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2019年02月05日

関係者入試

私が最初に務めた私立学校での話。
初めて入学試験の審議の会議に参加したとき、成績順の審議資料が配られた直後、教頭から「関係者」が発表された。
「関係者」とは、成績にかかわらず、必ず合格させようという受験生のことであった。

定員があるので、併願者を考慮して合否ラインが設定されているが、その合否のラインの下に位置している「関係者」が次々と読み上げられた。

「関係者」は、多額の寄付をしている保護者の子弟。
地元有力者からの紹介。
卒業生地元有力企業の子弟。
職員の近親者。

などなど、いろいろなパターンが考えられるが、彼らを自動的に合格させる、というものであった。
新人の私は、「そういう世界があるのか…」、と新たな世界に驚いていたが、長らく務めている重鎮たちや、組合員は黙っていない。

「この関係者とは、それぞれどういう人物なのか」、「これでは、入学試験を行う意味がないではないか」、「これほど成績不振の生徒を入学させたら、学校が崩壊する」、など喧喧諤諤となり、会議が一時中断する有様。

教頭は、校長(=理事長)から、「そうしてくれ」、と伝達されているだけなので、教頭を責めても埒があかないのだが、「今年はこれで頼みます」、の一言で収拾をつけた。

翌年、校長が代替わりをして、職員会議や入試の審議に顔を出すようになった。
その時彼は、驚くべきことを口にする。

「今年からボーダーラインより下の成績の『関係者』は合格させません。」
そう、宣言したのだ。

若い校長で、何かしらの改革をしようとしたのかも知れないが、私は、百年あまり続いていた、地元とのつながりが、一部壊れていく思いがした。

その後、その校長は、同族経営の批判と、公費私費流用を組合側からでっち上げられ、裁判沙汰になり、学校を去っていくことになる。

伝統校の入試は、その裏側は複雑だ。
その善し悪しは私には分からないが、こうした「つながり」が、社会を構築しているのだと思う。

欧米では、推薦書の威力が大きいと聞く。
「この人の推薦ならば…」、と信用され、当然合格につながる…。

成績よりも人物重視なのだろう。

明治以降、学問をもって、平等になった日本だが、もしかしたら、大切な何かを取りこぼしているのかも知れない。それを補うかのように、いろいろな世界での裏側があるのだと感じる…。








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