さとりの位は、52段中、
47段まで登ると七地沈空の難というのがあります。
七地沈空の難という菩薩の墓場と言われます。
こういう危ないところがあるぞ
とブッダはおっしゃっています。
47段まで、実際いないけれど教えで説かれています。
そこまで登ったら大変大きな喜びが起きます。
それが仏のさとりと間違ってしまう。
それ以上求めなくなります。
その菩薩の墓場と言われる所があります。
こう言われるんですね。
ここまで登ったら物凄い大きな喜びが起きて
私は仏のさとりを開いたと思ってそれ以上求めなくなります。
浄土真宗を開かれた親鸞聖人の教行信証にこうあります。
菩薩七地の中に於いて大寂滅を得れば、上諸仏の求む可きを見ず、
下衆生の度す可きを見ず、仏道を捨てて実際を証せんと欲す。
それ以上進めません。
誤ってしまいます。
これは法華経では化城とも言われるものです。
浄土真宗の聞法車の間では安楽椅子ともいわれます。
よっこいしょと、こう、どんずわってしまいます。
もう自分は救われたと思ってしまいます。
この道は今まで通ったことのない道だから不思議なことがあります。
実際真実を求めていけば喜びも出てきます。
大変喜びが起きた。
これが信心決定かと思われたが
続かなかったからまことでないと知らされた。
それで、これで救われたと思ったらこれ以上求めなくなる。
どんずわったらもうこの後、安心してこれ以上進もうとしない。
10人あれば6、7人は駄目でしょう。
秘事法門と類するもの。
救われたと思ったら、それにしがみつこうとします。
安楽椅子に陥らないようにするには正しい教学を学ぶ。
常に聴聞をさせていただく。
正しい浄土真宗の教えを聞いている以上、
安楽椅子を叩き壊されますから。
ところが本願寺のいい加減な教えなら
みんなどんずわっています。
だから私たちは一週間に一度は必ず仏教講座を聴聞させていただきます。
安楽椅子に陥らないようにするには正しい教学を学びます。
だから正しい教学があれば自分の誤りに気付いて勧めます。
ところが教学がないと菩薩の墓場におちいって臨終に大変なことになるから。
間断なき聴聞の大切さをこれで知って貰いたい。
私たちなら聴聞で安楽椅子を壊していただくのです。
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