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2017年01月12日
京都大学とレンヌ第一大学の共同研究で発見!自閉症スペクトラム児は黄色が苦手で緑を好む?
自閉症スペクトラム障害(ASD)児は黄色が苦手で、緑色を好む傾向があるのが分かった。京都大学霊長類研究所の正高信男教授と、レンヌ第一大学(フランス)のマリン・グランドジョージ講師らのグループによる共同研究で明らかとなった。ASD児が環境から受ける刺激として、色彩にも配慮する必要があるのを示す結果だ。
引用元:教育新聞
面白い内容の研究結果ですね。
家の子ども達やアスペルガー受動型の嫁に関して言えば、
まったくあてはまらないのですが、自閉症スペクトラム児は黄色を苦手とし、
緑を好む傾向があるそうです。
傾向なので当然、黄色が大嫌いだから自閉症スペクトラム(ASD)というわけでは
ないので気をつけたいところです。
色というのはカラーセラピーという物があるぐらいですから、
それぞれさまざまイメージする印象や好き嫌いという物はあると思います。
でも研究の結果でこういう事がわかるというのは大変興味深いです。
障害支援する施設などからすると、部屋の内装を緑を基調とするなど
工夫をすると全般的にはASDの人は落ち着きやすかったりするのでしょうかね。
最近こういう研究が盛んに行われているので励みになります^^
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2017年01月11日
家庭は無条件にいて良い場所!幼い子どもに対して「出ていけ」「飯抜き」はしつけではなく虐待です。
自分の家というのは本当はそこにいるために条件とか資格とか
そんなものは必要としないわけです。あたりまえにそこにいて良く、
さらにその空間は安心できる空間でないと心に傷を負ってしまう可能性が
たかまるのでしょう。
「不安」
「焦燥感」
「疑惑」
「恐怖」
そんなものが毎日家庭内に渦巻いていると言うことは、
親としては子どもへ虐待している感覚はなくともすでに
機能不全家族の環境を提供してしまっている状態なのです。
近年では虐待の解釈が非常にセンシティブになってきており、
むかしはそんなことどこの家でもあるでしょう?仕方ないよ!と
言われるようなことも虐待として認知されるようになってきています。
「子どもの前での慢性的な夫婦げんか」
これは面前DVとして有名になっています。
なるべく子どもの前でけんかをしないようにすることはもちろんです。
しかし、お互いが仮面夫婦のようにコミュニケーションを交わさないような無視する
関係なんかも当然子どもからすると不安要素になりますので面前DVになるでしょう。
「言うこと聞かないから食事抜き!」「出て行け!」
ということも親からやられた人はついやってしまいがちですが、
親は子どもをコントロールしているつもり、しつけのつもりでいいますが、
これも基本的には×である行為と認識した方がよいです。
家庭は無条件にいて良い場所という概念からすると、
・食事が出来る→言うこと聞いたときだけ?
・家にいていいのは→言うこと聞いたときだけ?
ということを子どもの潜在意識に植え込んでしまいます。
子どもからすれば、親の言うことをきく以外に選択肢を持てるという
タイプはまれで結果的に支配され服従せざるを得ないと言うことが多いです。
親は自分の言ったことを子どもがわかったと勘違いをします。
言うことをきかなければさらにエスカレートしたことをやる人もいるでしょう。
一方、子どもは我慢していないと怒られることは嫌だし食事できなくなるし、
出ていけって言われたら行く場所ないため、どうしようと常に不安が
つきまといます。
結果悶々とした幼少期を過ごし大人になってアダルトチルドレンや
パーソナリティ障害として苦しめられる場合も多いわけです。
恩着せがましい親は何かしら心に闇を抱えているのかもしれませんね。
自分のおかげでお前らは生きていられるのだ!と精神まで支配された
子どもは本当に体だけ大人になってしまい心がついて行けなくてつらい
日々を過ごすことになるでしょう。
でも、それを乗り越えるのは自分でやるしかないのだからきついです。
まずは、自分の心の内を話せるカウンセラーなどを探すのが自己肯定感を
落としすぎず良いのだろうと思います。
自分が親になってからよりいっそう自分の子どもに対する言葉の影響力の
大きさに気がつき反省させられる毎日です。
自分の世代でこの呪縛をやめたいものですね^^
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そんなものは必要としないわけです。あたりまえにそこにいて良く、
さらにその空間は安心できる空間でないと心に傷を負ってしまう可能性が
たかまるのでしょう。
「不安」
「焦燥感」
「疑惑」
「恐怖」
そんなものが毎日家庭内に渦巻いていると言うことは、
親としては子どもへ虐待している感覚はなくともすでに
機能不全家族の環境を提供してしまっている状態なのです。
近年では虐待の解釈が非常にセンシティブになってきており、
むかしはそんなことどこの家でもあるでしょう?仕方ないよ!と
言われるようなことも虐待として認知されるようになってきています。
「子どもの前での慢性的な夫婦げんか」
これは面前DVとして有名になっています。
なるべく子どもの前でけんかをしないようにすることはもちろんです。
しかし、お互いが仮面夫婦のようにコミュニケーションを交わさないような無視する
関係なんかも当然子どもからすると不安要素になりますので面前DVになるでしょう。
「言うこと聞かないから食事抜き!」「出て行け!」
ということも親からやられた人はついやってしまいがちですが、
親は子どもをコントロールしているつもり、しつけのつもりでいいますが、
これも基本的には×である行為と認識した方がよいです。
家庭は無条件にいて良い場所という概念からすると、
・食事が出来る→言うこと聞いたときだけ?
・家にいていいのは→言うこと聞いたときだけ?
ということを子どもの潜在意識に植え込んでしまいます。
子どもからすれば、親の言うことをきく以外に選択肢を持てるという
タイプはまれで結果的に支配され服従せざるを得ないと言うことが多いです。
親は自分の言ったことを子どもがわかったと勘違いをします。
言うことをきかなければさらにエスカレートしたことをやる人もいるでしょう。
一方、子どもは我慢していないと怒られることは嫌だし食事できなくなるし、
出ていけって言われたら行く場所ないため、どうしようと常に不安が
つきまといます。
結果悶々とした幼少期を過ごし大人になってアダルトチルドレンや
パーソナリティ障害として苦しめられる場合も多いわけです。
恩着せがましい親は何かしら心に闇を抱えているのかもしれませんね。
自分のおかげでお前らは生きていられるのだ!と精神まで支配された
子どもは本当に体だけ大人になってしまい心がついて行けなくてつらい
日々を過ごすことになるでしょう。
でも、それを乗り越えるのは自分でやるしかないのだからきついです。
まずは、自分の心の内を話せるカウンセラーなどを探すのが自己肯定感を
落としすぎず良いのだろうと思います。
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さらにその空間は安心できる空間でないと心に傷を負ってしまう可能性が
たかまるのでしょう。
「不安」
「焦燥感」
「疑惑」
「恐怖」
そんなものが毎日家庭内に渦巻いていると言うことは、
親としては子どもへ虐待している感覚はなくともすでに
機能不全家族の環境を提供してしまっている状態なのです。
近年では虐待の解釈が非常にセンシティブになってきており、
むかしはそんなことどこの家でもあるでしょう?仕方ないよ!と
言われるようなことも虐待として認知されるようになってきています。
「子どもの前での慢性的な夫婦げんか」
これは面前DVとして有名になっています。
なるべく子どもの前でけんかをしないようにすることはもちろんです。
しかし、お互いが仮面夫婦のようにコミュニケーションを交わさないような無視する
関係なんかも当然子どもからすると不安要素になりますので面前DVになるでしょう。
「言うこと聞かないから食事抜き!」「出て行け!」
ということも親からやられた人はついやってしまいがちですが、
親は子どもをコントロールしているつもり、しつけのつもりでいいますが、
これも基本的には×である行為と認識した方がよいです。
家庭は無条件にいて良い場所という概念からすると、
・食事が出来る→言うこと聞いたときだけ?
・家にいていいのは→言うこと聞いたときだけ?
ということを子どもの潜在意識に植え込んでしまいます。
子どもからすれば、親の言うことをきく以外に選択肢を持てるという
タイプはまれで結果的に支配され服従せざるを得ないと言うことが多いです。
親は自分の言ったことを子どもがわかったと勘違いをします。
言うことをきかなければさらにエスカレートしたことをやる人もいるでしょう。
一方、子どもは我慢していないと怒られることは嫌だし食事できなくなるし、
出ていけって言われたら行く場所ないため、どうしようと常に不安が
つきまといます。
結果悶々とした幼少期を過ごし大人になってアダルトチルドレンや
パーソナリティ障害として苦しめられる場合も多いわけです。
恩着せがましい親は何かしら心に闇を抱えているのかもしれませんね。
自分のおかげでお前らは生きていられるのだ!と精神まで支配された
子どもは本当に体だけ大人になってしまい心がついて行けなくてつらい
日々を過ごすことになるでしょう。
でも、それを乗り越えるのは自分でやるしかないのだからきついです。
まずは、自分の心の内を話せるカウンセラーなどを探すのが自己肯定感を
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これは面前DVとして有名になっています。
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関係なんかも当然子どもからすると不安要素になりますので面前DVになるでしょう。
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日々を過ごすことになるでしょう。
でも、それを乗り越えるのは自分でやるしかないのだからきついです。
まずは、自分の心の内を話せるカウンセラーなどを探すのが自己肯定感を
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2017年01月10日
感謝してもらいたい毒親の心だれもわからず?!迷走をとめられるのは自分自身だけ。
感謝をするという感情はやはりひとに押しつけられてするものではありません。
自然に自分がそう思わなければ形式だけで疲れてしまいます。
私は形式的な感謝は見事にできますが、本質的に感謝ができているかどうかは
正直わからなくなるときもあります。
おそらく毒親も自分で本心から感謝すると言うことが親にできなかったのだろうと思います。
あとから母に祖父の話を聞くと、私の母もアダルトチルドレン体質であり、
その根源は祖父にあることがひしひしと伝わってくるからです。
理想のお父さんが欲しい。優しいお父さんに包まれたい。子どもは無償の愛情を親に
無意識に要求してきますが、見事に叩ききられていたのです。
母は父親からよく言われたことがあるという言葉、
「言うこと聞かないなら出て行け」
「誰のおかげで食事が出来ていると思っているんだ!」
食事の時間は特に緊張の連続だったそうです。
なぜかと言えば、食事になるといわゆる箸の上げ下げ程度のことで
教育と言うより指導というのでしょうか、怒りが大爆発するようなことが
頻繁にあったそうです。
毎日の食事は楽しみだったけど父親との食事は食べた気がしない。
そんな環境で母は育っていたのです。子どもは何か言うと父親が
だんだん教訓めいたことを言い始め、しっかり聞いていないと逆ギレして
それこそちゃぶ台をひっくり返しかねないような感じだったため、
まるでお通夜の食事のようなしんみりした食卓になっていたそうです。
母親からすれば、自分が結婚をして家庭を持ったら、絶対こんな
食卓にはしたくない!楽しく朗らかで食事を楽しめるような家族に
なりたいと思ったそうです。
その想いはどちらかというと実現していたように感じます。
私自身食事の時は母が怒鳴り散らすみたいな事はありませんでしたから。
本人なりにもそういう食卓を目指していたのだと思います。でもあくまでも
自己満足の世界だったともいえます。
なぜかと言えば、私の父は母のそういう考えにはとくに無関心で
楽しい食卓を夫婦が協力してつくりだすということができませんでした。
母からすると、自分がその時代の理想的な妻や母を演じているのだから、
父親にも理想の父親像や理想の夫像を当然に要求するようになります。
これが見事にうまくいかず、母が一人で空回りしているような状態になります。
家の母親はひかくてき自分で何でもやらないと気が済まないたちで
それは良い面もありますが、実際は一長一短です。
子どもからすれば、本来自分でやらなければ行けないようなことも、
母が自分の能力以上体や頭を酷使して家も子どもも夫も家計も
こなそうとし、結果こなせてしまうという環境下にありました。
そのため、母親の中では自分だけが頑張っている、だけど
子どもは自分をほめてくれないし、夫も当然無関心なので労いの言葉もなし。
母親からすると他人に献身的な自分を演じてそれが自分の本来の姿と
思うことにより自分の人間としての存在価値を見いだしていたようにも
思います。
でも本当はそこまでやりたくなかったのでしょうね。
自分の母親ながらよくめげずにやってきたなぁと客観的に見られる面も
いまではありますが、その過干渉ともいえる行動が結果的に夫や子どもの
自立を奪っていた行為だなんてわかってしまったら、涙が止まらないことでしょう。
ただ、そのときそのとき精一杯頑張ってくれたことは今になって素直に感謝はできます。
だから、あまり頻繁にあいたいとは思えないものの、今では、
「母さんはよく子育てやりきったよね」とおべっかでなくいえます。
母もほめられることはなれていないのか、あまのじゃくなのかわかりませんが、
こんなことをいえば、「やりきっていない、もっと本当はこうしてあげたかった」なんて
いうことも。
逆に「あのころはもっとこうしてほしかったんだよ」なんて冗談でも言うと
逆に、「しかたないでしょ!母さんだって一生懸命やったのよ!」と子どものように
自己防衛に走ります。
そんな母も相当心に傷を負っているのかと思うとあまりけんかしたいという
気持ちも芽生えず、親として自分が同じ事を繰り返さないようにしたいと思うばかりです。
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自然に自分がそう思わなければ形式だけで疲れてしまいます。
私は形式的な感謝は見事にできますが、本質的に感謝ができているかどうかは
正直わからなくなるときもあります。
おそらく毒親も自分で本心から感謝すると言うことが親にできなかったのだろうと思います。
あとから母に祖父の話を聞くと、私の母もアダルトチルドレン体質であり、
その根源は祖父にあることがひしひしと伝わってくるからです。
理想のお父さんが欲しい。優しいお父さんに包まれたい。子どもは無償の愛情を親に
無意識に要求してきますが、見事に叩ききられていたのです。
母は父親からよく言われたことがあるという言葉、
「言うこと聞かないなら出て行け」
「誰のおかげで食事が出来ていると思っているんだ!」
食事の時間は特に緊張の連続だったそうです。
なぜかと言えば、食事になるといわゆる箸の上げ下げ程度のことで
教育と言うより指導というのでしょうか、怒りが大爆発するようなことが
頻繁にあったそうです。
毎日の食事は楽しみだったけど父親との食事は食べた気がしない。
そんな環境で母は育っていたのです。子どもは何か言うと父親が
だんだん教訓めいたことを言い始め、しっかり聞いていないと逆ギレして
それこそちゃぶ台をひっくり返しかねないような感じだったため、
まるでお通夜の食事のようなしんみりした食卓になっていたそうです。
母親からすれば、自分が結婚をして家庭を持ったら、絶対こんな
食卓にはしたくない!楽しく朗らかで食事を楽しめるような家族に
なりたいと思ったそうです。
その想いはどちらかというと実現していたように感じます。
私自身食事の時は母が怒鳴り散らすみたいな事はありませんでしたから。
本人なりにもそういう食卓を目指していたのだと思います。でもあくまでも
自己満足の世界だったともいえます。
なぜかと言えば、私の父は母のそういう考えにはとくに無関心で
楽しい食卓を夫婦が協力してつくりだすということができませんでした。
母からすると、自分がその時代の理想的な妻や母を演じているのだから、
父親にも理想の父親像や理想の夫像を当然に要求するようになります。
これが見事にうまくいかず、母が一人で空回りしているような状態になります。
家の母親はひかくてき自分で何でもやらないと気が済まないたちで
それは良い面もありますが、実際は一長一短です。
子どもからすれば、本来自分でやらなければ行けないようなことも、
母が自分の能力以上体や頭を酷使して家も子どもも夫も家計も
こなそうとし、結果こなせてしまうという環境下にありました。
そのため、母親の中では自分だけが頑張っている、だけど
子どもは自分をほめてくれないし、夫も当然無関心なので労いの言葉もなし。
母親からすると他人に献身的な自分を演じてそれが自分の本来の姿と
思うことにより自分の人間としての存在価値を見いだしていたようにも
思います。
でも本当はそこまでやりたくなかったのでしょうね。
自分の母親ながらよくめげずにやってきたなぁと客観的に見られる面も
いまではありますが、その過干渉ともいえる行動が結果的に夫や子どもの
自立を奪っていた行為だなんてわかってしまったら、涙が止まらないことでしょう。
ただ、そのときそのとき精一杯頑張ってくれたことは今になって素直に感謝はできます。
だから、あまり頻繁にあいたいとは思えないものの、今では、
「母さんはよく子育てやりきったよね」とおべっかでなくいえます。
母もほめられることはなれていないのか、あまのじゃくなのかわかりませんが、
こんなことをいえば、「やりきっていない、もっと本当はこうしてあげたかった」なんて
いうことも。
逆に「あのころはもっとこうしてほしかったんだよ」なんて冗談でも言うと
逆に、「しかたないでしょ!母さんだって一生懸命やったのよ!」と子どものように
自己防衛に走ります。
そんな母も相当心に傷を負っているのかと思うとあまりけんかしたいという
気持ちも芽生えず、親として自分が同じ事を繰り返さないようにしたいと思うばかりです。
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2017年01月09日
「親に感謝しなさい」と言う言葉に違和感を感じていたアダルトチルドレンの幼少期(その2)
→「親に感謝しなさい」と言う言葉に違和感を感じていたアダルトチルドレンの幼少期(その1)
「親の心子知らず」
「子の心親知らず」
まったくもってピッタリな言葉ですね。
今思えば、自分が甘ったれて何でもやってもらっていたという面も大いにあるなぁと痛感。
母親もひとりの女性であり、人間であり、悩みながら生活しているなんて思っても
いませんでしたから、なんでもやってもらって、考えてもらうのが普通に感じていた
と言うことも裏目に出たような気がします。
日常生活において、当たり前に感じていることって
人間は次第に「感謝」することができなくなってきます。
だってそれが普通になってくるのですから。だれにでもあって当然です。
毎日ご飯が食べられていることだって、本来相当感謝することです。
食べられなければ確実に死にますから。
家の母親はよく「アフリカの子どもはたべられないのだから」と伝家の宝刀
のように食べられることを感謝しなさいと言う意味で子どもに伝えていましたが、
幼いころは世界観も狭くまったく共感できない意味のないしつけだと感じました。
リアリティーがないんですよね。自分もアフリカに行ったことがあるわけでもないのに、
それをさも理解したような上から目線で、だから感謝して食べなさいと強要されている
ようで腑に落ちなかったのだと大人になって感じました。
今の日本ではどんなに貧困でも、紛争が絶えないシリア難民やアフリカの貧しい子ども
のような生活はしようと思ってもできないのが現実なのです。
感謝しなさいっていういみはわかるのに、言われるたびに、
なぜか心が締め付けられるという気持ちがわいてきたことは事実です。
なにか見えない物に支配されているような…
でも、家の手伝いをしなくても時間になればいつのまにか食事がテーブルに
でてくることが毎日決まって続いてくると、文句は言うことはあっても感謝を
いうことがスタンダードでなくなってしまうと言うのですからこれはおそろしいと
今の年齢だと実感できます。
なくしてわかる親と健康の大切さなんて言われるように、
あたりまえすぎてその大切さや幸せさすら感じない人間として
育ってしまったのかと思うと本当に自分が情けなく感じます。
毒親と表現しているのは、特に親を軽蔑するためだけに書いているわけではありません。
そんな毒親も毒親なりに親の責務をなんとか果たそうとはしていたのは確かなのです。
ただ、やはりそんな悪気が本人にない場合の親の行為でも子どもにとっては毒になる
ということを理解して欲しいため毒親と書きます。
「感謝を子どもにわかってもらいたい」
という親は世の中にたくさんいると思いますが、
その根源はなんなのでしょう。
個人的には親の方が満たされていないからこそ感謝を求めてしまうのだと思います。
最低限のマナーとして親しき仲にも礼儀ありという面もありますが、親からすれば
いろんな常識をだして自分の気持ちを正当化したいのです。
さらに子どもからの感謝をえることで自分の存在価値を補完しようとしている
、もしくは自分が生きている意味をそこに見いだそうとしている行為なのでないかと感じます。
子どもからすれば感謝を強要する親は毒親以外の何者でもありませんが、
親も長年自分の居場所がなかったり、自分の存在意義がわからなかったりと
悩み満たされないで生活しているという証ともいえます。なんとも切ないですね。
年齢が重なるほどなかなかこの感情を払拭するのは困難になりますので、
一般的に毒親との関係は決別した方がよいとかかれるのはそういうことだと
思います。(うちの親のように少しずつ毒が軽減する人も多いですけどね^^)
私たちにできることは、同じ過ちを繰り返さないことでしょう。
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2017年01月08日
「親に感謝しなさい」と言う言葉に違和感を感じていたアダルトチルドレンの幼少期(その1)
「感謝する」ということは誰でも言葉では意味を理解していると思います。
しかし、本心から感謝しているかどうかがアダルトチルドレン体質の人は
わからなくなっているなんて不思議なこともあるのです。
いわゆる一般的には毒親の部類に入ってしまう私の母親は、「感謝」を
遠回しに強要するようなタイプの人間でした。
今は少しましになりましたが、幼少期はこの善意の押し売りに相当
心を痛めたような気がするのです。今でも素直に感謝することにためらいというか
罪悪感という自動思考を抱かされることがあるぐらいです。
素直に生活の中で感謝ができている人にとっては???という内容でしょう。
しかしそうでない人にとっては、感謝と言う言葉が出てくるたびに、
その後に続く特定の言葉がつきまとってしまうのです。
「感謝してます」…「本当に迷惑を掛けてごめんなさい。」
私の場合は申し訳ない気持ちが心の泉に溢れてきてしまうという
感情の方が強く出てしまうくせが潜在的に染みついてしまっています。
感謝の本質は、人から強要されて学ぶ物ではなく、
さまざまな経験をへて自分自身の心が本当にありがたいと思う感情です。
それが、ゆがんだ形ですり込まれてしまった面もあるのでしょう。
「ありがとうはちゃんといったの?」
「ありがとうもいえないならもうしらない!」
「世界では食べられない人もいるんだよ?」
「まったくお母さんがいなかったらどうなるの?」
うちの母親はまだましな方かも知れませんね。
直接的には「私が育ててあげているのだから感謝しなさい!」
とは言いませんから。ただ遠回しに自分がいることでおまえ達は生きられている
のだから、感謝しなくてはいけない!と圧力を掛けられているようなこと
はすごくたくさんありました。
ですから、小学生ぐらいの時まではまだ素直に言うことを聞くので親も
安心しきってしまうんですね。(親の言っていることが理解していると思いこんでいる)
でも思春期(中学生から高校生ぐらい)になると自分は親の考え方とは
違うと言うことが徐々にわかってきます。そこでだんだんいうことをきかなくなる
ということがいわゆる反抗期でしょう。
親からするとびっくりみたいですよ。今まで言うことを聞いてたのに、
なぜ急にそんなこというの?みたいな^^本当はぜんぜん急ではないのですけどね。
子どもが親にあわせて我慢してしまっているだけ。
何となく社会に出て行けば理屈上は感謝した方がよいことなど理解できますが、
理屈と心が一致しないままそのインナーチャイルドを押し込めて大人を装ってしまうと
いろいろと価値観や感謝他人に押しつける人間になるのかも知れません。
本来は子どもが親へ感謝すると言うより、親が育てさせてくれて、生まれてきてくれてありがとう!
という気持ちや態度が大切なのかとも思います。
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しかし、本心から感謝しているかどうかがアダルトチルドレン体質の人は
わからなくなっているなんて不思議なこともあるのです。
いわゆる一般的には毒親の部類に入ってしまう私の母親は、「感謝」を
遠回しに強要するようなタイプの人間でした。
今は少しましになりましたが、幼少期はこの善意の押し売りに相当
心を痛めたような気がするのです。今でも素直に感謝することにためらいというか
罪悪感という自動思考を抱かされることがあるぐらいです。
素直に生活の中で感謝ができている人にとっては???という内容でしょう。
しかしそうでない人にとっては、感謝と言う言葉が出てくるたびに、
その後に続く特定の言葉がつきまとってしまうのです。
「感謝してます」…「本当に迷惑を掛けてごめんなさい。」
私の場合は申し訳ない気持ちが心の泉に溢れてきてしまうという
感情の方が強く出てしまうくせが潜在的に染みついてしまっています。
感謝の本質は、人から強要されて学ぶ物ではなく、
さまざまな経験をへて自分自身の心が本当にありがたいと思う感情です。
それが、ゆがんだ形ですり込まれてしまった面もあるのでしょう。
「ありがとうはちゃんといったの?」
「ありがとうもいえないならもうしらない!」
「世界では食べられない人もいるんだよ?」
「まったくお母さんがいなかったらどうなるの?」
うちの母親はまだましな方かも知れませんね。
直接的には「私が育ててあげているのだから感謝しなさい!」
とは言いませんから。ただ遠回しに自分がいることでおまえ達は生きられている
のだから、感謝しなくてはいけない!と圧力を掛けられているようなこと
はすごくたくさんありました。
ですから、小学生ぐらいの時まではまだ素直に言うことを聞くので親も
安心しきってしまうんですね。(親の言っていることが理解していると思いこんでいる)
でも思春期(中学生から高校生ぐらい)になると自分は親の考え方とは
違うと言うことが徐々にわかってきます。そこでだんだんいうことをきかなくなる
ということがいわゆる反抗期でしょう。
親からするとびっくりみたいですよ。今まで言うことを聞いてたのに、
なぜ急にそんなこというの?みたいな^^本当はぜんぜん急ではないのですけどね。
子どもが親にあわせて我慢してしまっているだけ。
何となく社会に出て行けば理屈上は感謝した方がよいことなど理解できますが、
理屈と心が一致しないままそのインナーチャイルドを押し込めて大人を装ってしまうと
いろいろと価値観や感謝他人に押しつける人間になるのかも知れません。
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という気持ちや態度が大切なのかとも思います。
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2017年01月07日
【毒親チェック?!】虐待につながる?!あなたや両親の毒親度をチェックする10個のポイント。(その2)
→【毒親チェック?!】虐待につながる?!あなたや両親の毒親度をチェックする10個のポイント。(その1)
(6)「バカ」「醜い」など罵ったことがある
→子供のけんかで良く出てきますが、端的な罵声は結局自分の言葉で伝えることを
諦めた結果、うまく伝えられず、相手がわかってくれない結果、ののしるのだと思います。
単純にこれらの言葉がなぜ悪いかと言えば、相手の人格を全否定してしまう言葉だからです。
しかるにしても、言葉は選んでつかいたいものです。悪い言葉は使っていると麻薬のように
次に発言するときためらいなく出てくるようになる怖さがあります。
(7)いつも自分が中心でいたい
→これはそのままですね。自己中心的な発想がそのままでてしまったということでしょうか。
親だからと言ってすべて子どもに全身全霊を注ぎ粉骨砕身の思いで実が滅ぶまで献身すること
がいいとも思いません。しかし、近年では子どもの予定よりも自分の予定を最優先するという
親もちらほらいます。ケースバイケースで良いとも悪いともいえませんが、自分中心がいつもという
頻度になっている人はすこしまわりを尊重する気持ちも学びたいところ。
(8)「正しい」「正しくない」と決めつける
→いわゆる2極化思考とか白黒思考とよばれるものごとを良いか悪いという2つの選択肢の
世界観でしかみられないことが原因となります。親は基本的に自分の先入観や価値観の中で
正しいことを子どもに伝えようとしています。しかしそれは経験があってからこそ理解できている
ものです。何回もつたえたから子どもが理解するかどうかはまた別の話なのです。
アダルトチルドレン的な機能不全家族で育った人に多い思考です。
(9)自分の誤りを認めようとしない
→自分は家では絶対の存在で日ごろ子どもに注意しているとき、子どもへ誤ることを強要するが、
自分に落ち度があったときはもみ消そうとする人結構いるでしょう。子どもに間違いを指摘されて
むしろ逆上してしまうような親も。あまりにひどい場合はパーソナリティ障害の可能性もあるかも
しれません。
(10)批判されることに敏感
→全項目にも通じますが、他人の誤りや非常識と思われる行為や発言には厳しいが、
その矛先が自分へ向いた場合はすごく傷つきやすいという親です。自分で自分を
客観的に見ることがうまくできないので、謝ること以上に批判されてしまったことに怒りを
覚え、その相手を言葉や物理的に攻撃したり、ヒステリーのように逆ギレしたりすることも。
結果的には傷つきやすい自分の最大限な自己防衛本能になるわけですが、客観的には
自分に甘く他人に厳しいという感じに見えるでしょう。程度にもよりますが手がつけられない
場合は、自己愛性パーソナリティ障害というケースもめずらしくありません。
10個の項目を1つずつみていきましたが、結果的には親である自分が未熟であると
認められないという潜在的ある幼い心が自分も子どもも苦しめることになりうるのです。
これを克服するためには、一生掛けて自分に向き合う必要があると思っています。
毒親はアダルトチルドレン的な機能不全家族で育っている可能性が高くすこしずつでも
「幼い心」を自分で探し当ていやしていくことが自分のためにも子どものためにもなるでしょう。
自閉症スペクトラムがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)
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(6)「バカ」「醜い」など罵ったことがある
→子供のけんかで良く出てきますが、端的な罵声は結局自分の言葉で伝えることを
諦めた結果、うまく伝えられず、相手がわかってくれない結果、ののしるのだと思います。
単純にこれらの言葉がなぜ悪いかと言えば、相手の人格を全否定してしまう言葉だからです。
しかるにしても、言葉は選んでつかいたいものです。悪い言葉は使っていると麻薬のように
次に発言するときためらいなく出てくるようになる怖さがあります。
(7)いつも自分が中心でいたい
→これはそのままですね。自己中心的な発想がそのままでてしまったということでしょうか。
親だからと言ってすべて子どもに全身全霊を注ぎ粉骨砕身の思いで実が滅ぶまで献身すること
がいいとも思いません。しかし、近年では子どもの予定よりも自分の予定を最優先するという
親もちらほらいます。ケースバイケースで良いとも悪いともいえませんが、自分中心がいつもという
頻度になっている人はすこしまわりを尊重する気持ちも学びたいところ。
(8)「正しい」「正しくない」と決めつける
→いわゆる2極化思考とか白黒思考とよばれるものごとを良いか悪いという2つの選択肢の
世界観でしかみられないことが原因となります。親は基本的に自分の先入観や価値観の中で
正しいことを子どもに伝えようとしています。しかしそれは経験があってからこそ理解できている
ものです。何回もつたえたから子どもが理解するかどうかはまた別の話なのです。
アダルトチルドレン的な機能不全家族で育った人に多い思考です。
(9)自分の誤りを認めようとしない
→自分は家では絶対の存在で日ごろ子どもに注意しているとき、子どもへ誤ることを強要するが、
自分に落ち度があったときはもみ消そうとする人結構いるでしょう。子どもに間違いを指摘されて
むしろ逆上してしまうような親も。あまりにひどい場合はパーソナリティ障害の可能性もあるかも
しれません。
(10)批判されることに敏感
→全項目にも通じますが、他人の誤りや非常識と思われる行為や発言には厳しいが、
その矛先が自分へ向いた場合はすごく傷つきやすいという親です。自分で自分を
客観的に見ることがうまくできないので、謝ること以上に批判されてしまったことに怒りを
覚え、その相手を言葉や物理的に攻撃したり、ヒステリーのように逆ギレしたりすることも。
結果的には傷つきやすい自分の最大限な自己防衛本能になるわけですが、客観的には
自分に甘く他人に厳しいという感じに見えるでしょう。程度にもよりますが手がつけられない
場合は、自己愛性パーソナリティ障害というケースもめずらしくありません。
10個の項目を1つずつみていきましたが、結果的には親である自分が未熟であると
認められないという潜在的ある幼い心が自分も子どもも苦しめることになりうるのです。
これを克服するためには、一生掛けて自分に向き合う必要があると思っています。
毒親はアダルトチルドレン的な機能不全家族で育っている可能性が高くすこしずつでも
「幼い心」を自分で探し当ていやしていくことが自分のためにも子どものためにもなるでしょう。
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2017年01月06日
【毒親チェック?!】虐待につながる?!あなたや両親の毒親度をチェックする10個のポイント。(その1)
毒母チェック」として以下の10の項目を紹介。3つ以上当てはまれば要注意だという。
(1)言うことに疑問・同意しないことは許さない
(2)過剰な期待をかけプレッシャーをかける
(3)望み通りになるように指図してばかり
(4)学校・仕事・恋人を選ぶ時に介入する
(5)親子の縁を切るといって脅したことがある
(6)「バカ」「醜い」など罵ったことがある
(7)いつも自分が中心でいたい
(8)「正しい」「正しくない」と決めつける
(9)自分の誤りを認めようとしない
(10)批判されることに敏感
引用元:キャリコネ
毒親…自分の親が毒親なんてだれも想像したくないですね。
親のせいばかりにしていたあげく、気がつけば、自分も毒親そっくりに?!
自己嫌悪とうらみつらみが混在する複雑な感情で毎日を過ごすのは
本当にしんどいものです。
こういうチェッカーはチェックして
「ああ、3つ以上あったから自分は毒親だぁ」とか
「2つだったから私は毒親ではない」という
線引きするための物ではないと言うことです。
ひとつひとつなにが毒となるのかを親として考察していく必要がある
のだと思います。
(1)言うことに疑問・同意しないことは許さない
→親の心理としては子どもは自分の言うことを聞くべきだとか
育ててやっているのだから逆らうな!みたいな上から目線で支配することが×。
基本的に子どもは言うことを聞かないものという選択肢を持ちたいところです。
(2)過剰な期待をかけプレッシャーをかける
→最終的には子どものためになると思って発破を掛けているという親が多い。
親の期待は、子どもの希望ではない。あくまでも親の考えている世界での理想像です。
暴力やネグレクトがなくても価値観や趣向を押しつける行為は地味に子どもの心をえぐっていきます。
知らず知らずに親の先入観で傷つけることもあるので、まず子どもの考えがどうなのかを尊重して
きいてあげたいもの。
(3)望み通りになるように指図してばかり
→親は家庭内では司令塔のような存在である必要性はある。いくら子どもに
自由にさせると言っても、さまざまなルールがわからないと好き勝手しかやらなくなります。
基本的に一緒に生活をしていると「あれしなさい」「これしなさい」ということが多くなるので、
子どもにやらされている感が植え付けられるのです。やらせるのではなく、一緒に考えて
行動につなげるということをしていきたいですね。
(4)学校・仕事・恋人を選ぶ時に介入する
→これも親の先入観や価値観の押しつけですね。その選択をすると将来不利益だろうから
やめておきなさい。とどうしても舗装された道路を歩かせようとするのが親心です。
しかし、舗装された道路しか歩いていない人は、人生で砂利道や山道を通らなくてはいけない
ときにパニックになることでしょう。本来は自分で決めたことを結果が良くても悪くても自分で
責任をとると言うことが求められています。いわゆる自立促進ですが、これを阻害する行為
になるのです。
(5)親子の縁を切るといって脅したことがある
→親の潜在的な心理は、本当に親子の縁を切りたいのではなく、子どもの不安をあおって
結果を自分の思うように誘導したいという自己中心的な考えが垣間見えます。伝家の宝刀を
だせば最終的には子どもは自分の言うことをきくが、年齢と共に通用しなくなってきます。
さらに、脅すたびに子どもは心に不安を抱き傷つきます。あたりまえにいていいはずの家庭が
条件付きで生活させてもらっている罪悪感すら覚えることも。
つづく
自閉症スペクトラムがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)
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2017年01月05日
【発達障害支援】障害のない社会を目指すマザーズ上場のリタリコ株が上昇中!
大幅に4日続伸。一部メディアの年始の特集記事で同社の長谷川社長が取り上げられており、注目度が高まっているようだ。この記事では、同社の運営する自閉症スペクトラム障害、学習障害などがある子供のための学習教室「LITALICOジュニア」が紹介されている。全国約70ヶ所にある教室には約8000人が通うが、定員はほぼいっぱいで5000人の子供が空きを待つという。
引用元:株探
障害者が社会にあわせられるような世の中になるのではなく、
社会が障害者に寄せて過ごしやすい環境を整えることを目指す。
そんなスローガンを掲げている会社があります。
東証マザーズに上場しているリタリコという会社で注目を浴びています。
なにが注目かというと先日も取り上げたことがあったかと思いますが、
自閉症スペクトラムなどの発達障害のある子どものための学習塾「LITARICOジュニア」
が大盛況で5000人も待機しているそうです。
⇒障害者のいない社会でなく障害のない社会を目指すLITARICO!人工知能KIBITが障害を支援
株価は先を見越してあがっていくと言いますが、投資家の人たちも
なにか響くポイントになっているのでしょうか?
⇒LITARICOジュニアのHP
なにはともあれ、発達障害がさまざまな支援という観点から注目されることは
すばらしいことであり、個人的にも興味がある会社です。
発達障害の児童が約8000人通うという規模で需要が供給を追い越している状態です。
教室は70箇所あるようですが、2017年1月時点で東京・神奈川・埼玉・千葉・大阪・兵庫
と首都圏がメインですのでさらに全国的に展開してもらえると助かりますね。
首都圏にお住まいの方で、発達障害のお子様がいる方は体験入学をしてみるのも
変な心療内科に行くより面白いかもしれません。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
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2017年01月04日
2017年の大掃除を今から開始!恒例の行事に振り回されない1年にしたい。
さて三が日もぬるりと消化して今日から仕事始めという人も多いでしょう。
長い休みがあると一般的には休み明け現実に戻れない…のが多数派でしょうか。
私の場合は家に休みで長くいる方が気苦労が多い気が^^
仕事の場合はそれなりの成果が出れば評価されますし、
それなりにまじめにやっていれば見てくれている人は必ずいますので、
自分の第三者からの目を等身大で受け止めやすいです。
そのため、仕事に集中していた方が意外と達成感などを味わえよかったりするのです。
家の中のことって、あまり達成感を得るためとか、目標を必達するためなんていう
堅苦しい物はあまりないでしょう。でもやることは無限に出てきます^^
まじめにやろうと思えば、自分がつぶれるまでできてしまうし、周りがほめてくれるから
家事をやるというのも少し異なります。
■「自分が自分で及第点をだせないと苦しい空間」
あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、今日も出来なかった、ちっともすすまない。
どうして誰も手伝ってくれないの?!パートナーなんだから協力しろ!!!
みたいに自分を追い込むと結局、受け止めきれずパートナーに八つ当たりする
ということが今まで多かったように感じます。
去年は大掃除はなしにしましたし、正月のおせちなどもやめ。
新年は親族で集まることがおおかったのですが、新年から毒親に
あって無意識レベルで毒を注入されるのもいやであるため帰省も自粛です。
まだまだ罪悪感は少々ありますが、今年はすごーく気が楽な年末年始だったきがします。
あれしなきゃこれしなきゃって自分を苦しめすぎていたなぁと。
気持ちに余裕が出来たので、年始から2017年の大掃除を始めましたよ^^
自分では無駄な物は買っていないと思っているのですが、捨てる物がでてくるでてくる。
断捨離というのかミニマリストというのか、必要な物だけに囲まれて過ごしたいという欲求が
日々強くなっています。
■「物に殺される」
そんな風に思ったことありますか?基本的にそんなに物は買わない方ですが、
私は物を捨てることが苦手です。またなにかにつかえるかもしれない。捨ててしまうと
損をしているようだ!と感じてしまい、なにかしら納得の理由が出来ないと捨てられないのです。
そういう人間でも気持ちに余裕が少しできると、今まで執着していた物も
あれこれ考えず、つかわないから捨てよう!と割り切ることが出来るのですから
心に余裕を持つと言うことは非常に重要だといえます。
新年早々いろいろ悩んでいるような人は、片付けをして物理的な場所と自分の頭を
きれいにするとすっきりした1年の始まりになるのではないかと思います。
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長い休みがあると一般的には休み明け現実に戻れない…のが多数派でしょうか。
私の場合は家に休みで長くいる方が気苦労が多い気が^^
仕事の場合はそれなりの成果が出れば評価されますし、
それなりにまじめにやっていれば見てくれている人は必ずいますので、
自分の第三者からの目を等身大で受け止めやすいです。
そのため、仕事に集中していた方が意外と達成感などを味わえよかったりするのです。
家の中のことって、あまり達成感を得るためとか、目標を必達するためなんていう
堅苦しい物はあまりないでしょう。でもやることは無限に出てきます^^
まじめにやろうと思えば、自分がつぶれるまでできてしまうし、周りがほめてくれるから
家事をやるというのも少し異なります。
■「自分が自分で及第点をだせないと苦しい空間」
あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、今日も出来なかった、ちっともすすまない。
どうして誰も手伝ってくれないの?!パートナーなんだから協力しろ!!!
みたいに自分を追い込むと結局、受け止めきれずパートナーに八つ当たりする
ということが今まで多かったように感じます。
去年は大掃除はなしにしましたし、正月のおせちなどもやめ。
新年は親族で集まることがおおかったのですが、新年から毒親に
あって無意識レベルで毒を注入されるのもいやであるため帰省も自粛です。
まだまだ罪悪感は少々ありますが、今年はすごーく気が楽な年末年始だったきがします。
あれしなきゃこれしなきゃって自分を苦しめすぎていたなぁと。
気持ちに余裕が出来たので、年始から2017年の大掃除を始めましたよ^^
自分では無駄な物は買っていないと思っているのですが、捨てる物がでてくるでてくる。
断捨離というのかミニマリストというのか、必要な物だけに囲まれて過ごしたいという欲求が
日々強くなっています。
■「物に殺される」
そんな風に思ったことありますか?基本的にそんなに物は買わない方ですが、
私は物を捨てることが苦手です。またなにかにつかえるかもしれない。捨ててしまうと
損をしているようだ!と感じてしまい、なにかしら納得の理由が出来ないと捨てられないのです。
そういう人間でも気持ちに余裕が少しできると、今まで執着していた物も
あれこれ考えず、つかわないから捨てよう!と割り切ることが出来るのですから
心に余裕を持つと言うことは非常に重要だといえます。
新年早々いろいろ悩んでいるような人は、片付けをして物理的な場所と自分の頭を
きれいにするとすっきりした1年の始まりになるのではないかと思います。
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