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2018年01月14日

非武装中立(正月十一日)



 正月早々懐かしい言葉を目にした。何でも政治ネタを持ちネタにするお笑い芸人が、例の朝まで討論する番組でこの言葉を使って、あれこれ批判されたらしい。その主張、批判の是非はともかくとして、少なくとも一般の人が、憲法の第九条を読むと完全な非武装が求められているという理解に達するということを示したという点では価値がある。つまり現在の形での自衛隊は違憲だと考えるのが素直な読み方であって、どこをどうひねくり回せば、自衛隊は違憲ではないという解釈ができるのか理解できない。
 自衛隊が存在し、必要であるという前提の下に、解釈が左右されるのならそんな憲法などあってもなくても変わらないし、90年代の半ばに社会党が変節するまでは、左翼政党は自衛隊は意見だと主張して廃止を求めていたはずである。当時も自民党が一部を除いて自衛隊は合憲だと言っていたから、まともな議論になっていたわけではないけれども、今の左側と目される政治家たちが自衛隊は合憲なんだから憲法は変える必要はないと言っているのを聞くと、裏切られたような寂しさを感じてしまう。

 右だの左だのいうのも意味がなくなりつつある現代ではあるが、ここはぜひ軍隊としての自衛隊を取るか、憲法を取って今の形の自衛隊を廃止するかで、真っ向から論争をしてほしいところである。仮に平和と言うものに至上の価値を置くのであれば、軍隊というものを平和を破壊するものでしかないと理解するか、平和を守ることもできると考えるかによって、結論は変わってくるだろう。
 日本人は、軍隊=戦争と短絡してしまうことがあるけれども、軍隊は持つ国が平和を求めない国だなんてことは言い切れまい。現状の憲法は維持して、白いものを黒いものにしてしまうような政治家や法学者の詭弁で解釈を変えることによって、自衛隊の稼動範囲がずるずると広がっていく現状よりは、自衛隊を軍隊であると定義した上で、その活動範囲や機能などをしっかりと確定したほうが、はるかにましだと思うんだけどねえ。逆に、軍隊アレルギーを貫いて自衛隊廃止に向かうのも、現状よりはましである。

 それにしても、80年代を心情左翼の少年として過ごしたわが身には、非武装中立という言葉がほとんど説得力をもてなくなっている事実に隔世の感を抱いてしまう。冷戦が終わった今、中立もくそもないと言えばそれはそれまでなのだけれどもさ。
 自分が、理論派でも行動派でもなく、心情左翼(要はなんとなく左翼っぽい意見を持っている人ね)になった理由を考えてみると、両親が近所づきあいの関係で購読していた「赤旗」の日曜版か、中学時代の日教組系の先生の存在に突き当たる。そこで耳にし目にした左翼的な理論が、理解できたわけでも納得できたわけでもないが、左翼的な言説は、何とも魅力的だった。

 今でも思い出せるのが、確か「連帯を求めて孤独を恐れず」とか、「造反有理」なんかで、実態があったのどうかはともかく、あやめもつかぬ田舎の餓鬼を魅了する言葉がいくつも並んでいた。今考えると、当時の左翼系の知識人てのはこの手の文才があったのだろうし、同時に罪作りな存在だったのだなあと思う。
 それに対して右翼的な言説は、たとえはよくないかもしれないが即物的で、現世利益を求めるようなところがあって、それよりは自らの利益よりも理想を求めるところのある左翼的な考えに惹かれてしまったのである。左翼ってのはどこか宗教じみたところがあるのだと書いて、右翼も突き詰めれば、日本の場合には宗教的になってくるからどっちもどっちか。

 とまれ、その我が心情左翼の時代に、わけもわからず飛びついた言葉の一つが、「非武装中立」だったのだ。当時もマスコミではアメリカべったりの自民党政権が批判されていたから、アメリカを離れて中立になり、憲法違反の自衛隊を廃止しようという非武装中立論は結構説得力を持っていたような気がする。田舎の餓鬼に対してだけかもしれないけど。
 我ながら救いがたいと思うのは、非武装中立を主張しながら、「ゲリラ」とか「パルチザン」とかいうものにも憧憬を抱いていたことだ。絶対的な平和主義、非武力主義を意味する非武装中立を標榜しながら、武力で抵抗することを辞さないゲリラになりたいというのだから、あのころは今よりはるかにアホだったのだ。

 この矛盾のために、友人と以下のような会話を交わすことになる。
「でもさ、非武装中立って自衛隊も米軍もなくなるってことだろ。ソ連が攻めてきたらどうするんだよ」
 当時は、結構真面目にそんなことが議論されていたような気がする。日本が本当に軍備を放棄したらそうなるという脅しの意味もあったのかもしれないけれども。

「そりゃあ、政府は降伏して、占領されるだろうなあ」
「お前はどうするんだよ。ソ連の市民として共産主義者になるかあ」
 本当の左翼、共産主義者であれば、ソ連の援助で日本に共産党政権ができると歓迎したのかもしれないけれども、こちとらただの心情左翼である。

「よその国に侵攻するようなふざけた国の言うことを聞くいわれはない」
「じゃあ、どうすんだよ。アメリカにでも亡命するのか」
「んなわけあるかい。当然山にこもってゲリラ活動にきまってんだろ。日本が解放されるその日まで抵抗運動を続けるんだ」
 これで、自分の中では非武装中立とゲリラへの憧れが整合されているつもりになっていたわけだから、我ながら恥ずかしくなる。

「でもさ、お前、そんな山の中で戦闘活動できるような体力あるかあ」
「そうだなあ。山岳部にでも入って鍛えるかなあ」
 入部はしなかったけど、練習に付き合ったことは何度かある。20kgぐらいのリュックを背中にしょって坂道を駆け上ったり下りたり、結構大変だった。

「それに武器はどうすんだよ」
「自衛隊か米軍からの横流しって、すでに存在しないのか。そうすると自衛隊が廃止になるときのどさくさにまぎれて廃棄予定のものをちょろまかすしかないのかあ」
 どうすれば、それが可能になるかなんてこと、いや本当に可能なのかどうか考える頭は、残念ながら持っていなかった。ほら若い頃って、言葉に、言葉の持つイメージに酔いやすいものだしさ。

「仮に手に入ったとして、お前、それ使えるのか」
「使えるわけねえだろ。自衛隊で体験入隊とかで教えてくれないかなあ」
 チェコだと予備役に登録すれば、年に何回か訓練を受けることになるので、問題なく使えるようになるかどうかはともかくとして、体験だけはできるはずである。

「でもさ、それなら最初から自衛隊があった方がましじゃないか」
「それもそうだなあ。政府の降伏命令を自衛隊の一部が拒否して山にこもってゲリラ活動って方が話的にも、現実的で美味しいか」
「じゃあ、自衛隊廃止を主張しながら、自衛隊に入っちまえよ。ゲリラ活動をするための訓練なんて、よそじゃ積めねえだろ」

 ということで、自衛隊に入ろうとは思わなかったけど、防衛大の受験はちょっとだけ考えた。こんなバカみたいなことを、心情左翼から穏健派民族主義者に転向するまで主張していたのだから、民族主義者と言っても右翼的な日本が日本がではなく、左翼がかった民族主義で、それはそれで結構お馬鹿な主張だったなあと、過去を振り返って暗澹たる気分になる。今があの頃よりましというわけではないのだけど。
 それに比べたら、「非武装中立」を思い出させてくれた芸人さんは、外国に攻められたら殺される覚悟を固めているというのだから、はるかに潔く立派である。ただ、殺されることを選ぶのも、ゲリラになるのも、個人の意思と決定によるもので、他人様に強要できるようなことではないってことだろう。

 とりあえずは日本でも、チェコでも軍隊が戦争に巻き込まれることのないことを祈っておこう。世界全体の平和を願うほどの気力はないや。またまたぐだぐだになってしまった。
2018年1月12日24時。







posted by olomoučan at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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