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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2017年12月11日

仏教学者も地獄行き

仏教学者は仏教に何が教えられているのか

分かっているのでしょうか?

 

昔からこのように歌われています。

 

八万の法蔵を知る人とても
弥陀たのまねば無益なりけり

 

八万の法蔵とはお釈迦さまの説かれた一切経のことです。

現在の仏教学は、経典歴史を調査して、インドの言葉の語源とか

当時の文化とかを研究していますが、

どんなに仏教学者でも、救われなければ、無益です。

たとえ一切経を丸暗記していても、阿弥陀仏をたのまねば地獄行きです。

ましてやあらゆる経典はお釈迦さまの説かれたものではないと言い出す

クソ仏教学者ばかりです。

仏教学者用の特別苦しい地獄が用意されています。

 

お釈迦さまが一切経を説かれたのは、どんな極悪人でも救われる

阿弥陀仏の救い一つを明らかにするためです。

 

一切経は弥陀たのむ、これに全部収まります。
このたのむという言葉に仏教の全てが収まります。
阿弥陀仏の呼び声を聞かせていただく。

 

八万の法蔵をいくら知っていても弥陀たのまねば無益、助かりません。
ここで誤解してはならないのは教学を学ぶのがどうでもいいということではありません。
ここ間違えます。

 

自分の都合の良いように解釈します。
教学を学べば、ゴールへ向かって進みますよ。
非常に大切。

 

教えを学ぶのは弥陀たのむ体験をさせていただくための教学です。
弥陀たのむ体験をするために教えを学ぶのです。
あくまでも信心決定するためです。
ここまでは絶対に気を抜いてはなりません。
同じ話を何回も耳にたこができるほど仏法を聞く目的を確認していかねばなりません。

タグ:仏教学 歴史
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教学
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