仏教の目的は、生死解脱です。
後生を問題にしない仏教があるはずがないんです。
今生というのは生まれてから死ぬまでです。
後生とは死後の世界です。
人生の目的、とは今生何をするか、
何をすれば生きてきてよかったと言えるか、
それが今生の目的であり、生きる意味です。
それは、死後を問題にせずに語れません。
今日のことを論ずるに明日を抜きにして考えられるはずがありません。
明日が英語の試験なら、今日は英語の勉強をします。
明日が数学の試験なら、今日は数学の勉強します。
「明日」を考慮に入れずに「今日」は過ごせません。
明日の試験が人生を決定する試験、
しかし明日の試験は英語か数学か何が出るかわからない。
そうなったら何をやっていいか分かりません。
英語をやってみたら数学したくなります。
数学してても、不安です。
笛の練習もしようか。
明日がよく分からないと今日は何をやっても不安なんです。
今日を本当に楽しくしようとしたら明日がハッキリしてないと。
だから「今日さえ楽しければいい」
という人は明日がまず間違いなくある、というところに立ってるんです。
今日という日は有限です。
必ず明日になります。
死後を問題にせずに今生何をすればいいのか、分かるはずがありません。
後生ハッキリしないということは今何をしたらいいのか、
生きる意味にハッキリしない心と同じなのです。
タグ:生きる意味
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