁民達の、海上の国境など気にせぬ密漁の様子、ソ連の国境警備隊と取引をして漁をする様子などを見てそのたくましさに圧倒されるような気持ちになったのを覚えている。
その後、ソ連が崩壊し、再びロシアという国家が誕生したのだが、北方領土を巡る状況はほとんど変わっていないように見える。ときにソ連、ロシア側が譲歩しそうに見える状況になっても、また手のひらをひっくり返されて一から交渉のやり直し、というのが素人の目で、遠くから見た日ソ、日露間の交渉の経緯である。
一言で言えば、返還の可能性を出汁に経済援助や政治的譲歩を日本に求めるのがソ連、ロシアの常套手段と化している。そして、日本側がマスコミも含めてそれに一喜一憂しているというのが現状である。国際法上どうだこうだという話はあっても、実効支配には勝てないわけだし、願望とか、希望とか、べきだというのは、抜きにして本気でロシアが一度自分の領土にしたところを、戦争に負けたわけでもないのに返還すると考えている日本人はどのぐらいいるのだろうか。
第二次世界大戦後に日本の領土を離れたところとしては、沖縄がある。沖縄の場合にはアメリカが支配はしつつも、移民を送り込んだり、日本人を追放したりして、アメリカ化を推し進めることはなかった。だから、日本への返還が可能だったし、米軍基地の問題は大きいとはいえ、比較的問題なく返還のプロセスは進んだ。
それに対して、ソ連は、北方領土を含む樺太、千島に住んでいた日本人を追放した。強制収容所に入れられた人たちもいたのかな。その上で、移民を送り込んで強引にソ連化を進めたわけである。そうなると返還する、しないと言葉で言うのは簡単でも、実行するのは困難になってしまう。
結局、戦争というものは、負けた側が存続することになっても、勝った側の恣意によって国境線が変更されるものであって、ヨーロッパでも東側ではソ連の要求によって国境線が大きく変更された。それと同じことをアジアでもやっただけで、非難される理由はないというのがソ連、ロシアの考えかたなのだろう。
それに、ソ連の構成国家だったウクライナに対する扱いを見ていると、北方領土が日本に返還されることが、日本という国の安全にとっていいことなのかどうか不安になってくる。かつてソ連では国内政治の問題から、クリミア半島と現在内戦中のウクライナ東部の所属をロシアからウクライナに変えた。それはソ連が崩壊してロシア、ウクライナがそれぞれ別の国として独立を果たしてからも変わらなかったのだが、独立後もロシアよりだったウクライナがEUに媚を売り出したあたりから情勢が変わり始め、現時点ではクリミア半島の併合と東ウクライナの親露派組織を支援しているという状態である。
恐らくロシアの意識としてはウクライナなどロシアの属国のようなもので、言うことを聞いている間はクリミア半島は貸してやったけど、言うこと聞かなくなったから返してもらうというようなところだろうか。ウクライナ東部を併合していないのは、今後のウクライナの動向次第で対応を変える余地を残すためだろうか。仮にEUがウクライナを加盟させるというところまで暴走した場合には、ロシア人の権利を守るためと称して、ロシア軍が国境を越え独立派の支配地域も越えてウクライナの東半分を占領するという可能性も考えられなくはない。
さすがにウクライナ人が過半数を占める西側までは、大義名分が立たないし、交渉相手としてのウクライナを残しておく必要もあるだろうから、占領はしないだろうけれども、ウクライナがロシアの傀儡国家になってしまう可能性もある。その上、西側からウクライナとの関係が悪化しつつあるポーランドがポーランド系住民の権利を守ると称して介入しかねないというのもあるか。このあたり、戦後、住民の民族構成も何も関係なく政治的な要請で国境が変更された弊害である。
翻って北方領土が日本に帰ってきた場合、ロシア系の住民を追放すると言うわけにもいかないだろうから、原則として日本国籍を与えて日本国民として受け入れることになる。日本人と同じ権利を与えるということにしなかったら、そもそも住民が日本への帰属を認めないだろうし、その住民意識を無視して返還を決めるなんてことはロシア政府にも日本政府にもできまい。
仮に、何かの事情でロシアが軟化して国境の変更がなされたとしても、恐らくロシア側の意識としては、クリミアの場合と同様、一時的に貸しているだけで必要になったらいつでも返してもらうというものになるだろう。だから状況が変われば、いつでもまた占領されることになる。そして、ロシア系の民族集団を少数民族として抱え込むということは、ロシアにロシア人の権利を守るためという口実を与えることにつながる。
こんなことを考えると、北方領土の返還には、返還後にこそ大きな問題があることがわかる。だから、領土ではなく、漁業権の返還(これも難しいだろうけど)、かつての住民の子孫の渡航の完全自由化ぐらいを求めるのが現実的な対応ということになるんじゃないかなあ。正直な話、領土問題に関して、ロシア側の譲歩を信じられる人が信じられない。
だからと言ってロシアだけが格別に悪辣だというつもりはない。狭いヨーロッパで領土を巡って争いを繰り返してきたヨーロッパ諸国は、どこでも多かれ少なかれこんな面はあるはずである。だからEUが生まれたのだし、EUの最大にして唯一の功績は戦争による国境線の変更がなくなったことだと言われるのである。
2017年10月11日18時。