2017年06月05日
邪馬台国はどこですか(六月二日)
邪馬台国が九州にあったことは自明のことであり、疑いの余地は微塵もないのだが、九州以外にあったという蒙説を読むのも、畿内説を除けば、実は嫌いではない。問題は九州説、畿内説以外がテーマとなる本、特に小説、漫画がほとんどないことである。いや、研究書の類はあっても手に入りにくいのである。幸いなことに例外となるのが、奇才鯨統一郎の『邪馬台国はどこですか』(1998年刊)である。
とあるバーでの酔っ払いの歴史談義という形で、歴史の謎について議論が始まり、最終的には、在野の研究者の奇想天外な説が、歴史学の教授とその弟子の若手研究者を納得させてしまうというスタイルの短編が何本か収録されている。そのうちの一本が邪馬台国がどこにあったかを巡る歴史談義になっている。
この本の場合には、結論に至る過程が重要なので、結論は明かしてもネタばれにはならないよね。気になる方は以下は読まれないことをお勧めする。
邪馬台国以外だと、仏陀は悟りを開いていないとか、織田信長は自殺だったとか、それだけを聞くと冗談だとしか思えないような結論が連発するのだけど、それぞれの短編を読み終わったときには、そんなこともあったかもしれないと思わされてしまう。話術の妙というべきなのか何なのか、鯨統一郎には半村良的嘘の才能があると思ったものだ。
さて、邪馬台国についても、九州説を否定しているという点を除けば、なかなか説得力のある説を作り上げている。『三国志』中の「魏志」の「東夷伝倭人条」の記述を素直に読んで、古い中国の地図に描かれた日本列島の位置と合わせて考えると、邪馬台国は東北地方になるというのである。具体的な地名も含めて、読み終わった瞬間には、不覚にもありうるかもと思ってしまった。九州説以外を信じかけたほとんど唯一の事例である。
鯨統一郎のすばらしいところは、遺跡なんてものの存在を無視して論を立てているところだ。東北は掘られていないから遺跡が出てこないだけだとの言い訳はあるけれども、べつに出てこなくてもかまわないと考えているようだ。
邪馬台国の所在地に遺跡のあるなしは関係ないのである。過去に建造されたものがすべて遺跡として残っているわけではないし、地面の中に眠っている遺跡がすべて発掘されているわけではないのだから。新しい遺跡の発見、年代鑑定の変更で、ころころ変わるような説を信じるのもおろかということである。
この本に関しては、飲み屋での酔客たちの歴史談義という体裁を取っていることもあって、描き出された信じてしまいそうになる説のようなものを、作者がどこまで信じているのか、本気で書いているのかがちょっと不安である。まあ、邪馬台国に関しては九州説ではないから、なかば冗談だと受け取っておくのが賢明というものであろう。
東北地方というと、実は縄文時代には日本でも一番人口が多かったなんて説もあるし、半村良が『黄金伝説』で伝説の核心となる土地を設定したりしているぐらいだから、弥生時代にも何かあってもおかしくないとは思う。ただそれが邪馬台国だとなると妄想だというしかない。惜しむらくは、東北地方も畿内の遺跡、遺跡の年代鑑定ごっこに巻き込まれて、大きなスキャンダルを巻き起こしてしまったことだ。遺跡があるのはいい。ただ、それを必要以上に古く見せたり、重要に見せたりするような年代鑑定など不要である。
鯨統一郎の本は、こちらに来てから他にも数冊電子書籍で購入して読んだのだが、『邪馬台国はどこですか』の衝撃を超えるものはなかった。あれこれ実在しそうな偽書をでっち上げて、東北邪馬台国を巡る伝奇小説を書いてくれないかと期待したんだけどなあ。半村良ばりの伝奇小説は現在では受け入れられにくくなっているのかもしれない。
6月4日12時。
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