2017年09月18日
共依存からの脱却?!「めんどうくさい」という発言が減ってきた母親!(その1)
現代の言葉で言えば「毒親」といえばしっくりくるのでしょうか。
私自身の母親は肉体的の暴力はしないものの、精神的に子供を支配するタイプ
の親でした。
親にしてみれば、子供を物扱いなどしていない気持ちだったのでしょうが、
なんでもかんでも
・子供は親の言うことは絶対聞くべき!
・自分が正義で正しい!
・自分の言っていることがわからない奴はバカだ
・テンパると怒鳴り散らす
ということが目立った人でした。
基本的には専業主婦として家のことはしっかりとやっている人で、
白黒思考がもの凄く強い人だったと今では客観視できます。
まさにかつての自分がこの母親と重なる部分が多いのです。
この現代で言うところの毒親は歳とともに変わってきたこともあります。
大人になってから母親と話すときには、別にたいした内容のことを話していなくても
なんだか胸が締め付けられるような気持ちになるときがありました。
母親はよく
・めんどうくさい
・お金がもっとあれば…
・でも、だって…
という言葉を多用するのです。
聞いていると心苦しい気持ちになります。
今思えば単に話を聞いて欲しかっただけなのだと思います。
子育て真っ盛りの時期は、父親は家庭を顧みず、だれも相談できる
ような相手がいなかったのでしょう。子供が大人になってくると
今度は子供に自分の良き理解者になって欲しいという欲求が生まれてきたのかもしれません。
よくある話ですが、客観的にはグチにしか聞こえないようなことを
延々と話してくるのです。それに対して単に聞いてあげればいいのですが、
どうしても解決策を見いだしてあげようとあれやこれやと提案してしまうんです。
これがいけない様で、提案をすれば素直に受け入れると言うことはありません。
「○○という方法もあるからやってみたら?」といえば、
「でも、そういうのめんどうくさそうじゃないの」と返す感じ。
「じゃあ、○○というのも良いと思うけど」と再提案すれば
「めんどうくさいよ。そんなのは」と…
「そういわれたら、現状維持しかないよね…」といえば、
「誰か気軽にやってくれる人がいるといいのにね」みたいに返してきます。
おそらく、
「全部、子供の俺がやってあげるから安心してよ!」という言葉を待っている感じが見え見えなのです。
依存したいけど直接的に依存した言葉はいえないタイプ^^まるで自分を見ているようでした。
しかし、思ったように自分の子供達はそういう答えを返す人がいません。
そりゃそうですよね。各々の家庭があるのですからできることとできないことはあります。
ちょっと強く「結構簡単だから自分でもできるよ」なんて1人でやることを推進すると…
「あなたは1人じゃないから、できない気持ちがわからないのよ」と語気を強め、
「だれも母さんの気持ちなんてわかってくれないのよね」と怒り始める。
こういうことが今まで何度あったか分かりません。
私の場合は、そういう雰囲気に耐えられないため、
その前に代替案をだすか、一部は自分がやってあげるよ!といって
最悪の難を逃れてきました。
めんどうくさいを連呼されると、こちらの生気を吸い取られるような
気分になってしまうのです。そして間違いなく子供のころから同じような
ことは繰り返されてきたと実感しました。
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・自分が正義で正しい!
・自分の言っていることがわからない奴はバカだ
・テンパると怒鳴り散らす
ということが目立った人でした。
基本的には専業主婦として家のことはしっかりとやっている人で、
白黒思考がもの凄く強い人だったと今では客観視できます。
まさにかつての自分がこの母親と重なる部分が多いのです。
この現代で言うところの毒親は歳とともに変わってきたこともあります。
大人になってから母親と話すときには、別にたいした内容のことを話していなくても
なんだか胸が締め付けられるような気持ちになるときがありました。
母親はよく
・めんどうくさい
・お金がもっとあれば…
・でも、だって…
という言葉を多用するのです。
聞いていると心苦しい気持ちになります。
今思えば単に話を聞いて欲しかっただけなのだと思います。
子育て真っ盛りの時期は、父親は家庭を顧みず、だれも相談できる
ような相手がいなかったのでしょう。子供が大人になってくると
今度は子供に自分の良き理解者になって欲しいという欲求が生まれてきたのかもしれません。
よくある話ですが、客観的にはグチにしか聞こえないようなことを
延々と話してくるのです。それに対して単に聞いてあげればいいのですが、
どうしても解決策を見いだしてあげようとあれやこれやと提案してしまうんです。
これがいけない様で、提案をすれば素直に受け入れると言うことはありません。
「○○という方法もあるからやってみたら?」といえば、
「でも、そういうのめんどうくさそうじゃないの」と返す感じ。
「じゃあ、○○というのも良いと思うけど」と再提案すれば
「めんどうくさいよ。そんなのは」と…
「そういわれたら、現状維持しかないよね…」といえば、
「誰か気軽にやってくれる人がいるといいのにね」みたいに返してきます。
おそらく、
「全部、子供の俺がやってあげるから安心してよ!」という言葉を待っている感じが見え見えなのです。
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しかし、思ったように自分の子供達はそういう答えを返す人がいません。
そりゃそうですよね。各々の家庭があるのですからできることとできないことはあります。
ちょっと強く「結構簡単だから自分でもできるよ」なんて1人でやることを推進すると…
「あなたは1人じゃないから、できない気持ちがわからないのよ」と語気を強め、
「だれも母さんの気持ちなんてわかってくれないのよね」と怒り始める。
こういうことが今まで何度あったか分かりません。
私の場合は、そういう雰囲気に耐えられないため、
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