2017年01月08日
「親に感謝しなさい」と言う言葉に違和感を感じていたアダルトチルドレンの幼少期(その1)
「感謝する」ということは誰でも言葉では意味を理解していると思います。
しかし、本心から感謝しているかどうかがアダルトチルドレン体質の人は
わからなくなっているなんて不思議なこともあるのです。
いわゆる一般的には毒親の部類に入ってしまう私の母親は、「感謝」を
遠回しに強要するようなタイプの人間でした。
今は少しましになりましたが、幼少期はこの善意の押し売りに相当
心を痛めたような気がするのです。今でも素直に感謝することにためらいというか
罪悪感という自動思考を抱かされることがあるぐらいです。
素直に生活の中で感謝ができている人にとっては???という内容でしょう。
しかしそうでない人にとっては、感謝と言う言葉が出てくるたびに、
その後に続く特定の言葉がつきまとってしまうのです。
「感謝してます」…「本当に迷惑を掛けてごめんなさい。」
私の場合は申し訳ない気持ちが心の泉に溢れてきてしまうという
感情の方が強く出てしまうくせが潜在的に染みついてしまっています。
感謝の本質は、人から強要されて学ぶ物ではなく、
さまざまな経験をへて自分自身の心が本当にありがたいと思う感情です。
それが、ゆがんだ形ですり込まれてしまった面もあるのでしょう。
「ありがとうはちゃんといったの?」
「ありがとうもいえないならもうしらない!」
「世界では食べられない人もいるんだよ?」
「まったくお母さんがいなかったらどうなるの?」
うちの母親はまだましな方かも知れませんね。
直接的には「私が育ててあげているのだから感謝しなさい!」
とは言いませんから。ただ遠回しに自分がいることでおまえ達は生きられている
のだから、感謝しなくてはいけない!と圧力を掛けられているようなこと
はすごくたくさんありました。
ですから、小学生ぐらいの時まではまだ素直に言うことを聞くので親も
安心しきってしまうんですね。(親の言っていることが理解していると思いこんでいる)
でも思春期(中学生から高校生ぐらい)になると自分は親の考え方とは
違うと言うことが徐々にわかってきます。そこでだんだんいうことをきかなくなる
ということがいわゆる反抗期でしょう。
親からするとびっくりみたいですよ。今まで言うことを聞いてたのに、
なぜ急にそんなこというの?みたいな^^本当はぜんぜん急ではないのですけどね。
子どもが親にあわせて我慢してしまっているだけ。
何となく社会に出て行けば理屈上は感謝した方がよいことなど理解できますが、
理屈と心が一致しないままそのインナーチャイルドを押し込めて大人を装ってしまうと
いろいろと価値観や感謝他人に押しつける人間になるのかも知れません。
本来は子どもが親へ感謝すると言うより、親が育てさせてくれて、生まれてきてくれてありがとう!
という気持ちや態度が大切なのかとも思います。
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しかし、本心から感謝しているかどうかがアダルトチルドレン体質の人は
わからなくなっているなんて不思議なこともあるのです。
いわゆる一般的には毒親の部類に入ってしまう私の母親は、「感謝」を
遠回しに強要するようなタイプの人間でした。
今は少しましになりましたが、幼少期はこの善意の押し売りに相当
心を痛めたような気がするのです。今でも素直に感謝することにためらいというか
罪悪感という自動思考を抱かされることがあるぐらいです。
素直に生活の中で感謝ができている人にとっては???という内容でしょう。
しかしそうでない人にとっては、感謝と言う言葉が出てくるたびに、
その後に続く特定の言葉がつきまとってしまうのです。
「感謝してます」…「本当に迷惑を掛けてごめんなさい。」
私の場合は申し訳ない気持ちが心の泉に溢れてきてしまうという
感情の方が強く出てしまうくせが潜在的に染みついてしまっています。
感謝の本質は、人から強要されて学ぶ物ではなく、
さまざまな経験をへて自分自身の心が本当にありがたいと思う感情です。
それが、ゆがんだ形ですり込まれてしまった面もあるのでしょう。
「ありがとうはちゃんといったの?」
「ありがとうもいえないならもうしらない!」
「世界では食べられない人もいるんだよ?」
「まったくお母さんがいなかったらどうなるの?」
うちの母親はまだましな方かも知れませんね。
直接的には「私が育ててあげているのだから感謝しなさい!」
とは言いませんから。ただ遠回しに自分がいることでおまえ達は生きられている
のだから、感謝しなくてはいけない!と圧力を掛けられているようなこと
はすごくたくさんありました。
ですから、小学生ぐらいの時まではまだ素直に言うことを聞くので親も
安心しきってしまうんですね。(親の言っていることが理解していると思いこんでいる)
でも思春期(中学生から高校生ぐらい)になると自分は親の考え方とは
違うと言うことが徐々にわかってきます。そこでだんだんいうことをきかなくなる
ということがいわゆる反抗期でしょう。
親からするとびっくりみたいですよ。今まで言うことを聞いてたのに、
なぜ急にそんなこというの?みたいな^^本当はぜんぜん急ではないのですけどね。
子どもが親にあわせて我慢してしまっているだけ。
何となく社会に出て行けば理屈上は感謝した方がよいことなど理解できますが、
理屈と心が一致しないままそのインナーチャイルドを押し込めて大人を装ってしまうと
いろいろと価値観や感謝他人に押しつける人間になるのかも知れません。
本来は子どもが親へ感謝すると言うより、親が育てさせてくれて、生まれてきてくれてありがとう!
という気持ちや態度が大切なのかとも思います。
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コメントありがとうございます。
うちの毒親もおなじようなことを言っていました^^
「人間は成長するためにある!」
「向上心ない人はクズだ!」というような…
だから私は若いころはそういう人をみるとイライラするし、
世の中から消えれば良いのにぐらい辟易していた気がします。
母親のいうことに理不尽さを感じながらもいうことを聞いてきたのは、
やはり潜在的に母親にもっと自分に振り向いて貰いたいという気持ちも
あるのではないかと思います。母親を嫌いになること=自分が悪い子に
なってしまいますから。
私はなんとか母親の思うような人間になって評価されたいという気持ち
が大人になってもありましたが、その反面どこか憎しみというか、
この人はなんて子供じみた人なのだろうと感じるようになりました。
なので、感謝はしているけど、別にお母さんの全部大好き!でなくても良いことに自分の中でしました^^
少しでも上へ行く努力を絶え間無くするよう、日々言われてきました。
全ては、『あなたの為だから』ということで。
共働き家庭で、そういった一方的な口出しくらいしか育児にさく時間がなかったから、言ってやった気になりたいんだと思います。
言うは易しなんですけどね。
私は迷惑でした。
でもね、すごく理不尽なんです。
今でも過去の恨みは消えないですが、母親という存在は嫌えないです。
これはもう本能的なことなんだな…と、そう考えます。