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2017年06月11日

印象操作(六月八日)



 チェコに来た頃、いやそれ以前から日本の政治に対する関心はほとんど失っていた。有権者の義務として選挙には必ず行っていたが、地方議会の選挙を除けば、白票、もしくは立候補していない友人知人、場合によっては有名人やキャラクターの名前を記入した票を投じるのが常であった。区議会、市議会選挙ぐらいまでは、近所の人や、知人が応援している候補者に投票することが多かったが、誰に入れても大差ないので、早い者勝ちをルールにして、最初に声をかけてくれた人が応援する候補に投票していたのだ。誰にも声をかけられなかったら、日本にある唯一の真の野党共産党の候補者に投票していた。日本共産党の存在意義は、国政であれ地方政界であれ、常に野党として与党を痛烈に、たまに効果的に批判するところにあるのであって、政権獲得や政権参加などを目標にするのであれば、解散したほうがいい。
 九十年代の政局は、いわゆる五十五年体制が崩壊して、政界の再編が進んだと評価されることが多いが、現実には共産党以外のそれまでの野党勢力が、最大野党だった社会党も含めて馬脚を現し、自民党の亜流でしかないことを有権者に見せつけた時期である。所属が変わり、つるんでいる相手が変わっても、政治家の本質が変わるわけではないのである。

 もちろん、誰が首相になったとか、総選挙の結果がどうだったとか、特に重要なニュースはちゃんと読んでいたけれども、閣僚の任命やら辞任やら、政治家のスキャンダルやらは、煩雑すぎていちいち追いかけてもいられない。それが、日本の政治について多少興味を持って追いかけるようになったのは、このブログを始めてからである。チェコと比べて記事にするのに、同じレベルでどうしようもない日本の政治はちょうどいいのである。
 比べて思うのは、チェコの政治家の醜態は、自分の生活に関係がない限り、他人事で笑ってみていられるけれども、日本の政治家の場合には、特に我が母語たる日本語にかかわる場合には、笑ってなどいられないということである。

 現在、最も厳密に審議されるべきは、共謀罪とかいう法律案であろう。それなのに国会から聞こえてくるのは、首相の「そもそも」の使い方がおかしいとかいう話でしかない。与党自民党側の主張は、法案の内容の是非はともかく、明快である。それに対して野党側が何を主張したいのかが全くと言っていいほど見えてこない。この手の法律を制定すること自体に反対なのか、内容の修正を求めているのか、少なくとも遠く離れた地から、インターネット上のマスコミの報道を通して理解できる範囲では、まったく理解できない。
 首相の日本語が怪しいのは周知のことで、それはもう心の底から嘆くべきこと、少なくとも国政レベルの政治家に対しては日本語能力のテストを導入して不合格者には、合格するまでは政治家としての活動をさせるべきではないと主張したいぐらいだが、そんな制度がなく一旦首相にしてしまった以上、ことの本質にかかわらない部分での言葉の間違いをとらえて批判するべきではなかろう。批判する側の日本語力も五十歩百歩だという点は置くにしても、醜悪なことこの上ない。

 大スキャンダルであるかのように報道されている二つの学園問題も、国会での審議を遅らせるために重箱の隅をつついているような印象を受けてしまう。首相側の対応も最悪でそれが問題を大きくしているのは間違いないが、こちらもこの問題で大騒ぎさせることで、別のより重大な問題から目を背けさせようとしているのではないかと勘ぐってしまう。
 とまれ、この問題に関しては、マスコミの首相応援側も批判側も的外れな議論ばかりで、読んだ甲斐があったのは、中村仁という人が書いた「首相は正攻法で学園問題の説明をせよ」という記事ぐらいである。この記事が掲載されたアゴラというのは、「言論プラットフォーム」と名乗っているだけあって、さまざまな人が様々な意見を自分の立場から記していて、玉石混交の極みなのだが、たまにこの記事のように、おおっと思わせてくれる記事があるので、ついつい読んでしまう。とはいっても、直接アゴラのページではなく、ヤフーの雑誌のところで読むんだけど。

 首相に対する忖度があったとかなかったとか、首相からの圧力があったとかなかったとか、証明の仕様もないことで延々と議論を繰り返していても意味はなかろう。水掛け論に終るだけである。それに、この手のことを批判するのは、野党の政治家にとっても天に唾する行為ではあるまいか。

 日本には、昔から陳情という制度?があって、それが政治家たちのメシの種、票の種の一つになっている。自民党以外が政権を取った時に、廃止になったという話は聞かないから、今でも継続しているのであろう。選挙で選ばれた選良であるという一点において、傲慢な官僚の上に立って、地方からの要求を取り次ぐのだから、成否はともかく官僚に圧力をかけていることには変わりはない。変わりがあるとすれば、陳情される回数ということになろうか。
 今の国会に、陳情に手を染めたことのない議員はいるのだろうか。いるとすれば共産党の議員ぐらいかな。とまれ、一般の国会議員たちがやっていることも、首相がやっていることも(本人は愚かにも否定しているが)、程度の差はあれ、本質的には同じなのである。それが目くそ鼻くそを笑うだというゆえんである。首相の使った言葉を使えば、お互いに印象操作しあって、その結果、問題の実体が見えなくなってしまっている。まあ、所詮どちらも有権者に少しでもいい印象を与えて、議席を増やすしかないポピュリズムの政党である点では変わらないし。

 この文章を読んで、首相を擁護していると思われたら、それは大きな誤解である。日本語至上主義者としては、あんな怪しい日本語を使う首相など御免である。ただ、首相が交代したからと言って首相の日本語が向上するとも限らないのが、今の日本の政界の現状なのだ。以前ちょっと書いたように、政治家の日本語で感心できたのは、震災関係の放送をしていたときの枝野氏ぐらいしかいない。
 こうなったら「日本語で政治家を選ぶ会」でも結成して、日本語が素晴らしい政治家を探して応援するかな。主義主張や所属政党がどうあれ、政権とったらみんな大差ないということは、すでに明らかなのだから。

 それにしても、と思い返す。90年代の社会党の変節は衝撃的だったよなあ。予兆はあったとはいえ、一夜にして自衛隊が合憲になっちまったからなあ。

6月9日12時。




posted by olomoučan at 06:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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