2017年01月11日
家庭は無条件にいて良い場所!幼い子どもに対して「出ていけ」「飯抜き」はしつけではなく虐待です。
自分の家というのは本当はそこにいるために条件とか資格とか
そんなものは必要としないわけです。あたりまえにそこにいて良く、
さらにその空間は安心できる空間でないと心に傷を負ってしまう可能性が
たかまるのでしょう。
「不安」
「焦燥感」
「疑惑」
「恐怖」
そんなものが毎日家庭内に渦巻いていると言うことは、
親としては子どもへ虐待している感覚はなくともすでに
機能不全家族の環境を提供してしまっている状態なのです。
近年では虐待の解釈が非常にセンシティブになってきており、
むかしはそんなことどこの家でもあるでしょう?仕方ないよ!と
言われるようなことも虐待として認知されるようになってきています。
「子どもの前での慢性的な夫婦げんか」
これは面前DVとして有名になっています。
なるべく子どもの前でけんかをしないようにすることはもちろんです。
しかし、お互いが仮面夫婦のようにコミュニケーションを交わさないような無視する
関係なんかも当然子どもからすると不安要素になりますので面前DVになるでしょう。
「言うこと聞かないから食事抜き!」「出て行け!」
ということも親からやられた人はついやってしまいがちですが、
親は子どもをコントロールしているつもり、しつけのつもりでいいますが、
これも基本的には×である行為と認識した方がよいです。
家庭は無条件にいて良い場所という概念からすると、
・食事が出来る→言うこと聞いたときだけ?
・家にいていいのは→言うこと聞いたときだけ?
ということを子どもの潜在意識に植え込んでしまいます。
子どもからすれば、親の言うことをきく以外に選択肢を持てるという
タイプはまれで結果的に支配され服従せざるを得ないと言うことが多いです。
親は自分の言ったことを子どもがわかったと勘違いをします。
言うことをきかなければさらにエスカレートしたことをやる人もいるでしょう。
一方、子どもは我慢していないと怒られることは嫌だし食事できなくなるし、
出ていけって言われたら行く場所ないため、どうしようと常に不安が
つきまといます。
結果悶々とした幼少期を過ごし大人になってアダルトチルドレンや
パーソナリティ障害として苦しめられる場合も多いわけです。
恩着せがましい親は何かしら心に闇を抱えているのかもしれませんね。
自分のおかげでお前らは生きていられるのだ!と精神まで支配された
子どもは本当に体だけ大人になってしまい心がついて行けなくてつらい
日々を過ごすことになるでしょう。
でも、それを乗り越えるのは自分でやるしかないのだからきついです。
まずは、自分の心の内を話せるカウンセラーなどを探すのが自己肯定感を
落としすぎず良いのだろうと思います。
自分が親になってからよりいっそう自分の子どもに対する言葉の影響力の
大きさに気がつき反省させられる毎日です。
自分の世代でこの呪縛をやめたいものですね^^
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そんなものは必要としないわけです。あたりまえにそこにいて良く、
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たかまるのでしょう。
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親としては子どもへ虐待している感覚はなくともすでに
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むかしはそんなことどこの家でもあるでしょう?仕方ないよ!と
言われるようなことも虐待として認知されるようになってきています。
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これは面前DVとして有名になっています。
なるべく子どもの前でけんかをしないようにすることはもちろんです。
しかし、お互いが仮面夫婦のようにコミュニケーションを交わさないような無視する
関係なんかも当然子どもからすると不安要素になりますので面前DVになるでしょう。
「言うこと聞かないから食事抜き!」「出て行け!」
ということも親からやられた人はついやってしまいがちですが、
親は子どもをコントロールしているつもり、しつけのつもりでいいますが、
これも基本的には×である行為と認識した方がよいです。
家庭は無条件にいて良い場所という概念からすると、
・食事が出来る→言うこと聞いたときだけ?
・家にいていいのは→言うこと聞いたときだけ?
ということを子どもの潜在意識に植え込んでしまいます。
子どもからすれば、親の言うことをきく以外に選択肢を持てるという
タイプはまれで結果的に支配され服従せざるを得ないと言うことが多いです。
親は自分の言ったことを子どもがわかったと勘違いをします。
言うことをきかなければさらにエスカレートしたことをやる人もいるでしょう。
一方、子どもは我慢していないと怒られることは嫌だし食事できなくなるし、
出ていけって言われたら行く場所ないため、どうしようと常に不安が
つきまといます。
結果悶々とした幼少期を過ごし大人になってアダルトチルドレンや
パーソナリティ障害として苦しめられる場合も多いわけです。
恩着せがましい親は何かしら心に闇を抱えているのかもしれませんね。
自分のおかげでお前らは生きていられるのだ!と精神まで支配された
子どもは本当に体だけ大人になってしまい心がついて行けなくてつらい
日々を過ごすことになるでしょう。
でも、それを乗り越えるのは自分でやるしかないのだからきついです。
まずは、自分の心の内を話せるカウンセラーなどを探すのが自己肯定感を
落としすぎず良いのだろうと思います。
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コメントありがとうございます!
国は三権分立で権力を分散させていますが、家庭内はすべて母親が権利を持って
しまうと本当に大変な面はありますね。
今でこそ母親からすれば良かれと思ってやってくれたのだと思えますが、
当時を思い出すと、どこか安心できる場所がなく、本来なら母親や家が
安心できる場所であって欲しいが実現しないさみしさ。そんなものがあった
気がします。
逆にそれ以上に誰にも頼ることができないという逼迫感が母親にも
あったのかもしれませんし、自分の夫の無関心さに腹を立てていた面
の鬱憤もあったと思います。
日本人の多くがAC気質をもっているといわれていますから、
隠れ機能不全家族はいまだにおおいのでしょうね。
私はなんとかこの因果を断ち切っていきたいです^^
コメントありがとうございます。
つらい過去のことを赤裸々に語っていただきありがとうございます。
本当に色々あったご家庭だったのでしょうね。そのなかでマロン様も
自分自身を守るために自己防衛本能として失敗したくない!という
感情が芽生えたのかもしれませんね。
私自身もコメントをいただきいろいろと気がつかされることが多いので、
お話しができてむしろ光栄だと思っています。
こちらこそコメントまでいただきありがとうございます。
父親は何もフォローしてくれず。母親の絶対権力。
ヒトラーのような。そんなことが、3回ありました。
でも、普段は朝5時に出掛ける時でも朝食を作ってくれる母親。そういったことで、この母親は悪い人ではないのだと思ってしまうんですよね…。
自分の家が機能不全家族だとは、最近になるまで理解できていなかったです。自分の家庭が普通だという誤った認識がなければ、もっと早く毒親から逃げ出せたのになと。
友人たちに聞いても、飯なしを経験した者は皆無でした。
職場で一番迷惑なのは「無能な働き者」と言われるように、家庭でも一生懸命さが家族を不幸にするんだなと母親をみていて思います。
話がややこしくなりますが、実は私の兄こそ高機能自閉症です。診断を受けています。
2人兄弟でした。
両親ともに自閉症とかの数値化できない病は受け入れられないタイプで、兄の奇行や場違いな発言は両親の怒りを買う日々でした。両親は怒鳴るのも手を挙げるのも当たり前だったので、もう、毎日帰宅するのが嫌でした。玄関開けるのが怖くて。
私は、幼いながらもどこか兄が異形だと感じていました。治らないと直感がありました。
だけど両親はなんとか普通にしようと、それが親の務めだというように、おそらく自閉症に対して一番よくない方法を続けた気がします。
子供ながらに、なぜ両親は障害や治らないことに気付かないだろうとイラつきました。
話は逸れましたが、私は18で家から離れました。
兄を置いていく後ろめたさや、1人で逃げる罪悪感ありましたが、冷静に考えて出ました。
家から離れた後は、家族への申し訳なさで度々1人で泣きましたが、今考え直しても間違ってなかったと思います。やはり、暴言と暴力に満ちた環境は、18の娘には酷です。自分を守るためという理由でも、なんら非難される筋合いないですもん。
毒親って嫌ですね。
ただうちの場合は自閉症の子供を抱えることになったので、普通の家にはないストレスが必然的に起こり、そう傾いていってしまったのかなという、ちょっとした同情もあります。
話がまとまらなくてすみません。
私はブログを拝見したら、コメントしてコミュニケーションすることで、昔の自分が癒される気がします。ありがとうございます。
先日の質問にも丁寧なご回答を感謝します。
言葉のやり取りの中で、自らとも対話し、一つずつ自分が答えを出していっています。
お礼を申し上げます。