真面目に聞法している同行に対して
「まだ獲信できんのか」
と言ってくる人があります。
それは、浄土真宗の異端で、
秘事法門の信心は、儀式で授けるので簡単です。
儀式をしたその日にもらえます。
それで、まだ獲信できないのかと言ってくるのです。
それに対してどう答えるのが適切かというと、
「そんな程度の信心ならね」
というほどのものです。
なぜかというと、
3年聞いてても獲信できてないからといって、まだできんのか?
と言うのは、
親鸞聖人の獲られた真実信心は、
「噫弘誓の業縁は多生に値いがたく、真実の浄信は億劫にもえがたし」
といわれているように、
多生かかっても、億劫を経ても、微塵劫を超過しても、
獲られないものだと知らないし、求めた体験もないんです。
彼女いない歴1年、よりも、彼女いない歴20年。
一浪よりも三浪。
声をあげずに泣くんです。
それどころではありません。
億劫求め続けているんです。
それを「まだか?」とは言わないでしょ。
3億円の宝くじ
「まだ当たらんのか?」
とも言わないでしょ。
「広大難思の慶心」
がまったくわかってないんです。
タグ:浄土真宗
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image