2017年01月10日
感謝してもらいたい毒親の心だれもわからず?!迷走をとめられるのは自分自身だけ。
感謝をするという感情はやはりひとに押しつけられてするものではありません。
自然に自分がそう思わなければ形式だけで疲れてしまいます。
私は形式的な感謝は見事にできますが、本質的に感謝ができているかどうかは
正直わからなくなるときもあります。
おそらく毒親も自分で本心から感謝すると言うことが親にできなかったのだろうと思います。
あとから母に祖父の話を聞くと、私の母もアダルトチルドレン体質であり、
その根源は祖父にあることがひしひしと伝わってくるからです。
理想のお父さんが欲しい。優しいお父さんに包まれたい。子どもは無償の愛情を親に
無意識に要求してきますが、見事に叩ききられていたのです。
母は父親からよく言われたことがあるという言葉、
「言うこと聞かないなら出て行け」
「誰のおかげで食事が出来ていると思っているんだ!」
食事の時間は特に緊張の連続だったそうです。
なぜかと言えば、食事になるといわゆる箸の上げ下げ程度のことで
教育と言うより指導というのでしょうか、怒りが大爆発するようなことが
頻繁にあったそうです。
毎日の食事は楽しみだったけど父親との食事は食べた気がしない。
そんな環境で母は育っていたのです。子どもは何か言うと父親が
だんだん教訓めいたことを言い始め、しっかり聞いていないと逆ギレして
それこそちゃぶ台をひっくり返しかねないような感じだったため、
まるでお通夜の食事のようなしんみりした食卓になっていたそうです。
母親からすれば、自分が結婚をして家庭を持ったら、絶対こんな
食卓にはしたくない!楽しく朗らかで食事を楽しめるような家族に
なりたいと思ったそうです。
その想いはどちらかというと実現していたように感じます。
私自身食事の時は母が怒鳴り散らすみたいな事はありませんでしたから。
本人なりにもそういう食卓を目指していたのだと思います。でもあくまでも
自己満足の世界だったともいえます。
なぜかと言えば、私の父は母のそういう考えにはとくに無関心で
楽しい食卓を夫婦が協力してつくりだすということができませんでした。
母からすると、自分がその時代の理想的な妻や母を演じているのだから、
父親にも理想の父親像や理想の夫像を当然に要求するようになります。
これが見事にうまくいかず、母が一人で空回りしているような状態になります。
家の母親はひかくてき自分で何でもやらないと気が済まないたちで
それは良い面もありますが、実際は一長一短です。
子どもからすれば、本来自分でやらなければ行けないようなことも、
母が自分の能力以上体や頭を酷使して家も子どもも夫も家計も
こなそうとし、結果こなせてしまうという環境下にありました。
そのため、母親の中では自分だけが頑張っている、だけど
子どもは自分をほめてくれないし、夫も当然無関心なので労いの言葉もなし。
母親からすると他人に献身的な自分を演じてそれが自分の本来の姿と
思うことにより自分の人間としての存在価値を見いだしていたようにも
思います。
でも本当はそこまでやりたくなかったのでしょうね。
自分の母親ながらよくめげずにやってきたなぁと客観的に見られる面も
いまではありますが、その過干渉ともいえる行動が結果的に夫や子どもの
自立を奪っていた行為だなんてわかってしまったら、涙が止まらないことでしょう。
ただ、そのときそのとき精一杯頑張ってくれたことは今になって素直に感謝はできます。
だから、あまり頻繁にあいたいとは思えないものの、今では、
「母さんはよく子育てやりきったよね」とおべっかでなくいえます。
母もほめられることはなれていないのか、あまのじゃくなのかわかりませんが、
こんなことをいえば、「やりきっていない、もっと本当はこうしてあげたかった」なんて
いうことも。
逆に「あのころはもっとこうしてほしかったんだよ」なんて冗談でも言うと
逆に、「しかたないでしょ!母さんだって一生懸命やったのよ!」と子どものように
自己防衛に走ります。
そんな母も相当心に傷を負っているのかと思うとあまりけんかしたいという
気持ちも芽生えず、親として自分が同じ事を繰り返さないようにしたいと思うばかりです。
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自然に自分がそう思わなければ形式だけで疲れてしまいます。
私は形式的な感謝は見事にできますが、本質的に感謝ができているかどうかは
正直わからなくなるときもあります。
おそらく毒親も自分で本心から感謝すると言うことが親にできなかったのだろうと思います。
あとから母に祖父の話を聞くと、私の母もアダルトチルドレン体質であり、
その根源は祖父にあることがひしひしと伝わってくるからです。
理想のお父さんが欲しい。優しいお父さんに包まれたい。子どもは無償の愛情を親に
無意識に要求してきますが、見事に叩ききられていたのです。
母は父親からよく言われたことがあるという言葉、
「言うこと聞かないなら出て行け」
「誰のおかげで食事が出来ていると思っているんだ!」
食事の時間は特に緊張の連続だったそうです。
なぜかと言えば、食事になるといわゆる箸の上げ下げ程度のことで
教育と言うより指導というのでしょうか、怒りが大爆発するようなことが
頻繁にあったそうです。
毎日の食事は楽しみだったけど父親との食事は食べた気がしない。
そんな環境で母は育っていたのです。子どもは何か言うと父親が
だんだん教訓めいたことを言い始め、しっかり聞いていないと逆ギレして
それこそちゃぶ台をひっくり返しかねないような感じだったため、
まるでお通夜の食事のようなしんみりした食卓になっていたそうです。
母親からすれば、自分が結婚をして家庭を持ったら、絶対こんな
食卓にはしたくない!楽しく朗らかで食事を楽しめるような家族に
なりたいと思ったそうです。
その想いはどちらかというと実現していたように感じます。
私自身食事の時は母が怒鳴り散らすみたいな事はありませんでしたから。
本人なりにもそういう食卓を目指していたのだと思います。でもあくまでも
自己満足の世界だったともいえます。
なぜかと言えば、私の父は母のそういう考えにはとくに無関心で
楽しい食卓を夫婦が協力してつくりだすということができませんでした。
母からすると、自分がその時代の理想的な妻や母を演じているのだから、
父親にも理想の父親像や理想の夫像を当然に要求するようになります。
これが見事にうまくいかず、母が一人で空回りしているような状態になります。
家の母親はひかくてき自分で何でもやらないと気が済まないたちで
それは良い面もありますが、実際は一長一短です。
子どもからすれば、本来自分でやらなければ行けないようなことも、
母が自分の能力以上体や頭を酷使して家も子どもも夫も家計も
こなそうとし、結果こなせてしまうという環境下にありました。
そのため、母親の中では自分だけが頑張っている、だけど
子どもは自分をほめてくれないし、夫も当然無関心なので労いの言葉もなし。
母親からすると他人に献身的な自分を演じてそれが自分の本来の姿と
思うことにより自分の人間としての存在価値を見いだしていたようにも
思います。
でも本当はそこまでやりたくなかったのでしょうね。
自分の母親ながらよくめげずにやってきたなぁと客観的に見られる面も
いまではありますが、その過干渉ともいえる行動が結果的に夫や子どもの
自立を奪っていた行為だなんてわかってしまったら、涙が止まらないことでしょう。
ただ、そのときそのとき精一杯頑張ってくれたことは今になって素直に感謝はできます。
だから、あまり頻繁にあいたいとは思えないものの、今では、
「母さんはよく子育てやりきったよね」とおべっかでなくいえます。
母もほめられることはなれていないのか、あまのじゃくなのかわかりませんが、
こんなことをいえば、「やりきっていない、もっと本当はこうしてあげたかった」なんて
いうことも。
逆に「あのころはもっとこうしてほしかったんだよ」なんて冗談でも言うと
逆に、「しかたないでしょ!母さんだって一生懸命やったのよ!」と子どものように
自己防衛に走ります。
そんな母も相当心に傷を負っているのかと思うとあまりけんかしたいという
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コメントありがとうございます。
助けていただいたなんて…(照)
コメントを頂くことだけでも非常にうれしくおもっていますので感謝感謝です。
どうしてもこういう記事を書いていると親がすべて悪いんだね!?
みたいに思ってしまう人もいます。
先入観や劣等感を植え付けたのは100%親でしょうからその意味では悪いです。
しかし、親のせいにしていてもちっとも自分が楽にならないことに
どこかで気がつくことになります。本当に私自身も苦しみました。
今でも苦しんでいますが。
要は、親の言葉というのは大なり小なりありますが、子供にとっては
心臓を突き刺されるような言葉でそれを抜くのは非常に困難であるという
ことだけは確かでしょうね。
私は全然強くはありませんので^^
ぜひコメントで励まして下さい^^
共感できてうれしく思います。
あれから度々読ませていただき、勝手に私の中で共感し救われてます。
だいたいは夫のことでですが、今回は何だか私の母親とおんなじセリフが書いてあって、またまたビックリしました。
こんなことってあるんですね。
考えているとそれだけでその思いや思考に囚われてしまう時間にハッとしていつも、やめやめ!と自分で何も考えないように(どうせ変わらないし)しますが、こうしてきちんと文字にして分析して記事を組み立てていらっしゃることが素晴らしいなあ、強さだなあと感じました。
そして共感できる場所にいつも感謝です!