浄土真宗の本願寺では、江戸時代に三業惑乱という流血の大事件が起きました。
その結果、たのむ一念にふれてはならないという裁断が出されました。
しかし、浄土真宗の8代目の蓮如上人が
「たのむ一念のところ肝要なり」
といわれています。
「肝要」とは、一番大事ということです。
一番大事といわれる「一念」を説かないので、
本願寺は、要が抜けて、
十劫安心になってしまいました。
振り子は中央にはとまりません。
そのように、正しい信心はなかなか明らかにはできません。
必ずどちらかに動きます。
真ん中に止まって欲しいのに、振り子でいうなら、一番スピードがでているところです。
だからどちらかに傾いてしまいます。
十劫安心が間違いだ!
と後生の一大事を説けば、どうすれば助かるのか、
となって三業で帰命しようします。
三業帰命が間違いだといえば、
すべて阿弥陀如来まかせだ他力本願だと十劫安心になります。
今日、世間の本まで
「後生の一大事」
「信心決定」という言葉を使うようになりました。
世間の本にも「後生の一大事」が出ているといっても
いちがいにいいとは言えません。
いよいよ振り子がこっちに来たということです。
50年前はみんな十劫安心でした。
そんな人達に来る日も来る日も話をしてきました。
そしてようやく動き出しました。
しかしこうなるともう危ない。
三業帰命にきます。
私達は十劫安心と三業帰命の間隙をぬって真実を明らかにせねばなりません。
必ずどちらかに振れますので、
十劫安心も三業帰命も
まずどういうものかをよく知っておくようにしてください。
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