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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2018年07月23日

苦しいとか虚しいとか

ちょっと難しいかも知れませんけれど、
直情型の表現ていうのがあるんですね。
ストレートということです。

 

たとえば人生は苦なりということで、
「人生というのは苦しみなんだぞ」
苦しいじゃろ」、
苦しいということ考えないのか、おかしいじゃないかそれは。苦しいんだよ人生は!」

これあんまり最近はうけないんですね。


若者が感じる、要するに人生苦なりと言ったんですけど、
人生苦なりって、そういう嫌で嫌で仕方がなくて苦しいという
強烈な体験というよりも
小さな苦しいことが積み重なってうんざりという感じ方の方が多いんですね。

 

あるいはこの、苦しいをちょっと変えて虚しい
人生に虚しさを感じる人。
この虚しいのも

「おい、あなた、虚しくないのか。虚しいだろ。
 虚しくないのはおかしいぞ。仏縁ないのじゃないのか」

これはですね、直球なんです。
ストレート。
こういうような気持ちになる人は何とかして一生懸命
仏教を伝えたいという気持ちがあって尊いのですが、
あまりにもストレートですから配慮が必要かもしれませんね。

 

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2018年07月21日

キリスト教と仏教の違うところ

世界の二大宗教と言われる仏教キリスト教ですが根本的なところで

大変大きな違いがあります。

 

 仏教でもキリスト教でも共に私達の運命が何によって決まるか

と言うことが教えられています。

 

運命とは私達が最も関心を持っていることです。
その運命について仏教とキリスト教では教えていることが全く違います。

 

だから、仏教とキリスト教は、根本的なことに於て違うんです。
だから全く違うのです。

 

運命と言ってもよい運命ならば幸福、悪い運命なら不幸と言うことです。
私達が考えていることはどうしたらよい運命が開けるか、
言葉かえるとどうしたら幸せになれるのか、そのこと一つです。

 

悪い運命、不幸を取り除くにはどうすればいいのか。
よい運命幸せになるにはどうすればいいのか。
それ一つを考えているのが私達です。

 

その運命について仏教とキリスト教では全く教えていることが違うのです。

根本的なところが大違いでどこまで行ってもあいいれません。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年07月20日

名医を選ぶための十か条

仏教を説法する人は、医王の想いを作せ、抜苦の想いを為せ。

といわれています。


仏法者は名医でなければなりません。
仏教が初めての人にとって、どういう人が、名医でしょうか。

 

1、顔を見すぎない
2、患者の意見を聞く。
  押し付けはダメです。
  たとえ、言いたい事があっても、そこは我慢。
3、仏教が初めての人に公平。
  好き嫌いしない。
4、全身状態をみる。
  一つだけ、見てると、思わぬところから、ニョキ
5、薬を厳選。
  言いたいことは、1つ。
  分かってもらいたいこと盛り込みすぎない
6、無駄な検査は、しない。
  不必要な話はしない
7、セカンドオピニオンを勧める。
  僕が僕が、ではなく、仏教講座に聞きに行く。
8、最新の医療情報、世間の新鮮な話題
9、患者の立場を考えて、話す。
10、うそごまかししない。
   分からない事は、分からないというのが信用できる医師

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践

2018年07月19日

「まだ信心を獲られないのか」という人の正体

真面目に聞法している同行に対して
「まだ獲信できんのか」
と言ってくる人があります。

 

それは、浄土真宗の異端で、

夜中に儀式で信心を授ける秘事法門というものです。

秘事法門の信心は、儀式で授けるので簡単です。

儀式をしたその日にもらえます。

それで、まだ獲信できないのかと言ってくるのです。


それに対してどう答えるのが適切かというと、
「そんな程度の信心ならね」
というほどのものです。

 

なぜかというと、
3年聞いてても獲信できてないからといって、まだできんのか?
と言うのは、
親鸞聖人の獲られた真実信心は、
「噫弘誓の業縁は多生に値いがたく、真実の浄信は億劫にもえがたし」
といわれているように、
多生かかっても、億劫を経ても、微塵劫を超過しても、
獲られないものだと知らないし、求めた体験もないんです。

 

彼女いない歴1年、よりも、彼女いない歴20年。
一浪よりも三浪。
声をあげずに泣くんです。

それどころではありません。
億劫求め続けているんです。
それを「まだか?」とは言わないでしょ。

 

3億円の宝くじ

「まだ当たらんのか?」

とも言わないでしょ。


「広大難思の慶心」

がまったくわかってないんです。

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タグ:浄土真宗
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心

2018年07月18日

信心をもらった年月日時に覚えがないといけない?

信心を貰った年月日時に覚えがなくればならぬ、

とやかましく言うのは間違いです。

それは秘事法門です。

 

一念の水際をハッキリとかれる正しい仏教の先生を

あいつは秘事法門だ!」と言った者がありますが、

秘事法門では、信心を頂いた年月日時に

覚えがなければならないと言うからです。

 

しかし、信心決定すれば、

一念の体験はハッキリしているので、自覚があります。

それがいつかということについては、

仏教では、

 

実時」と「仮時」があります。

 

実時とは、年月日時です。

仮時とは、蜂に刺されたときとか、痛かったときです。

 

仏教では、実時はいわれず、仮時がいわれます。


ハッキリとした自覚はあるんです。
しかし、その時の時間を覚えておらねばならないということは、

ブッダ親鸞聖人は決して教えられていません。

 

 

信心決定はハッキリしますが、

必ずしも年月日時を覚えている必要はないのです。

 

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posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心

2018年07月17日

他力信心は十劫安心でも三業帰命でもない

浄土真宗の本願寺では、江戸時代に三業惑乱という流血の大事件が起きました。
その結果、たのむ一念にふれてはならないという裁断が出されました。

 

しかし、浄土真宗の8代目の蓮如上人が
「たのむ一念のところ肝要なり」
といわれています。

「肝要」とは、一番大事ということです。

一番大事といわれる「一念」を説かないので、
本願寺は、要が抜けて、
十劫安心になってしまいました。

 

振り子は中央にはとまりません。
そのように、正しい信心はなかなか明らかにはできません。
必ずどちらかに動きます。

 

真ん中に止まって欲しいのに、振り子でいうなら、一番スピードがでているところです。
だからどちらかに傾いてしまいます。

十劫安心が間違いだ!
と後生の一大事を説けば、どうすれば助かるのか、
となって三業で帰命しようします。

 

三業帰命が間違いだといえば、
すべて阿弥陀如来まかせだ他力本願だと十劫安心になります。

今日、世間の本まで

「後生の一大事」

「信心決定」という言葉を使うようになりました。
世間の本にも「後生の一大事」が出ているといっても

いちがいにいいとは言えません。


いよいよ振り子がこっちに来たということです。
50年前はみんな十劫安心でした。
そんな人達に来る日も来る日も話をしてきました。

そしてようやく動き出しました。
しかしこうなるともう危ない。

三業帰命にきます。

 

私達は十劫安心と三業帰命の間隙をぬって真実を明らかにせねばなりません。
必ずどちらかに振れますので、

十劫安心も三業帰命も

まずどういうものかをよく知っておくようにしてください。

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posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心

2018年07月16日

秘事法門との遭遇

秘事法門という浄土真宗の異安心があります。

こうした異安心は、蓮如上人の頃もありました。
ですので御文章の中に教えておられます。

 

「それ越前の国に弘まるところの秘事法門といえることはさらに仏法にてはなし。
あさましき外道の法なり。これを信ずる者は永く無間地獄に沈むべきにて徒事なり。
この秘事をなおも執心して肝要と思いて、人をへつらい誑さん者には相構えて相構えて随逐すべからず。
急ぎその秘事をいわん人の手を離れて早く授くるところの秘事をありのままに懺悔して人に語りあらわすべきものなり」

 

無間地獄に堕ちるから絶対についていってはならないと言われています。
こうした異安心は、今でもあります。
こうした人たちに会った経験ある人ありますか?
私はあります。
浄土真宗の盛んなところだと、潜行しています。

村全員が信心を頂いたというところもあるのです。
それ以来、信心決定したという人にあったら、大体これだな、と思うようになりました。

早稲田大学の1年生に、幼い頃に信心を頂いたっていう人いました。
だけど、本人は全く分かっていません。
何を頂いたのやら自覚がありません。
だけども親から「あんたは頂いたんだからね」と言われています。
それくらいに、地域に根付いているものなんです。

 

あなたはまだ会ったことないでしょうが、

仏法伝えようとしたなら必ずでくわすものです。

気をつけてください。

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posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心

2018年07月15日

21世紀に求められる若者像

21世紀。
鉄腕アトム、未来都市、夢、期待あふれる世紀がきています。

その21世紀に求められる若者像はどんなものでしょうか?。

 

今、大変な不景気。
深刻な就職難。
実際、なかなか楽じゃありません。
早稲田慶応に行っていれば大丈夫という時代ではなくなりました。
国立工学部なら、選ばなければ大丈夫ってところです。

私も相談を受けることがあります。
どうも3年生の9月ころに就職戦線が始まります。
説明会へ行って、面接です。
30社行って、一つ決まればいいというところです。
しかし、若者は一つ落ちただけで、もうショックです。
立ち直れない。
そこをなんとか、リポD飲んで突撃、玉砕。
それでも5社がやっとです。

今の会社の人はどんな人を望んでいるか。
それで振り落とされる。
「我が社を志望する理由は」
「えー、御社は・・・」
と言う人は、マニュアル人間です。
向こうも読んでいます。
いくつかの基準があります。
祖の中の一つ、

「あなたは何のために会社に入るんですか」
「何のために仕事をするんですか、働く意味は何ですか。将来のビジョンは何ですか」
普通考えていないから、詰まってしまう。

それは、生きる意味が分からないからです。

 

すぐに五月病になったり、

スチューデントアパシーになってしまう若者、

ニートでモラトリアムな若者と、

自分の存在意義を知り、生きる意味を知った若者と、二極化していきます。

 

これからは心の時代ですから、

ぜひ生きる意味を知ってもらいたいと思います。

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タグ:生きる意味

2018年07月14日

親鸞聖人の著作の相互関係

浄土真宗を明らかにされた

親鸞聖人にはたくさんの著作がありますが、

親鸞聖人の教えのすべてがおさまっているのは、

主著の『教行信証』です。

 

それ以外は、その一部を教えられています。

 

たとえば親鸞聖人の著作に、

末灯鈔』と『一念多念証文』というものがあります。

 

末灯鈔』とは、親鸞聖人のお手紙、あるいはお言葉をまとめられた本です。
これ親鸞聖人がまとめられたのではありませんが、
親鸞聖人のお手紙、あるいは法語をまとめられたもの。

 

末法の私たちに灯火、幸せになる光を与えて下さるということです。
世の中を明るくするということです。

親鸞聖人の教えによって末法の私たちは、

浄土真宗の教えによって心が明るくなります。
世の中を明るくする人になりましょう。

 

そして、『一念多念証文』。
これは親鸞聖人が一念で助かるのか、多念で助かるのか、

明らかにされたものです。

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posted by 陽葵 at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 教学

2018年07月13日

ブッダのお経全部の別名

ブッダの説かれた一切経には色々な別名があります。

 

例えば八万四千の法門

非常に数が多いですから。

八万四千とは非常に数が多い。
法門とは教えです。
沢山の教えが説かれています。

 

他にどうですか。

大蔵経
大蔵省ではないね。
真実の蔵。

 

他にどうですか。
これで大体良いけれど

七千余巻の法門といってもよいし、

十二部経いう言い方もあります。

 

これは12通りの説き方ですべてのお経を分類され、まとめられています。

浄土真宗で有名な阿弥陀経は無問自説。
誰も質問されないのに説かれました。

 

あるいは本生譚。
過去世はこうだったという説き方があります。

いろんな説かれ方があるので、

いろんな説き方をまとめて十二部経といいます。

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タグ:浄土真宗
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教