よく聞いた 聞いた心に 腰をかけ
地獄の釜で 一休みする
私たちが仏教を聞く上で気を付けねばならないことがあります。
仏法は聴聞に極まる。
聞く一つで救われます。
仏教講座に行って真剣に聞けたときと
あまり真剣に聞けなかったときがあります。
聞けたときは安心します。
今日は砂に水が染み込んでくるような聴聞ができた。
そこでどんずわったら駄目ですよ。
よく聞いたこれで私は大丈夫だと、
私たちはすぐに座ろうとします。
ここまでは安楽椅子がいっぱいある。
それを仏教の先生はご説法によって叩きつぶしてくだされる。
私たちはすぐによっこいしょと坐ろうとする。
叩いて頂かないと。
聞いた心に腰を下ろしたらこのまま死ねば地獄ですから。
求道に小休止なし。
いつ死ぬか分かりませんから。
だから本当は年末も年始もない。
休みなんてない。
実際は必要なことがあるから、年末年始は帰省してゆっくりしますが、本当は休めない。
お盆も正月も仏法にはない。
死後の世界は念々に迫っていますから。
本当はあなたにゆっくり休んで貰いたい。
しかし私はなかなか言えない。
もしも休みなさいと言ったために、先生が休めとおっしゃったのだ、
仏教の先生のお言葉だと都合のいいように聞いて、
本当はもっとがんばれるのに休んで一座の聴聞がないために
救われなかったら大変です。
もっと御縁が持つことができるところを持てなければ残念ですから、
休みなさい、とは言われない。
私達は力一杯精根尽き果てるまで、頑張らないと。
年末年始に家に帰ってもただ五欲の生活では勿体ない。
少しでも仏縁が深まるように頑張らないと。
求道に小休止なしです。
一日も片時も急がなければならないのが後生の一大事の解決です。
一休みしていたら駄目ですよ。
千載一遇のチャンス。
これが最後の仏縁となるかも知れませんから、
一回の御縁を大切に、
真剣によくよく聞かせて頂きましょう。
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