ブッダはさとりを開かれたとき、こう言われました。
「我は一切の勝者なり、一切の智者なり」
勝れた者なり。
あらゆることを知っておられますね。
大自信です。
ブッダの教えは他と違って発見された教えです。
他の宗教は造った教えです。
仏教は、創造された教えではありません。
コロンブスはアメリカ大陸を発見したが創造ではありません。
ニュートンは万有引力を発見したが創造したのではありません。
お釈迦さまはいつの時代の人にとっても必要なこと。
三世を貫き十方を遍く大宇宙の真理を発見して教えられました。
あらゆる事を知っておられるということですが、
こういうことを仰有ったら、ある外道の者が言いました。
「何でも知っているのか。なら聞くぞ。
お前は木の前に座っているが、葉っぱの数を教えよ」
と言った。
ブッダは
「知りたければ自分で数えよ」
と言われました。
これは仏教で戯論といいます。
戯れの論。
時間がもったいないです。
念々に無常は迫っています。
本当の生きる目的を達成するためにどうでもいい論議が戯論です。
こんなことに関わっている暇はない、ということで
ブッダは知っておられても答えられないことがあります。
そんな存在意義ではないんですね。
答えていたら目的から離れることがあるということです。
私たちには戯論に関わっている暇な時間はありません。
一刻も急がなければならないのは後生の一大事の解決です。
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