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2017年06月26日

通訳稼業の思い出話(六月廿三日)



 オロモウツに住んでいる日系企業の方の誘いで、以前通訳として仕事をしていたときにお世話になった別の街の日系企業の方と三人でお酒を飲みに行った。ややこしい書きぶりで申し訳ない。一応匿名性は維持したいと思っているので、わかる人にはわかるんだろうけれども、固有名詞は出さないことにしている。そうなると、こんな書き出しになってしまうのである。
 夕方の六時ぐらいに集まって夕食がてらお酒を飲み始めて、気が付いたら十時という、話のかみ合う人たちと少人数で濃密な会話を交わしながら飲むお酒は美味しいとうことを十分に感じさせてくれる幸せなお酒だった。誘ってくれた方には、感謝の言葉しかない。

 あれやらこれやらいろいろなことについて話したのだけど、えっやめてよと思うような話が一つあった。以前通訳をしていた工場では、十年ぐらい前に仕事をしていた連中がまだ残っていて、日本から英語もよくわからない人が来て話が通じないときに、そいつらがグーグル翻訳を使うらしいのだけど、その時にあの人に聞いてみようと言って、昔の通訳、つまり俺の名前を使うらしいのである。
 あいつらに忘れられていないというのは、嬉しいことであるけれども、グーグル翻訳と一緒にしてくれるなというのが正直な気持ちである。何せ、今は知らず、かつてその工場で通訳をしていたころのグーグル翻訳というのは、チェコ語で「prosím(お願いします/どうぞ)」と入れると、日本語で「くそしてえ」と出てくるような代物だったのだ。お前ら俺の通訳なんてそんなレベルだと思っていたのかとついひがんでしまう。

 このグーグル翻訳の素晴らしい翻訳を発見したのが、オロモウツまでのみに来てくれた人なんだけど、あのときは、もう一人の日本人と三人で、この「prosím」が「くそしてえ」になる論理を探して盛り上がったものだ。結局、ある状況では、つまりもれそうになってこらえきれない状態で、トイレを貸してほしいとお願いするときにだったら、「くそしてえ」と言う意味で「prosím」を使えるんじゃないかということでまとまったのだったか。
 この手の技術は日進月歩で進化しているから、今ではそんなひどい訳は出てこないと思いたいけれども、自分では使わないからなんとも言えない。書式の決まった文書の翻訳ならともかく、言葉にされない部分まで読み取って訳さなければならない通訳の場合には、今後も機械に頼りきるというわけにもいくまい。

 それで、思い出したのが、工場の借り手と貸し手の間の話し合いを通訳したときのことだ。チェコ人スタッフを通じて話をしてもあんまり話が通じないからきてくれと言われて行ったら、トイレをどうするかの話をしていた。日系企業が借りた工場のトイレがあまりにひどすぎ、貸し手に改修をお願いしてもなかなかやってくれないので、自社でお金を出して新しくきれいなトイレを設置したらしい。
 それに対して、貸し手側が賃貸契約が終わって出て行くときには、元に戻す、つまり新しいトイレを撤去してくれと言っていたのかな。借り手の日系企業にお金を払ってトイレを買い取るのは、経済的に難しいとか言い出したのに、日系企業の社長が、そんなケツのアナの小さいことは言いませんよと言って笑いを取ったあと(それをそのまま訳してしまう通訳も通訳だけどさ)、トイレなんて持って帰るわけにもいかないんだからただで差し上げると、寄贈することを申し出た。
 そうしたら、それも税金の問題があるから困るという。最終的には、1コルナというとりあえず買い取りましたという言い訳の立つ最低限の価格で譲るということで話がついたのだったかな。通訳しながら、チェコにはややこしいルールがあるんだなあと思っていたのだけど、日本にも同じような決まりはあるかもしれない。まっとうな社会人として仕事したことがないからよくわからないのだよ。

 それから、電気、ガス、水道なんかの料金請求に関する通訳もしたことがある。一般家庭でもそうなのだが、チェコでは、月々の使用量に基づいて料金を払うのではなく、前年の使用量に基づいて、毎月一定の額を支払っておき、年末に一年間の実際の使用量を基に金額を調整する形になっている。追加で払うこともあれば、お金が戻ってくることもあるのである。
 日系企業の側が、それだと月々の実際の生産コストが算出できないから、毎月検針した上で、使用量に基づいた料金を請求する形にしてほしいと申し入れたのだ。財政的には、毎月支出が一定していた方が有利なはずなのに、何でそんなことを言い出すのかと、なかなか理解してくれず話がこじれたところに通訳として呼ばれたのだ。
 電気会社などがこちらは善意で毎月一定額の契約を申し入れているのに、その善意をないがしろにするなんてと不満そうな顔をしているのを、毎月の経費を知ることの重要性を強調し、請求の仕方が変わることで手間が増えるなら多少料金が上がってもいいからとか何とかなだめて、要求を呑んでもらったのだったかな。

 通訳ってのは言葉だけの問題じゃないのである。せっかく思い出したから、この手の話もいくつか書いてみることにする。
6月24日17時。



 いや、真面目な話もしたんだよ。ケンタウルスとか、パンダとか、現場力とか。6月25日追記。



posted by olomoučan at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2017年06月23日

難民問題に関してチェコを擁護する(六月廿日)



 EUの、いやドイツの陰謀で、チェコ、スロバキア、ポーランド、ハンガリーの所謂ビシェグラード四カ国が、EUに押し寄せる難民の受け入れを拒否しているというイメージが広がっている。何でも難民受け入れに協力しないこれらの国は、非人道的でヨーロッパの連帯というものを無視しているのだそうだ。
 チェコに住んでいれば、これらが単なる言いがかりに過ぎないことが理解でき、ドイツが焦っていることにざま見ろという気持ちを抱くことになるのだが、一応、チェコの弁護をしておこうと思う。一部、すでに書いたことの繰り返しになるのは、今回は気にしないことにする。

 まずはっきりさせておきたいのは、チェコは難民の受け入れ自体は、拒否していないと言うことである。各地に難民申請者が、結論が出るまで収容される施設があり、現在は収容人数が十人単位に減っているが、一番多かったときには百人単位で収容されていた。身元を引き受けてくれる団体がある場合には、そういう施設に入らないこともあるし、チェコはチェコへの亡命を希望する難民は受け入れているのである。ただし、チェコを希望する難民が少ないのは事実である。
 チェコが拒否しているのは、ドイツ行きを希望する難民の受け入れである。正確には、ドイツがEUに指示して制定させたヨーロッパに入ってきた難民を、加盟国ごとに受け入れ枠を決め自動的に振り分けるというルールである。大半の難民がドイツ行きを希望する以上、チェコに押し付けられるのも、ドイツ行きを希望し、その途中にある国や、国の住民を障害物としか考えていない連中になることは火を見るより明らかである。
 そんな連中がチェコに行かされるとわかったときにどんな反応をするか考えてみればわかるだろう。それが告げられた場所で暴動を起こしかねない。何ヶ月か前にチェコの収容施設で、難民申請が認められず強制送還になるかも知れないという根も葉もないうわさが流れただけで、何人かの申請者が暴動を起こして部屋に立てこもるという事件が起きて警察が出動する事態になっている。チェコを希望してやってきた人たちでさえこうなのである。ドイツ希望でチェコに押し込められたりしたら、どんなことになるのか想像もしたくない。

 ドイツなどの所謂先進国では、難民申請をした人は、収容所に閉じ込められるのではなく、ある程度行動の自由が認められているようである。それは人道的には素晴らしいことなのだろう。チェコの収容所で、ドイツ行きを目指しながらチェコへの不法入国で捕まって収容されている連中が、待遇が悪いと暴動を起こすのはドイツでの扱いを知っているからだろう。
 チェコでドイツ行きを希望する難民を受け入れ、ドイツと同じように難民申請者に行動の自由を与えた場合に、どんなことが起こるか。これも想像力のかけらさえあれば簡単にわかる。収容所を出てそのままドイツに行ってしまうのだ。それを防ぐすべばチェコ政府にはない。防ごうとして収容所から出られないようにしてしまえば、手をつけられない暴動が起こるだろう。

 チェコ政府がキリスト教系の団体と共同で、イラクのキリスト教徒たちのうちチェコに亡命を規模する人たちを、事前に厳重な審査をしたうえで、政府の飛行機を派遣してまでチェコにつれてきて難民として受け入れたことがある。そこまでされてなお、チェコにつれてこられた連中の一部は、キリスト教の団体に身元を引き受けてもらっていたおかげで収容所に入れられていなかったことを利用して、ドイツに逃げ出してしまったのだ。チェコ側の善意が見事に悪用されてしまったのだ。この件以降、チェコで難民を積極的に呼び寄せようという声が聞かれなくなった気がする。どうせお前らみんなドイツに行きたいんだろ、ドイツに行けよというのが、現在のチェコ人の多くが難民に対して感じていることであろう。

 最初にEU加盟国に強制的に難民の受け入れを割り当てるという案が出てきたときに、チェコ政府は以上のような問題点を挙げて反対した。それに対して返ってきた答えは、対策ではなく、難民一人当たり一日いくらのお金を出すから受け入れろと言うものだった。お金が出たところで、難民たちのドイツへ行きたいという希望を変えることも、阻止することもできないというのに。
 仮にEUが、この問題の解決策を見出すことができなかったとしても、せめてチェコが受け入れた難民がドイツに逃走したとしても、チェコの責任は問わないぐらいのことは約束してもらわないとチェコ側としては、交渉の席にすらつけない。フランスが難民としての登録をしないまま不法滞在してイギリス行きを狙っている連中を放置しているせいで、イギリスへ製品を運ぶチェコなどの長距離輸送業者は大きな迷惑を被っている。フランス側で、カミオンの貨物室の鍵を破壊したり、ほろを切り裂いたりして中に入りこまれたら、イギリス側で密入国の幇助をしたということで、運転手が処罰せられるのだ。下手に事前にチェックをすると、暴力的な難民が隠れているのを発見して、、命の危険を感じることさえあるという。これを国レベルでやられたら、たまったもんじゃないのである。

 最近は、ドイツあたりが、チェコなどの国を、EUを補助金をもらうための機関だとしか考えていないのではないかと批判し始めた。正直バカも休み休み言えとしか思えない。この発言は、ドイツが、旧共産圏のEU加盟国を、金さえ出しておけば言いなりになる国としてしか見下していることの証明に他ならない。その証拠に、今度は何らかの協定に違反したという理由で罰金を科すと言い出した。
 受け入れを拒否したら、金を出すから受け入れろと言い、それでも拒否したら受け入れないと罰金を取るぞというのだから、「EUとは金なり」と理解しているのは、チェコなどではなくドイツである。この難民問題に関して、チェコはむしろEUというのは、金だけの組織ではないことを主張しているのである。
 それに、協定に違反したから罰金だと言うのなら、先に罰金を科されるべきはEUとドイツである。難民問題が深刻化した原因の一つは、ドイツのメルケル首相が独断で、シェンゲン協定によって定められた難民受け入れのルールの適用の停止を決めたことで、それを追認したEUも同罪である。現在のまずドイツありきのEUに、「民主主義」的な意思決定など存在しない。だからこそイギリスは脱退を選んだのだし、フランスはEUの改革を目指しているのだ。

 基本的にチェコの政府には文句しかないが、この難民強制受け入れ枠に関してだけは、全面的に支持する。チェコでは珍しいことに野党も与党のやり方に賛成しているから、チェコが受け入れではなく、受け入れ枠を拒否するのは民主主義の考えから言っても当然なのである。このチェコなど四カ国の反乱がEUのドイツ独裁を断罪するきっかけになってくれると、かつての加盟国の事情に配慮できていた多様性を許容する緩やかな連合体としてのEUへの回帰につながるのではないかと期待しておきたい。

 最後にEUへの疑問を一つ。難民本人の希望を無視して、勝手に行き先を決めて放り込むのは、お得意の人道的な扱いからは逸脱しないのかねえ。
6月21日22時。





posted by olomoučan at 06:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2017年06月20日

鶏卵の話(六月十七日)



 フランスのスーパーがケージで飼育された鶏の卵の販売を停止するという記事を読んだ。こういうニュースにさすがフランスなどと反応したのでは、問題の本質にたどりつけない。ここで考えなければならないのは、鶏卵業者がどうしてケージを使った鶏の飼育をしているかということである。
 スーパーマーケットというと、チェーン店の数の多さを武器に同一の品物を大量に仕入れることで、仕入れ値を下げて廉価に販売するというイメージがある。それだけであれば何の問題もないのだが、近年のヨーロッパ(実例を知っているのはチェコだけだが、チェコのスーパーはすべて外資系なので本国でやっていることと大差あるまい)のスーパーは、食品の仕入先に対して、販売を握っているという強みを悪用して、廉価に販売するために、生産コストを下回るような価格での納入を強要する。また、目立つ場所に陳列してほしければ、金を出せと食品会社に迫ることもあるという。

 記憶に新しいのは、数年前の牛乳を巡る問題である。乳製品製造業者の牛乳の買い取り価格が、生産コストを下回るため、生産すればするほど赤字が発生するという状態に陥った酪農業者が、抗議のために牛乳を廃棄処分するなどという事態に至っていた。一部の酪農農家では、直営の牛乳自動販売機を開発して、設置し直売にすることで少しでも損を取り戻そうとしてた。一時はこの自動販売機がブームになって、あちこちに設置されたのだが、最近は沈静化しているようである。オロモウツでは、郊外のショッピングセンター、ツェントルム・ハナーの隣にあるコープの店舗の前に置かれていた。
 この酪農農家からの買い取り価格の低さというのは、加工業者だけの責任ではない。加工業者は納入先のスーパーチェーンに価格を下げることを強要され、経営努力ではどうしようもなくなって、酪農農家からの買入価格を下げるしかなくなっていたのである。生産業者にとっては、納入先を失うというのは、何としても避けなければいけない事態であり、スーパーから要求されれば無理をしてでも値下げに応じてしまうのだという。値段を下げなければ別の会社から仕入れるなんて言われたら、下げるしかないのだろう。

 フランスの場合も、しばしば酪農農家の人たちが大々的なデモをやっていることを考えると、状況はあまり変わらないのだろう。ただし、フランスの農家はチェコの農家よりは恵まれている。フランスはEU内でも特例として、農家に対して損失補填的な補助金を配布することが許されているらしい。チェコはそんな特例は持っていないので、作れば作るほど赤字が増える酪農農家を直接救済する手段は持たないのである。チェコでの報道なので、フランスの件に関してどこまで正しいのかはわからないが。
 酪農農家の中からは、このままではチェコの乳牛の飼育は壊滅してしまうという声が上がっていたが、実際、乳牛の飼育頭数は以前と比べると大きく減っているらしい。

 同じような理由で、一度姿を消しかけたのがニンニクの栽培である。中国産の廉価な輸入品との価格競争で、スーパーチェーンに買い叩かれ生産しても赤字にしかならないということで、ニンニクの栽培をやめる農家が続出し、チェコ産のニンニクが手に入らない時期があった。幸いにして直売マーケットなどのおかげでニンニクの生産は細々と続いていたようである。
 中国産のニンニクの味、香りのなさにチェコ人たちも気づき始め、これでは本物のチェスネチカ(ニンニクスープ)が作れないと思ったのかどうかは知らないが、チェコ産のニンニクが求められるようになった。しかし、そのころにはスーパーでは手に入らない品になっていたのである。最近はまたチェコ産のニンニクの生産量も増えてきたのか、スーパーでも見かけるようになっている。スーパーの側が生産農家に頭を下げて生産をお願いしていたりしたら溜飲も下がるのだけど、そんなことはないだろう。

 話を戻すと、鶏卵も同じなのである。スーパーチェーンの買い取り価格が不当に安いから、効率のみを重視して安く生産する方法を使うしかないのである。チェコのスーパーでもポーランド産の鶏卵を見かけることがあるのはポーランドの業者の納入価格がチェコの業者よりも安いからに他ならない。そこに味だとか、食の安全だとかに対する配慮は全くない。
 おそらく、スーパーチェーンでは、今回のケージ生まれの鶏卵を扱わないという決定を経てなお、ケージを使わなくても、使った場合と同じぐらいの価格で納入できる業者を探すはずである。つまり、鶏卵業者の側では、ケージ使用と同じぐらい効率的な鶏卵の生産方法を工夫することになる。そうして生産された鶏卵は、おそらくケージ使用のものと大差のない品質のものになるだろう。

 EUでは、他の国でもやっていることかもしれないが、スーパーなどで販売される卵には、コード番号が印刷されていて、その番号を見ればどんな状態の鶏が生んだ卵なのかわかるようになっている。鶏卵工場のケージに押し込まれた鶏、工場のような施設でもある程度動き回れるような環境で生きている鶏、庭で放し飼いにされた鶏などに、それぞれに番号が指定されている。
 そのおかげで、卵の味や、安全性を重視する消費者は、自分が求める鶏卵を選んで買うことができる。だから、記事に上がっているから多分有名であろうレストランで、近年までケージの鶏卵を使用していたという事実の方が驚きであった。そういうレストランでは、値段が高いとはいえ、より健康的な生活をしている鶏の産んだ鶏卵を使用しているものだと思っていた。動物愛護活動家だって、ケージ産の鶏卵の不買運動でもすればいいのだ。需要がなくなれば供給もなくなるのだから。

 ケージで飼育される鶏の問題は、EUでも、もちろん把握している。把握しているけれども、スーパーの支配的な立場を悪用しての値下げ強要を禁じるという抜本的な対策ではなく、鶏一羽辺りのケージの大きさを決めるという意味不明な対策しかとっていない。ケージの中に閉じ込められて卵を産み続けさせられる鶏にとって多少の広さの違いが何を意味するというのだろうか。これがEUの現実なのである。
6月18日23時30分。




posted by olomoučan at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2017年06月12日

超芸術トマソン(六月九日)



 こんなテーマで文章を書くからって、トマソンのことを同時代的に知ってるわけじゃない。昔は、テレビの野球中継というと巨人の試合だったから、トマソンが出てきてボールに当たらないバットを振り回すのを見たことはあるかもしれんけど、ガキの頃のことで、ちっとも覚えちゃいない。後にこのトマソンの存在を教えられたときも、そんなのいたっけねえとしか思わなかったし。

 さて、何でこんなことを書くのかというと、オロモウツのテレジア門を見ていて、これって一種のトマソンじゃないかと疑念を覚えてしまったのだ。本来は街の城壁に開けられた門を出て、堀の代わりの川にかかった橋を渡ったところにある門だったので、街の防御にとっても、また儀式の際ににも重要な役割を果たしていたはずである。
 それが、左右にのびていた外側の城壁が解体され、川が埋め立てられ道路となり、内側の城壁の門の入り口の部分が、お店として使用され街の出入りに利用できなくなると、テレジア門が門として存在する理由もなくなった。パリの凱旋門とは違って、テレジア門を本来の向きで、街の中から外へ通り抜ける人はいない。道路沿いの歩道がテレジア門を横に通っているので、通り抜ける人が全くいないわけではないけれども、なくても何の問題もない建造物である。
 トマソンについて真面目に勉強したことがあるわけじゃないから、本当にテレジア門がトマソンなのかどうかはわからないけど、チェコには結構トマソンぽいものがあるような気がする。職場には、奥に開けられない扉がある部屋がある。歴史的記念物に指定された建物なので、修復工事をする時には、特別な理由がない限り、本来存在したドアや窓などは、元通りに再現しなければいけないらしい。以前はその扉を通って隣の部屋と行き来できるようになっていたのを、後に行き来できないように改築したのだが、扉だけは昔のままに設置したということである。

 と、トマソンが、誰でも知っている概念であるかのように書いてしまったが、自分自身も大学に入って出版社でアルバイトをしていたときの知人に教えてもらうまでは知らなかったのだ。トマソンが一部の人たちの間で大流行したのは、確か八十年代の初めのことだし、知らない人のほうが多いか。
 トマソンというのは、間違っているかもしれないけど、建築物についた盲腸のようなものである。誰が何のために設置したのかわからない、一見無駄に見える建築物や、建築物の無駄に見える部分を指している。例えば、川もないのにかけられている橋とか、どこにもつながっていない階段なんかが挙げられていたはずである。でも、歴史的な記念物はトマソンにはならないのかなあ。

超芸術トマソン (ちくま文庫)



 仕掛け人は芸術家で作家でもある赤瀬川源平。正直、トマソンの話よりも、この人が尾辻克彦のペンネームで小説を書き、赤瀬川隼とは兄弟であるということのほうが衝撃だった。赤瀬川源平というと、紙幣をコピーして芸術だと叫んで、裁判を起こしていた人だというイメージしかなかったんだけどねえ。ただの変な芸術家ではなかったのだ。
 赤瀬川源平が、南伸坊とか、荒俣宏とか、筑摩、平凡社系の知識人が集まって、トマソン学会だか、協会だかがが設立されたんじゃなかったか。「路上観察学会」とか「考現学」とか、目の前にある奇妙な現象を、真面目なんだか不真面目何だかよくわからない態度で観察して楽しむ人たちも、トマソンに関わっていたのかな。ということは、藤森建築探偵も、かかわっていたはずだよなあ。トマソンから、建築探偵に進んで、藤森探偵が、実は大食いなのだという話を読んだのは覚えているのだが、あれはどの本だったか。夏目房之介の本だったかな。

 トマソン自体が、無駄なものを指しているだけに、トマソンに関する知識も無駄といえば無駄である。ただ、こういう無駄を楽しめるのが人間というものであろう。トマソンのおかげで人生が豊かになったとは、思わないが、赤瀬川源平を取り巻く人々の著作に出会えたことは、確実に読書の幅を広げてくれた。それは同時に我が日本というものを、多少深く重層的なものにしているはずである。出版社時代の知人には感謝の言葉しかない。
 森雅裕が、師匠の言葉として、芸術なんてものは人生は無用無駄なものなんだということを書いていたけれども、トマソンは、笑って楽しめる無駄だからいいのである。楽しめないのは、前衛芸術という奴で、チェコは芸術が好きなので、しばしばニュースでも取り上げられるのだが、どこが芸術なのかさっぱりわからないだけでなく、楽しむ余地さえないことが多い。

 思い出すだけでも腹が立つのは、チェコが旧共産圏の国としては、最初にEUの議長国を務めたときのことだ。議長国として最初にやったことの一つが、ヤーグルなどの世界レベルで有名なチェコ人を集めてビデオを作製したことだったのは許そう。あのビデオはそれなりに楽しかったし。しかし、ヨーロッパの地図を模したものに、各国をステレオタイプ的に象徴するものをくっつけて芸術と証したのは許し難い。おまけに、ハンガリーを象徴するものとして、サラミだったかソーセージだったかを選んだことを批判されて、隠す破目に陥ったのである。大金かけて恥をさらしてざま見ろという面白さはあったけれども、それは「作品」そのものに対する面白さではない。
 前衛芸術家の赤瀬川源平が、トマソンなんてものに手を出したのも、制作者以外には理解できる人がほとんどいないという前衛芸術の壁にぶつかったからじゃないかなどと想像してしまう。トマソンも万人向けではないけれども、前衛芸術よりは幅広い層に受け入れられそうである。だから、芸術を超えるものとして、超芸術なんて言葉を使ったのかな。

 とまれ、かくまれ、前衛芸術なんて理解したくもないけれども、トマソンはわかってもいいかなと思うのである。またまた迷走の挙句に無理やりけりを着けることになったけれども、無理やり終らせるのだけは上達したような気がするから、それはそれでいいのである。
6月9日17時。




路上観察学入門 (ちくま文庫)






posted by olomoučan at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2017年06月11日

印象操作(六月八日)



 チェコに来た頃、いやそれ以前から日本の政治に対する関心はほとんど失っていた。有権者の義務として選挙には必ず行っていたが、地方議会の選挙を除けば、白票、もしくは立候補していない友人知人、場合によっては有名人やキャラクターの名前を記入した票を投じるのが常であった。区議会、市議会選挙ぐらいまでは、近所の人や、知人が応援している候補者に投票することが多かったが、誰に入れても大差ないので、早い者勝ちをルールにして、最初に声をかけてくれた人が応援する候補に投票していたのだ。誰にも声をかけられなかったら、日本にある唯一の真の野党共産党の候補者に投票していた。日本共産党の存在意義は、国政であれ地方政界であれ、常に野党として与党を痛烈に、たまに効果的に批判するところにあるのであって、政権獲得や政権参加などを目標にするのであれば、解散したほうがいい。
 九十年代の政局は、いわゆる五十五年体制が崩壊して、政界の再編が進んだと評価されることが多いが、現実には共産党以外のそれまでの野党勢力が、最大野党だった社会党も含めて馬脚を現し、自民党の亜流でしかないことを有権者に見せつけた時期である。所属が変わり、つるんでいる相手が変わっても、政治家の本質が変わるわけではないのである。

 もちろん、誰が首相になったとか、総選挙の結果がどうだったとか、特に重要なニュースはちゃんと読んでいたけれども、閣僚の任命やら辞任やら、政治家のスキャンダルやらは、煩雑すぎていちいち追いかけてもいられない。それが、日本の政治について多少興味を持って追いかけるようになったのは、このブログを始めてからである。チェコと比べて記事にするのに、同じレベルでどうしようもない日本の政治はちょうどいいのである。
 比べて思うのは、チェコの政治家の醜態は、自分の生活に関係がない限り、他人事で笑ってみていられるけれども、日本の政治家の場合には、特に我が母語たる日本語にかかわる場合には、笑ってなどいられないということである。

 現在、最も厳密に審議されるべきは、共謀罪とかいう法律案であろう。それなのに国会から聞こえてくるのは、首相の「そもそも」の使い方がおかしいとかいう話でしかない。与党自民党側の主張は、法案の内容の是非はともかく、明快である。それに対して野党側が何を主張したいのかが全くと言っていいほど見えてこない。この手の法律を制定すること自体に反対なのか、内容の修正を求めているのか、少なくとも遠く離れた地から、インターネット上のマスコミの報道を通して理解できる範囲では、まったく理解できない。
 首相の日本語が怪しいのは周知のことで、それはもう心の底から嘆くべきこと、少なくとも国政レベルの政治家に対しては日本語能力のテストを導入して不合格者には、合格するまでは政治家としての活動をさせるべきではないと主張したいぐらいだが、そんな制度がなく一旦首相にしてしまった以上、ことの本質にかかわらない部分での言葉の間違いをとらえて批判するべきではなかろう。批判する側の日本語力も五十歩百歩だという点は置くにしても、醜悪なことこの上ない。

 大スキャンダルであるかのように報道されている二つの学園問題も、国会での審議を遅らせるために重箱の隅をつついているような印象を受けてしまう。首相側の対応も最悪でそれが問題を大きくしているのは間違いないが、こちらもこの問題で大騒ぎさせることで、別のより重大な問題から目を背けさせようとしているのではないかと勘ぐってしまう。
 とまれ、この問題に関しては、マスコミの首相応援側も批判側も的外れな議論ばかりで、読んだ甲斐があったのは、中村仁という人が書いた「首相は正攻法で学園問題の説明をせよ」という記事ぐらいである。この記事が掲載されたアゴラというのは、「言論プラットフォーム」と名乗っているだけあって、さまざまな人が様々な意見を自分の立場から記していて、玉石混交の極みなのだが、たまにこの記事のように、おおっと思わせてくれる記事があるので、ついつい読んでしまう。とはいっても、直接アゴラのページではなく、ヤフーの雑誌のところで読むんだけど。

 首相に対する忖度があったとかなかったとか、首相からの圧力があったとかなかったとか、証明の仕様もないことで延々と議論を繰り返していても意味はなかろう。水掛け論に終るだけである。それに、この手のことを批判するのは、野党の政治家にとっても天に唾する行為ではあるまいか。

 日本には、昔から陳情という制度?があって、それが政治家たちのメシの種、票の種の一つになっている。自民党以外が政権を取った時に、廃止になったという話は聞かないから、今でも継続しているのであろう。選挙で選ばれた選良であるという一点において、傲慢な官僚の上に立って、地方からの要求を取り次ぐのだから、成否はともかく官僚に圧力をかけていることには変わりはない。変わりがあるとすれば、陳情される回数ということになろうか。
 今の国会に、陳情に手を染めたことのない議員はいるのだろうか。いるとすれば共産党の議員ぐらいかな。とまれ、一般の国会議員たちがやっていることも、首相がやっていることも(本人は愚かにも否定しているが)、程度の差はあれ、本質的には同じなのである。それが目くそ鼻くそを笑うだというゆえんである。首相の使った言葉を使えば、お互いに印象操作しあって、その結果、問題の実体が見えなくなってしまっている。まあ、所詮どちらも有権者に少しでもいい印象を与えて、議席を増やすしかないポピュリズムの政党である点では変わらないし。

 この文章を読んで、首相を擁護していると思われたら、それは大きな誤解である。日本語至上主義者としては、あんな怪しい日本語を使う首相など御免である。ただ、首相が交代したからと言って首相の日本語が向上するとも限らないのが、今の日本の政界の現状なのだ。以前ちょっと書いたように、政治家の日本語で感心できたのは、震災関係の放送をしていたときの枝野氏ぐらいしかいない。
 こうなったら「日本語で政治家を選ぶ会」でも結成して、日本語が素晴らしい政治家を探して応援するかな。主義主張や所属政党がどうあれ、政権とったらみんな大差ないということは、すでに明らかなのだから。

 それにしても、と思い返す。90年代の社会党の変節は衝撃的だったよなあ。予兆はあったとはいえ、一夜にして自衛隊が合憲になっちまったからなあ。

6月9日12時。




posted by olomoučan at 06:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2017年06月09日

ズデーテンドイツ人(六月六日)



 週末にドイツのアウグスブルクで、第二次世界大戦後にベネシュ大統領の発した大統領令に基づいて、今日のチェコの領域からドイツに追放された人々とその子孫たちが作っている団体の大会が行われた。この団体は完全に政党というわけではないようだが、有力な圧力団体として、特に追放された人々の子孫の多いバイエルン州などの地方政界で重きを成しているようである。
 いわゆるズデーテンドイツ人たちの集まりだから、チェコスロバキア第一共和国の崩壊に大きく寄与したヘンライン党の残党だと短絡するつもりはない。ただ、この団体が、数年前までは、チェコスロバキアの戦後経営の基本となった、いや今でも基本であり続けているベネシュ大統領が発した大統領令の無効化を主張していたことは忘れてはならない。
 この大統領令によって、ナチスに協力したドイツ人たちの追放と資産の没収が決定されたことから、ズデーテンドイツ人たちは、不動産も含めた失われた資産の返還をも求めていたのである。チェコ政府の基本方針は、共産党によって没収された資産の返還には応じる余地があるけれども、ベネシュの大統領令によって没収された資産に関しては、交渉にすら応じないというものである。

 問題は、追放時のドサクサで、ナチス協力者以外のドイツ人も追放されたことと、しばしばチェコ人たちの復讐心が暴走して、虐待や虐殺などの事件が起こったことである。一説によればこのとき追放されたドイツ人の数は三百万人にのぼるというのだが、その数の中に、自らドイツに逃亡した人たちが含まれているのかどうかは不明である。
 一方で、このときに全てのドイツ人が追放されたわけではないという事実も重要である。かつてサマースクールで知り合ったドイツ人は、幼少期をチェコで過ごしたと言っていた。チェコに暮らしていたドイツ人の一家が、共産主義の時代になってから、それも確か70年代か80年代に入ってから、ドイツに移ったと言っていた。ナチスの時代にもチェコ人を虐待することのなかったドイツ人の中には、チェコに残ることを許された人たちもいたということなのだろう。残念なのは、東ドイツに行ったのか、西ドイツに行ったのかを聞き損ねたことである。

 敗戦によって失われた領土から、しばしば暴力的に入植者たちが追放されたという事実から、第二次世界大戦後の満洲国、朝鮮半島から逃げてきた日本人と比較したくなるが、それは正しくない。旧東欧圏のドイツ系の住民は、中世のいわゆるゲルマン人の当方植民の時代に起源を持つことが多く、何世代にもわたって、定住していたのである。だから日本の場合と比較するなら、北方領土に江戸時代から生活していたアイヌ系の、戦後ソ連によって追放された人々ぐらいだろうか。
 この歴史的に世代を超えてその地に住んでいたというのが、新たな問題となる。追放されたのは本当にドイツ人だったのだろうか。何世代にもわたって周囲のスラブ人たちとの間に交流があった結果、血統的にはドイツ人ともチェコ人とも言い切れない人びとも多かったのではなかろうか。チェコ人であってもナチスへの協力者は処罰されたことを考えると、追放されたこと自体はとやかく言う必要はないのだろうが、誰が追放されてされないのか、何を基準に決められていたのかは気になる。
 ヨーロッパ近代の発明である国民国家が、このあたりを席巻するまでは、住民の民族性はさして重要視されていなかったようにも見える。もちろんドイツ系が有利な時期、チェコ系が有利な時期を経て、ドイツ系でなければ人間ではない的なナチスの時代を迎えるわけであるが、それまでは必要に応じて二つの民族の間を行き来する人びともいたのではないかと想像してしまう。

 話を元に戻そう。ズデーテンドイツ人の団体は、ベネシュ大統領令の無効を求めて、チェコのEU加盟にも反対していたと聞いた記憶があるのだが、その後、その要求を撤回し、穏健化したことで、チェコ側との融和が進んでいる。ズデーテンドイツ人たちの団体と政治的な信条が近い両国の政党、キリスト教民主同盟が仲介する形で、チェコのキリスト教民主同盟、別名人民党の政治家が、最近しばしば集会に顔を出すようになっている。
 昨年はダライラマと面会して物議をかもしたヘルマン文化大臣が、今年はよくわからない担当の大臣で同時に副首相を務める党首のベロブラーデク氏が、集会に参加して演説までした。演説の内容はいつまでも過去の怨念にとらわれていないで、将来を見据えて協力していく必要があるという穏当なものだったようだが、チェコ人の現役閣僚が参加して演説までしたという事実自体が、ズデーテンドイツ人団体のプロパガンダに使われるという恐れは否定できない。
 それでなのだろうが、社会民主党の閣僚、特に外務大臣のザオラーレク氏の反応は冷淡なものだった。あれは閣僚としてではなくキリスト教民主同盟の党首として出席したのだから内閣とは何の関係もないと一言で切り捨てていた。連立与党内にこの団体に対する対応で合意ができているのかどうかは知らないが、ダライラマ問題のときとの温度差に驚いてしまう。

 個人的には、日本では過度に理想化されることの多いドイツの戦後処理に関して、この手の戦争で失った資産の回復を、他国の政府に求めるような団体の存在が許されていたこと自体が大きな驚きであった。この辺も含めて、日本ではドイツというものを評価しなおす必要があるのではないだろうか。こっちに来てドイツに被害を受けた国の側から見ると、日本の戦後処理というものも、日本で批判されるほどにはひどくなかったのではないかと思えてくるのである。
6月8日12時。


 何か中途半端な文章になってしまった。6月8日追記。



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2017年06月05日

邪馬台国はどこですか(六月二日)



 邪馬台国が九州にあったことは自明のことであり、疑いの余地は微塵もないのだが、九州以外にあったという蒙説を読むのも、畿内説を除けば、実は嫌いではない。問題は九州説、畿内説以外がテーマとなる本、特に小説、漫画がほとんどないことである。いや、研究書の類はあっても手に入りにくいのである。幸いなことに例外となるのが、奇才鯨統一郎の『邪馬台国はどこですか』(1998年刊)である。
 とあるバーでの酔っ払いの歴史談義という形で、歴史の謎について議論が始まり、最終的には、在野の研究者の奇想天外な説が、歴史学の教授とその弟子の若手研究者を納得させてしまうというスタイルの短編が何本か収録されている。そのうちの一本が邪馬台国がどこにあったかを巡る歴史談義になっている。

 この本の場合には、結論に至る過程が重要なので、結論は明かしてもネタばれにはならないよね。気になる方は以下は読まれないことをお勧めする。
 邪馬台国以外だと、仏陀は悟りを開いていないとか、織田信長は自殺だったとか、それだけを聞くと冗談だとしか思えないような結論が連発するのだけど、それぞれの短編を読み終わったときには、そんなこともあったかもしれないと思わされてしまう。話術の妙というべきなのか何なのか、鯨統一郎には半村良的嘘の才能があると思ったものだ。

 さて、邪馬台国についても、九州説を否定しているという点を除けば、なかなか説得力のある説を作り上げている。『三国志』中の「魏志」の「東夷伝倭人条」の記述を素直に読んで、古い中国の地図に描かれた日本列島の位置と合わせて考えると、邪馬台国は東北地方になるというのである。具体的な地名も含めて、読み終わった瞬間には、不覚にもありうるかもと思ってしまった。九州説以外を信じかけたほとんど唯一の事例である。

 鯨統一郎のすばらしいところは、遺跡なんてものの存在を無視して論を立てているところだ。東北は掘られていないから遺跡が出てこないだけだとの言い訳はあるけれども、べつに出てこなくてもかまわないと考えているようだ。
 邪馬台国の所在地に遺跡のあるなしは関係ないのである。過去に建造されたものがすべて遺跡として残っているわけではないし、地面の中に眠っている遺跡がすべて発掘されているわけではないのだから。新しい遺跡の発見、年代鑑定の変更で、ころころ変わるような説を信じるのもおろかということである。

 この本に関しては、飲み屋での酔客たちの歴史談義という体裁を取っていることもあって、描き出された信じてしまいそうになる説のようなものを、作者がどこまで信じているのか、本気で書いているのかがちょっと不安である。まあ、邪馬台国に関しては九州説ではないから、なかば冗談だと受け取っておくのが賢明というものであろう。
 東北地方というと、実は縄文時代には日本でも一番人口が多かったなんて説もあるし、半村良が『黄金伝説』で伝説の核心となる土地を設定したりしているぐらいだから、弥生時代にも何かあってもおかしくないとは思う。ただそれが邪馬台国だとなると妄想だというしかない。惜しむらくは、東北地方も畿内の遺跡、遺跡の年代鑑定ごっこに巻き込まれて、大きなスキャンダルを巻き起こしてしまったことだ。遺跡があるのはいい。ただ、それを必要以上に古く見せたり、重要に見せたりするような年代鑑定など不要である。

 鯨統一郎の本は、こちらに来てから他にも数冊電子書籍で購入して読んだのだが、『邪馬台国はどこですか』の衝撃を超えるものはなかった。あれこれ実在しそうな偽書をでっち上げて、東北邪馬台国を巡る伝奇小説を書いてくれないかと期待したんだけどなあ。半村良ばりの伝奇小説は現在では受け入れられにくくなっているのかもしれない。
6月4日12時。


邪馬台国はどこですか?【電子書籍】[ 鯨統一郎 ]





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2017年06月04日

邪馬台国は九州だ(六月一日)



 邪馬台国は畿内にあったという学者の一見、客観的で、学術的に見える本を読んで、何か胡散臭いと思った人はいないだろうか。古墳の年代の比定などで無理やり邪馬台国の時代に合わせようとしているような疑いを持ってしまう。畿内説というだけで、斜め読みしかしないから、誰のどの本とかいうことは言えないのだが、新聞の報道なども含めて、一体に遺跡の年代合わせごっこに淫しているという印象を否めない。
 その点、九州説の場合には、年代なんて細かいこと、どうあがこうが推定でしかないものを頼りにする必要はない(あるかもしれないけれども、ここではないと断言しておく)。九州説の根底にあるのは、個々の論者の主観的な確信であり、その確信をもたらす民族の記憶ともいうべきものである。一見学問的に見えたとしても、邪馬台国論争というもは、畿内側も含めて極めて感情的な問題なのである。

 安本美典氏を中心とする「邪馬台国の会」というグループのホームページの「邪馬台国はどこにあった?」に九州説と畿内説の概要がが対比されているのだが、注目すべきは九州説を支持する小説家が三人挙げられていることだ。松本清張、高木彬光、黒岩重吾の三人だが、九州説をテーマにした作品を書いている小説家はこの三人に留まらない。
 小説家自身が自ら文献を解読して説を立てるのではなく、研究者の書いた本を読んで直感に触れた説を基に作品を作り上げているのだろうから、九州説は小説家の想像力を刺激すると言える。いや小説家という人種のことを考えると、心の奥に眠っている民族の記憶を呼び起こすのである。
 だからここでは、研究者の著作の紹介ではなく、研究者の説に触発された作家、漫画家が描いた作品を取り上げる。もちろん九州説を題材した作品に限る。というか、畿内説を題材にした作品なんて、読んだことないけど、あるのかな。あっても九州人の眼中には入ってこないのだろうけど。

 この手の邪馬台国を題材にした作品で、最初に読んだのは、漫画家星野之宣の『ヤマトの火』(1984年刊)だっただろうか。大学時代にどこかの古本屋で題名に惹かれて手に取った。集英社のジャンプコミックスで妙に分厚かったのを覚えている。SFファンの端くれとして、星野之宣の名前は知っていたけれども、作品は読んだことがなかった。
 一読して、こんなのが「少年ジャンプ」に連載されていたのかと驚愕した(実際は「ヤングジャンプ」だったらしい)。火山を信仰する火の民族というものを想定して邪馬台国だけでなく日本古代史の謎に迫るストーリーは刺激的だったのだが、残念ながら打ち切りのような形で終了していていた。この『ヤマトの火』を発展させるような形で描かれたのが『ヤマタイカ』(1987〜91年刊)である。こちらは創価学会系だという話もある潮出版社の雑誌に連載されたものだったようだ。雑誌は見たこともなかったが、単行本は購入して読んだ。
 過去と現代が交錯する壮大なストーリーに圧倒され、漫画ではあるけれども読書の醍醐味というものを味わわされた。この漫画を読んで、それまで漠然としか感じていなかった邪馬台国は九州にあったという意識が確信に変わったのである。

ヤマタイカ (1)【電子書籍】[ 星野之宣 ]


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 半村良の「嘘部シリーズ三部作」はあまり話題になることはないが、『産霊山秘録』にも匹敵する歴史の謎にかかわる傑作である。この三部作は、日本古代に存在した嘘をつくことを職掌とする「嘘部」という部民を想定して、その末裔達の活躍を描くのだが、三作それぞれが違う視点から描かれている。
 その嘘部第二作『闇の中の黄金』(1976年刊)が邪馬台国の所在地をテーマの一つにしている。嘘部の仕掛けた事件に巻き込まれた主人公が、仕事の一環として、また知人の死の謎を解くために、邪馬台国の所在地について推理をめぐらすのだが、その手法が考古学や文献資料は、素人が検討するは無理だからと原則無視する。そして聖地は、政治状況や宗教が変わったとしても聖地であり続けるという考え方から、邪馬台国の所在地を推理するのである。その考察の進め方には、さすがとしか言いようがない。
 その邪馬台国とマルコポーロがつながって、それが盧溝橋事件にまでつながり、現代の社会や政治状況にまで影響を与えるという話なのだから、半村良は自らが生み出した嘘部の一員であるに違いない。

闇の中の黄金 [ 半村良 ]




 同じくSF作家で架空戦記の開拓者である荒巻義雄も『「新説邪馬台国の謎」殺人事件』(1992年刊)という作品を書いている。邪馬台国の研究をしていた老画家が殺された事件を探偵役の作家が解決するというものなのだけど、老画家の考える邪馬台国の所在地というのが、解決の鍵になっている。というよりは、犯人がそれを使って殺害現場やアリバイの偽装をするわけである。
 正直な話、推理小説にする必要があったのだろうかというのが一読しての感想だった。邪馬台国の所在地については、説得力を以て九州説を主張しているのが素晴らしい。「イメージ考古学」とか言っていたかな。ちょっと怪しい言語学的な説を、あちこちから持ってきているのが難点といえば難点。タミル語とかシュメール語で日本語の地名が説明できると言われてもなあ。それでも、九州内に邪馬台国を発見しているのだから、傑作なのである。

「新説邪馬台国の謎」殺人事件 古代史トラベル・ミステリー (講談社文庫)





 漫画家の藤原カムイが、邪馬台国とその周辺を舞台にした作品を描いていたのは覚えているのだけど、作品名も邪馬台国の所在地がどこに当てられていたかも覚えていない。そもそも読んだんだったっけか、あれ。
6月3日17時。

雷火 (1)【電子書籍】[ 藤原カムイ ]








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2017年06月03日

邪馬台国(五月卅一日)



 我々九州の人間にとって、邪馬台国が九州にあったというのは、疑うことすら思いつかない自明のことである。畿内にあったという説は蒙説の類であって、そもそも考慮に値しない。畿内でどのような考古学的発見があろうとも、それは邪馬台国九州説を補完するためのものにすぎないのである。同様に中国の史書『三国志』内の倭人に関する記述も、『古事記』『日本書紀』に邪馬台国の存在が反映しているとすれば、それもそれもすべて九州説を補完するためのものである。ここまででおわかりだと思うが、まじめな邪馬台国についての文章を期待されている方は、以下は読まれないことをお勧めする。

 さて、日本の歴史という文脈の中で邪馬台国を考える場合には、大和朝廷との関係、それから記紀神話の天孫降臨、神武東征との関連性を考えないわけにはいかない。邪馬台国畿内説の場合には、邪馬台国と大和朝廷は同じもの、若しくは連続するものとして考えるしかない。そうすると、どうして天孫が九州に降臨したのかが説明できなくなる。畿内にだって大和三山をはじめ信仰の対象となる山はいくつもあるのに、どうしてわざわざ、自らの領域の辺境にあたる九州に設定したというのだろうか。

 チェコにも、チェコ人の始祖が地上を移動して到達したジープ山という聖なる山がある。このチェコ人の始祖に当たる人物チェフは、本来神だったのが、キリスト教の伝来によって人間に格下げされたとも考えられている。そうすると、神様だった時代には、チェフはジープ山に神々のまします天界からジープ山に降臨したとされていた可能性がある。そして、そのジープ山はチェコ人の支配領域の真ん中に存在するのである。
 だから、日本の場合にも、そうであるべきだと短絡するつもりはない。ただ、畿内にあり続ける権力の起源が九州にあったと大和朝廷自らが編纂した神話に記す説得力のある理由が存在しないと言いたいのである。仮に天孫降臨や神武東征が、大和朝廷を築いた人々の先祖が大陸から渡ってきたことを象徴しているのだとしても、途中で九州に寄り道する必要などなかろう。

 九州説の場合は、邪馬台国が、大和朝廷と関係があろうがなかろうが、どちらでも問題はない。関係があるとすれば、邪馬台国が東遷したのが大和朝廷だということになるから、神話に於いて大和朝廷の源が九州にあったと主張されるのは当然である。邪馬台国の本流が畿内に移ったという説も、分派が移ったという説もあるようが、どちらでも大きな違いはないし、九州の本拠地の周辺の地形に似た場所を畿内に探して、地名を当てはめていったと考えることができる。

 また、相互に関係がないものだとしても、同じような豪族の間から台頭して、畿内で権力を握り大和朝廷を建てた一族が、他の豪族との差別化を図るために、自らの起源を領域の外、具体的には九州にあった邪馬台国に求めたと考えることができる。豪族ではなく、一人の人物であったとしてもかまわない。いずれにしても、出身の地とされる場所が、権威を与えうる場所である必要がある。記紀の編纂の時期ではなく、大和朝廷の成立の時期においての話である。
 つまり、九州にあった邪馬台国の出身を騙る者によって建てられたのが、大和朝廷であって、その「ヤマト」という音までも、邪馬台国から借りたと考えることができる。記紀の編纂に際して、さすがにそれでは都合が悪かったのだろう。九州にあった邪馬台国については触れられず、ただ九州から大和にやってきたという物語だけが残されたのである。こんな説をどこかの本で読んだ記憶がある。記憶違いかもしれないけど。

 漢学者宮崎市定氏の著作には、専門外の古代日本についての論考であっても教えられることは多く、日本の古代史専門の学者の説よりも納得できるものが多いのだけど、邪馬台国に関して畿内説を唱えているのは、氏のために惜しむべき瑕瑾と言わざるを得ない。瀬戸内海を利用した隊商路のどんづまりにあたる難波、その奥の大和盆地に、ターミナル政権とでも言うべきものが成立し、それが邪馬台国だというのだが、惜しい。
 朝鮮半島から海を越えてたどり着く航路、もしくは東シナ海を越える航路の突き当りが九州である。だから、氏の説に従えば、まず九州にターミナル政権が成立したはずである。その九州から瀬戸内海を通って東に向かったどん詰まりの畿内に成立したのは、二つ目のターミナル政権だということになる。一つ目が邪馬台国で、二つ目が大和朝廷だと考えるのが正しかろう。その後陸路で東のどん詰まりにあたる関東に三つ目のターミナル政権が成立して、畿内から権力を奪って今に至ると考えれば、西から東に、権力、文化の中心が移動していくという形で日本の歴史を概観することができるじゃないか。
 邪馬台国畿内説は、中世以降権力や文化の中心としての地位を徐々に失い、近世に至って完全に関東に奪われてしまった畿内による古代史の私物化に他ならない。怨念に囚われて虚心坦懐に事実を考察することができなくなっているのである。

 さて、九州のどこに邪馬台国があったのかという問には、どこでもいいと答えておく。大切なの九州に存在したという事実であって九州のどこかなんてのは瑣末なことである。だから、邪馬台国ではなく、邪馬壱国だったと主張する古田氏の説も、邪馬台国を九州に比定しているから正しいし、計量言語学という正直よくわからない方法で邪馬台国を福岡の甘木の辺りに比定する安本氏の説も全く以て正しい。安本氏の、甘木周辺の地名が、奈良盆地の地名に、その位置関係まで含めて一致することが多いという説は、漫画家の星野之宣が描いた未完の大作『ヤマトの火』で知ったのだ。こちらには、日向と伊勢の地名とその位置関係の類似も指摘されていた。これも安本氏の説だっただろうか。ちょっと記憶がない。

 次は邪馬台国について正しい説が唱えられている本について書こう。もちろん、自分が読んだことのある本だけであるけれども。
6月1日23時。


 もちろんこんなことを100パーセント本気で言っているわけではないけれども、半分以上は本気である。最後にもう一度繰り返しておく、邪馬台国は九州に存在したのである。6月2日追記。



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2017年05月06日

憲法記念日(五月三日)



 ゴールデンウイークというものの恩恵を受けられなくなって久しい。日本にいたときにゴールデンウイークだから何をしたかにをしたということがあるわけではないのだけど、祝日というものはそれだけでありがたいものだった。最近は生活のリズムが狂うので鬱陶しい思うこともあるけど。とまれ久しぶりに五月三日が憲法記念日だということを意識したのは、安倍首相の発言によってだった。
 2020年までに憲法を改正して、自衛隊の存在を憲法に反映させたいのだという。自衛隊が憲法で規定されるべきものなのかどうかはともかく、予想通り大きな反響を巻き起こし賛否両論が飛び交っているようである。

 外国に長く暮らしていると、日本で盛んな憲法第九条を巡って、自衛隊は軍隊なのかどうかという議論がいかに無意味なものなのかが実感できる。いや、日本にいても気づこうと思えば気づけたのに、目に入ってこなかったというか、無視していたというか、とにかく軍隊というものは、どこの国でも自国を守るためのものとして規定されているのだ。軍関係の役所はたいてい防衛省とか国防省となっているわけだし。
 チェコでも日本の自衛隊に関して紹介する際に、自衛隊を直訳したような言葉よりも、軍を意味する言葉が使われることの方が多い。チェコの軍隊だって、基本的には国家を守るための戦力なのだから、日本の自衛隊もチェコ人にとっては明らかに軍隊なのである。専守防衛だから軍隊ではないなどという詭弁は通用しない。チェコ軍も、NATOの活動の枠内でしばしば国外に支援に出ることはあるけれども、それは決して国外で戦争をするためではないのである。

 だから、議論されるべきは、自衛隊を取るか、いや自衛隊の有する戦力を取るか、現行憲法を取るかである。自衛隊は軍隊ではないのだから憲法を変える必要はないというのでは、話にならない。首相がどれだけの覚悟を持って発言したのかは知らないが、仮にも一国の首相がこれだけ思い切った発言をしたのだから、反対派もただ反対するだけでなく、問題の根本の部分に立ち返って表層的な部分ではなく、本質的な部分に関して議論する必要があろう。
 改憲賛成派の議論は明確である。憲法を改正して自衛隊を国を護るための戦力として規定しなおそうというのだろうから。反対派が、憲法第九条を守れと言うときに、自衛隊の廃止、つまり日本の非武装化まで覚悟の上の発言なのかどうか、心もとない。自衛隊を廃止して日本の防衛を米軍に丸投げするという考えでも、軍隊のない未来の世界の構築に向けて日本が先鞭をつけて非武装化するというのでも、その実現性はともかく、この問題を本質的な部分で捉えているという意味で、自衛隊は軍隊ではないから憲法は改正しなくてもいいという詭弁に比べればはるかにマシだし、議論の対象にできるのだけど。

 そもそも国際化、国際化とうるさい連中が、この問題になると、どうして日本独自の解釈にこだわるのだろうか。昨今流行のグローバルスタンダードなんてものを、完全に無視して、日本独自の路線に突き進むというのなら、自衛隊を軍隊ではないと言いぬける日本的な、あまりに日本的な解決方法を支持してもいいと思うけれども、残念ながら現実は全く逆である。
 外国に住んで長いので、自分自身が改憲に賛成なのか反対なのかを声高に叫ぶつもりはない。日本で議論を尽くして結論を出してくれれば、それに粛々と従うのみである。どんな結論が出ようと、ある意味国を捨てた人間には反対する権利はないと思っている。問題は、議論がかみ合わないままに感情的な議論に終始して、議論を尽くして出した結論なんてことにはなりそうもないところにある。

 ところで、現在の国民国家の軍隊が、国防以外の名目で戦争をするということは可能なのだろうか。フランス革命時だって、フランスの国民軍はもともと外国からの干渉を跳ね除けるために戦っていたわけだし。結局ナポレオンが出てきて国を護るために外国に攻め込むという論理の飛躍が起こってしまったけれども。逆にチェコスロバキアの軍隊は、第二次世界大戦前のミュンヘン協定の際にも、1968年のプラハの春の際にも、政治的な決定の前に、国を護るために戦うことさえ許されなかった。
 文民統制の原則から言って政治家が軍隊が戦うか否かを決定するのは正しいのだろう。そう考えると、自衛隊が軍隊であると規定することが、そのまま外国への侵略につながるとは思えない。だから、自衛隊が軍隊であると規定されるかどうかよりも、法律で論理の飛躍が起きないような網をかけておく方がはるかに重要な気がする。

 ロシアという脅威が陸続きに存在しているチェコに住んでいると、軍隊が、国防のための軍隊が存在することは、心強いと感じる。テロの脅威が高まっていることも考え合わせると、非武装国家なんてことは考えようもない。だからこそ、ウクライナに余計な手を出して必要以上にロシアを刺激したり、アラブの春を中途半端に支援して中東から北アフリカに至る地域を混乱に陥れたEUの想像力が欠如しているとしか思えない外交政策に腹を立てるのである。
 とまれ、東京オリンピックの時に、自衛隊が日本の軍隊として警備を担当することになるのか、未来を体現した非武装国家日本でオリンピックが行われるという事態になるのか、結局何も変わらず今の自衛隊の存在をあいまいにしたままの状態が続くんだろうなあ。

 この五月三日は、東京オリンピックのアイドル、ビェラ・チャースラフスカーの誕生日だったので、こっちについて書いたほうがよかったかもしれない。明日スポーツ界のあれこれでまとめて書くかもしれない。
5月4日23時。





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