2018年09月26日

ペア学習?

私が授業をしている中学三年生の教室が、昨日から二つずつつながって配置されていたので、どのようなねらいがあるのか、担任に聞いてみた。

「隣同士で、寝てる子を起こすんです。」

なるほど、隣り合っていれば、寝ていればすぐ分かる。さりげなく起こすことも可能かも知れない。
しかし、目的としてはちょっと情けない感じがする。
「寝ないためにだけに机をくっつけている。」というのでは、イマイチな企画だ。

私の授業では、寝ている生徒はいないことになっているので、今日は、この二人ペアを活用して授業をしてみた。

2クラス選抜の出席番号順だから、けっこう男女で並んでいる。
そこで、お互い意見を出し合いながら、問題を解かせてみたのである。

問題を一つ板書し、
「二人で意見を出し合って、一番良いと思われる解き方を見つけて下さい。」
と指示した。

その問題は、探せば教科書にも模範解答が載っている。よく読めば内容も理解できる。それをお互い、教え合うのも、理解を深める合うのもよし。ただし、
「一番良い解き方を探して欲しいのだ。」
ということは、何度も強調した。与えた時間は10分間。

10分後、何組かに「どんな方法で説きましたか?」と尋ねてみると、「教科書と同じです。」という。
「それじゃ、つまらないじゃないか。本当にこれが一番いい方法かなぁ。」

すると、あるペアが答えた。
「○○すると、早く性格に解けます。」

私は、心の中で、「やったね」と喜び、他にも同じやり方を考えたペアがないか尋ねてみた。
すると、もう一ペアが、同様の解き方を見つけた。

「この単元を習い始めの、模範解答的には、教科書は完璧だ。だけど、この単元を勉強し、単位円を理解した人は、こんな解き方はしない。こうやって説くはずだ。」
と、私の手の内を見せる。

ものの一分くらいで問題が解けた。
「少し、感動してもらえたかな。」と、私はほくそ笑む。

私の学校の授業は、およそ『学び合い学習』とは無縁だ。中学でも講義形式が多く、授業中にうとうとしてしまう生徒も多い。

今日は、やかましく、賑やかな10分間だったが、隣同士、一緒に数学を考えるという体験をさせることはできた。この学年が、男女中が悪くないというのも、良かった。

いつもは、廊下のドアも開け放って授業をする私が、この10分間は、扉を閉めた。騒がしさで隣のクラスに迷惑になると思ったからである。

この例題が、記憶に残り、次に活かせるかは分からないが、寝ないためではない利用法を、ちょっと試した見た訳だ。

「先生の授業だけは、机を戻させましょうか?」
担任が遠慮がちに私に尋ねる。

「いや、もうすこし実験してみますから大丈夫です。」
私は、丁重にご遠慮申し上げた。
posted by 丹澤三郎 at 19:25 | Comment(0) | 教育活動

2018年09月20日

今日は生徒に、どんな話をしようかな

私は、基本的に授業をするのが好きだ。

授業では、生徒に、いろいろな話ができるからである。
私は、教科内容以外にも、授業構成の中で、さまざまな話をしている。

生徒たちは雑談と言っているが、私は雑談とは思っていない。その話の話題が、勉強のモチベーションを高め、時に人間形成の一助となると、思っているからだ。

だから、教材研究時は、教科内容以上に、授業中に話をする話題内容の準備に時間をかける。

と言っても、何か調べ物をしたり、うんうん考えたりしたりする訳ではない。

私の日常すべてが、情報収集であり、どんなときでも、アンテナを立て、情報をキャッチすべく、努めている。

情報源は、テレビやラジオ、インターネット、新聞、書籍、会話、出来事、体験など、すべてが素材である。さらには、一度見聞きしたものは、一応ネットで調べ直したり、検証(らしきことを)したりして、できるだけ裏を取っておくようにしている。

「今日は生徒に、どんな話をしようかな。」
それが、私の情報収集のモチベーションを高めている。

逆に、生徒たちも、
「今日はどんな話が聞けるかな。」
と、思っている生徒も多い(らしい)。

授業中『ためになる』(!?)興味深い話をするときは、生徒たちは、一斉には私の話に注目する。
その直後に、さっと、教科の重要事項を教えるのだ。

そうすると、全員が聞いている。
聞いて分かる授業をしているので、全員が分かるようになる、という訳だ。

授業についていけない生徒が多く出るのは、授業のレベルもあるが、多くは、先生の説明を聞いていないことが原因だ。

聞くべき時に聞かせることができれば、『分かる』授業になり、分かれば、その後の演習問題でも、『解ける』可能性が極めて高くなる。

『絶対に聞かせる、絶対に分からせる』
というのが、私の授業時の心がけで、
『分からなければ、授業に参加しているとは言えない』
とさえ、思っている。

生徒に興味深い話を聞かせ、「へー」と思わせることが、私の授業スタイルの一つである。

こう、紹介している時にも、私は明日の授業の話題を探している…。
posted by 丹澤三郎 at 19:59 | Comment(0) | 教育活動

2018年09月14日

無言で掃除することの難しさ

「これから清掃を始めます。各自、清掃場所に移動し、無言で清掃しましょう。」

昨日訪れた近隣の中学校で、放送が聞こえてきた。
それまでの授業後の騒がしさが、嘘のように静まり、掃除が始まった。

と、言っても、私が直接見たわけではない。会議中だったから、廊下に出て見たわけではないが、箒を使う音は聞こえてきた。しかし確かに、生徒の声は聞こえてこなかった。

地元の中学校では、無言で掃除、沈黙状態で清掃するという学校は多いようだ。
ねらいは、余計はおしゃべりをしないで、清掃活動に集中させよう、ということだろう。

私は、さらに、『お互いの思いを推し量る』という訓練になるのではないか、と思う。

清掃活動では、お互い協力し合わないとできないことが多い。ゴミを集めたならば、ちりとりで取らなければならないし、机を運び終われば、床の水拭きをする。水拭きが終わったところで、また机を運ぶ、といった具合に、生徒同士の共同作業が必要となる。
しかし、沈黙のなかの清掃活動では、「それでは机を運んで下さい。」などと、一切言えない状態で、活動しなければならないということである。

だからこそ、お互いの思いを推し量り、『今、相手が何を求めているのか。自分は今、何をしなければならないのか』、ということを、生徒一人ひとりが、自分で考え、行動しなければならないわけだ。
これは、なかなかレベルが高い。できるようになれば、彼らにとって、将来、大きな財産になるだろう。

私の学校では、沈黙では行わない。むしろ、沈黙で行うことを、以前、私自身が反対したことすらある。

理由は、中高とも併設されている学校で、生徒との接点が少ない教員が目立つ、ということである。例えば、自分の学級で、教科の授業を一時間もできない教員が、生徒と関わりや、彼らと何気ない会話を交わす唯一の機会が、掃除の時間でもあったので、その機会を奪わないで欲しい、ということだ。ましてや、給食指導もないので、本当に生徒と話をしない教員が出てしまうことを恐れたわけだ。もちろん、教員側が努めて生徒と接しようと思えば、そうした時間は確保できるのだが…。

そうは言っても、私自身、時々だが、黙って掃除をさせることもある。

しかし、これがなかなか難しい。

話せないからと、ゼスチャーだの、声にならない声で「うー、うー」言ったところで、それは沈黙していることにはならない。本当に、相手の立場を考え、それを自分の行動に当てはめることができて、初めて、黙って掃除をすることが可能となるのだ。

また、話をしないからといって、心の中で悶々とし、心が騒がしくなっていれば、真の意味で沈黙しているとも言えない。

何度もチャレンジしたが、実は、今までで沈黙できたことがない。
こりゃ、なかなかハードルが高いぞ。
公立中学校、恐るべし…
posted by 丹澤三郎 at 20:23 | Comment(0) | 教育活動

清掃活動 〜心を磨く〜

以前訪ねた、オーストラリア学校では、敷地内や校舎内にゴミが散乱していた。
「こんな環境下で教育が行われているのか」
と、驚いたが、生徒たちも先生たちも、あまり気にしていないらしい。

オーストラリアでは、2時間目と3時間目の間に、軽食タイムがあり、自宅から持ってきたスナックや、菓子パン、フルーツなどを食べるのだが、その時に出たゴミは、かなりの確率で散らばっている。その時間は、先生たちも、スタッフルームでお茶タイムなので、生徒たちの様子は、あまり見ていないだろう。また、4時間目後には、昼食タイムのあるわけで、当然、放課後は構内はゴミだらけだ。
当然のごとく、オーストラリアでは、生徒も教師も掃除をしない。学校の掃除をするのは、専門の業者だ。

清掃活動は、日本の教育では当たり前だが、欧米諸国では、「掃除は低い階層の人間がやるものだ」という考えが根強い。しかし、その効果が見直され、日本の清掃活動は、昨今は、アジア圏でも受け入れられ、日本式の清掃活動が行われている学校も増えているそうだ。

私たちにとっては当たり前の掃除活動だが、実は、その中には『感謝』の思いがこもっている。

「普段自分たちが使わせてもらっている校舎内外を、ピカピカに綺麗にしよう。学校があるから、自分たちは勉強することができるのだ。そういう思いを込めて、学校中を綺麗にしよう。」

そうした思いで、教師側も、「あたりまえ」ではない、「ありがたさ」を感じさせるべく、工夫を重ねながら、清掃活動を指導し、将来自分の意志で、いろいろな所を清掃できるように、仕込んでいる。その活動の中では、授業中には見られない、生徒たちの性格や人間性が、よく見えるものだ。

また、トイレ掃除を徹底して行うという取り組みをしている学校も多いだろう。汚れやすいトイレを、徹底的に磨き上げる。床も磨き上げ、そのまま寝っ転がられるような美しさに仕上げることもできる。
「トイレは汚くない」
と思わせることもできれば、一見汚いと思われる部分でも、細かな注意を払えば、とても綺麗になるものだ、と教えることもできる。「綺麗なのだから、汚さずに使おう」、と指導することもできる。

素手で掃除させていることが紹介され、「衛生的に問題だ」などと騒ぎ立てた方もいらしたようだが、とにかく方法はどうあれ、心を込めて磨くことに意味があるだろう。

また、清掃指導は、教師側の率先垂範を示せるいい機会でもある。
生徒が気づかない部分を指摘し、お互い協力し合って、感謝を込めて磨き上げる。

磨き上げているのは、結局は、自分自身の心なのだ。
posted by 丹澤三郎 at 13:15 | Comment(0) | 教育活動
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