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2018年10月15日

「恥ずかしい」のは、その点数か

「試験の答案は、君たちの作品です。『この答案から、何を読み取るか』は、人それぞれだろうけれど、失敗には必ずその原因がある。必ず失敗を活かし、同じ失敗を繰り返さないこと。」

「第一に、答案は作品なのだから、自分の努力の成果であって、結果は甘んじて受け入れるという気持ちが大切である。第二に、試験結果から感じた反省を次に活かすこと。そして、自分の弱い怠け心と戦うこと。」

私は試験を返却するとき、毎回こんな話をする。

また、
「点数を隠すな。自分の作品なのだから、受け止めよ。恥ずかしいと思うなら、恥ずかしい点数を取るな。」
とも言う。

だから、点数の書かれた答案の端を三角に折り曲げることも許さない。
「隠すような点数を取るな…。」
という具合である。

多少強引だが、習熟度クラスの一番上ということもあり、結構シビアに指導している。

だが、恥ずかしいのは、本当は点数ではないのではないだろうか。
点数は結果である。その点数を取るには、その原因がある。
本当に恥ずかしいのは、その原因の部分ではないか、と思うのだ。

「授業中、聞いていいなかったのが、恥ずかしい。」
「課題を真剣に取り組まなかったのが、恥ずかしい。」
「分からない部分をそのままにして試験を受けたのが、恥ずかしい。」
「試験対策の準備をさぼったのが、恥ずかしい。」
「怠けて勉強しなかったことが、恥ずかしい。」
「良くない結果になると分かっていながら、試験当日を迎えてしまったことが、恥ずかしい。」

試験の点数は、その象徴であって、点数そのものよりも、その点数によって、自分自身の内面が覗かれてしまう、ということに恥ずかしさを感じるのだと思う。

だから、
「中間テストの結果が悪かったから、期末は頑張ろう。」
というスタイルでは、分析としても、この先の目標としても、甘いということになる。

『悪かった部分、できなかった部分、十分でなかった部分はこれとこれ。だから、その部分を直していくために、こんな風に生活スタイルや勉強方法を変えてみる。』

ということを、具体的に明示できてこそ、『同じ失敗を繰り返さない』ということであり、『教訓を活かす』ということであろう。

中高時代は、そうやって、自分なりの勉強スタイルを確立させていく時期だ。

テストの点数に一喜一憂させるのではなく、その本質の部分を見つめさせたい。
posted by 丹澤三郎 at 18:28 | Comment(0) | 教育活動
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