信心を貰った年月日時に覚えがなくればならぬ、
とやかましく言うのは間違いです。
それは秘事法門です。
一念の水際をハッキリとかれる正しい仏教の先生を
「あいつは秘事法門だ!」と言った者がありますが、
秘事法門では、信心を頂いた年月日時に
覚えがなければならないと言うからです。
しかし、信心決定すれば、
一念の体験はハッキリしているので、自覚があります。
それがいつかということについては、
仏教では、
「実時」と「仮時」があります。
実時とは、年月日時です。
仮時とは、蜂に刺されたときとか、痛かったときです。
仏教では、実時はいわれず、仮時がいわれます。
ハッキリとした自覚はあるんです。
しかし、その時の時間を覚えておらねばならないということは、
信心決定はハッキリしますが、
必ずしも年月日時を覚えている必要はないのです。
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