2017年07月08日
なにげない子どもの「いいな〜」「ずるい!」は危険信号?!満たされない気持ちは引きずりがち。(その2)
→なにげない子どもの「いいな〜」「ずるい!」は危険信号?!満たされない気持ちは引きずりがち。(その1)
私自身は子どものころ、やはり「いいな〜」「ずるい」と思う
ような子どもでした。ただ我が子と大きく違うのは、それを
あまり声に出して主張しようとはしなかったことです。
「いいな〜」とか「ずるい」を連日連呼するような子どもは
危険と書きましたが、一番危険なのは、人一倍そう思っているのに
それを表現できず自分の中に押し込めてしまっている子どもでしょう。
親からすると、心苦しい言葉でもありますが、
言葉に出している子どもの場合は、親にその気持ちを気づいてもらいやすい
という傾向があります。
怒られるのも嫌だし、良い子に見られたいのもある。
根本的には親の機嫌をうかがいすぎてしまっているのです。
言葉には出していないものの、心の中では自分が周りに比べて
凄く不公平だ!という気持ちがうずまいているので、
年齢を重ねるごとに肥大化していきます。
この感情が根付いてしまうと、ある意味幸せ感が得られにくい体質に
なっているといえます。
「幸せ欠乏症」という症状はありませんが、名前を付ければ
そんな感じです。
仮に自分に楽しいことがあっても、自分の周りでもっと楽しそうな
ことがおきていると、自分の楽しさを等身大で満足できず、
他人の幸せをモノ欲しくなってしまう。
他にも兄弟で兄がお菓子を3つもらったけど、自分は2つしかもらえなかった
なんてことがあると、2つもらえたといううれしい事実をわすれてしまい、
自分は1つ少なくしかもらえなかったという不遇感が沸き立ってきます。
誰よりも幸せになりたい!と幸せを渇望しているのにもかかわらず、
根本的な思考の癖が「幸せ欠乏症」では何をやっても満たされにくいという
わけです。自分の器には自分で穴を開けておいてあるので、たくさんよそっても
そこから流れ出てしまいみたされない。他人の器にはたっぷりのっている
ようすをながめてねたんだり、怒ったり、悲しくなったりするので、
なにをやってもまずは自分の器の穴を小さくすることが先決でしょう。
自分でそれを気づいたのは正直ここ何年かですから、
子どもにわかってもらおうなんてムシがいい話ですね。
この感情をキレイさっぱりなくすということは現実的では
ないかもしれません。それほど脳の癖は簡単には矯正できないからです。
ただこの考え方は等身大で楽しいことを楽しいと思えない、
幸せなことを幸せと受け止められないので、不幸感ばかりが
増してしまいがちです。
この根源となるモノは他人との比較です。
比べること自体はわるくありません。
ただ、他人は他人で自分は自分という境界線が
はっきりできない点が不遇感をましているのかもしれません。
社会で生きる以上、最低限の他人への配慮は必要です。
しかし他人のことばかりきになってしまっていると、
いつまでたっても自分の幸せには気づきにくい訓練を
つづけているようなものといえます。
感情の根本に何があるのかを親自身が考えてみる必要がありそうです。
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危険と書きましたが、一番危険なのは、人一倍そう思っているのに
それを表現できず自分の中に押し込めてしまっている子どもでしょう。
親からすると、心苦しい言葉でもありますが、
言葉に出している子どもの場合は、親にその気持ちを気づいてもらいやすい
という傾向があります。
怒られるのも嫌だし、良い子に見られたいのもある。
根本的には親の機嫌をうかがいすぎてしまっているのです。
言葉には出していないものの、心の中では自分が周りに比べて
凄く不公平だ!という気持ちがうずまいているので、
年齢を重ねるごとに肥大化していきます。
この感情が根付いてしまうと、ある意味幸せ感が得られにくい体質に
なっているといえます。
「幸せ欠乏症」という症状はありませんが、名前を付ければ
そんな感じです。
仮に自分に楽しいことがあっても、自分の周りでもっと楽しそうな
ことがおきていると、自分の楽しさを等身大で満足できず、
他人の幸せをモノ欲しくなってしまう。
他にも兄弟で兄がお菓子を3つもらったけど、自分は2つしかもらえなかった
なんてことがあると、2つもらえたといううれしい事実をわすれてしまい、
自分は1つ少なくしかもらえなかったという不遇感が沸き立ってきます。
誰よりも幸せになりたい!と幸せを渇望しているのにもかかわらず、
根本的な思考の癖が「幸せ欠乏症」では何をやっても満たされにくいという
わけです。自分の器には自分で穴を開けておいてあるので、たくさんよそっても
そこから流れ出てしまいみたされない。他人の器にはたっぷりのっている
ようすをながめてねたんだり、怒ったり、悲しくなったりするので、
なにをやってもまずは自分の器の穴を小さくすることが先決でしょう。
自分でそれを気づいたのは正直ここ何年かですから、
子どもにわかってもらおうなんてムシがいい話ですね。
この感情をキレイさっぱりなくすということは現実的では
ないかもしれません。それほど脳の癖は簡単には矯正できないからです。
ただこの考え方は等身大で楽しいことを楽しいと思えない、
幸せなことを幸せと受け止められないので、不幸感ばかりが
増してしまいがちです。
この根源となるモノは他人との比較です。
比べること自体はわるくありません。
ただ、他人は他人で自分は自分という境界線が
はっきりできない点が不遇感をましているのかもしれません。
社会で生きる以上、最低限の他人への配慮は必要です。
しかし他人のことばかりきになってしまっていると、
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