2019年03月06日

ノーブレス・オブリージュ

どこの学校でも成績優秀者の表彰が行われているだろうが、私の学校でもそうした学期毎の成績優秀者を表彰するシステムがある。『優等賞』という。

この『優等賞』となると、奨学金が与えられ、学期の学費相当額が免除になるというシステムだ。私立学校ならではことだろうが、もちろん奨学金のもとになる原資あってのことだ。

保護者にとってもありがたいシステムであろうが、生徒もトップを狙うべく、日頃の精進に励むわけだ。

それはそれで、大変素晴らしい。人並み以上の努力が必要だろうし、好きなことを抑えたりするなど、多くの代償もあるだろう。その中で精進したという名誉としてのこの『優等賞』という意味もある。

ただ、この賞にはもう一つの意味がある。
それが、『ノーブレス・オブリージュ(高貴なる義務を果たす)』ということである。

成績優秀者は、当然、相応の努力をしているが、実は自分一人の力によって成し遂げられたものではないのだ。

直接間接にかかわらず、多くの人の支えによって、「今」がある。
そうした、支えによって、『優等賞』を取ることができたのだ。
だから、「これを境に、今度は人のために動ける人間にならなくてはいけない」、という訳だ。

「ある意味、自己実現はできた。今度は、その経験を使って、次は他の人のためになる行動をせよ。そうした思いで、この先を学校生活をせよ。」
という思想である。

「自分が成績優秀だったのだ。自分の力で『優等賞』を取ったのだ。」
という考えを捨て、
「多くの人のおかげで賞をいただき、この先はその恩返しをしなくてはいけないのだ。」
と、マインドを変えさせるのである。

自己中の人は嫌われる。
他の人の感謝の心が薄い人は嫉妬される。

そうではなく、「奉仕の精神、騎士道精神で高貴なる義務果たせ」、と教え諭し、実践を促すのである。

「さぁ、これで与える側の立場のスタート地点に立ったね。」
そう、生徒を励ます。

こうした視点を忘れてしまうと、「自分が、自分が…」、という思いが天狗の心を作る。
はたまた、成績優秀であるが故に、他の人を見下すゆがんだ性格を作る。

「今度は、あなたの知識や経験、勉強のコツやノウハウを惜しみなく、他の人に教えてあげよう。」
「困っている人がいたら、助けてあげよう。」
「努力する姿勢を、背中で語ろう。」
「今の立場は、たくさんの人のおかげであることを自覚して、謙虚になろう。そして、さらに努力しよう。」

そう、生徒に伝えるのである。

私は、こうした視点がなければ、成績優秀者を表彰する意味はないのではないか、とすら思う。



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2018年11月17日

タブレットの導入

学校のITC化が急速に進んでいる。
私の学校では、10年前に全教室にパソコンと教材提示装置、天井吊り下げのプロジェクターを設置したが、今では決して珍しくはない。
近隣の学校でも、同じような環境が整っている。

最近は、一人ひとりにタブレットを配って、それで授業をしている学校もあるそうだ。
ただ、果たしてどうだろう。効果はあるのだろうか。
生徒は、最初は面白がって使うだろうが、だんだん飽きてこないだろうか。
あるいは、別の操作をして、遊んでいるとことは、ないのだろうか。
本ではなく、タブレットを読ませて良いのだろうか。

「授業中、飽きた生徒は動画を見てますよ。」
なんて、話も以前聞いたことがある。

コンピューター教室の一斉授業のシステムならば、ネットを一斉に切断したり、キーボードにロックをかけたり、と結構細かな芸当ができるのだが、タブレットはどうなんだろう。
そのまま一人ひとりに貸し出し、自宅にも持って帰れるとしたら…。

何だか考えているだけで、恐ろしくなってきた。
コンピュータはOSのもと、ソフトウエアが動いている。
たいてい、そういうソフトにはバグだの、セキュリティホールがある。
だから、半永久的にソフトを更新し続けないといけないのだが…。

もう一点は、
「タブレットがそのまま教科書になって、そのタブレットを読むことになるのだろうか。」
という不安だ。若い先生には、こういう不安はもはやないのかも知れないが、
「えっ、本に書かれた活字を読ませなくていいの?」
と、老害と呼ばれかけている私は、心配で心配でしょうがないのだ。

日本国民(?)の読書離れが言われてずいぶん経つ。
『一億総白痴化』などとも言われても、時代はますます活字離れの様相だ。

「タブレットで活字を読めばいいのだ。」
と、仰る方もいるだろうが、やはり私は、
「線を引いたり、付箋を貼ったり、書き込んだりしながら、勉強するものじゃ、ないのか?」
と、思ってしまう。

事実、大切な本は、今でも私はそのように読んでいる。
付箋も色や形を変えて、分野毎に、つける位置も変えるし、ダーマトグラフも色分けするし、時に蛍光マーカーだって使う。

「こんなのが、タブレットで再現できるのかあ?」
と、杞憂するが、きっと、同じ程度の機能はあるのだろう。

IT機器はまだまだ進化する。
今使える、便利なものはどんどん導入していくのもいい。

ただし、まだ発展途上で、それによって失われていく能力があると思われる部分については、慎重な導入が望まれる。

企業は、収益のために猛烈にプッシュしてくるだろうが、利権に惑わされることなく、詳しい人がきちんと精査、判断して欲しいと思う。

新しいものを導入する時は、いつの時代も同じなのかな…。








2018年11月02日

失敗は失敗ではない

最近読んだ書籍に、
『できない言い訳をパーッと並べる能力や、自分がそれをしなかった理由を並べる能力、上司がこういう風にしようと提言していることがいかに理不尽で成功しないかだけをサーッと並べる能力が、今の日本の生産性の停滞を生んでいる。』
とあった。

頭のいい中央官僚は、こんな感じで、『できない理由』を並べるのだろう。

著者は、
『だから、反対が多い案件は、必ず実行するようにしている。』
と、述べていた。

誰もが反対するようなことは、逆に『できる方法』を見つければ、他に誰もやっていない中で、唯一成功させることができて、他への優位性を築けると言う。

ビジネスの世界では、このようにして新たなアイデアにより成功している人が多いのだろう。

旧態依然を旨とする学校教育の現場では、なかなか新しいことにチャレンジすることが難しい。
前例主義がはびこり、また管理職の「失敗を恐れる」考え方で、ボトムアップ提案での新企画は、ほぼ不可能だろうと思う。

時代の流れの中で、『変えていいもの』と『変えてはいけないもの』があるが、学校では、「すべてが変えてはいけないもの」として扱われるようにも見える。

長らく日本の教育は、ある程度の成功を収めてきた。
だからこそ、『変わる』ことへの恐怖があるのかも知れない。

今の時代、『進化し続けない組織は崩壊する』、という。

チャレンジは進化のためのきっかけだが、何もしなければ進化はできない。

変わった方がいいと思うことは、どんどん議論すればよいだろう。
好き、嫌いではなく、善、悪の観点を鑑み、「どちらの方法が、よりよい結果をもたらすか」を、実験しても良い。

その意味での実験校や、イノベーションし続けている一部の私立学校の存在は面白い。

そこに組み込まれた教員は、激しく自己変革を求められるだろうが、あえてそれを希望する者を募ってもいいだろう。

ただ一つ気をつけなければいけないことがある。

それは、いずれの方法でも、生徒を教育すると言う面での『失敗』をしてはいけないことだ。
たとえ思うような効果を上げられなかったとしても、それを『失敗』と捉えてはいけないと思う。
それは、『失敗』ではなく、『成功』のための一つの経験として、さらに工夫と修正を加え、進化させなければならないのだ。

エジソンは、
『失敗とは、あきらめたときにどれくらい成功に近づいていたかを認識しなかった人々のことである。』と言っている。
(Many of life's failures are people who did not realize how close they were to success when they gave up.)

生徒は実験のモルモットではない。

頭の良い官僚たちは、机上の空論で物ごとを考える。
だから、文科省主導の教育改革はことごとくうまくいかないのだ。

源喜の一粒

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TANP

2018年10月26日

旅行業者に頼みたいけれど…

私の学校では、海外に行く時以外は、基本、旅行の手配を先生たちが行う。
つまり、旅行業者には様々な手配を頼まないのである。
そうしたカルチャーなので、確かに費用は多少(?)安くはなるが、その分その労力かなり大きい。

今回の遠足では、ベテランの先生に手配をお願いしたが、何度も何度も見学施設に連絡をして調整をしていただいた。食事のメニューから手配、アレルギー対応まで、なんだか旅行業者と同じくらいの仕事量だ。

当然、行程の中で、時刻の早まりや遅れも生じる訳で、その修正から、次の見学地への連絡はもちろん、臨機応変の対応。もちろん、入館料の支払いやら、事後処理やら、後日振り込みなどなど。
「ここまで教員にさせていいのだろうか…。」
とさえ思う。

遠足の予算は5000円。
「できるだけ、この予算内に抑えてくれ!」
と、事務長は言うのだが、数年前に貸し切りバスの最低料金が国によって決められて以降、バス代は大幅に値上がりした。
今回の遠足でも一人当たりのバス代は高速料金を加えると3500円を超える。そこに昼食代と入館料などを合わせて、ゆうに6000円を超えている。これでも、先生たちの昼食代は、生徒を指導しながら食べていても自腹である。

確かにこの金額に高くても数百円くらいだろうが、旅行者への費用がかかるなら、先生自身で、すべての手配をする方がいいのかも知れないが、それにしても負担は大きいと思うのだ。

海外への研修旅行が中3と高1で行われているので、大手旅行社との接点はある。
ただ、費用を限りなく低く抑えさせているので、旅行者にも大して利益をもたらしていないに違いない。

そんな中で、
「遠足も頼むよ…」
とは、言いにくい。

以前は、前任校やその前の学校から、旅行会社に電話一本でお願いできる知り合いの学校専門の担当者がいたが、今はもう疎遠になってしまった。

「旅行者に頼みたいんですが…。」
と、尋ねれば、
「いいですよ。予算内だったら…。」
と、言われるに決まっている。

どれだけの仕事量と、心労と、引率時の煩雑さがあるかを、全く理解していないのだ。
引率の生徒指導をしたことがないのだから、分からないのも当然だが、何とか説得したいな、と思う。

これだけの手配ができる先生は、私の学校には、ほんの何人かしかいないのだから…。












2018年10月21日

カメラの連写機能でピッチングフォームを撮る

久しぶりの野球の練習。
「いやぁ、一週間ぶりにボール投げた。」
などど、恐るべきことを言いながら、キャッチボールをしている。
駅伝に向けて、一切、野球の練習はしなかったので、確かに一週間ぶりの野球になる。
感覚を取り戻すのに、少し時間はかかるが、幸い次の試合まではまだ間がある。

そこで今日は、ピッチングフォームの写真を撮ることにした。
昔ならば、ビデオで録画したものをPCで取り込み、編集ソフトや自作ソフトで、一つひとつコマを取り出す。通常のビデオは一秒間に29.97コマに分解できるので、このコマの中で象徴的な静止画を取り出すことで、いわゆる分解写真のもとが取れる。それを位置をずらしながら重ね合わせば、分解写真ができる。
今は、こんな面倒なことはしない。
私の場合は、カメラの連写機能で一秒間に6コマ撮れるので、ピッチングやバッティングならば、うまくタイミングを合わせることができれば、十分特徴的なコマを撮影することができるのだ。
それを、すぐに生徒に見せて、自分でフォームを修正させる。

「あれ、こんな投げ方だったんだ。」
と思って、修正しようという気持ちになれば成功。

普段から、注意されている部分も、証拠写真として見せることができるから、
「やば、こんな感じなんだ。」
と、思ってくれてもOKである。

ポイントはいくつもあるが、直していくのはまずは一つでいい。
いろいろ言い過ぎると、生徒は頭がごちゃごちゃになってしまうし、あれもこれも直そうとして、フォームがめちゃくちゃになることもあるからだ。

象徴的なコマの写真を印刷して、掲示したり、本人に渡したりもする。
また、綺麗なフォームの(他校の選手)の写真と比べさせてもよし。

今の時代、さっと見せられるのがいい。
カメラの液晶では小さいけど、それでもすぐに見られるのはありがたい。
ビデオの動画のままだと、欲しいシーンで一時停止するのが難しいから、この連写機能は大変重宝する。
動きのあるスポーツのフォーム修正のための撮影には、便利な機能だ。

「先生、さっきの写真印刷してくれませんか。」
と、言いに来たら本人が自覚し、すぐにでも修正しようと思っている証拠。

今のところ、声がかかっていないのだが…。























2018年10月15日

「恥ずかしい」のは、その点数か

「試験の答案は、君たちの作品です。『この答案から、何を読み取るか』は、人それぞれだろうけれど、失敗には必ずその原因がある。必ず失敗を活かし、同じ失敗を繰り返さないこと。」

「第一に、答案は作品なのだから、自分の努力の成果であって、結果は甘んじて受け入れるという気持ちが大切である。第二に、試験結果から感じた反省を次に活かすこと。そして、自分の弱い怠け心と戦うこと。」

私は試験を返却するとき、毎回こんな話をする。

また、
「点数を隠すな。自分の作品なのだから、受け止めよ。恥ずかしいと思うなら、恥ずかしい点数を取るな。」
とも言う。

だから、点数の書かれた答案の端を三角に折り曲げることも許さない。
「隠すような点数を取るな…。」
という具合である。

多少強引だが、習熟度クラスの一番上ということもあり、結構シビアに指導している。

だが、恥ずかしいのは、本当は点数ではないのではないだろうか。
点数は結果である。その点数を取るには、その原因がある。
本当に恥ずかしいのは、その原因の部分ではないか、と思うのだ。

「授業中、聞いていいなかったのが、恥ずかしい。」
「課題を真剣に取り組まなかったのが、恥ずかしい。」
「分からない部分をそのままにして試験を受けたのが、恥ずかしい。」
「試験対策の準備をさぼったのが、恥ずかしい。」
「怠けて勉強しなかったことが、恥ずかしい。」
「良くない結果になると分かっていながら、試験当日を迎えてしまったことが、恥ずかしい。」

試験の点数は、その象徴であって、点数そのものよりも、その点数によって、自分自身の内面が覗かれてしまう、ということに恥ずかしさを感じるのだと思う。

だから、
「中間テストの結果が悪かったから、期末は頑張ろう。」
というスタイルでは、分析としても、この先の目標としても、甘いということになる。

『悪かった部分、できなかった部分、十分でなかった部分はこれとこれ。だから、その部分を直していくために、こんな風に生活スタイルや勉強方法を変えてみる。』

ということを、具体的に明示できてこそ、『同じ失敗を繰り返さない』ということであり、『教訓を活かす』ということであろう。

中高時代は、そうやって、自分なりの勉強スタイルを確立させていく時期だ。

テストの点数に一喜一憂させるのではなく、その本質の部分を見つめさせたい。
posted by 丹澤三郎 at 18:28 | Comment(0) | 教育活動

2018年09月30日

部活の卒業アルバム

私は部活動の様子を、けっこうこまめに写真に記録している。
中学一年生で、入学したての小さく、初々しい幼顔が、中学三年の最後の夏の大会の頃になると、身体も大きくなり、日焼けした精悍な顔立ちで、堂々とプレーする。

こうして撮りためた写真を、卒業時にアルバムにしてプレゼントする。
言って見れば、『部活の卒業アルバム』だ。

最近は、格安で簡易アルバムが作る方法がいろいろある。

試合の動画を編集して、DVDにしてもよいが、動画の編集はかなりの時間がかかる。
私も、写真をズームしたり、パンしながら、動画のようにして、クラスや学年でDVDを作ることもあるが、一番手間がかからず、さっと作れるのが、『フォトアルバム』だ。

先輩たちとの思い出、
負けて悔しかった試合、
ひたすら練習したあの暑い日、
みんなで一日中やり続けたグランドの雪かき、
そして大会、

などなど、三年間の間には、たくさんの思い出に残る出来事があるだろう。
それを、できるだけ写真に残しておく。

実際には、使用する写真をWEB上にアップデートして、あとはレイアウトするだけ。
簡単に部活アルバムが作れるのだ。

私は、フォトブック作成サービス cocoal(ココアル)という商品を使っている。
少しお高いが、私製品とは思えないような、立派な『部活の卒業アルバム』が作れる。
時々、半額サービスもやっているので、その時期を狙って制作するのもよいと思う。
しばらくは、WEB上に作ったアルバムを保存しておけるので、セールになった時に発注するといい。

Just MyShop(ジャストシステム)

経費をどこから捻出するか、という問題もあるだろうが、絶対に教員でしか撮れない写真が満載となるので、保護者からは絶対に喜ばれるプレゼントになるはずだ。
私の場合、これまでのご迷惑への謝罪と、生徒を預けて下さったことへの感謝だ。

一度お試しあれ。
posted by 丹澤三郎 at 09:21 | Comment(0) | 教育活動

校長先生のお言葉

新人戦を運営していると、各校から校長先生が訪れる。

選手たちを励まし、応援するのだ。大会の雰囲気を少しでも生で感じようと、見ておきたいという気持ちもあるだろう。
たいてい各部とも日程は重なっているから、各校の校長先生は、大会スケジュールを見ながら、各会場をはしごする。

生徒たちも、校長先生が応援に来てくれるのは、普段と違う自分たちの姿を見てもらえる嬉しさと共に、「自分たちが学校を代表して戦っているのだ。」という自覚を促す意味でもよい。
ほんのちょっとした一声で、生徒たちは励みになるし、「もっと頑張ろう。」という気持ちになる。

もう一つの効果は、顧問の先生へのねぎらいである。

部活動はそんなに楽な仕事ではない。
仕事だと思えば、ほとんどボランティアだと苦しくなる。
「生徒たちの笑顔と成長、そして彼らの感動と喜びのために」、という思いが、部活を指導する側のモチベーションになる。さらには、校長の理解と協力、そしてねぎらいの言葉である。

昨日の大会は、途中から雨となったので、ある学校の校長先生を屋根のある所へ促した。すると、
「いやいや、運営していただいている先生の方が大変なんだから、先生がそちらへ入って下さい。」
と、私を押し戻した。

部活指導も大変だが、大会運営はもっと大変だ。
失敗は許されないし、大勢の保護者との対応もある。その中で、生徒がらみのいろいろな事案も起こる。
それを、さりげなく励まし、感謝の言葉でねぎらってくれるのが、実は校長の一言だったりする訳だ。

「自分の若いときは、あんなに動けなかったな。今の先生たちはすごい。さすがです。」

「すばらしい大会運営で、本当にありがたいです。これからも私のできることは何でもしますから、遠慮なく、何でも言って下さい。」

「本当にお疲れ様です。今夜はゆっくり休んで下さい。」

何気ない言葉の奥に、愛の思いがこもっていると、
「また、頑張ろう。」
という気持ちが再び湧いてくる。

一方で、私の学校の校長は、地区大会に顔を出したことは一度もない。
posted by 丹澤三郎 at 09:03 | Comment(0) | 教育活動

2018年09月29日

負け審

台風の影響で雨が心配された新人戦二日目。
私のチームは、昨日敗退しているのだが、そのチームの監督(顧問)は、翌日の試合の審判をしなければいけないことになっている。いわゆる「負け審」である。

という訳で、今日も朝から球場に赴く。
この地区の中学野球の試合開始は通常は8時半だが、今朝は、雨の心配があり、早めに始めようとのことで、8時から試合が開始された。つまり、その5分まえには、選手が整列することになり、アップだの、グランド作りがあるので、第1試合のチームは6時半頃には会場に着いている。今朝の我々審判部隊の集合時間は7時であった。

野球は、一回の試合に、4人の先生が審判に入るという、贅沢なスポーツだ。
7イニングまでだが、試合時間も通常は一時間半ほどかかる。

この審判にしても、野球経験の少ない先生が顧問になると、とても大変だ。そういう人でも、審判を経験することになるからだ。

もちろん、審判方法を習得させる指導者講習会なるものもあるのだが、それだけでできるようになるものではないので、日頃の練習試合などを通して、研鑽を積むしかない。

気合いの入った公式戦、両校の保護者が興奮して応援しているなかで、訳の分からないジャッジをすうものなら、ものすごいプレッシャーを受ける。

選手(生徒)は審判の判断に従わなければならないことになっているので、異議を唱えることが禁止されているが、試合をしている監督は、ジャッジについて尋ねることはできる。
「今のは、どういうことですか。」
と紳士的であれば、よいのだが、中には、チームの選手を鼓舞するために、あからさまに審判のジャッジを責め立てる人もいる。

そうでなくとも、試合後、先輩からお叱りを受ける。

そんな洗礼を経て、野球の審判技術を習得するには、何年もかかるだろう。
中学野球では、試合に出ることと、審判をやることは直結しているのだ。

私だって、かつては、かなり苦しい時代を過ごした。
自信をもってジャッジするのは、そう簡単なことではないのだ。

今日の試合は、県大会出場校が決まるという責任重大の試合。
試合中は、いろいろなプレーが起こりが、それを4人の審判が連携を取りながら、ジャッジしていく。
次にどんなプレーが起こる可能性があるかを予想しながら審判を務める。
しかし、それでも予想外のプレーが起こることもある。だから、審判は面白い。
ただ、一瞬たりとも集中を切らせないので、けっこう気力と体力を使う。

その上、審判をやっていると、野球にどんどん詳しくなっていく。
各チームの作戦もよく分かる。
多少大変だけど、それが、「生徒に還元できるなら、よいかな。」と思う。

人には得意、不得意があるので、誰もができることではないとは思うが、新しいことにチャレンジしてみると、違った人生が拓けていくものだ。

中高時代は、「野球は絶対に無理…」、と思っていた私が、野球を教え、審判をしている。
人は変わっているのだと思う。

甲子園に出る学校の監督だって、全員が野球経験者ではない。
posted by 丹澤三郎 at 21:54 | Comment(0) | 教育活動

2018年09月28日

魔法の言葉

新人戦一回戦。私が審判をした試合は、なかなか発熱したゲームとなった。

監督のY先生。これが、ピカイチの褒め上手。
どんなプレーが出ても、褒めて褒めて励まし続ける。

「いいよ。○○君。全然OKだ。」
「大丈夫大丈夫。全然大丈夫。次があるから。」
「すごい。すごいよ、今のプレー。最高!」

この声かけで、明らかに格下のはずのY先生率いる学校のチームが、相手校と互角に勝負をしている。

ミスが続いて、チームが沈滞ムードになっても、
「大丈夫か。先生の力なくても、自分たちで立ち直れるか。」
と、まさにプラス思考のオンパレードだ。

部員は12名。9名が守備につくと、ベンチに残っているのは3人だけ。
守備についた選手も、半分くらいは小柄な一年生のようだ。

こんな場面もあった。
サードの選手が、レフトの選手に
「△△、声だせ。」
と叫ぶ。レフトは、
「おーい。」
やや頼りない声。すると、
「もっと出せ。」
とサード。レフトは
「これで限界。」
と、うそぶく。

こんなやりとりをしているくらいだから、強豪チームというにはほど遠い。
それでも、度重なるピンチを抑えるなど、いい試合展開だった。
これも、Y先生のスーパーポジティブな声のおかげだろう。

終盤になって、ピッチャーがミスをした。
ゴロを捕り損ない、落としたボールを、崩した体勢で一塁に送球したため、そのボールも逸れてしまい、ピンチを広げてしまったのだ。

このとき、
「何してるんだよ。」
と、ショートの選手がピッチャーを責めた。
この一言で、Y先生の魔法の言葉は消えた。

その後のY先生の言葉は、ただただ虚しく響くだけになり、ミスを連発。これまで互角に戦っていたチームは、坂道を転がり落ちるかのように、崩れていった。

「野球の神様は、Y先生の学校ではなく、対戦校を応援し始めたのだな。」
と思いながら、審判を続けたが、程なく試合終了になった。

「Y先生の声かけ、すごいですね。」
私は、一緒に審判をしていた同僚の先生にも尋ねてみた。

「練習試合していても、保護者から相手チームまで、Y先生ファンが増え続けているですよ。」
納得である。最近の子供たちは、この方法でしか育てることができないのかも知れない。

「Y先生は、生まれつきの才能ですね。」
私には、とても真似することはできない。
「私も無理です。」
お互い、顔を見合わせる。

「素晴らしいバッティングをしても、走塁が不十分だと、まずかった走塁の方を責めてしまうんだよね。」
「『ナイスバッティング。でも、そのオーバーランじゃ駄目だ。打った価値が消えたわ。』という感じですね。」

言葉の後半にマイナスを入れると、全体にマイナス表現になる。

初戦敗退となったため、Y先生の魔法の言葉は、しばらくお預けになりそうだ。
今度、練習試合をお願いしてみよう。
posted by 丹澤三郎 at 16:45 | Comment(0) | 教育活動
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