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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2018年10月06日

本当の親孝行の方法

親孝行をするにはどうすればいいのでしょうか。

 

そもそも親孝行といっても、

みんなあまり関心有りません。

 

近くで親孝行好きな人いますか?
親孝行という言葉を言ってるだけでも賞状ものです。

 

ごくまれに親孝行をしている人の中には、
おいしい食事をごちそうしたり、

いい住まいを用意したり、

色々しています。

 

しかし、それらは、一時的な幸せです。

変わらない幸せが教えられているのは、仏教ですから、

仏教をお伝えしなければ本当の親孝行にはならないのです。


仏教をお伝えする事が親孝行なんですが、
なぜか親孝行しようとするとバトルになってしまいます。

 

親は孝行されたい一杯で、

子供は孝行したい一杯でも
なぜか親子ゲンカになる!

なぜか?

 

それはたいてい、日本人は宗教偏見が強いからでしょう。

 

日本は仏教国なのに、

なぜか仏教を反対されるということがあります。

 

親は非常に大事な人なので、

どんな反対をされるのか、
対策をちゃんと考えておいたほうがいいでしょう。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年10月04日

生きる努力の根底にある生きる意味

「“なぜ、人間の命は地球より思いのか”
“なぜ、人間に生まれてきたことを喜ばねばならないのか”
“なぜ、親孝行しなければならぬのか”
ハッキリ答えられる人がいるだろうか。
苦しみにあえぐ人は、こんなに苦しいなら死んだ方がましだと自殺したり、
“なぜ私を産んだ”と親をうらんでいます。
“誰のお陰で大きくなった”と反論するのが精一杯です。
“それじゃ産まなきゃよかったのだ”で完敗です。
生きる意味は分かりません。これは倫理や道徳では答えられません。
根っこのない浮草です。
ヒューマニズムも薄っぺらいものでせす。
ブッダ親鸞聖人のみ教えにしか、明らかに根拠はないのだ」

 

なぜ親孝行をしないといけないのか?

に答えを持たないのが全人類の姿です。
倫理や道徳ではもう答えることはできません。
根拠を持っていません。

 

なぜそんなにまで感謝しないといけないのか?

人間に生まれてきて良かった!!
という心がないと親に感謝する事もできません。

そのその生きる目的が何なのか?

苦しい人生なぜ生きるのか?

どうしてそんなにまでして生きていかないといけないのか?

自殺して行く人は体で親孝行を否定している人です。
親をうらみ呪ってばかりです。
こんなに苦しいのにどうして生んだんだ!!!

感謝などとてもできません。

 

なんのために生きるのか

という本当の生きる意味を明らかにすることが

生きるすべての努力の根底にあります。

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タグ:生きる意味

2018年10月02日

葬式で24回殺された

仏教で言葉で殺すことを語殺といいます。

語殺で思い出すのが24回殺されたという話があります。

 

丹波のあるお婆さん。丹波とは兵庫県の東のほうです。
100才を超えたお婆さんですが、ある人が聞きに行きました。
「100年間以上も生きられたんだから、さぞ思いでもあったことでしょう」

と聞いたところ、

「いやあも何もかも忘れてしまいました」

とこういった。

 

「いやそう言うこと仰有らずに何かありませんでしたか」

とこうお願いしたところ、

「どうしてもいわれるなら、いいましょう。

私は24回殺されたことだけはもう忘れられません。
他のことは忘れてもこれだけは忘れられません」

と、そのお婆さんはいったそうですね。

 

今生きている人がどうして24回も殺されたというのか。
いいますとこのお婆さん120才まで長生きしましたけれども、

老少不定と言われますように、

自分より先に、子供が死に、孫が死に、曾孫も死んでいった。

そこでその度に家から葬式を出した。
24回葬式を出した。
葬式の度に参列した人がいうんですね。
「あのお婆さんと代わっておれば良かったのに」
というそうです。

孫なんかは直接自分にいってくる。
それを聞いたときにもう殺された思いがした。
ことばで殺された。

 

「これだけはもう私は忘れることができません」

私たちが何気なしに言っている言葉が

いかに多くの人を傷付けることがあるか、

私たちはよくよく反省しなければなりません。
お互い気を付けていかねばなりませんね。

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posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年09月30日

仏教で悪口は?

仏教悪口についてどのように教えられているのでしょうか?

それは、私たちが造る悪を10にまとめられたうちの1つです。


これ私達の得意とする口業なんですね。
悪口、これ大好きなんですね。
昔からこう言われます。

私たちは自分のことを言うときは自慢話です。
人のことを言うときは悪口と言われます。

 

自分のことを言うときは、けなしていても自慢話を言うんです。

自分のことをいわしたらもう、自分をね、

謙遜しながら自慢しているんです。

 

人のことを言うときは褒めているように見えても実際は悪口が多いんですね。

自分のことを言うときは自慢話人のことを言うときは悪口、これが私たちです。
だから普段おとなしい人でも、これいわしたら、もうすごいよ。

舌が躍ります。

 

仏法いわさせたら僕は何も言えませんと無口な人でもね、
悪口いわせたら一晩中でも徹夜してでも悪口言う人があります。

 

これは天に吐く唾です。

口は禍の元、よくよく私たちは気を付けなければなりません。
この悪口を言うのも、人の不幸を喜んだりする愚痴の心、
欲望怒り愚痴の心から悪口となります。

 

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年09月28日

なぜ親鸞聖人は罪に大小ないと言われたのか

親鸞聖人には、罪に大小ないと仰有ったお言葉があります。

 

口伝鈔に

もとより罪体の凡夫大小を論ぜず、三業みな罪にあらずということなし

と教えられています。

 

私たちを「罪体の凡夫」と言われます。
罪に非ず、ということなしとおっしゃっておられます。
己の本当の姿が照らし抜かれますと、

もとより私達は罪の体、
の作りづくめの凡夫だと知らされます

 

三業皆罪でないものはない。
の作りづくめが私であるとおっしゃっています。
この疑問は当然なんですね。

 

これを分かっていただくためには

あるイタリアの童話が分かりやすいと思います。

 

 

イタリアの童話にこんな話があります。
あるところに暗い真っ暗闇の中で、ろうそくが現れました。
ろうそくがこの世で私ほど明るいものはないと自慢しました。

 

するとそこへひょろりとランプが現れました。
何を言うか、私の方が明るいんだぞ
こう言いました。

 

確かにろうそくよりはランプの方が明るいです。
ところへそこへ更に電気が現れました。
私の方がもっと明るいぞ。
こう言ったところ、ランプも何も言えなくなりました。

 

闇に比べたらろうそくは明るい。
しかし、ろうそくよりもランプの方が明るい。
ランプよりも電気の方がもっと明るいです。

これを相対といいます。

比較しますと確かにこういう順番がつきます。

 

ところがこのあと、東の空から物凄い明るいものが現れました。

太陽が現れますと、たちまちろうそくもランプも電気もみんなまっくらになります。
自慢話はたえたといいますね。

 

太陽は絶対をたとえています。
絶対の光。
太陽の光が出るまでは

ろうそくよりもランプ、ランプよりも電気が明るいですけれど、

ひとたび太陽が出たらみんな真っ暗です。
こう言えますね。
ちょうどこれと同じなんです。

 

太陽という光が出るまで、ということは

己の絶対悪が知らされる、機の深信です。

機の深信とは本当の己の姿です。

 

それが知らされるまではこういう順番で教えられ、

またこれが正しいですね。

しかしこの心の闇が晴れて己の本当の姿が知らされたらみんな同じだと。
十方衆生一人残らず逆謗の屍。
差はありません。

 

阿弥陀如来の絶対の光明に照らし抜かれますと、
みんな同じ極悪人であることが知らされます。

 

これで言えばみんな真っ暗です。
人間には差があるように思いますが、それは自分の本当の姿を知らない。

ひとたび自分の本当の姿が照らし出されたら、みんな同じです。
罪に大小ない、日々みんな

心常念

口常言

身常行

曽無一

です。
これが古今東西すべての人の姿であることが、

阿弥陀如来の絶対の光明に照らし抜かれますと、

知らされます。

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posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年09月26日

欲望と怒りと愚痴で行く世界とは?

欲望怒り愚痴の3つを三毒といわれます。


欲望は、餓鬼道に堕ちると言われる。
餓鬼は、おなかだけがぷっくら
ふくれて、がりがりでしょ。
餓鬼という苦しみ、食べたくても食べられない、
飲みたくても飲めない苦しみを受けるのは欲望

ああいう苦しみを受けると言われます。

 

そして怒りの心で地獄に堕ちます。
こうも言われますね。

 

そして愚痴畜生界に生まれる種蒔き。
畜生は醜いでしょ。
ああいう見にくい姿に生まれるのは、

愚痴の心で、人の幸せを妬む、そねむ、これ醜い心ですから、

醜い姿の畜生に生まれます。

 

私たちが日々念々に思っていることは、欲望怒り愚痴

 

絶対の幸福になった瞬間、

この三毒の煩悩が逆巻いているのが私たちであることが

ハッキリと照らし出されます。

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posted by 陽葵 at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年09月24日

人間の身口意の三業の実相

仏教で、人間の身口意の三業の実相を説かれた
大無量寿経』の仏語がこれです。

 

心常念 (心常にを念じ)
口常言 (口常にを言い)
身常行 (身常にを行じ)
曽無一 (曽て一無し)

 

人間の身口意の三業、私たちの

体ではどういうことをやっているか。
口ではどういうことを言っているか。
心ではどういうことを思っているか。

 

身口意の三業で私たちは
何を言い、何を思い、なにをやっているか。
その実相とは真実のすがたです。

 

真実の自己とは漢字16字で

ブッダはこうおっしゃっています。

 

これは古今東西のすべての人の姿である

とおっしゃっているのです。

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posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年09月22日

謙虚さを自惚れる卑下慢

仏教に、卑下慢という自惚れが教えられています。

 

これは自分を卑下して自惚れることです。
卑下とは、卑はいやしめる、下げるですね。
「私ほど悪い人間はない、毎日欲望怒り愚痴の生活です。

 私ほどお粗末な人間はない」

といって自惚れます。

 

どうだ、これほど真面目に自分を見つめて反省しているものはないだろう。
私は凄いだろ。
謙虚だろ。
私は真面目に自分を見つめているんだぞ。
どうだ、と口では言わないが自分を卑下して自惚れます。

 

しかし心底から思っていない証拠に、もしあなたが仮に

私ほど悪い人間はないと言ったときに、

友達から、

「そうだそうだ、お前の言うとおりだ。
 言いたかないけど、言いにくいけど、

 お前ほど、どうにもならん人間はない」
と言われたら、かちんとくるよ。

 

「お前、人のこと言えるのか」

と食いつきたくなります。

本当に心から自分ほど極悪人と思っていたら、

いくら言われてもそんな言葉は出てこないはず。
心底思っていないんです。

 

こんな話があります。
あるおばあちゃんが、仏教講座で話を聞いた、

阿弥陀如来の本願は悪人正機
極悪人を救うのが阿弥陀如来の本願だと聞いて、

そのおばあちゃん、

おっしゃるとおり、講師さん、

私ほど極悪人はありませんねといった。

 

するとその講師は、
「そうか、実は婆さんの言うとおり確かに聞くところによれば、

あんたほど極悪人はないと聞いている」
こう婆さんに言った。

 

お婆さんびっくりした、

『どこのどいつが言ってるんですか、

そんな極悪人と誰がいっているんですか、

言ってください』

と凄い剣幕で迫ってくる。

するとその布教使は、

『冗談だよ、うそだよ、あんたほど良くできた、

ばあさんはいないといっていたよ』

するとお婆さんは

『ああそうなんですか、そんな驚かさないでくださいよ、全く』
と言ったそうですね。
全然、悪いと思っていないんですね。
悪人正機、私ほどの極悪人はないと思っていたが、

あんたほど極悪人はないと言われたら

『何っ!』と腹を立てる。

これが私たちなんです。

 

卑下慢です。

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タグ:悪人正機
posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年09月20日

自惚れ

私たちは、自惚れによって、自分で自分を見ようとしても、

もう自分の姿は正しく見ることができない。

 

仏教で慢といわれます。

 

特に、自分より劣った者、
下の者に対して俺の方がいいんだとこう自惚れます。

これは判りますね。

 

自分の方が能力、才能、自分の方が優れている、だから人を見下す。
社長が社員に対してこんなことさえできんのかと叱りつけます。

 

あるいは先輩が後輩に対してお前こんなこともわからんのかと見下したりします。

これ分からんでもありません。

 

しかしこれよくないのは仮に能力の差が3だとした場合。
それを3しかあいていないのに4も5も6もあると思います。

 

そして、人を見下げて、
人を踏みつけてしまう心です。
それでを作ってしまいます。

 

私たち気をつけなければなりません。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年09月18日

ブッダの教える5つの欲望とは?

欲望には色々な欲望がありますが、
ブッダはあなたにわかりやすいように
以下の5つに分けて教えて下されています。

 

食欲
財欲
色欲
名誉欲
睡眠欲

 

食欲これは食べたい欲、飲みたい欲。
食べる楽しみ飲む楽しみです。

 

財欲これはお金が欲しいという欲。
言葉を変えるとお金を貯める楽しみ。
若い人はあまりないと思いますが、

これがたまってくると面白くなってきます。
貯める楽しみ

 

色欲これは男女の欲。
男女の楽しみ。
男性は女性を求め、女性は男性を求める、

特に若いときはこれが非常に強い。

 

色欲は15日間断食すればなくなるそうです。
挑戦してみますか?

 

悩んでいる人は挑戦しても良いかもわからないけど、

死ぬかもわかりませんね。

 

名誉欲とは名誉が得たい、人から褒められたい、格好良い、

すてきだ、美人だ、綺麗だと言われた意欲。

褒められたい欲ですね。
社長だ、会長だと言われたい。

 

最後は睡眠欲。
楽がしたい眠たい。

 

このように、ブッダは、私たちの楽しみを

5つに分けて教えています。

 

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪