2016年01月14日
想えば一年前・・・母をつないだ緊張の糸
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肺がんステージ4で始まった母の闘病生活は
12か月で幕を閉じました。
治療をしなければ2か月という余命宣告でした。
と言いますのは、母が病院に搬送されたとき、
既に頭部に転移していたのです。
そもそも、それが要因で病気が発覚したのです。
職場で倒れているところを発見された母に話しかけると
何やらあやふやな反応を示した母。
いつもならデイサービスから帰宅する夫を自宅で待つ
為に、足早に帰るのだが、1時間以上も眠っている。
息子である私に連絡があり、状況の説明を聞いた時点で
救急車の要請をお願いし、仕事を切り上げて母の職場
へ向かったのでした。
蜘蛛膜下出血か!?、脳梗塞か!?・・・
症状を聞く限りでは、かなりの確率で脳だ!
当時の私は「間に合ってくれ」と祈る気持ちで
車を運転していたことを覚えています。
最悪の場面が頭を過ぎった瞬間でした。
約15年前に父が脳梗塞で入院している。
障害者になってしまったが、父はまだ健在。
母もなのか!?と色々なことが頭を駆け巡りました。
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結局、左前頭葉に2.5cmほどの腫瘍があり、
それがガンの原発巣である肺から転移したものである
ことがわかりました。
腫瘍からは出血のあとが見られの周辺はむくんでいて、
脳浮腫という聞いたことのある言葉に反応したことも
記憶に新しい。
前頭葉は感情を司る部位で、その部分が腫瘍の影響によって
母の感情は制御の効かない状態が2〜3日続きました。
その症状とは、とてもハイテンションなのです。
病室で陽気に大声でしゃべる母は、とても手が付けられず、
看護師さん達や周りの患者さんたちに頭を下げまくりでした。
ほとほと手を焼いた記憶も、今ではいい想い出です。
その1年後に母が居なくなるなんて考えもしなかった。
いや、母の病状からして、予測は出来た筈でした。
医師からの説明もありましたし、母も一緒に説明は
聞きました。
ただ、あくまでもデータの問題で、母がその範疇に
納まるかは全くの別問題だったのです。
しかし、悔しいですがそのデータ通りの結果となった。
私の母はそんなデータに左右されない。
絶対に覆(くつがえ)せる・・・
そう信じていました。
それでもやはり気持ちが足りなかったのでしょうか・・・。
最期は緊張の糸が切れてしまった母。
緊張の糸は強いが柔軟性が無かったのだと思います。
緊張の糸に掛かるストレスに変化に対応できなかった。
そして、いとも簡単に切れてしまった・・・。
母の緊張の糸は、硬くなりすぎてもろかった。
柔らかくシナルことさえできなくなった緊張の糸は
いとも簡単に、折れるように切れてしまった。
母を応援するあまり、気が付かないうちに母を
頑張らせ過ぎてしまった結果なのかもしれない。
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肺がんステージ4で始まった母の闘病生活は
12か月で幕を閉じました。
治療をしなければ2か月という余命宣告でした。
と言いますのは、母が病院に搬送されたとき、
既に頭部に転移していたのです。
そもそも、それが要因で病気が発覚したのです。
職場で倒れているところを発見された母に話しかけると
何やらあやふやな反応を示した母。
いつもならデイサービスから帰宅する夫を自宅で待つ
為に、足早に帰るのだが、1時間以上も眠っている。
息子である私に連絡があり、状況の説明を聞いた時点で
救急車の要請をお願いし、仕事を切り上げて母の職場
へ向かったのでした。
蜘蛛膜下出血か!?、脳梗塞か!?・・・
症状を聞く限りでは、かなりの確率で脳だ!
当時の私は「間に合ってくれ」と祈る気持ちで
車を運転していたことを覚えています。
最悪の場面が頭を過ぎった瞬間でした。
約15年前に父が脳梗塞で入院している。
障害者になってしまったが、父はまだ健在。
母もなのか!?と色々なことが頭を駆け巡りました。
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結局、左前頭葉に2.5cmほどの腫瘍があり、
それがガンの原発巣である肺から転移したものである
ことがわかりました。
腫瘍からは出血のあとが見られの周辺はむくんでいて、
脳浮腫という聞いたことのある言葉に反応したことも
記憶に新しい。
前頭葉は感情を司る部位で、その部分が腫瘍の影響によって
母の感情は制御の効かない状態が2〜3日続きました。
その症状とは、とてもハイテンションなのです。
病室で陽気に大声でしゃべる母は、とても手が付けられず、
看護師さん達や周りの患者さんたちに頭を下げまくりでした。
ほとほと手を焼いた記憶も、今ではいい想い出です。
その1年後に母が居なくなるなんて考えもしなかった。
いや、母の病状からして、予測は出来た筈でした。
医師からの説明もありましたし、母も一緒に説明は
聞きました。
ただ、あくまでもデータの問題で、母がその範疇に
納まるかは全くの別問題だったのです。
しかし、悔しいですがそのデータ通りの結果となった。
私の母はそんなデータに左右されない。
絶対に覆(くつがえ)せる・・・
そう信じていました。
それでもやはり気持ちが足りなかったのでしょうか・・・。
最期は緊張の糸が切れてしまった母。
緊張の糸は強いが柔軟性が無かったのだと思います。
緊張の糸に掛かるストレスに変化に対応できなかった。
そして、いとも簡単に切れてしまった・・・。
母の緊張の糸は、硬くなりすぎてもろかった。
柔らかくシナルことさえできなくなった緊張の糸は
いとも簡単に、折れるように切れてしまった。
母を応援するあまり、気が付かないうちに母を
頑張らせ過ぎてしまった結果なのかもしれない。
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どんなに不自由な体になっても生きててほしいと願う気持ちは私のただのエゴなのでしょうか?
親孝行する時間がほしいです。あなたが少し羨ましい…きっとあなたのお母様は幸せだったと思います。