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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2018年08月27日

トルストイ4通りの道

ロシアの文豪トルストイは、

人生の4通りの道を
懺悔』という本に書いています。


ロシア政府は発禁処分にした。
当時のトルストイはどれほどの人気だったか。
NHK「映像の世紀」の第1週にトルストイを待つ民衆が描かれていました。

 

すごいの。
ヒーローなんだね。
SMAPが渋谷に現れたようなものです。
馬車に乗ったトルストイを見て大興奮。
若者のあこがれは当時、小説家。
国民的英雄でした。

 

そのトルストイが突然執筆活動を絶った。
急にモーニング娘。が解散したみたいなものです。

 

何をしてたかといえば、
哲学宗教、文学、あらゆる文献を調べていました。
世界の知能と呼ばれた人間が膨大な書物を調べて、
生きる意味」を探求しました。

 

そして、ない、と言っています。
4通りの道というのは4通りの生き方をしてる人がいるということです。

 

1.無智無識の道
人生の目的なんて考えなくていいと言ってる人。
私には理解できない、と言ってる。

 

2.快楽主義
快楽を追求することを目指した。
当時のトルストイの階級はみんなこれ。
しかし、酒を飲んでも音楽聞いても楽しめなかった、

と言っています。

 

3.自殺の道
彼にはこれが一番素晴らしい道に思えた。
自殺の衝動に何度もかられた。
ナタとかを隠したらしい。

 

4.弱気の道
死ぬに死ねずにただ生きる。
実にうとましい。
しかしこの道しかなかった。

 

晩年になっても「真実知りたい!」と言って

トルストイは家出しています。
そして駅で病死しています。
今その駅は「トルストイ」と呼ばれます。生きる意味はついにわからなかったのでしょう。

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タグ:生きる意味

2018年08月23日

ダイハード

ダイハードUでは、
降りるところのない飛行機の不安がわかります。
しかし、ダイハードTも使えます。

 

「ダイハード」って「不死身」という意味です。
5分に一度生きるか死ぬかの危機がある、そういう振れ込みでした。

 

屋上から逃げ出す。
これは確かダイハードTです。
ただ危機を脱するだけじゃない。
そのたび捨て台詞を吐く。
「おととい来やがれ!」とか。

 

しかしこの映画が面白いのは、最後ビルから出て来て、
ヒロインとキスするから。
もし、途中で死んでそこでエンドロールが出てくる。

それなら映画にならない。

下まで降りたら出口が閉まってた。
これでも映画にならない。

 

助かって助かって、を繰り返して、最後も助からなくちゃ。

 

私達どんな時に「助かった」と言うか。
癌・人質・地震・・・。
生きるか死ぬか、そういう時に言う。
つまり“死ななかった時”に使う。

 

ところが人間は生まれてきた以上、必ず死ななければならない。
ということは、
「助かった」といってはいるものの、本当は
「一時的に助かった」というべきもの。
もっといえば、「助からない状態が先に延びた」と言うべきです。

人生は映画になりません。

最後は助からないからです。必ず死にます。

 

じゃあ必ず死ぬのになぜ生きるのか。生きる意味は何か。

これがなんのために生きるのか

仏教に教えられた生きる意味の問題です。

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タグ:生きる意味

2018年08月21日

阿弥陀仏に救われる前と後の違い

浄土真宗親鸞聖人の教えを正確に、

日本全国津々浦々に伝えられた

蓮如上人はこう教えられています。

 

「うれしさを昔は袖に包みけり、今宵は身にも余りぬるかな」

 

昔は袖に包むような嬉しさしかなかった。

昔というのは、阿弥陀如来に救われる前です。


その「喜び」とはどういうものか。
正雑の分別もなく」とは

自力他力の分別がなく」ということ。
そして念仏さえ称えていれば
助かると思っていた「喜び」だったといわれています。

 

しかし
「今宵は身にも余る」

今宵とは、阿弥陀如来に救われたあとです。


身に余る、限りない喜びの身になった
と言われています。

それが絶対の幸福です。

 

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posted by 陽葵 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年08月19日

家康の遺訓はいい言葉?

徳川家康の遺訓に

「人の一生は重荷を背負って遠き道を行くがごとし」

という言葉があります。

 

遺訓としてこんなことをいったから
「家康も重荷下ろせぬ悲劇人」
という悲劇の歌もあります。

 

これはモノの本によると名言とされています。

「名言集」に載ってます。
悲劇の言葉じゃないんです。

 

「重荷」とは「不安」「不満」「虚しい」「寂しい」「焦り」など、
精神的な苦しみです。

こうした重荷をどこまでいっても下ろせなかった。
死ぬまで苦しい人生だった、と振り返っているんです。

 

これを聞いて、全人類は、家康は重厚な人間だった。
苦労人だった。
あれほどの大人物でもこれだけ苦労したんだ。
「石の上にも三年」的にとらえているんです。
だから世間でこれは「イイ言葉」なんです。

 

じゃ、これは、本当にイイ歌か?
重いんですよ。

 

例えば、学期が終わって明日から夏休みって時、
荷物全部持って帰らないといけないってことになりますよね。

 

計画性のある人は少しずつもって帰るんだけど、
一度に持って帰るのは大変です。

途中で持ち替えることはできません。
一度手を離したらもう収拾不可能です。
画板ってのがあります。

とにかく家まで何とか何とか、同じ格好で歩きます。
そして家に着いたらバーンと手放します。
家がなかったらどうしますか。
悲劇です。

 

人生全体がそんな重荷で終わってしまったら悲劇なのです。

 

ところが仏教には、その重荷を下ろすことのできる

目的地が教えられています。

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2018年08月17日

阿弥陀仏の本願の浄土宗の解釈

親鸞聖人の教えは「現当二益」です。

 

それを明らかに教えて下さったのが体失不体失往生の諍論です。

「真」の浄土仏教と
「仮」の浄土仏教を明らかにされた論争です。

 

浄土真宗の親鸞聖人と

浄土宗の善恵房証空の争いです。

 

善慧房もただのネズミじゃない。
後に一宗一派を開いています。

 

一宗一派を開こうとすると教判しないといけませんので、
それなりの教学力はありました。

また、頭デッカチなだけでは人はついてこない。
京大とか東大にありますね、そういう人。

そこから考えれば、善慧房は人がついてくるような、
魅力のあった人なんです。
法然上人門下で親鸞聖人と両横綱と目されていた人です。

 

この2人が、他のことならともかく、

阿弥陀如来の本願のことでぶつかりました。

 

善慧房も、この阿弥陀如来の本願を間違えてしまったならば
ブッダの一切経は反故になってしまうということは分かっていました。
ですから、聖浄廃立まではできていました。

ところがその弥陀の本願を間違えました。

 

善慧房は阿弥陀如来の本願について体失往生

「死んだら助ける」と言った。
親鸞聖人は不体失往生

「生きている時助ける」と主張されました。
そうした諍論であったのです。

 

善慧房というのは
親鸞聖人当時にこんなのがいたというのでなく、
全人類の右代表です。

 

あなたも阿弥陀如来は死んだら助けてくれる仏と思っていませんか?

そうではなく、今救われるのです。

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posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年08月15日

死後の世界がわからないと生きる意味はわからない

仏教の目的は、生死解脱です。
後生を問題にしない仏教があるはずがないんです。
今生というのは生まれてから死ぬまでです。
後生とは死後の世界です。

 

人生の目的、とは今生何をするか、
何をすれば生きてきてよかったと言えるか、
それが今生の目的であり、生きる意味です。

 

それは、死後を問題にせずに語れません。

今日のことを論ずるに明日を抜きにして考えられるはずがありません。
明日が英語の試験なら、今日は英語の勉強をします。
明日が数学の試験なら、今日は数学の勉強します。
「明日」を考慮に入れずに「今日」は過ごせません。

 

明日の試験が人生を決定する試験、
しかし明日の試験は英語か数学か何が出るかわからない。
そうなったら何をやっていいか分かりません。

 

英語をやってみたら数学したくなります。
数学してても、不安です。
笛の練習もしようか。

 

明日がよく分からないと今日は何をやっても不安なんです。

今日を本当に楽しくしようとしたら明日がハッキリしてないと。

 

だから「今日さえ楽しければいい」
という人は明日がまず間違いなくある、というところに立ってるんです。
今日という日は有限です。
必ず明日になります。

 

死後を問題にせずに今生何をすればいいのか、分かるはずがありません。
後生ハッキリしないということは今何をしたらいいのか、
生きる意味にハッキリしない心と同じなのです。

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タグ:生きる意味

2018年08月13日

幸せになれない原因

私たちは幸せを求めて生きています。

充実した、輝ける日々送りたいと誰もが思い、
安心と満足のいく人生を求めている。

 

だからこれまで無味乾燥で、
ハナつまみものな受験勉強も我慢してやってこれたわけです。

 

 

ここを耐えたら何か幸せが待っている、輝ける日々が用意されている。
そう信じてやまなかったからこそ、ストイックな受験勉強もできるんです。
そうじゃなきゃ誰がやりますか。
「イミニヒキヒキイル・・・」なんて誰が呟きますか。
(古文上一段活用)

ところが実際大学生になって周りを見てみると、
手放しで幸せだっていっている人はいない。

 

逆に五月病になっている人とか、

存在意義(レゾンデートル)が見いだせない人はたくさんいます。


幸せなのではなくて、幸せを求め、模索して、

得られなくて悩んでいます。


NEWS23で、幸福論というのをやっていました。

そこにでていた若者は皆大学生、
もしくは、大学を卒業した人たちでした。

★音楽をやっても、
★絵を描いても
★スポーツしても
幸せの瞬間を切り取ろうとしても、そして、
幸せになりたい者同士、仲間が集まっても幸せになれない。
どうしたら幸せになれるのかわからないからです。


模索しているうちに、一日が終わり、一ヶ月が終わり、一年が終わり、

一生が終わってしまいます。

 

私たちは幸せを探すために生きているのではなく、

幸せになるために生きているんですから。
では、幸せになりたい私が幸せになれない原因は、

どこにあるのか。

 

それは仏教に教えられています。

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2018年08月11日

仏教の話をするときの話し方

もうお盆ですし、仏教の話をする機会があれば、

自己紹介もするかもしれません。

 

自己紹介の時、相手の困る、詰まっちゃうことは聞かない。
はい、いいえで答えられるようなものがいい。
「愛知だったらみそ煮込みうどんとか食べるの?」

笑いを取れ!三人兄弟なら「だんご三兄弟」とかで。

 

さらに、仏教の話をするときは、

発音が大事です。

ハッキリと。
語尾が大事。
語尾を上げる。

 

発音が悪ければ練習も必要です。

 

今の若者はほっといても心の闇に覆われている。
暗いんだから、
明るくいかなくっちゃ!

 

小学校の学芸会のセリフでも、何週間も練習したりします。
ほんと短くっても。
「おいらは暴れん坊」

だけだったよ、俺は。
あなたは月9のフジのドラマのヒーロー、ヒロインよりも輝いているんだから。
だからセリフも多いでしょ!

 

最高無上の法施をさせて頂くのだから当然。
無量光明と言うスポットライトの中で。

 

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posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践

2018年08月10日

どう生きるかより、なぜ生きるかの方が大事?なぜ?

どう生きるかより、なぜ生きるかの方が大事?なぜ?

それは生きる意味より生き方が大事だということです。

 

 

100%堕つることが分っている飛行機に乗る者は誰もいないでしょう。 
ところが、生れた時に全人類は、

100%墜落する飛行機に乗り込むのです。 

 

人生の最後はみんな必ず死んで行くということです。

生まれた瞬間から、いつ死ぬかわかりません。

 

しかるに古今東西の人類は"どう飛ぶか"

しか考えることができないでいます。 
一大事とはこの事です。 

 

 

つまり、どう生きるかより、なぜ生きるかの方が大事?なぜ?
そういう考え自体、一大事です。

100%堕ちる飛行機に乗る人はいないのですが、

もう乗っているのです。

 

じゃあ、どうすればこの一大事が解決できるのかというと、

このことはほとんど誰にも知られていないのですが、

なんと、仏教にその答えが教えられています。

 

もうお盆の時期ですが、葬式法事ではなく、

生きる意味を教えられたのが仏教です。

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タグ:生きる意味

2018年08月08日

君たちはどう生きるかよりも大事なこと

君たちはどう生きるかという本がベストセラーで、

ジブリの映画にもなりますが、

どう生きるかよりなぜ生きるかはもっと大事です。

 

どう生きるかより、なぜ生きるかの方が大事なのは、なぜでしょうか。
なぜ生きるかということは生きる意味ということです。

どう生きるかは、生き方です。


まずそもそも人生がどんなものかかんがえてみましょう。

「娘が嫁と花咲いて嬶としぼんで婆と散りゆく」
一休は歌っています。

 

私たちの一生は、最後、
死と言う破滅に向かいます。


必ず死ぬ人生、なぜ生きるか。

生きる意味の疑問が出てきます。

これがわからないと、どんな生き方をしても、

生きる意味がなくなります。

 

人生の極めつけは、ノミも恐れる、
のがれたいいっぱいの死へ、
近づいていることです。

 

門松は、冥土の旅の一里塚。

人生を断片的に切り取ってみたら、確かに楽しい一ページもあるが、
人生をありのままに見てみたとき、どうしようもない破滅のときに、
一方通行で向かっています。

なぜそれなのに、生きるのか。

 

この生きる意味こそがどう生きるかよりはるかに大事なのです。

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タグ:生きる意味