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2016年11月17日

母親闘病中と永眠後、変化した父への対応

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二年前・・・2014年の今頃・・・
私は自分の事しか考えていなかった。

確かに色々あった年だったが、
全ては自分で選択したことだった。

仕事に一線を引いたことで
一つの区切りがついていたはずだったが、
何か、地に足がついていない自分だった。

母の身体が悲鳴を上げていることに気付こうともせず
母の心の悲鳴を聞き入れる耳も持たず、
わがままに日々を過ごしていた。

母が倒れた時、母が入院した時、冷静にしている振りをするのに
精いっぱいだった。

あの日を境に、父は複数の施設にお世話になった。
数日ごとに変わる環境に、父の不安はピークを
超えていたと思う。

今現在、父が入所している施設に落ち着くまでに
二週間ほど掛かったと記憶しているが
それも、当時母を慕ってくれていたケアマネージャーさんが
かなり頑張ってくれたお陰でもある。

あの時も母の人柄に助けられていたともいえる。

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私は母の入院先と、父の入所先を交互に行き来した。
母のいる病室には、ほぼ毎日通った。
父のいる施設には、週に三〜四度ほど通い詰めた。
当時は無我夢中だった。

入所先の当時の職員さんからは、よく褒められたが
心の中では、「違うんです」と言いたかった。
あの時は、父の為ではなく、母の為という想いが強かった。

もちろん、父の事も心配ではあったが、
母ありき・・・母あっての父だった。
それは今でも変わっていない気がする。

その証拠に、母が永眠してからの私は
父のいる施設に通う回数が激減した。

今では週に一度しか足を運ばなくなっている。
思い返せば、母の闘病中・・・
父の所へ行こう・・・が、行かなければ、に変わり
いつの間にか、
そろそろ行っておかなければ・・・に変わった。

気が付くと、今週は行った・・・行ってないとなり
稀ではあるが、顔を出さない週も・・・。

父に関しては、母が父の事を大事に思っていたから
母の代わりに・・・という想いが強い。

時間と共に、少しずつ変わってきた結果が今だ。

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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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