2018年09月14日

無言で掃除することの難しさ

「これから清掃を始めます。各自、清掃場所に移動し、無言で清掃しましょう。」

昨日訪れた近隣の中学校で、放送が聞こえてきた。
それまでの授業後の騒がしさが、嘘のように静まり、掃除が始まった。

と、言っても、私が直接見たわけではない。会議中だったから、廊下に出て見たわけではないが、箒を使う音は聞こえてきた。しかし確かに、生徒の声は聞こえてこなかった。

地元の中学校では、無言で掃除、沈黙状態で清掃するという学校は多いようだ。
ねらいは、余計はおしゃべりをしないで、清掃活動に集中させよう、ということだろう。

私は、さらに、『お互いの思いを推し量る』という訓練になるのではないか、と思う。

清掃活動では、お互い協力し合わないとできないことが多い。ゴミを集めたならば、ちりとりで取らなければならないし、机を運び終われば、床の水拭きをする。水拭きが終わったところで、また机を運ぶ、といった具合に、生徒同士の共同作業が必要となる。
しかし、沈黙のなかの清掃活動では、「それでは机を運んで下さい。」などと、一切言えない状態で、活動しなければならないということである。

だからこそ、お互いの思いを推し量り、『今、相手が何を求めているのか。自分は今、何をしなければならないのか』、ということを、生徒一人ひとりが、自分で考え、行動しなければならないわけだ。
これは、なかなかレベルが高い。できるようになれば、彼らにとって、将来、大きな財産になるだろう。

私の学校では、沈黙では行わない。むしろ、沈黙で行うことを、以前、私自身が反対したことすらある。

理由は、中高とも併設されている学校で、生徒との接点が少ない教員が目立つ、ということである。例えば、自分の学級で、教科の授業を一時間もできない教員が、生徒と関わりや、彼らと何気ない会話を交わす唯一の機会が、掃除の時間でもあったので、その機会を奪わないで欲しい、ということだ。ましてや、給食指導もないので、本当に生徒と話をしない教員が出てしまうことを恐れたわけだ。もちろん、教員側が努めて生徒と接しようと思えば、そうした時間は確保できるのだが…。

そうは言っても、私自身、時々だが、黙って掃除をさせることもある。

しかし、これがなかなか難しい。

話せないからと、ゼスチャーだの、声にならない声で「うー、うー」言ったところで、それは沈黙していることにはならない。本当に、相手の立場を考え、それを自分の行動に当てはめることができて、初めて、黙って掃除をすることが可能となるのだ。

また、話をしないからといって、心の中で悶々とし、心が騒がしくなっていれば、真の意味で沈黙しているとも言えない。

何度もチャレンジしたが、実は、今までで沈黙できたことがない。
こりゃ、なかなかハードルが高いぞ。
公立中学校、恐るべし…
posted by 丹澤三郎 at 20:23 | Comment(0) | 教育活動
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